自転車乗りの日記

8月13日 曇っていて絶好の自転車日和

昨日までは4泊5日で温泉ツーリングに行ってきた。今年は紀伊半島半周、初日は軽く富士五湖から焼津に一泊、2日目は伊良湖岬から伊勢湾フェリーに乗って鳥羽へ、賢島を覗いて熊野まで足をのばした。途中尾鷲では滝のような雨に遭遇、パンツまでぐっしょりだ。3日目は那智の滝、橋杭岩、潮岬、白浜と周り、泊まりは十津川温泉。そして4日目五條から宇陀で古い町並みをみてR25から亀山、高速で名古屋をバイパスして妻籠に宿泊。最終日は朝から編め、一目散に中央高速で帰還した。 そして今日(8/13金曜日)は夏期休暇でさらにお休み、朝から自転車に乗った。出たときの外気温は28度、涼しいとまではいかないがこれだと日焼けもせずに走れて、絶好の自転車日和ではないか。水の量は900ccで行けるだろう。足は軽快にくるくる回る。青梅の新しい市役所はほぼ完成しているようだ。新奥多摩街道から五日市街道へ、そして新小金井街道へと回る。水は900ccで十分、帰宅後水シャワーが気持ちよい。72.8Km走行で2時間47分。

8月7日 暑いけれども爽やかな午前中

8時発進、所沢航空公園から入間アウトレットモールに抜ける。青梅の町を左にターーン、新奥多摩街道を横田基地から五日市街道へ向かう。今日は水の消費量が少ない、ということは暑さがさほどではないという証拠。日差しは真夏だけれども立秋というのは伊達ではない。明日からは紀伊半島に行ってみるつもり、渥美半島からフェリーに乗って鳥羽から熊野、串本から南部、十津川と回ってみようと思っている。今日は72.7Km、2時間48分の走行。

7月31日 朝のまだ暑くならないうちに走ろう

朝、7:45に発進、暑くならないうちに出かけようとしたが、既に暑い。今日は午後から鹿教湯温泉に行く予定、その前に走っておこうという作戦だ。関越を跨ぐ道路からみると渋滞模様、午前中は混んでいるのだろうなと思う。午後には少しはましになると期待したい。走ってみると先週の土曜日よりはまし、それでも暑いのはやはりこたえる。じゃあ、止めればいいのではないか、というお言葉があるが、これはラジオ体操みたいなもの、毎週やっておくことが重要と考える、スタンプはもらえないけれどもね。水分持参は1.5L、これで帰るまでもつか、先週は1L追加したのだが、今日は最後まで大丈夫そうである。 青梅までは結構すいすい、青梅から新奥多摩街道、五日市街道とさらにすいすい、結構走れるではないか。結局、新小金井街道まで1.5Lで十分、家まで水分補給追加は不要だった。走行距離72.6Km、実走行時間2時間46分、真夏タイムではあるがまずまずではないか。

7月24日 熱中症にならない走り方

発進は7:50、32度と表示される外気温の中ペダルを回し始めた。風は自転車の見方なのか敵なのか。真夏に自転車で走っていて、前から風が来なければ暑さでかいた汗はどうなるのだろう。時速30Kmで走れば、前からびゅーーびゅーー風がくる、この風に汗は飛ばされて体から熱を奪ってくれる。水分をとる、汗をかく、風が汗をとばして熱を下げてくれる。この繰り返しで、真夏でも自転車に乗れる。今日持参した水分はお茶1.5L。2時間走行で飲みきり、7-11で1Lの補給、それも最後には飲みきった。帰還したのは11時、まだ午前中とはいえ33度、水シャワーを浴びて、冷やしたそばを食べて、グレープフルーツを二つ食べて、ビールを一缶。これで一息つく。その後もアイスコーヒーを飲んで、オレンジシャーベットを食べて、またアイスコーヒーを飲む。どれだけ水分をとるのだろう。体の中を通過するH2O、本当に体にいいのだろうか。今日も73Kmの走行、実走行時間は2時間48分。

7月18日 梅雨が明けたという32度の中のサイクリング

ニュースでは梅雨が明けたというが、東京ではそんなに雨が降ったという気がしない。梅雨の期間も毎週自転車に乗れたし、それも結構良い天気の中で乗れていた。しかし、今日は別物の暑さだった。出かけにはお茶を900cc、水を500ccもって出かけたが、完飲した。7時45分に出かけたのだがすでに真夏の日差し、それでも大勢のローディーたちに出会った、ご苦労様だ。10時40分には帰還したのだが、最後の1時間は帰ってから浴びる水シャワーのことばかり考えていたような気がする。明日もいい天気だというから、車検を終えたばかりのバイクに乗って明日はTVでやっていた益子に行ってみよう。

7月10日 紹興酒が残る朝、気分良くこぎ出す

赤坂の夜、中華料理に紹興酒、それも8年もののカメ酒を大量に飲んだ。赤坂の町は変わった。料亭の町といわれた赤坂は今やパチンコと韓国料理店がやたらに目立つ。そうした中、中華料理店に行った。とにかく、朝起きてもまだ紹興酒のにおいが残っている気がする。こぎ出そうとしたらご近所のおじさんが孫をだっこして登場、「おはようございます、赤ちゃんは何ヶ月?」「八ヶ月」「サングラスのおじさんは怖くないかな?」「ケラケラ」「おさけくちゃいですよ」「ケラケラ」などと会話があって発進。気温は30度だがなぜか爽やか、暑さバテを懸念しながら慎重に走る。以外にもすっと青梅まで到着、新奥多摩街道を左折、下り坂は快調だ。新奥多摩街道は自転車レーンがあって走りやすいのだ。五日市街道方面に左折、横田基地Gate#5を右折、そしてまた左折して五日市街道へ。今日は水を0.8Lすでに消費、先週まではこれで帰りまでもったのが、今日は途中で1Lの飲料補給、冷えていておいしい。新小金井街道を左折してここからは40分で帰還だ。走行距離73Km、実走行時間2時間48分、まずまずだ。

7月4日 真夏の暑さの中ばてる

7月3日は本当に久しぶりにゴルフをプレイ、埼玉県の岡部チサンの美里コースというチャンピオンコースだった。レギュラーティーからのプレイだったが、距離は6674Y、結構長いので、ミドルホールでも2オンできないのだ。一緒に回ったのは女性のハンデキャップ5、同じレギュラーから回って彼女は38-43、当方はオーバー100、当然といえば当然の報いである。僕はOBを4発も打ってしまい、まあゴルフにならない状況。やっぱりゴルフはやらなきゃあねえ。そして翌日は7月4日、アメリカ独立記念日。朝から自転車である。曇りの中でかけたがすぐに晴れてきた。気温32度、湿度は高いだろうなあ。青梅に到着すると真夏の青空、今日の天気予報では午後は雨、全然雨の気配はない。昨日のゴルフで結構日焼けした上にさらに日に焼けるではないか。しかし、今日はばてた、足が回らなくなるのが早く来た。夏の自転車は水分補給がキーポイント、今日は汗が目に入って困った。正味走行時間2時間52分、走行距離73Km。。

6月25日 伊東温泉から26日は食べ過ぎを取り戻す

6月25日は伊東に行って温泉を楽しんだ。夕食はフレンチ、伊東の地ビールと白赤ワイン、そして温泉という豪華な温泉三昧である。一泊で帰るのは惜しいようだが、長くいると体が鈍ってしまう。翌日は朝風呂の後和朝食、そして特急踊り子で帰宅、結構なお出かけだった。翌日はこの分を取り戻すような一日。朝から自転車でお出かけ、浦所バイパスから入間経由で青梅へ、そして青梅街道、新奥多摩街道、五日市街道を経て小金井公園角を曲がり帰還、走行距離73Km、実走行時間2時間43分であった。そして午後はRangeへ、ドライバーの調整を行った。来週は久しぶりのコースに出るので、まともにはできないだろうがひどい目にも遭いたくない。2ー3発うつ毎に汗を拭う、という打ちっ放しだ。ここでも大汗をかいた。自転車で大汗をかき、水分を補給してRangeでまたまた大汗をかき水分補給。帰宅してまたまた水分補給、夜は寝汗をかいて朝には水分補給、これは体に良いのか悪いのか。

6月19日 梅雨の晴れ間に走る

昨日の夜の雨が朝には上がった。9時に発進、青梅を目指す。R463は空いている。今日は暑くなるなと思う。青梅をすぎる頃には曇りから日差しがまぶしい晴れ、というか快晴ではないか。比較的楽な走りで、新小金井街道に入り帰還、73Km、2時間45分であった。

6月12日 午前中、日焼けを避けて走る→春日温泉

梅雨入り直前に素晴らしくはれた日の朝、雨よりはずっとましなのだが、日焼けは困ると7時45分に発進、いつもの青梅→五日市街道のコースを走る。今日は午後から佐久の望月、春日温泉に行く予定、その前に走っておこうというスケジュールだ。来週からは梅雨入りが確実な中、今日は日差しも真夏のようななか、快調に走った。走行距離73Km、実走行時間2時間43分。 帰還後、すぐに車で関越経由で佐久平ICから、R142で望月へ、そして春日温泉へ到着。この温泉は湯につかると肌がぬるぬるする。湯に浸かった後は湯冷めしにくい、飲泉できる、定宿にしている「国民宿舎もちづき荘」は素朴で何気なく、気楽にいける宿である。温泉の後は、R142で茂田井に行くと産直の市場、農ん気村があって、ここでいつも農作物を買うことにしている。今回は山菜の「こしあぶら」、タラの芽よりも美味しいと地元の人はいう。トマトとナスの苗を買って、アスパラ、カボチャと東京で買うよりも3−5割やすいと思う。今回も満足して帰宅。

6月5日 午後はにわか雨の予報に早めに出発

関東地方、午後は全般的に雨模様、という朝の天気予報に8時に発進、曇り空の中を走り出した。気温は20度、湿度はどうだろう、雨模様の割には高くは感じない。風が出てくるのかと思いきや、そうでもない。今年の3月までは週末100Kmのコースを走り、4時間弱の走行時間であったが、年のせいであろう、240分は疲れるし、長時間拘束されて半日以上を費やしてしまうので、73Kmのコースに変更、2時間40分走行に切り替えた。そのせいで、気楽に走れて午前中には帰還、昼ご飯を家で食べてから午後のアクティビティに移行できる。この程度が今の自分には妥当な線かと思う。青梅の市役所を折り返し地点に、青梅マラソン出発地点を逆に走行、新奥多摩街道を東京方面に進んで五日市街道に入る。青梅から牛浜までは自転車レーンがあって少々の下りで気持ちよく走れる。五日市街道は現在工事中の箇所があって面倒だが回避ルートが見あたらず突入する。雨の予報が、横田基地あたりから空が晴れて、本当に午後は雨なのかと思うくらいのいい天気になってきた、今日も日焼けしてしまうではないか。本日の走行距離71Km、実走行時間2時間41分。

5月29日 雨が心配な曇り空の中を半袖レーパンで走る

今日の天気予報は曇りのち雨、夕方には間違いなく雨になるという。午前中はゴルフの打ちっ放しに行ったの発進は午後12時半、昨日の芋焼酎が多少残る中自転車にまたがりこぎだした。浦和所沢バイパスには英ICというのがあり、その先には10%の登りが300mくらい続く。普通なら元気いっぱい一気に行くのだが、今日はなぜか足が重い。最後は心拍数170になり、ヒーこら言ってしまった。ゴルフの後は苦しいのか、二日酔いなのか、両方なのか、ちょっと今日はいまいちの気がする。所沢航空公園の脇をすり抜け、小手指あたりは所沢入間バイパスを走る。藤沢の交差点を抜け、武蔵CCの手前を入間アウトレットモール方面に向かう。R16を横切ると、ダイアモンドカップギャラリーの方はこちら、という看板が多数。今日は石川遼くんも出ているゴルフトーナメントが狭山GCで開催されているのだ。狭山GCがどこにあるのかは知らないかったが、いつものコースの近くに名門ゴルフ場があったのだ。東青梅でVターンして奥多摩街道、新奥多摩街道へと進む。牛浜でR16の横田基地第五ゲートにでて、五日市街道に出る。地図でみると五日市街道を横田基地が通せんぼしていることがわかる。多摩モノレールの下を抜け、ずんずん進む。このあたりで霧雨??が降る、というより立ちこめる、という感じで眼鏡に水滴が付着、視界が悪くなる。雨から逃げるように新小金井街道を左折、この道には自転車レーンがあって走りやすい。北上すると清瀬の駅の手前で新しくできた道があって、西武線の下をくぐることができるようになった。以前は狭い道を通って志木街道に抜けるのがいやだった。これは便利になった。志木に近づくと霧雨はなくなり、帰還、走行距離は73Km、今日は2時間47分かかってしまった。

5月22日 快晴の朝7時に発進、日焼けが気になる

毎年この季節に気にするのは日焼け、いくら日焼け止めを塗っても顔と手足、特に顔の日焼けは避けられない。家に帰ると「漁師みたい」と言われる。手足は隠せても顔は隠すわけにはいかない。先週はお休みしたので、少し足が重い気がする。ところで今日は鉄1号で走っている。鉄1号は昔のシフトレバーなので、なぜかギアチェンジする気にならない。昔はこれでやっていたのに、不思議だ。いつものようにR463から青梅、新奥多摩街道から五日市街道、新小金井街道から志木街道で73Km、走行時間2時間40分である。

5月16日 いい天気でしたねえ、しかし今週は温泉旅行で自転車はお休み

長野県望月にある春日温泉に行って来ました、ここは良い温泉なんです。宿泊は国民宿舎もちづき荘、2食付きで7800円は格安。職員の皆さんの印象がさわやかなのもここの施設の特徴だと思います。今回は3名で利用、帰りに産地直送市場(農ん気村というところ)で野菜を大量に買い込んで帰りました。

5月8日 今日は完全に夏モードでGo!

暑くなる前に発進、7:15出発である、これは完全に夏モード。顔には日焼け止め、頭には汗止めヘッドバンド。しかしそこは5月、湿気が少なくて走っていても汗をかかない。自転車に乗っている間は何を考えているのか、最大のものは目の前の道路上の穴ぼこを避け、釘を踏まないようにして、平らな部分を走ること。急な車や人の飛び出しがないか、左折車に巻き込まれないか注意する、それ以外はヒマなのである。これはバイクでツーリングするときとにている。バイクの場合にはガス欠や異音注意、そして景色を見る、という部分も結構多い。
いつもの青梅の交差点を左折、青梅市役所から奥多摩街道に入り東京方面へ。そして五日市街道へR16経由で入り、新小金井街道を左折、志木街道経由で帰還、という73Kmコースである。実走行時間2時間41分、平均速度27,1Kmだった。

5月3日 日焼けが気になる季節、爽やかな暑さ

気温は16度、湿度は低いだろう爽やかだ。朝8時半、ゲゲゲの女房をみてから発進。水木しげるの本物は全く風采のあがらない男なのだが、水木役をやっている役者はちょっといい男、テレビ番組なのだからこれでいいのだ。女房役の松下奈緒さん、こちらもいい感じの女性、これからの物語が楽しみだ。日差しが強くなると予想して、しっかり目に日焼け止めを塗る。R463から青梅街道では休日の割にはなぜかローディーの姿が少ない気がする。高速道路は大渋滞しているというニュースが流れていたが、こういうときこそ自転車で走ればいいのにと思うが、それはヒトの勝手でしょ、ということ。5月2・3日は青梅大祭ということで、青梅街道は通行制限がされる。連休中はお祭りが至るところで催されるので注意が必要だ。本日の走行距離72.6Km、実走行時間2時間42分、ケイデンス平均93、平均速度27.5Km、平均心拍数140。

4月24日 やっと晴れた土曜日、半袖レーパンではちと寒かった

朝8時、外気温12度、16度まで上がる、という予報を聞き、半袖、レーパンで出かけてみた。町を歩く人たちはジャンパー、コート、人によっては手袋、マフラーの人もいる。自転車乗りが半袖、レーパンで走っていると「なんじゃ!あれは!」という顔をしてみられる、程度の寒さのなか発進であった。確かに二の腕は風を受けて赤くなるものの、寒くはない、と思いたかったが、ちと寒い。早く暖まりたい一心でいつもよりペースがあがり気味。青梅に着く頃には十分なヒートアップ状態、外気温も15度くらいにはなっていたと思う。9:30ころ青梅でターン、奥多摩街道を東京方面へ、そして横田基地#5ゲートからR16を経て五日市街道へ。桜は散り果てているものがほとんど。このあたりから風が出てくる。しかし日も出てきているので寒くはなく、風にあおられるのが気持ち悪いだけ。新小金井街道を左折、快調のまま帰還。走行距離71Km、走行時間2時間37分。

4月18日 雪の朝から一転、春の気配濃厚な中

土曜日の朝にはびっくりした。朝、「ばさっバサッ」という何かが落ちる音で目が覚めた。車のドアを閉めるような音でもあったので、なにか、と思って起きたら雪景色。雪も降るという予報だったがまさかつもるとは思ってもいなかったので驚きだった。午前中は曇りで寒そうな外、顔を出すのも寒そうなので、家に居たが、午後は晴れてきたので、ゴルフの練習に出かけた。そして日曜日、朝からよい天気、これは自転車日和ということで半袖、レーパン、スリーブ、という出で立ちで発進、浦所バイパスからR463バイパス、入間アウトレットモールから青梅へ抜けて、新奥多摩街道を東京方面に折り返す。2月までは奥多摩までいっていたのだが、それでは4時間以上のライドになってしまうので、25%カットのコース設定だ。横田基地の横をR16でかすめて五日市街道に入る。小金井公園の手前を新小金井街道にはいると、そこからは40分で帰還。2時間41分、72Km、手頃なコース設定だと思う。

4月10日 春の暖かさ、半袖レーパンで走る

朝方は少し寒いかとも思ったが、半袖レーパンにスリーブをつけて出かけた。朝方は曇り空で、寒い気もしたが、走るうちに日が出てきて、青梅に着く頃にはスリーブをはずした。真夏と同じ格好だ。今日は足がクルクル回る、鉄1号は快調、この鉄の乗り心地は久しぶり、カーボン2号の出番は減るかなと思う。なぜか安心感が違う。頭の中では地面のショックを振動で伝えてくるたびに、カーボンのパイプを繋いでいるつなぎ目の接着(?)が外れるイメージがあってカーボンはなぜか心配なのだろう。鉄にはそれがない。微振動の吸収がカーボンは良い、という印象があり、その吸収された微振動はいったいどこに行くのだろうか、という疑念が晴れていないのだ。冷静には全く無駄な心配と疑念とも思えるのだが、拭い去れていない深層心理である。

桜は満開から散り染め、というところ、五日市街道の喜平橋の桜並木は半分葉桜になっていた。今日は快調、実走行時間2時間40分、走行距離72.5Km。

4月2日 鉄で走る

久しぶりにクロモリ1号で走った。先週リム打ちパンクの汚名を着せられたカーボン2号はドック入り、31歳になるクロモリ1号の出番がきた、ということ。この1号は1979年、神田にあった「ノーベル自転車」で当時としては大奮発して1ヶ月分の全給料をつぎ込んで発注したもの。クロモリ11本セットと呼ばれていたノーベルスター号は、タンゲチャンピオン#1というクロモリでできていた。前ギア52−42のシマノデュラエース、後ろギア13−15−17−19−21−23のシマノ600、タイヤはもちろんチューブラー、チェンジレバーでギアチェンジするタイプだった。30年の歳月でフロントフォークは転倒により2度の骨折、今はEastonのカーボンフォークに、後ろギアはShimanoUltegraの10段に、前ギアは52−39になり、タイヤはクリンチャーに代替わりしている。
平地を走っている分には意識しないが、登に来るとちょっと重いかな、という感じ。まあしかし、30年たって、自転車乗りからすると「ずいぶん変わった」と思うが、外見上は何も変わってはいない、つまりほとんど進歩していないのが自転車である。クロモリ1号にはずいぶんお世話になった、大事に乗らせていただく。
寒くはないが春らしい日差しもない午前中、青梅の町でターン、新奥多摩街道で横田基地を目指し、五日市街道を小金井方面へ、そして新小金井街道で志木街道を目指すコース、五日市街道の喜平橋の桜はほぼ満開、11時になると日差しも出てきた、いい日和だった。 走行距離72.6Km、実走行時間2時間47分。

3月27日 花寒の中、桜の下を走る

朝、10度になるのを待っていたら9時をすぎてしまった。冬支度で発進、昨日のお酒が残る中、足をクルクル回そうとするが力が入らない。なんか今日は無理だな、という感じ。青梅の町で新奥多摩街道へターン、五日市街道へでる。芋窪街道を過ぎるあたりで工事中の標識に気をとられリムうち、パンク。3年ぶりだあ、出先のパンク修理。チューブの予備は3つもあったのだが、点検不十分、2つは不良、最後の一つでセーフであった。チューブ交換に手間取り1時間程度ロス、筋が固まってしまった。これは不覚であった。疲労は実乗車時間ではなく総走行時間に比例しているのだ。喜平橋の桜は三分咲き、ヘトヘトでゴール。実走行時間2時間50分、走行距離72.4Km。

3月20日 6週間ぶりに乗った

2月は7日に乗って以来、@梅の花をみに京都に行って、A雨で、Bまた雨で、C風邪気味で、Dモチベーション不足で、ということで五週間連続で乗らなかった。ちょっと旨く漕げるのか心配なほどのインターバル、軽く走ってみようと8時に出発、外気温は12.2度、暖かい。青梅まではいつものコース、そこから青梅街道に入って新宿方面へ、府中街道から志木街道へ、ということで走行距離65.8Km、実走行時間2時間35分。全く疲れは感じず、快調に走れたので意外。これくらいの距離が今の体力には合っているのかな。

2月7日 今日は強い北西風で、自転車は左右によれよれ

朝九時、外気温はまだ7度、風も強そうだが発進した。直ぐさま後悔するような強風にあおられる。浦和所沢バイパスから入間バイパス、そして青梅に向かうと途中の畑の土が強風で舞いあげられて右方向から吹き付ける。口は開けていられないし、風邪で自転車はよれよれするし、ちょっとこれは問題。今日は青梅でターンする。今日のPodcastは日本の歴史古代から平氏の滅亡まで。1万年前から1185年くらいまでを3時間で聞いた。自転車で歴史、これは思ったより良いのではないか。古代、鏃に使われた黒曜石は長野の和田峠で採れたのだが、それが全国に広がり狩猟効率が上がったという。つまりそのころには全国の商品の物流や市場があったということ、1万年前の時代だから結構なものである。中国では紀元前6世紀ぐらいから国同士の戦いが激しくなり、秦の始皇帝が国として収めるまで戦国の争いが続いていたらしい。中国や朝鮮半島にいた農民や鉄の鋳物師たちが、船に乗って九州から西日本に渡来してきたのが紀元前2−3世紀という。水稲栽培や鉄器による農耕が広がり弥生時代には定住生活ができるようになった。

後漢以降の戦国時代になると中国の書物に倭国が登場しなくなり、古墳時代までの日本歴史がわからないというのも、まだ日本にはしっかりとした中央政府がなかったのだろう。倭の五王の記述があってやっと日本歴史が再登場する。そうして天平、奈良、平安ときて935年あたりで平将門と藤原純友の乱が東西で起こり一気に武士が登場してくる。貴族や寺は武士を護衛に雇う。西に勢力を伸ばす平氏と東で勢力を伸ばす源氏、平氏は西国の海賊たちを討伐して力を蓄える。多くの国の国司になり勢いをつけてきた平氏は清盛が1167年に太政大臣になりまずは政権を執る。しかし、平氏の横暴に業を煮やした天皇家は伊豆に流されていた源頼朝や木曽義仲に平家討伐の命令を下し、清盛が死んで勢いをそがれていた平氏は、義仲の勢いを恐れて小さい天皇の安徳帝とともに西に逃れる。そして有名な一ノ谷、壇ノ浦の合戦で滅亡する。源頼朝は征夷大将軍に任命されて、鎌倉時代が始まる、とまあここまで。

勉強になるが、歴史の流れしか追わないので、初めて習う高校生としては面白みがないであろう。今までに吉川英治の新平家物語を読んだり、倭の五王の本を読んだりしてきているので、歴史の筋を聞くとそうした物語や逸話を思い浮かべられるから歴史に広がりがでる。歴史の時間にも少し脇道にそれても、こうした関連小説や解説をしていれば歴史が好きになる生徒もいるかもしれない。まあ、高校の先生の事前勉強が大変ではあるけれども、それが先生の仕事、なにしろ人間を作るのが先生のミッションである。

今日は風が強かったけれども、頭の中では日本歴史が渦巻いていたので、あっという間のサイクリングだった。走行距離72Km、走行時間3時間2分。

1月31日 もう一月は終わり、3月のような日差し

朝9時はまだ8度、今日までは暖かい、というのが天気予報。午前中は晴れて午後遅くには曇り、という。9時に発進、浦和所沢道路から所沢入間バイパス、そして入間アウトレットモールの横を抜けて青梅の町へはいる。青梅はマラソンを前に練習に励む人たちが走っている。今年は2月21日の日曜日、これからさらに人は増えるのだろう。今日は自転車ローディー達も多い。自転車のりたちは走りながらいったい何を考えているか。多分、目の前の道路状況を見ながら小さな障害物をさけ、小石や釘を避け、信号を気にしながら走っているだけだと思うが、どうだろうか。去年は音楽を聴きながら、ということもしていたが、外の音が聞き取りにくいということでやめた。今年は少し考えて、iTuneから「長時間聞けて疲れず、外の音の邪魔にならない」ということで「三省堂 高校生日本の歴史」をDLして聞いてみることにしてみた。12時間で2980円は高くないのではないか。ウオーキングの時にも使えるし、大体長いので何度でも聞けるし、役に立つ、かもしれない。

今日は明治維新後の西南の役からだった。高校日本史なので大体は知っているというものの、知らないことが多い。明治維新の10年後に西郷隆盛は征韓論を唱えて政府と対立、鹿児島に帰って旧薩摩の不平士族たちと蜂起して武装の優れた政府軍に破れている。佐賀の江藤新平も同じく参議という立場を投げ打って佐賀の乱を起こし鎮圧され、全国的にほぼ同時に起きていた旧士族の乱と同様に鎮圧されている。その10年後に朝鮮制圧をもくろんだ明治政府は江華島に上陸、しかし戦争準備は不足していて当時の清と講和している。そしてさらに10年後、朝鮮で起きた東学党の乱の鎮圧の名目で朝鮮出兵、同時に出兵していた清と再対立、ここで日清戦争になった。

こういう話が、教科書を読む、という形式で延々と続くのだが、もともと自転車に乗っていて暇なものだから、聞いていればいいのだ。電車に乗っていればつまらないので寝てしまうが、自転車なら寝るわけにはいかない。いいかもしれないぞ、と思う。今日は4時間半で1960年代の経済発展から沖縄返還まできてしまった。次はまた古代、卑弥呼からまた聞いてみよう。実走行時間4時間4分、走行距離103Km。

1月17日 東京地方は素晴らしい青空

北日本や日本海側ではずっと雪が降り気分も晴れない毎日かもしれませんが、関東地方の東京近辺では冬晴れ、特に今日は朝から一点の雲もない素晴らしい青空だ。7時に起床、外気温ー1度、暫くは様子を見ていた。9時頃にはまだ6度、今日も昨日のように寒い。9時半にやっと瞬間的に10度に到達し10時頃に家から発進した。寒いと筋肉の動きが悪いのか、今日は少々スローペースの予感。今日のサイクルウェアは次の通り。上は長袖のアンダーアーマーの上にとっくりシャツ、その上に半袖ジャージー、そして外気温0−5度用Adidas自転車用ジャケット。下は長いCWXパンツにレーパン。手にはスポーツ用アンダー手袋の上にスキー用手袋。足にはオーバーシューズウォーマー。頭からはすっぽりかぶるフェーズ部分だけ開いたウォーマーと、冬の完全防寒装備である。ここまで装備すれば5度程度でも寒くはない。

いつものコースで青梅の町にはいるとマラソントレーニングの人々が大げさではなく文字通り列をなして走っている。老若男女、思い思いのスタイルで走っている。町をすぎてもランナーたちは道の端を走っている。折り返し地点まで走る人もいるのだろう、川井駅前の川井大橋の先にある水香園前の折り返し点、大きな看板があり「青梅マラソン折り返し地点」と表示されている。

僕は古里のCVSで吉野街道に折り返すが、今日は先週より2分遅い、まあ、想定内かな。古里周辺の畑は今日も真っ白に霜、もしくは雪化粧、夜は冷えるのだろう。今日も60−70年代の車たちが大勢上から降りてくる。セリカ、スカイラインGT、いすずベレット(あなたは羊派、それとも狼派?という有名なCMがあった。ベレットはもちろん狼派)、トヨタS800、ホンダS600、マーキュリークーガ、などで、排気ガスに特有の臭いがある。ハイオクだからか、排ガス規制前のためか、ツン、とくるにおいだ。先週も大量の60−70年代の車たちに出会ったが、奥多摩で集会でもあるのだろうか。12時になるともう10度は超えているだろう、自転車で走っていてもぽかぽかしてくる。今日の走行距離103Km、実走行時間4時間4分。

1月10日 少し寒いが気持ちの良い日

起床は6時半、外気温は1度、天気予報通り本当に11度まで上がるのだろうか、と心配になるほどで外はまだ暗い。7時頃からは白みはじめ日が差し始めると気温は急上昇、いつものように9時前には一気に10度まで上がったので出発。今日は比較的足はくるくる回る気がする。富士山は今日もばっちり美しく聳え立っている。


青梅に入ると、今週からだろう、青梅マラソンのペナントがひるがえっている。青梅の町は相変わらず元気だ。


そして青梅の各消防署では何かやっているようだ。帰ってから調べてみると「青梅市消防団出初式」である。『団員・消防車両の分列行進、消防団による一斉放水、消防少年団の鼓笛演奏、市立第三中学校吹奏楽部による演奏、青梅消防署はしご車隊による演技、消防車両の展示、消防団活動に功労のあった市民・団体の表彰、団員の表彰』 なるほど、見ていると各消防署では表を開け放ち、受付を設けて記帳してもらうと記念品を渡す、というような雰囲気だ。

古里のCVSで折り返し、先週よりはずいぶんましで年末のタイム並み、先週はよほど調子が悪かったと見える。今日は日曜日、車は多くはないが自転車乗り達は活動開始している。先週は往復で8人にしかすれ違わなかったのに、今日は行きの2時間で25人、帰りの2時間で16人、なんと41人だ。10年前とは大違い、良いことだと思う。今日の総走行距離103.1Km、実走行時間3時間59分。
 

1月2日 走り初めは気持ちよく

タイヤをPro3Raceに履き替えて、ブレーキシューも交換しての走り初め。朝7時半に目覚めたときは外気温なんと1度、それはないよ、と思いながらも朝食、8時には5度、日が出てきて9時には10度、太陽の力はすごいね。9時15分発進。今日は車も少ないだろうと思いながら走ったがなんのなんの、結構走っている、普通の日曜日並みだ。それでも心なしか走る速度はゆっくり目。ローディー達はどうかと思い、今日はすれ違うローディー達の数を数えることにする。(ローディーの定義は 1. ヘルメット着用者 2. ドロップハンドルの自転車 この二つ) 青梅を超えたあたりからすれ違うローディー達がいる、正月2日からご苦労様。結局8名、まあ、多くはないね、普段ならこの倍はすれ違うからね。古里あたり吉野街道側の日陰の畑は真っ白になっている。霜、というより雪のように真っ白、相当な冷え込みがあったのだろう。幸い日陰でも道は凍結してはいない。冬は水分を摂らないものだが、それにしても今日などは250ccくらいだろうか、真夏なら3リットルは飲むことを思えば随分違うもんだ。それにしても今日は足が回らない。正月で足がなまったか、寒いからか、昨年の1月の記録をみてみるとやはり秋の時間より17分程度遅い。17分というのは相当の違いだ。平均速度を25Km/Hrとしても7Kmくらい秋の僕においていかれていることになる。しかし先週よりも8分遅い、ということは先週の僕にさえ3.5Kmくらい遅れているということ。3.5Kmといえばずっと先の方で見えない距離。ツールドフランス13ステージで新城や別府が先頭から20分も遅れたなどという報道に「そんなに遅れるものか」と思ったが、200Km走って20分だからなあ、あり得るよね、とちょっと勘違いの納得。本日の実走行時間4時間7分、総走行時間 4時間46分、走行距離103Km。

 

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