世の中のことを考える

2010年7月10日 デフレの正体 ― 経済は「人口の波」で動く 藻谷浩介(解説編)

今の日本経済の状態はリーマンショックによる景気の落ち込みなのか、景気さえ良くなればなんとかなるのでしょうか。会社の業績は市場景況に大いに左右されますので、個別企業の経営努力は重要ですが、企業業績回復のカギは景気動向次第、ともいえる現状です。日本政策投資銀行の藻谷浩介さんは著書「デフレの正体」で、景気の波より人口変動の波が現在の日本経済を左右している、と主張しています。つまり、日本国内需要減退の真の原因は少子化だというのです。 日本自動車販売協会連合会が発表している、新車登録台数の推移を見てみましょう。 http://www.jada.or.jp/contents/data/type/index01.php  

 ここ10年で見ると2001年がピークで2008年リーマンショックのずっと前から減少していることが分かります。「若者の車離れ」だけで説明できるでしょうか。百貨店やスーパーなどの小売り販売額の動きを見ると、1996年以降12年連続して減少が続いています。GDPは2008年までの12年間年平均0.8%の伸び、合計9.6%拡大しているのに、新車販売も小売り販売額も減少を続けていたのです。(経済産業省の商業動態調査 http://www.meti.go.jp/statistics/tyo/syoudou/result/sokuho_1.html

藻谷さんはこの原因を15―64歳の「生産年齢人口」の減少だと指摘しています。 国立社会保障・人口問題研究所によれば、「生産年齢人口は戦後一貫して増加を続け、1995年の8,717万人がピーク。その後減少局面に入り、2000年には8,638万人となった。中位推計によれば、2050年には5,389万人にまで減少する」としています。

http://www.ipss.go.jp/pp-newest/j/newest02/3/z_3.html

人口が増えている首都圏(東京、埼玉、神奈川、千葉)では2000―2005年に総人口は106万人増加していますが、内訳を見ると65歳以上(老年人口と定義)が118万人増加した一方で、生産年齢人口は22万人減少していたのです。この間全国で増えた老年人口は367万人、実に全国の高齢者増加の3人に1人は首都圏住民だということ、全国的にも首都圏でも現役世代が減少し、高齢者層が増加しているのです。これは「消費」という視点からの大変な人口動態変化だと思います。自家用車だけではなく、スーツ、住宅、ガソリン、電機製品などの国内消費が減少するのは当然だといえます。 100年に一度の不況、という表現がありましたが、この人口動態の変化は100年どころか日本歴史始まって以来の変化、つまり2000年来最大の経済危機、とも言える事態です。戦後のベビーブーム世代が生まれた1950年から高度成長時代の1970年、バブル崩壊後の1995年、そして2005年の4つの時代の、年齢別人口構成を見てみましょう。 (総務省統計局 国勢調査 http://www.stat.go.jp/data/nenkan/02.htm

団塊の世代と言われる年齢層、どの時代でも年齢構成のピークを示しています。2005年の30―34歳にもう一つのピークが団塊ジュニア世代です。 このグラフが示すことは「すでに起こった未来」です。団塊の世代が生産年齢に差し掛かった1970年、これがいざなぎ景気の主要因となり「人口ボーナス(生産年齢人口増加による経済活性)」の恩恵を受けました。団塊世代が40歳代になり、その子供がハイティーンを迎えた80年代には住宅ブーム、不動産ブームにわきバブルが形成されました。バブル崩壊後の95年には定年退職者数が新規学卒者数を上回り、それ以降、日本は「人口オーナス(生産年齢人口は減少し経済が不活性になる)」時代に突入したのです。今から15年後には団塊ジュニア世代が50―54歳になり、40年後には75―79歳になる、これはすでに起こった未来であり確実にそうなるのです。 しかし日本経済には良い面もあります。リーマンショックで日本人の金融資産は1544兆円から1434兆円に減少した、という報道がありましたが、その間円高が進み、ドルベースでは110円から90円で約2割、ユーロベースではなんと170円から110円で4割近く価値が上がっているのです。海外から見れば若年層に移転できる金融資産は逆に増えていることになります。 (http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/5070.html)

また、日本の貿易黒字はリーマンショック以降激減していますが、減少しても2003-4年のレベルになったということで、中国、韓国、台湾、シンガポールなどは対日貿易赤字、こうした東南アジア諸国の経済が日本経済を支えていることが分かります。 また、G8諸国のうち、アメリカ、ドイツ、ロシア、イギリスは対日貿易赤字、対日黒字国は資源国のカナダ、そしてブランドものに強いフランス、イタリアです。日本には天然資源はありませんので、ブランド確立が今後の施策としては重要だと言えます。 今までの指摘が正しければ、施策の方向性としては、@生産年齢人口の所得維持、A生産年齢人口の維持、B個人(老齢者+生産年齢者)消費総額の維持向上に向かう必要があります。向かってはいけない方向は、将来への財政赤字累積を増加させる、例えば公共工事による一時的な景気拡大などです。 藻谷さんが上げる処方箋は次の通りです。 @高齢富裕層からの所得移転  巨額の金融資産の多くを保有する高齢富裕層から若年層への所得移転、つまり相続があります。しかし、高齢化が進む日本では、相続される側の平均年齢が67歳というデータがあり、これでは相続された遺産は再び貯蓄されGDP増大に寄与しないと考えられます。高齢者の貯蓄は老後に備えたリスク基金であり、埋蔵金となり消費に回らずGDP増大には寄与しないのです。(しかし、ギリシャ危機を見ると、こうした貯蓄も日本国債購入に回れば安定的な購入者となり日本経済の信用維持には寄与しているとも言えます。)

企業は、団塊世代退職により生じた人件費を30―40歳代の子育て世代にシフトする。そして国は生前贈与促進税制を、できれば孫へ、これらが現実解だというのです。 A-1女性の就労人口増  女性の有償労働者は人口の45%、生産年齢人口の専業主婦は1200万人。まだまだ増やせる余地はあります。出生率低下を懸念する方もいますが、20―39歳女性の就業率と出生率は正の相関(国勢調査2005年、人口動態調査より)、女性の就労支援は重要な国家戦略であり、企業における両立支援制度充実は国家戦略上も必要な施策です。 A-2外国人受け入れ  外国人受け入れは一見良さそうですが、現在の在日外国人数は230万人、生産年齢人口は2005―2010年に300万人、2010―2015年に450万人、2015―2020年には650万人減少すると予測(国立社会保障・人口問題研究所)され、外国人労働者受け入れ増大では追いつかないだけではなく、コスト(住居、教育、医療、福祉、年金、家族呼び寄せなど)的に見合わないと考えられます。労働力としての受け入れによる生産力維持よりも消費力増加が課題、短期滞在の旅行客や外国人短期定住者を増やすのが望ましいと藻谷さんは主張しています。企業においてはグローバルビジネスの拡大が必要だということになります。 B高齢者と若年層が共通して関心を持ち、買う理由が説明できる商品を開発  例えばヒートテック、大画面液晶(地デジ)TV、任天堂Wii、(孫と)TDR(ディズニーリゾート)、(定年後は)ハーレーダビットソン、LED蛍光灯(エコ)など、欲しくなる理由があり、納得して買える商品です。企業における商品企画、開発で考えるべきポイントです。

企業の生産性向上でカバーすることができる、という議論もありますが、消費の大半を占める生産者年齢人口が減少を続ける中では生産しても消費されない、つまり生産性を上げても長期的には経済は縮小することになります。生産性向上のために企業が労働者数を減らすとミクロ(企業)の生産性は上がりますが、減らされた労働力が活用されなければマクロ(国)レベルのGDPは減少します。人口減少分を生産性向上で維持できるのは生産量であり、消費量ではない、つまり、GDPを継続的に維持するには永遠に輸出増を実現していく必要があるのです。アメリカ金融工学の常識に「投資先の商品や会社が生む収益は長期的には一定の成長率で増加する」というものがあり、多くの企業経営者は今年より来年に向けて少しでも「ストレッチ」しようと努力するのですが、マクロで考えるとこの戦略は生産年齢減少中の日本を市場とする限り通用しないと言えます。 生産年齢人口減少に伴う国内消費需要の減少、相変わらず大きい日本人の金融資産、依然強い国際競争力、これが現在日本の実態です。これが正しいとすれば注目すべき企業は、国際競争力を持った商品を輸出する企業、巨大な金融資産を運用し増やすことができる企業、海外にも通用するブランド力を開拓できる企業であり、ブランド力が乏しく国内市場のみをターゲットとする企業では将来の伸びは難しいということになります。子育て支援、テレワーク、環境関連、企業グローバル展開、シニア市場、外国人観光客なども重要なビジネス上のキーワードになるでしょう。企業の市場戦略は見直しが必要な時期に来ていると考えられます。 デフレの正体 経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)

2010年2月10日 「思いやりの国」日本

昨年のラマダン期間中、日本事情紹介番組「Thought(改善)」が、サウジアラビア、シリア、ヨルダン、エジプト、イラク等のアラブ諸国視聴者の間で大反響を巻き起こしたという報道がありました。番組では日本人の規律、社会的モラルに焦点を当て、サウジアラビア人の習慣やマナーが対比して紹介されました。番組放映期間中、ジッダで行われた名古屋グランパスと地元サッカー・チームのアル・イティハドの対戦は2対6で日本チームが敗れましたが、試合後日本人サポ−タ−が観客席を清掃して引き上げたことを賞賛する記事が掲載され、企業や学校、家庭等で日本人を見倣う光景が見受けられるようになったということです。

当該番組での、アラブ人からみた日本人の道徳と経済発展紹介例は次の通り。
1. 日露戦争でバルチック艦隊を打ち負かし、太平洋戦争敗戦で壊滅的被害を受けたあと復興、経済発展した。背景に国民道徳の高さがあるのではないか。
2. 自国語と自国文化を尊重している。 抽象概念や技術用語も日本語化、高等教育もすべて日本語。デパート・旅館のお辞儀、上履きによる施設内清潔維持なども素晴らしい。
3. 狭い国土と創意工夫。 畳と布団による部屋の有効活用、パーキングタワー、屋上のテニスコート、トヨタ生産管理など。
4. 学校での清掃は生徒が行う、道路・公園をきれいに保つ努力をする、誰かの説教や命令はない。
5. 誰でもが「目の前にあること」の改善をすること、改善範囲拡大に躊躇がない。
6. 学校では給食を生徒が配膳、残さず食べる努力をし、後片付け。その後、歯磨き、(ティッシュペーパでなく)タオルで顔を拭く。清潔でありエコである。
7. 他人への思いやりがある。トイレの音姫、アイスに適量のドライアイス、濡れた傘に袋、電車中での携帯電話不使用、駐車スペースにはみ出さず駐車、電車座席につめて座る、旅館で客が布団をたたむなど。
8. 道で拾った財布を警察に届け、警察もそれを持ち主に返す、正直と信頼がある。

番組の解説では、これこそイスラムが目指す理想的国家像ではないか、というのです。「親切と思いやり」を教義とするイスラム教を知るためのヒントになる話だと思います。一方、このような日本人の規律的な行動様式には、多くの場合意識された宗教的背景はないと思います。日本人に、道徳に対する向上心や責任感が強いのは、「礼儀は大切だ」、「人様には迷惑をかけない」、できれば「世の中のお役に立て」などという価値観を親が子に伝え、社会人として子を世の中に送り出すことを自分の役割と感じているからだと思います。戒律の締め付けなしに理想を実現する日本人にアラブ人からの関心が高まっているのです。

多くの日本人は「自分は無宗教」などと言いますが、日本の婚礼や祭礼には必ずと言っていいほど宗教的背景があります。そして、私たちが考えている「道徳」の多くは宗教的教え、戒律と重なる部分が多いのです。日本でのこうした道徳観は儒教の影響が大きいと言われていますが、儒学とも言われる儒教は宗教なのでしょうか。国交正常化前、中国のケ小平が、日本から西園寺公一を迎えたときに、西園寺が日中戦争から太平洋戦争の侵略を詫びたところ、逆にケ小平が、漢字と孔孟思想を輸出してしまったことを詫びたという逸話を司馬遼太郎が紹介しています。戦争は十数年で終わったが、漢字や思想は大和言葉と八百万(やおよろず)の神の国の日本人を1000年以上苦しめたのでお詫びしますと言う話。孔子、孟子は男尊女卑、克己復礼を1500年も前に日本にもたらした、という中国人らしい時代感覚のユーモアです。実際には日本人はそれらをうまく取り込み、150年後には漢字で古事記を編纂、儒教も教養や道徳観として取り入れ、その後仏教の広まりとともに儒教は廃れますが、江戸から明治にかけて国家や家族の価値観確立のために忠孝思想が強調され、朱子学などの学問として再び着目されたと言われています。中国から輸入した忠孝思想を基礎に教育勅語、軍人直喩を作り、それらで教育された軍隊が中国に攻め入った歴史をケ小平は皮肉ったとも解釈できます。

5世紀頃に入ってきた儒教の『仁・義・礼・智・信』は、謙譲の精神を持つ高人格者が、天子(君主)を補佐することで理想的な政治が行われる際に必要な五徳だとされています。
 仁:思いやり、慈しみ。
 義:人道に従うこと、道理にかなうこと。
 礼:社会生活上の定まった形式、人の行なうべき道に従うこと。
 智:物事を知り、弁えていること。
 信:嘘を言わないこと、相手の言葉を疑わないこと。
その後中国でも日本でも為政者が人民統治に都合の良い『忠・孝・悌』を加え、換骨奪胎、中身が入れ替わってしまったと言われていますが、儒教の唱える五徳は日本の民衆レベルの教養の中に根付いていると感じます。

仏教も儒教と同じ頃日本にもたらされていますが、それを国家の仕組みとして定着させた立役者が空海だと言われています。『三教指帰』(さんごうしいき)は空海が24才のときに書いた書物、「三教」とは当時日本にあった儒教、道教、仏教のこと、空海はこの三教の思想をユニークな人物達に語らせます。儒教を代表する亀毛(きもう)先生は学問と仁・義・礼・智・信が大事であると説き、そうすれば出世や結婚もできて幸せになれると言います。道教の教えを代弁する虚亡(きょむ)隠士は不老長寿となって仙人になる教えを説き、自由に生きるべきだと言います。最後に仏教を代表する仮名乞児は、苦しみから解放され救われる道は仏教だと他の二人を説得します。こうして儒教が唱える道徳も仙人の幸せも仏教の一部として取り込んだ仏教が日本では広く布教されていくことになります。空海自身はその後、唐で密教を学んで、天皇を頂点にいただいた国の形の中に、密教の儀式と教えを組み込むことに成功、天皇をまつりごとの頂点におきながら、仏教が国家統治の理論的支柱となる形態に移行していきます。この形がその後の摂関政治、幕府と朝廷、象徴天皇と形を変えて現在にまで続いていると「空海の企て」の著者 山折哲雄さんは主張しています。

その後の歴史のプロセスでは本地垂迹(ほんじすいじゃく)や神仏習合があり、神道と仏教は民間習俗でもミックスされてきています。除夜の鐘を聞いて神社に初詣するのは、寺が神事に協力しているケースです。お彼岸に墓参りする習俗は仏教的ですが、明治時代には神道の春秋の皇霊祭と言われていました。お盆の送り火は神道の精霊祭の儀式をお寺が取り入れたと言われています。また、葬儀や法事は在家の行事でしたが江戸時代に檀家制度が確立されると同時にお寺の行事となりました。仏教は各宗派に別れ盛衰を繰り返し、明治維新には廃仏毀釈が行われ神仏間の争いもありましたが、神も仏も日本人の頭の中では大きな混乱なく同居し、儒教の教えは道徳として広く日本の民衆の中に根付いてきたと言われています。これだけの宗教行事を行う日本人は生まれたときから仏教徒であり神道信者だと考えた方が、生まれたときからイスラム教徒でありキリスト教徒である中東、欧米の人たちから正しく理解されると感じます。(外国で”What is your religion/denomination?”と聞かれた場合の平均的日本人のベストアンサーは”Buddhist/Jodo-Shinshu(例えば) & Shintoist, since those two have been mixed together in Japanese history”だと思います。)

さて、仏教の理想は、欲望を少なくし、足るを知るこころを持つことです。そのためには「正しい考えを持ち、正しいと信じることをなす、規則正しい生活を送る」などの世俗的な欲を断ち切ることが求められ、「(不要な)殺しはしない、盗まない、不倫しない、嘘をつかない、酒を飲みすぎ(飲ま)ない」ことを求められます(キリスト教もイスラム教も宗教が共通して持つ戒律です)。その後、迷いや苦しみのない悟りの世界へ入ること、つまり涅槃の境地になれば自らも仏となることができるというものです。八百万の神がいて、解脱して涅槃の境地になれば仏にもなれる、さらには死ねば成仏、つまり誰でも仏になるという解釈は、人間はどんなに修行しても神やアッラーにはなれないキリスト教やイスラム教とは大きく異なる部分です。“God”の日本語訳はない、と言われる所以です。

多くの日本人はこうした仏教の成り立ちや歴史を強く意識してはいませんが、親が子に教える「我慢は大切だ」、「人に迷惑をかけるな」、「勤勉は美徳」、「身のほどを知れ」などはこうした複合的な宗教的背景の上に成り立っている価値観だと思います。4S運動(整理・整頓・清潔・清掃)や小集団活動が日本の製造業で根付く背景も、人々が意識の中に持つこうした価値観から来ているのかもしれません。経済活動一本槍から、社会貢献や環境推進活動、ワークライフバランス推進など短期的には会社の利益にならないようなことにも気を配る企業の社会的責任の考え方は、実は日本文化の奥底に流れる伏流水だったのだと思います。アラブの人たちに賞賛された日本人の「思いやり」や「慮る」こと、日本語には多くの類似語があり、英語に比べると宗教用語以外でも家族・周囲、弱者・社会、罪人・改悛者への思いやり、相手の気持ちや状況・背景などに気を配る日本人の語彙の豊かさを感じます。

一方、こうした日本企業でも成果を上げる人、評価される人は、努力型で積極型の人、言い方を変えれば粘着気質でヒステリーな人が多いという研究があります。AGP行動科学分析研究所のデータによると、高業績者と低業績者とを比較、高業績者は多くのコンピテンシーが高いが、傾聴反応力や人事評価力などでは低業績者のほうが優位になるといいます。高業績者のプロフィールは、自信家で、慎重に仕事を進め、抜けめがなく、腹が据わっているが、同僚や部下の話にはあまり耳を傾けず、自己の利益や実績には抜け目なく、部下への評価は厳しめになるというものです。管理職研修でも強調されるのは、こうした傾向を持つ「仕事ができる人」に不足しがちな部分を補うコンテンツで、「部下の話を共感的に受け止め、公正に評価し、育成指導を熱心に」ということを教育するものが多いことにもうなずけます。何事にもバランスが重要ですね。

民間企業が利益を出して存続する、これは当たり前のことです。業績や成果、効率や生産性は会社業務遂行のためには重要ですが、それらの行き過ぎや欠点を補うすべを日本人は1500年の昔から育んできているのだとしたら、それを活用しない手はありません。宗教から巡礼やお参り、喜捨、布施、祈り・礼拝などの「儀式と経済」を取り除くと、そこには『仁・義・礼・智・信』のような道徳律が残るのだと思います。生物多様性維持、環境問題、介護問題などで考えさせられるのは「人間の欲望を最大化しては暮らしていけない」ということです。「自分になして欲しいことを人になす」、「感謝の心を忘れない」、「足るを知る」という仏教の教えや道徳律の五徳を、日常生活や会社業務でどう生かしていけるのか、太平洋戦争後の経済成長、バブル崩壊、リーマンショックなどを経た今、アラブの人たちに賞賛されたことをきっかけに考えてみるときだと思います。

日本の宗教法人が届ける信者数は総人口を上回るといい、宗教への理解がないために企業活動に支障がでる事件もおきています。日本はもとより世界でおきている事件や争いの背景の多くには宗教的問題が潜んでいることにお気づきと思います。日本人として社会人・企業人として一定の宗教リテラシーや歴史観を持つことは、相互理解や企業活動遂行のためにも必要なことだと思います。また、日本事情紹介番組「Thought(改善)」のようなアラブ社会でのメディアの動きを聞いて、情報のグローバル化進展を実感します。お互いに遠い国だったアラブ諸国と日本、情報網の発達・浸透や世界情勢の変動で「時が満ちてきた」、アラブ人社会の考え方を知ると同時に日本人の考え方を知ってもらう、相互理解に絶好の時機が来ているのだと思います。

2010年1月29日 「すでに起こった未来」を考える

『結果の中に見出されるものは、既に原因の中に芽生えている』、読まれた人も多いと思います、「すでに起こった未来」は P.F  ドラッカーによる1994年発刊の著書、そこに記された言葉です。

一番分かりやすい例としての人口構造の変化は、労働力や市場競争、社会の構造に基本的変化をもたらします。人口の変化は短期的ではありませんが、その影響は結構早く表れるのです。例えば、小学校校舎が余っている、と言う話しを地方の過疎地区ではよく耳にします、これは少子化が始まってから56年後には影響が現れます。逆に待機児童が多くて入れない、という保育所、こちらは後手に回る行政や政治の問題もあるかもしれませんが、第二次ベビーブーム世代の出産、女性労働人口の伸びと経済不況、都市部での人口の伸びなどの複合要因があると考えられます。企業にとっては対応すべき社会、経済、環境に大きな影響があると言えます。 

下記、人口構成グラフを見てください、総務省統計局が提供する日本の平成20年度の年齢別人口構成です。5961才の第一次ベビーブーム世代の女性が専業主婦だったのに対し、第二次ベビーブーム世代である3437才の女性は共働き、出産したの子供達の面倒を見る保育師の平均年齢は2025才、支えきれないのです。このように人口変化は「すでに起こっている未来」であり、20年後には労働力人口や市場競争に重大な影響をもたらすことは間違いないのです。http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2008np/index.htm 

人口ピラミッド

今年定年を迎える世代の人口は226万人、今年入社してくる21才の人口は138万人、そして0才の人口は約100万人、これはどのような未来なのでしょうか。 

 1. 人口減少

2004年に日本の総人口は12778万人でピークを迎えましたが、その後2009年以降は減少に転じており、この流れはしばらく続くと思われます。日本銀行の「わが国の人口動態がマクロ経済に及ぼす影響について」(2003年9月)によれば、就業者数の減少により、貯蓄率の低下と就業者数の減少から引き起こされる資本蓄積の減少から、マクロの経済成長率は次第に減少し、2020年代に入るとマイナスになると見込んでいる、といいます。世界人口は増加を続けていますので、日本経済が年率で1-2%の緩やかな経済成長を続けるためには、相当程度の生産性向上と海外市場開拓、そして海外からの労働力導入が必須なのです。ここから導かれることは、女性の社会進出のさらなる進展、ICT活用、グローバル対応、外国人の労働力増加などによる対応が考えられます。

 2. 少子化

経済成長鈍化と社会保障へのインパクトは多くの方が指摘していますが、社会や家庭にはどのような影響があるでしょう。公立学校への入学者数減少は述べたとおりです。また、人口動態予測によれば、「2025年には平均世帯人員2.37人、単独世帯数およそ1,716万世帯と予測されており、これは1970年の単独世帯の2.8倍以上」、単独世帯数が増え、さらにシングル化が進むと予測されるのです。シングル化が進むので少子化も進む、これは実は相互作用になっていると考えられ、少子化要因でもある、不況と経済的負担、晩婚化、離婚増加などにより、シングル化と少子化は同時進行しているとも言えるのです。結婚と出産や育児に希望がもてる社会を作っていかなければこの流れは止まらないでしょう。

3. 高齢化

2008年度、65才以上の方は全人口の22%75才以上でも10%以上となり高齢者人口の増大は、社会保障負担増が社会への大きなインパクトを持ちますが、それだけではありません。年金生活者は貯蓄を取り崩して消費にあてる機会が増えることから、マクロでみると貯蓄率は低下、貯蓄から資金調達をする企業の投資に影響が出るとも言われています。消費者の嗜好や企業の雇用スタイルにも影響があるでしょう。良い面を考えれば、シニア層による社会参加機会の増大です。先ほどの幼児保育などはシニア層の新たな活動として取り組むことが可能です。サプリメントなどの健康市場拡大や夫婦による娯楽の多様化も予想されます。

4. 世代間格差

年金の世代間格差が話題になりましたが、得をするかのように言われている世代の60才以上の方がおくった青春時代や働き盛りの時代はどうだったかというと、今よりずいぶん貧しく、不便な時代だったのです。今年定年を迎える方が小学校に入学したのは今から44年前の1956年、テレビはまだ家庭にはありません。そもそも家電製品で自宅にあるものはラジオだけ、なにしろやっと東海道線が全線電化され特急で東京−大阪間が7時間35分で往き来できるようになった年です。部屋の暖房は火鉢、炭とタドン(石炭などの粉を球状にしたもの)のコタツと湯たんぽ、冷房は団扇、冷蔵庫は大きな氷を入れた箱、風呂は都会では銭湯、田舎では薪の鉄風呂でした。この年あたりから始まった小学校での毎月の給食費は250円程度、110円、 今のアフリカ最貧国以下だったのです。だから年金の不平等も仕方がない、ということではなく、世代間バランスで考えるべきポイントは、国民が享受する恩恵はその時点での国力の反映であり、人口や経済力、文化、国際的影響力などに依存する、ということだと思うのです。国力維持のためには人口を減らさない努力、これが何より求められます。

 5. 地域間格差

2008年の調査では東京都の人口が全国の丁度10%、埼玉、千葉、神奈川も加えた東京圏が27%を占めており、名古屋圏(愛知、岐阜、三重)と大阪圏(大阪、京都、兵庫、奈良)を加えた三大都市圏で全国人口の50.7%と半分を越えました。沖縄県を除けば人口が増加しているのも三大都市圏のみです。雇用に引き寄せられて人口が地方から都会に移動している、地方文化に特色がある日本の風土が変わろうとしているのかもしれません。このまま無策では、都市部の住宅事情からシングル化も促進され、さらに少子化が促進されます。明治維新以降、富国強兵から殖産興業、経済発展と進んできた日本近代の舵取りを、環境保護推進、社会正義と経済のバランスという方向に切るときが来ているのだと感じます。ここでのキーワードは生物多様性維持、地産地消、裕福 から健康へ、などです。

 昨年以降流行している新型インフルエンザ、「すでに起こってしまった未来」だと思うのは、日本で世界の8割を消費するタミフル(抗生物質)と耐性ウイルスの出現です。また、中国などで鳥インフルエンザ対策としてニワトリに与えられている抗生物質、家畜に対し抗生物質を使用すると薬剤耐性ウイルスを発生させ、人の感染症治療を困難にするとも言われています。日本では一時的に下火になっているインフルエンザですが、鳥・家畜・人の間で感染を繰り返して強毒化、次の流行では耐性化ウイルスの出現が確実視されています。

地球温暖化問題も「すでに起きてしまった未来」、中進国や開発途上国でも必ずこれから起きてしまう問題です。世界中で大雪、などというニュースを聞くと安心してしまいそうですが、温暖化は確実に進展しています。環境税対応、排出権取引、CO2削減技術、温室効果ガス測定技術などの基礎技術の上に、省エネ、自然回帰、農業見直し、新エネルギー、リサイクルなどを行うGreen by ICTに着目すべきでしょう。

先日NHKの番組「プロフェッショナル」で目が不自由な日本人研究員(IBM)の活躍が取り上げられていました。労働力減少のために今後は障害者の社会進出が進むと考えられ、障害者に向けたWebなどの情報処理、ユーザインタフェース研究が重要になる、というのが注目点。Web情報の読み上げサービス、障害者インタフェースの工夫などが、読み書きができないその他の人のためにもなる、新市場開拓に繋がると思います。

 アメリカでは在宅勤務が当たり前になってきていますが、日本でもこの流れは止まらないでしょう。在宅勤務を経験した方は分かると思いますが、紙を使わない仕事になるということ。オフィススペースの需要も経済減速とともに徐々に減退、自宅でのWebをベースとした暮らしに移行し、情報入手は紙媒体からWebに移行していきます。一方、新聞、テレビへの依存からWebによる情報交換にシフトすることで、企業が支出している広告費年間7兆円(全世界で70兆円)は広告代理店を通さず、B2Cへの直接チャネルを持つICT企業(GoogleAmazonなど)に流れることになります。民間テレビ局や新聞社への広告収入をすでにWebによる情報発信を行う企業が奪っているというのです。「すでに起きてしまった未来」としては不況によるテレビ・新聞広告の減少があり、米国では地方新聞社の閉鎖が続いているとのこと、これらは元通りには回復しないと思われます。この広告市場にICT企業として如何に食い込めるか、日本における企業のICT投資2.5兆円を越える広告業界という巨大市場の奪い合いです。

1819世紀にかけてのイギリスで起きたのが第一次産業革命、19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツでの重工業とアメリカでのT型フォードに代表されるのが第二次産業革命だとすると、20世紀末からアメリカを中心に起きているのはディジタル情報革命であり第三次産業革命だと言えるでしょう。この革命は、環境、社会、経済面から企業活動にも大きな影響を及ぼしています。「すでに起きてしまった未来」から考える戦略、来年度に向けて考えてみる必要はないでしょうか。

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