旅行やその他の日常活動(2006-2007年)

2007年12月31日 浅草、上野、神田

大晦日の浅草です。雷門から仲見世をくぐって凄い人出、雷門は江戸末期の大火事で燃えたらしいが、明治政府は廃仏毀釈で再建せず、松下幸之助が寄進で再建されたらしく、大提灯の下には「松下電器 松下幸之助」とある。右に風神、左が雷神、雷だけが名前に採用されている。浅草寺奥にある六区、元は一区から七区まであったうちの一つ。仲見世は七区、浅草寺本堂が一区。むかしはひょうたん池や浅草十二階があったという場所には今はビルが建っている。人混みを抜けて上野へ、科学博物館前には大きな鯨、ずっと歩いて神田明神が今日の上がり。

 

2007年12月1日 長野 春日温泉

冬の温泉は最高、長野はR152で行く渋い温泉、春日の湯。周りにも望月、別所、いろいろあるが、ここのお湯がヌルヌル系で僕は一番だと思う。国民宿舎望月荘、一泊8000円はお値打ちです。成分には水酸化物イオンが含まれているため、アルカリ度が高く、ローションのようにスベスベする。お湯に浸かっているときはツルツル、上がった後しっとり。かけ流しでお湯は飲泉も可能。宿泊する人は、内湯にも入ることができる。映画「たそがれ清兵衛 」のロケ地としても使われたということで、宿には写真が飾ってある。茂田井や望月宿も近くにあっていいところ。

2007年11月25日 京都 いとこ会

京都の四条大橋のたもとにある東華菜館でいとこ会をしました。いとこ会、滅多に聞かない集まりではないかと思いますが、何十年ぶりに小さいときにしか会ったことのなかった多くのいとこたちと再会しました。それぞれの親である皆さんは兄弟姉妹同士、その子供たちの集まりですので、まあ同窓会というか懐かしいメンバーでの集まり、小学校の同窓会よりも懐かしい感じです。毎年やると大変でしょうが、5年に一回くらいはやってもいい感じがします、幹事は大変。

2007年9月1日 豊洲、横浜ベイクルーズ

豊洲から船に乗って東京湾クルーズです。豊洲は変わりました。昔はIHIの造船所しかなかった倉庫街のような場所が、いまはオフィスビル、高層マンション、ららポート豊洲があって、歩いているママさんをキャナリーゼと呼ぶらしい。造船所の一部を残したおしゃれな船着き場から出発。レインボーブリッジの下をくぐってお台場を見ながら、海からみる工場群や羽田空港発着の飛行機など、いつもとは違う方向からの景色にきょろきょろです。今日は横浜までのクルーズです。曇天ですがそんなに暑くも寒くもなく、1時間半程度のゆっくりクルーズでしたが横浜到着。おしゃれなレストランでパスタを食べて、ゆっくりお茶して、のんびりした防災の日。

 

 

2007年8月7-11日 新潟津南 田中温泉、能登佐和田温泉、笹倉温泉、地獄谷温泉

関越の塩沢石打ICで降りて、R353を新潟方面に上り、トンネルを抜けた先を右に折れると景色がすばらしい県道560、南に石打、北に十日町が控える山の上のハイウエイがあります。その道ばたにある魚沼展望台から 越後田沢に降りてきてR117を津南へ、田中温泉信濃荘に宿泊 。早めの4時には宿についてのでゆっくりと温泉入浴。誰もいないお風呂は快適です。素朴な温泉宿ですが、こういうところに泊まれることが僕には幸せ。翌日R117から小千谷でR17、長岡、燕三条経由で新潟港 佐渡汽船で佐渡島へ。 佐渡島は初めてですが、観光ずれしていない良いところです。両津港から北に向かって 行けばいくほど人と車は少なく、ガソリンスタンドもないので途中で早めに給油、二つ亀、大野亀から関岬、お泊まりは佐和田温泉 旅館入海、お風呂は畳敷き、翌日は赤亀岩から弁天崎を回って鴻ノ瀬鼻、小木港からフェリーで直江津へ。R8で糸魚川に向かい途中で笹倉温泉に。一軒宿です。その うちには来たいのが雨飾温泉、夏しかやっていません。翌日は糸魚川から八方へ、山がきれい、しばし 八方尾根が良く見える7-11で休憩、長野五輪で使われたジャンプ台にいくとジャンプしている人の上を飛ぶハンググライダー、しばらく見入ってしまいました。青木湖、大町から黒部ダムへ。駐車場からバスでダムへ、2年前には反対側の称名の滝から見た景色を長野側から見る。大町から山の中を通って長野、中野から渋温泉の奥にある野猿も入る地獄谷温泉、駐車場にオートバイをおいて登ること10分宿に着く。ドイツ人のオートバイ乗りが居て話が弾む。翌日は横手から草津手前を長野原へ、小諸から関越でご帰還、温泉ツアーの完成です。

 

2007年5月2日 青山、新宿御苑

午後から青山から神宮外苑、国立競技場横を抜けて千駄ヶ谷、正門とあるわりに入れなくて、目の前に見える美しい西洋バラ園を見たくなり新宿側に回り込んで入場。いろいろなバラの種類があってきれい。新宿で買い物をして帰宅、いいお散歩でした。

 

2007年4月8日 京都 御所春の一般公開

京都御所春の一般公開に初めていってみました。御所には何回行ったのかわかりませんが、中に入ったことはなかった、一般公開は春と秋、桜見物をかねて行ってきました。御所は、小学校2学期まで住んでいた住まいの隣にあった遊び場所、塀のそばに流れている溝(?)では夏には水浴びやタニシ取りをしたものです。祖父のうちにいた犬の散歩や野球も御所の中でずいぶんしました。秋には銀杏拾い、夏は大文字見物、これは出町か荒神橋が良いのですが、人が多いので御所からみたこともありました。御所の道は石砂利が敷いてあって自転車が通る道がかすかに見えている、その風景が脳裏に残っています。御所は僕にとっては蝉取りをして、水浴びをした遊び場です。

2007年3月31日 柳瀬川の花見

柳瀬川川べりの桜は見事だ。R254から市役所までの柳瀬川散歩道沿いに桜が植えられていて美しい。花見客目当てのお店の発電機がうるさいし、花見客のゴミの始末も気になる。ただ、あるいてみるだけで十分楽しいのになぜ飲み食いをするのか。それもお酒、バーベキューで宴会までやることはないと思うが、これが日本の花見です、といわれれば、変えていってもいいと思える悪習だと思う。もっと優雅に部屋から見える桜を愛でながら自宅で一杯、というならそれが花見ではないでしょうか。夜桜見物もあって、電気をつけてさらに大宴会もやっている。ちょっとついていけない。

2007年3月22-25日 石垣島、西表島

石垣島、西表島に行って来た。中学生の時に聞いた気象通報、「石垣島 南南西の風 風力2 晴れ」なんていう放送を聞いて天気図を書くのが夏休みの宿題だった。羽田から那覇まで2時間半、乗り換えて1時間、遠いね、石垣島。ついた日は、まあ、ホテルで夕食、2日目の作戦会議をして就寝。二日目は西表島、フェリーで1時間くらい、ドクターコトーで有名になった鳩間島に立ち寄ってから西表島へ。港に着くと一緒に船に乗っていた皆さんはいなくなって、我々だけになって、「あらどうしたの?」という感じ、バスを20分待って、浦内川で降車。帰りのバスはあるの?→「しばらく待っていればきますよ」という回答、本当かなあ。まあ、いいや、歩いて3分、浦内川の船乗り場へ、「次は何時に出ますか?」という問いに、「人数がそろえばでますよ」という前向きな答え。ではそろわなかったら?そろうって何人?などと思うまもなく別のグループ4名が合流、「そろいました」ということで出発。40分くらいで着きますよ、ということでわいわい言いながら出発。川の脇にはマングローブの木が生い茂っています。「マングローブという木はなくてメヒルギ、オヒルギなどの種類を総称してマングローブといっているんです」などと解説。雑誌でみたようなマングローブ林の中にはマングローブ蟹はいるのか。船で走っていると手こぎカヤックで自ら漕いでいる方たちもいる。目的地に到着、降りる。帰りはどうするの?「2時間後にお迎えにきますのでXX時ころには戻ってきてください、戻ってこないと乗れませんよ。先日も帰ってこない方がいて、行方不明になりましたよ」なんて脅かしています。マリウドの滝まで徒歩40分くらい、まあちょっとしたハイキングです。日本の滝100選にも選ばれている滝、結構いい形です。SOYJOY食べて元気を出して船乗り場まで戻り船を待つ、すぐくる、馴れてるねえ。バス乗り場、いったい本当にくるの、バス。他にも不安な待ち人に訊いてみる「何時にくるんですかねえ」「さあ、私たちも不安なんですが、帰りのフェリーに間に合えばいいんですが」 そうです、帰りのフェリーの時間がありました。待つことまたまた20分、来ました、バス。港への途中にはホテルやダイビングスポット、星の砂で有名な海岸などあるのですが、石垣島に今日中に帰らないとね、 時間的制約からすべてパス。ホテルニライカナイなんて周りの雰囲気に合わないリゾートホテル、こんなもん作っちゃいかんでしょ。帰りのフェリーは3時、 まあ間に合いましたが、おみやげ屋なし、コンビニなし、スターバックスもちろんなし、ただ船乗り場があるだけ、西表島はこうあるべし、です。3日目は石垣島一周、車で回ります。唐人墓、川平湾で船底からの珊瑚礁見物、八重山椰子群落、御神崎、平久保灯台(島最北端)、玉取崎と一周です。町に戻って宮良殿内を見学、説明のおじさんが一生懸命説明してくれました。東京や京都の人には分からない石垣の文化、この家は八重山の頭職にあった「宮良親雲上当演」が琉球の貴族屋敷を模して創建したもの。1771年石垣島・西表島だけで9313名もの犠牲者が出た。これは当時の両島の人口の32%にあたる。石垣島の大浜崎原公園などには直径10m以上もあるような巨石が津波で運ばれて今も残っている、と 早口で語ってくれる。語り口が印象的、大和への対抗心がよくわかる。夕食はレストランのバリエーション多し、いろいろとチャレンジしましょう。最終日、ホテルでの朝ご飯、マンゴ食べ放題ですから、しっかり食べましょう。家族からは「恥ずかしいからもうそこら辺でやめておいて」とか言われながら、「マンゴ、東京ではこんなに食べられませんよ」とかしゃべりながらもおなかいっぱい食べました、満足。石垣島、良いですね。

2007年1月7日 雑司ヶ谷、鬼子母神、護国寺、伝通院

池袋から鬼子母神を抜けて大鳥神社、雑司ヶ谷霊園、その南側にすてきな洋館、豊島区最古の洋館、というか東京では貴重な木造の洋館。明治に来日して移住した知識人の邸宅。玄関ポーチなど個性的な造りが見られ、いいですね。設計はマッケーレブ氏、明治40年竣工だそうです。さらに護国寺を抜けて音羽、小日向から伝通院へ。徳川家康の生母於大の方を祀った伝通院には新撰組創始者の清川八郎や柴田連三郎の墓がある。永井荷風も伝通院という随筆を書いているし、珍しいところでは浪越徳治郎の墓もあるということで「指圧の心は母心、わっはっは」などというのも思い出しました。門前には指圧学校もあって銅像も建っています、寄進もしたのでしょうね。源覚寺の「閻魔木造坐像」、眼病を患う老婆が、好物の「こんにゃく」 をたって一心に持病の平癒を祈願したところ、大王が老婆の身替りとなって片目を盲目とさせられ、老婆の片目は以前ににまさって視力を回復したと伝えられたことから「こんにゃくえんま」、へええ。

 

2007年1月4日 京都 北野天満宮

京都の北野天満宮から上七軒を歩いてきました。お正月ですので、人は多かったのですが、お正月気分で気持ちのいい散策でした。北野天満宮、菅原道真ですから、受験を控えた親子がきています。センター試験もあるしそれはそうですよね。 京都にあった5花街の一つ、上七軒、北野天満宮設営の際に余った木材でたてられた七軒の家から始まったから上七軒。京都の花街には、他に先斗町、祇園に東と甲部、宮川町があって、それぞれが歌舞練場を持っている。京都の芸能好きを示している。島原、という花街もあったが、祇園よりもこちらの方が老舗、新撰組の時代には高級な花街として君臨していたという。祇園は八坂神社への参拝客相手のポピュラーな花街で、島原は高級な花街。なぜ島原か、というと、たびたび場所替えをさせられた、その際の混乱が島原の乱を思い起こさせたから、という本当かどうかわからない逸話もある。そういえば南座は歌舞伎専門の演芸場だが、南座、というからには北座もあったのではないか、という話。あったらしい、四条通を挟んだ向かい、今はその片方が残って南座だそうだ。上七軒、きれいに飾った家はお店になっていたり、料亭だったりと観光名所です。日本に京都があってよかった、というコピーがありますが、私も賛成です。

2007年1月2日 東京墨田七福神巡り

墨田七福神巡りです。南千住で降りて、水神大橋を渡り多聞寺へ、毘沙門天です。ずっと歩いて白髭神社、向島百花園、このあたりには幸田露伴や松尾芭蕉、小林一茶などの句碑がたくさんあるらしい。ここに住んでいた森鴎外は隅田川のゆりかもめからその名前を付けたという。おきまりの長命寺桜餅、隅田川堤の桜の葉っぱを使って作られたというお餅。隅田川レガッタ早慶戦があるが、昔は東大や一橋(商大)、筑波大(体操伝習所)などの艇庫が並んでいたという。三囲神社、明治時代川の向こうにあった茶屋竹屋に行くのに使われた竹屋の渡し。牛嶋神社、明治時代の夜桜見物のために作られたという常夜灯、隅田公園から枕橋を渡る。ここには明治時代に水戸藩お船倉跡地に建てられた料亭八百松があって栄えたそうだ。高速下から東武鉄道の看板をみて、吾妻橋をわたって浅草へ。浅草寺は人が多くて素通り、合羽橋、旧松葉町へ。伊能忠敬の墓、下谷稲荷などを経て上野公園、西郷さん。上野公園にある東照宮のボタンを観賞。谷中の墓地を通って日暮里、今日はここまで。

 

2006年12月29日 東京 目黒、小伝馬町、神田

年末恒例の江戸の町歩き、今年は目黒 大円寺から。雅叙園の裏手にこのようなお寺がひっそりとあるなんて。様々な表情の僧侶、お地蔵様。坂を下りて目黒川をわたります。大鳥神社には切支丹灯籠、その先に繙竜寺、そして通称目黒不動の滝泉寺、十五夜お月さん、の作曲者本居長世の記念碑がある。そのほか黄檗宗の海福寺などと多くの寺社があります。そしてその先に林試の森、変わった名前。昔農商務省林野整理局が「目黒試験苗圃」としてスタート、その後「林業試験場」に名称を変更、平成元年に「都立林試の森公園」として開園とのこと。細長い公園で中をずっとまっすぐ歩いてみる。あまり人はいない、と思ったら結構歩いている。ここから一気に日本橋へ。日銀は江戸時代の鋳造所金座跡地に建設されたという。日銀のたもとにある橋は常磐橋、ちょっと下手にあるのが常盤橋、上手には新常盤橋、細かい字の違いは何だろう。伝馬町牢屋敷跡、小さい恵比寿神社、椙森神社、ここは富籤が当たるように祈ったという富塚がある。そして水天宮と日本橋七福神巡りの簡易版。そしてまたまた一気に湯島へ。横山大観記念館休館日、竹久夢二美術館休館、それはねお正月だから。そして東大校内へ、昭和44年、警察が水をかけていた風景が忘れられない安田講堂、僕は中二の冬だったと思う。TVニュースで見た風景と自分がブラバンのクラブ活動をしていることのギャップが理解できていなかった。赤門、正式には御守殿門というそうで三位以上の大名に嫁いだ将軍家の娘にちなんで作られ、赤門は家斉の娘が加賀百万石前田家に嫁いで作ったもの。燃えたら作り直さないので、現在残っているのはこれだけだとか。妻恋神社、神田明神、と歩いてきて今日は上がりです。。

2006年12月1-4日 沖縄

冬の沖縄に行って来ました。首里城、美ら海水族館、万座毛、残波岬など一回りしてきました。誰もいかないような具志川城趾、喜屋武岬、平和の塔、ひめゆりの塔、摩文仁の丘、ここから高速に乗って一気に許田経由名護の町を抜けて本部の山の中にある琉球古民家の宿&お食事処 ちゃんや〜でランチ、結構おなかいっぱいに。よせばいいのに時間があるので名護パイナップルランド、パイナップルなんか食べ放題なんて食べられませんよ。乗りたくもないおもちゃの列車に乗せられた後におみやげ屋さんへご案内。確かに、パイナップルが山と積んであって、どうぞ、というわけ。こなきゃよかった。はい、お待ちかね、美ら海水族館、ご指定の3時にはジンベイザメのエサやりです。これは面白い、これだけでもみる価値あり。泊まりは一日目は那覇のハーバービューホテル、これはおすすめ。二日目は谷北ベイホテル、これは巨大すぎて修学旅行用かと思うような規模。格安ツアー向け。冬の沖縄は観光客が少なく、ツアー代金も安めでいいのではないでしょうか。

2006年8月8-11日 新潟 燕温泉、富山称名の滝、能登半島、高山

赤倉からの道、バイクで道路をのぼり、関温泉を通り過ぎ、今夜のお宿は標高1200mの高所に位置する燕温泉、名物露天「河原の湯」に行ってきました。R18から赤倉温泉、関温泉を通過、農家でトマトを買って燕温泉へ。登山をする皆さんと混じって野天のお風呂へ。やあ、旅館から歩いて15分、いいですねえ、周りには何にもない露天風呂です。ぬるい、冷えた身体を温めようと、旅館の風呂場に向かったところ、大きくはないけども、手入れのよく行き届いた湯船。白いお湯に硫黄臭、チャプンと浸かる。源泉掛け流しのお湯は、燕温泉「45度の硫化水素泉」。翌日はランチを魚津でとり、富山から指崎(さっさき)温泉へ。マイナーだけれどもいいお宿です。昨年オープンの露天風呂にも入って、食事には満足。さらに能登半島、和倉温泉から能登島、ガラス博物館でベネチアグラスのすてきなコップを購入、これで焼酎を飲むのだ。穴水から珠洲、軍艦島を経て輪島へ。輪島塗博物館にも行ってみるが、何のことはないお店である。R249から能登高速羽咋まで下を走って高速で内灘まで。五木寛之の「内灘夫人」を思い出しながら金沢にはよらず、城端、良さそうな町、今日の宿は五箇山。国民宿舎としては非常にいい設備、温泉もいい。翌日は五箇山と白川高山の古い町並みを見て、さらに高山へ。人がいっぱいで、ちょっとめげるけれども気を取り直して見物。まあ、観光地ですな、五箇山が一番いいかな。平湯温泉を通過しようと思ったら、露天風呂の看板、思わず立ち寄り。暖まって安房峠を越えたら新島々へ。大学時代にきました、バスで新島々まできて、ここから徳本峠超えて上高地、行きましたねえ。松本に降りて、さらに沓掛温泉、地味な温泉ですが、こういう温泉は良いですね、人がいなくてね。近所には鹿教湯や別所もありますが、ここは人が少なくていいです、おすすめ。翌日はゆっくり帰還、いい温泉巡りでした。

2006年7月16-17日 函館、二股ラジウム温泉、小樽

函館から長万部を回って二股ラジウム温泉に行って来ました。函館は空港から五稜郭に行き、五稜郭脇に立っているタワーに上り、見学、まあ、時間があったら行ってみるのも良いでしょう、というレベル。五稜郭は新撰組副長 土方歳三が最後を迎えた場所、芹沢 鴨暗殺や近藤勇との武勇伝は有名であり、一廉の人物だったというような逸話もたくさんあるが、東京から一旗揚げようと新撰組に加わった豪士、所詮は明治維新に至る大きな動きのなかの徒花、という感想を持つ。映画 海猫出演の伊東美咲も印象に残る、南茅部にも行ってみたいが、ちょっと不便でしょう。函館から長万部まで函館本線で移動、乗り換えて二股へ。駅まで来るまでお迎えにきてもらい温泉へ。すごいところだ、温泉には炭酸カルシウムが大量に含まれ、それによって巨大な石灰の湯の花ができている。この石灰華の上に温泉宿がある。宿はずいぶ古びた湯治宿である。明治時代に開かれ、重い病気の治療のために熱心に湯治する人がいる。アメリカの国立イエローストン公園のマンモス温泉と同じような感じ。湯の華鉱石を売っていたので購入、自宅のお風呂で楽しもう。二股から黒松内、ねっぷ、目名、蘭越、昆布、ニセコ、余市などという素敵な駅を通過して小樽に到着。北一硝子の店並みを見ながら、小樽おきまりのお寿司でランチ。運河までたどり着くと観光客が話す言葉は中国語、5人に4人は中国人という感じです。冬のニセコはオーストラリアと聞いていましたが、夏も外国人、まあ、いいことです。

2006年5月1日 東京 皇居

皇居から小石川後楽園、旧古河庭園、六義園と回ってきました。メイデイですが歩くと暑い日でした。

 

 

 

 

 

2006年4月8日 京都 渉成園、清水

京都の桜を見に行ってきました。京都駅から成渉園、枳殻邸(きこくてい)から歩いて五条、清水寺、霊山観音、八坂神社から円山公園、疎水から平安神宮、そして三条白川を回りました。翌日、一気に保津川下りのトロッコ電車から二尊院、大沢池と回ってきました。桜の時期の京都は人が多くて避けていたのですが、人が多いと避けていては京都に来るときがない、4月はじめに京都に来るのは敷居が高いのですが、来てみてよかった。日本全国で桜は咲くけれども、お花見には京都が一番いいのではないでしょうか。背景、雰囲気、心地よさです。京都は夏は暑くて冬は寒い、春秋は観光客で混雑する、などといっていると来るときがないので、桜、紅葉、お祭り、というタイミングで来てみるといいと思います。

 

 

 

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