世の中のことを考える

2009年12月19日 人には言われたくない「食文化」

昨年11月、次のような報道がありました。    【1116 AFP】大西洋まぐろ類保存国際委員会(International Commission for the Conservation of Atlantic TunasICCAT)は15日、ブラジルのレシフェ(Recife)で開いた年次総会で、東大西洋および地中海(Mediterranean Sea)における2010年のクロマグロ漁獲枠を、09年の15000トンから13500トンに削減することを決定した。環境保護団体からは、漁獲削減だけではクロマグロの保護には不十分だと批判の声が相次いであがっている。 

本報道はクロ(本)マグロですが、鯨も含め絶滅危惧種だから捕獲禁止にするという意見と、それは食文化であり、絶滅しないようにすれば良いではないか、という主張の戦いです。感情的になっている部分もあり、「絶滅」という概念を定義も不明確なまま議論するのはナンセンスですので、判断基準と論点整理が必要です。

1. 海に住む生物の生存数を確認をする方法は確立しているのか 

2. 漁獲高の国別割り振りはどのようにして行うのが公正なのか 

 3. 絶滅危惧種解除はどのような基準で行うのか

そして、そもそも日本人が食べているのは本当に鯨やクロマグロなのか、絶滅とは別問題ですが、こちらも確認が必要です。日本の港や都会などで「クジラ」として販売されている「肉」の一部は、バンドウイルカなどのイルカ類だという指摘があります。安い回転寿司で出されるマグロには、淡白なキハダマグロ・メバチマグロに、植物油・とろみ油や添加物に漬けて、クロマグロの大トロ・中トロに見せ掛ける、ということが行われるケースもあるとの情報もあります。「日本の食文化」と頑張っていても、お店に騙されているとしたら見過ごせません。(食品偽装は誠実表示されていないことが問題。関心がある方はGoogleで「まぐろ 回転寿司 偽装」、「牛肉 原産国 表示」、「カット 野菜 中国」などと検索してみてください。現行法における食品表示の50%ルールにある抜け道などが分かります)

 捕鯨反対派の代表的な意見は次のようなものです。

□絶滅危惧種の鯨は捕鯨停止すべき □日本の調査捕鯨はIWC(国際捕鯨委員会)の「非商用」の取り決めに違反している □日本人の95%は鯨を食べる習慣はないはず

捕鯨賛成派の意見は、

■シロナガスクジラは激減しているが調査捕鯨対象のミンク鯨は増えている ■調査捕鯨ではIWCの取り決めに従い決められた範囲を守っている  ■江戸時代以前より日本の漁師は鯨を捕っていた、鯨食は日本文化である

 代表的な感情的意見対立には次のようなものがあると思います。

□捕獲時に鯨に長時間痛みを与えるため残酷である    ■爆薬付きの銛を打ち込み鯨が死ぬまで最長でも2分、ほぼ即死である    □鯨やイルカは知能レベルが高く、殺して食べるのはかわいそうだ  ■ヒンズー教では神聖な牛を殺して食べるのは罰当たりだ   □食糧不足の一部民族以外では鯨など食べなくても他に食べるものはたくさんある   ■鯨食は民族が積み上げてきた食文化であり、他国から口出しされるいわれはない   ■鯨は他の魚を沢山食べるので、多少間引きが必要なくらいだ   □雑魚を沢山食べるのはシーバス、シーバスの間引きなど誰も言い出さないではないか   □昔から鯨食習慣があるのは日本では仙台、勝山など一部、戦後食糧難で全国拡大したことを知らないのか■アメリカでは鯨油などを採取、肉は捨てていた、日本では全部利用後食べている   ■石油が出たのでアメリカでは捕鯨をやめただけではないか   □1982年のIWCの取り決め以降、当時の捕鯨国スペイン、ブラジルも捕鯨を中止した  ■IWCの取り決めの法的拘束力はなく、ノルウェイ、アイスランドも再開している        

 今や世界の食べ物となった「すし」に度々登場するマグロの代表選手はクロマグロです。鯨と違い日本人のほとんどが大好きで毎週食べている人もいるでしょう。鯨と違い味方をしてくれる国も多く、養殖も不可能ではないようですので、鯨とは少し状況が異なりますが、意見対立の根本は同じです。

 海外を旅行しての楽しみに現地のレストランでの食事があります。地産地消、その地で取れたものを伝統の料理法と味付けで食べる、たまには口に合わない「ゲテモノ」にも出くわしますが、食べ物のバリエーションは人類の歴史が作り上げた文化そのものだと思います。しかし旅行から帰って日本で食事をするとほっと安心する、と言う経験もあると思います。やはり、誰でも生まれ育った場所の食べ物が口には合っているのでしょう。さらに日本には世界のレストランが集まっています。中華、イタリアン、フレンチ、和食、アジア、インド、バリエーションと味は世界一だと思います。

 鯨やクロマグロを沢山食べている国民が規制に反対する意味はよく分かりますが、食べていない国がなぜそこまで必死になって規制をかけようとしているのでしょうか。Sea Shepherdのように新型船を建造してまで体当たりで捕鯨を妨害する、という熱意はどこから来ているのか、鯨やマグロを食べている「野蛮」な行為をやめさせて文化レベルの高い食事を教えようとしているのでしょうか。各国の伝統料理に他国が文句を言う筋合いは元々ないはず、問題は生物多様性維持、この一点絞ることができるでしょう。生物は絶滅、もしくは個体数が激減すると元に戻りませんので疑わしい場合には様子を見る、つまり捕獲を控える、という理性的態度は重要だと思います。その場合、食のバリエーションが減って食料問題になるか、バリエーション世界一の現在の日本では問題はないと思います。他国から指摘されたので気に障ることは確かですが、料理方法と職人の技術維持、現在捕獲をビジネスにしている方への経済的配慮、これらを考えることで対応が可能だと思います。

 そこで、冒頭紹介した代用の鯨、マグロです。店に騙されることは避けたいと思いますが、代用する目的が明確であり、誠実表示されれば納得できます。鯨やクロマグロを食べたいと主張する人でも、そもそも「生物多様性維持」に反対だと言う方は少ないと思います。しかしこうなると、他人のことが気になります。気になりすぎた記者が書いたのか、捕鯨規制に反論する「鯨肉生産で生じる二酸化炭素(CO2)など温暖化ガスの排出量は、牛肉生産で生じる排出量と比べて10分の1以下」という報道がありましたが、意図的に数値解釈をねじ曲げての報道だと思います。ライフサイクルで考えたCO2排出量削減が重要だ、こういう視点から考えると、「地産地消、養殖より天然、廃棄食料削減」などが重要となりますが、だから捕鯨は良いのだ、とはなりません。トウモロコシやサトウキビからバイオエタノールを生産する、ということも実践されていますが、車の燃料削減には寄与しても、限られた地球資源を保全しながら単位耕作面積で生産できる食物を効率よく活用する、という意味では、森林の農地転用や既存の食糧生産機能を損なうことを考えるとベストアンサーではないと思います。ポール・マッカートニーが「肉食を控えればCO2を削減できる」と発言、食肉業界から反発を喰っている、と言う報道もありました。フードマイレージの考え方を進める人もいますが、いずれにしても「何を食べるか」は自分で納得して決めたいと思います。

 問題と解決策は一つではなく、CO2排出量削減と生物多様性維持、目的は似ていますが対処方法では違いがあります。なにを優先するべきなのでしょうか、諸問題の相関を図にしてみます。

本図は、ジャレド・ダイアモンド著の「文明崩壊−滅亡と存続の命運を分けるもの」が提示した「過去の文明崩壊の原因からみた社会の問題」への対処法を私なりにまとめてみたものです。いずれも人間中心に欲望のまま生活レベルを維持拡大することはできない、我慢する部分を見つけていくことが必要なのだと思います。その際、人に言われて我慢するのか、自分で判断して我慢するのか、という違いではないでしょうか。日本人として、企業人として、家庭でできることはなんなのか、それぞれを見つけて自分で納得し我慢することが重要だと思います。我慢の公平性を測る目安を決めることも重要になりますので、それを決めるのが国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)であり、CO2排出量に換算して我慢の度合いの公平化を図ろうとしているのです。生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)も同様の試みだと思います。国際的な合意の枠組みに沿って積極的に我慢ができるかどうか、国、企業、個人の文明度が問われているのだと感じますが、いかがでしょうか。

2009年12月12日 「させていただきた」がる人たち

「私は皆様に、お訴えをさせていただきたいと思う次第でございます」

政治家の演説でよく耳にする言い回しです。政治家はこのような話し方をするものだ、業界用語なのだ、と多くの国民が思いこんでいるのかもしれませんが、やはりこれは日本語として妙な表現なのです。政治家は威張っている、と思われたくないので謙譲表現、丁寧な言い回しに心がけた結果、このような文言がいつの頃からか政治家の間で定着してきたのだと思いますが、問題点を整理してみましょう。

1. 「訴える」を謙譲表現するために「させていただく」を付けているのですが、聴衆に「訴える」許諾を本心から得たいと思っているわけではないので、心がこもらない謙譲表現だと感じます。

2. 謙譲表現なのに、丁寧語の接頭語「お」をつけている。伺う、という謙譲表現にも「お」や「せていただく」を付加する例がありますが、これも謙譲語なのに丁寧表現を重ねた一貫性のない敬語表現です。

3. 不要な「を入れ」。丁寧な言いまわしにしたいがために、必要のない助詞「を」を入れる事例は政治家から官僚、そして企業のスタッフ、企業の社内会議でも広がっています。

4. 必要のない丁寧な言いまわし「思う次第でございます」。このフレーズがなくても構わないし、政治家が強い気持ちで訴えたいなら、かえってない方が強く訴える気持ちが出ます。

すっきりと次のように言ったらどうかと思います。「私は皆様に訴え(たいと思い)ます」。話が長いとよく言われる政治家、話しをしながら次に何を話すか考える時間が欲しいので、通信信号で言えば“SYNCのような時間稼ぎの意味のないフレーズを入れているのだとしたら、演説技術をもっと磨いて欲しいものです。聞き手である日本国民が、おかしい、と感じなくなれば問題はないと思いますが、何割かの聞き手が言いまわしがおかしいと感じ、内容以前の時点で政治家の演説が判断されているとしたら、政治家としても改善が必要だと思います。 

この「日本語問題」ともいえる話題、特に近年、変化・増殖している日本語の中で気になる表現に、「敬語」とくくられる、尊敬語、謙譲語、丁寧語の不適切使用があります。中には聞き捨てならないケースもあり注意が必要です。

次のような社内向けアンケート依頼があったとして、違和感があるのはどういう箇所でしょう。

グループ社員各位                                   

                                                                                                                                                                            △△ 推進部このたび、△△制度の社内活用における実態調査といたしまして、制度はあるのにうまく活用できないという声に関するアンケートを実施させていただきます。△△推進部では、今回のアンケートにて収集をさせていただいた情報をもとにして、△△制度利用の更なる改善を図らさせていただたいと考えております。当アンケートでは△△制度の社内活用が進まない現状につきまして、詳細の状況をお伺いさせていただく内容となっております。そのため、△△制度の社内活用が進まない経験をされた方にご回答をお願い申し上げます。なお、本件に関する問合せは△△推進部までお願いいたします。【アンケート回答の所要時間:20分程度、実施期間:12/xxまで】

―――――内容省略―――――――――

以上でアンケートは終了です。ご協力いただきありがとうございました。

 ちょっと突っ込みどころ満載過ぎて困るような文例ですが、よくある文章だと思います。冗長である、調査目的をはっきりと示していない、などが気になりますが、尊敬語、謙譲語と丁寧語の視点から見ていかがでしょう。社内スタッフ部門が社員の協力を呼びかける文章なので、多少の謙譲の気持ちは必要ですが、語尾の不一致、へりくだり過ぎ、二重の丁寧・謙譲表現は不要です。よくある問題点を整理してみましょう。

1. 「させていただきたい」の多用 便利な謙譲表現であり、コミュニケーションをとる相手からの許諾を前提として使うのですが、多くの人を前にして丁寧に表現するのに便利と感じられるため、セミナーやパーティ、選挙運動などでもよく使われています。『バカ丁寧化する日本語』の著者野口恵子さんは、つぎのように解説しています。『直接的な表現だと失礼にあたるとか、無礼に感じるかである。例えば、商店が休業するとき「休ませていただきます」というのが、自然な謙譲語として好ましいと感じるか、それとも不快に感じるか。文法的にどうか、というよりも誰に対して謙遜して感謝の意を表しているか、という人の心理の問題である』。唯一の正解があるわけではありませんが、多くの聞き手がどう感じるかの問題です。次の用例、皆さんはどう感じるでしょうか。

@パーティ主催者事務局より「今からパーティをはじめさせていただきますが、ご歓談の後、7時頃には中締めにさせていただいたいと思っております」A新任部長の部員への挨拶「4月より部長を務めさせていただくことになりました、よろしくお願いします」B電車の中でアナウンス「車内での携帯電話のご使用はご遠慮させていただいております」

Bは聞き捨てならないケースで間違いは明らか、「車内での携帯電話の使用は遠慮いただいております」で十分です。Aでは部下から選出されたならともかく、不要な「させていただく」です。@はどうでしょう、これで良いじゃないか、と感じる方も多いでしょう。短い文章に「させていただく」を二回も使っていますが、不適切とまでは言えないと思います。問題は「心がこもっているか」、謙譲語は相手に対し謙遜して感謝の意を表しているか、という点が重要だと思います。「いらっしゃいませ、こんにちは」とマニュアル通りに挨拶されても、「こんにちは、は不要だ」と思いながら、店員が挨拶しながら目線も合わさないとしたら気持ちは良くない、ということと同根だと思います。

2. 冒頭の政治家演説と同様の諸問題、奇妙な言いまわし 不要な「を入れ」、「さ入れ」。「実態調査といたしまして」、「現状につきまして」、「経験をされた方は」などの不必要な丁寧表現。「お伺いをさせていただく」、「お願い申し上げる」という二重丁寧・謙譲表現。「内容となっております」という誰がその内容にしたのだ、と言いたくなるようなバイト語表現などが気になります。当社内アナウンスの「本日はノー残業デーとなっております」はいつからか「本日はノー残業デーです」に変わりました。羽田空港でのアナウンス「機内持ち込み手荷物は1つまでとなっております」は「機内持ち込み手荷物は1つです」と言えば失礼でなく十分理解できます。社内に向けての協力要請レターやアナウンスでも、適切な依頼表現はどのような言いまわしなのか、違和感なく、そして気持ちよく協力してもらえる文章になるように、各部署で推敲することが必要だと思います。

3. 調査が必要になった背景、問題、調査目的、どうしたいのか 「今回のアンケートにて収集をさせていただいた情報をもとにして、△△制度利用の更なる改善を図らさせていただたいと考えております」という文言がありますが、不要な「さ入れ」、何が問題なのかを明示せずに、さらなる改善を図る、というのはお役所が市民の声を聞いておきながら何もしない場合によく使う言いまわしです。丁寧な言いまわしに聞こえるのに、本気でそうしようとは考えていないのではないか、と疑わしく感じます。社内説明会で出た質問にこのような回答をしていないか、お客様向けにこのような言いまわしをして、同様の受け取られ方をしないか、注意が必要だと思います。敬語には想像力も必要、状況で言葉の意味も変わる、言葉は時代・地域で変化するもの、というのが野口さんの主張です。

■飛行機で着席、本を読み出している乗客に「新聞はよろしかったでしょうか?」、ファーストフード店に一人で来店、ビッグマックを8つ注文した客に「こちらでお召し上がりですか?」。マニュアルではそう聞くとされているのかもしれませんが、「何かご用があれば声をおかけください」、「お持ち帰りですね」と言う方が良いケースです。マニュアルで学び、経験で成長することが教育では重要だと思います。

■友人宅に初めて電話して「田中と申しますが、XXさんはご在宅ですか?」、そして留守なので再度電話した際に、同じ人が出たならば「田中と申しますが」ではなく「先ほど電話を差し上げた田中ですが」という方がスムーズ。状況が変われば敬語も変わります。

■「させていただく」、「さ入れ」は関西では一般化している、という指摘があります。書く、行く、話すなど米朝師匠なら「書かしていただきます」「行かしてもらいます」となるが、今の世代の関西人のマジョリティは「書かさしていただきます」「行かさしてもらいます」となっているとのこと、「させていただく」、「さ入れ」問題では、関東と関西では受け取り方が違うかもしれません。

「ちょっと待ってもらっていいですか」これも最近TVなどでもよく耳にする言いまわしですが、簡単に言えば「待ってください」。若い世代で一般化している丁寧表現で、間接表現の一種です。京都では昔から「〜してくれはらしまへんやろか」という持って回った言いまわしがあり、このような間接表現による丁寧表現は時代とともに変遷しながら連綿と引き継がれているとも言えます。一方、会社の同僚同士でも「ごめん、ちょっとこれお願いね」などとすぐ謝るのに、電車内で人の足を踏んでも謝らないのが日本。アメリカでは会社の同僚同士でものを頼むのにいちいち“Excuse me”などと言わずストレートに依頼するのに、見ず知らずの相手にもすぐに“Excuse me”、“Good morning”などと挨拶します。仲間の和を大切にする一方で社会は安全と考える日本に対し、仲間にはいちいち謝らないが社会にでると危険も多いアメリカの違いであると、野口さんは主張しています。敬語は日本語が持つ特質であり、お年寄りを敬うという儒教の教え、長幼の序などの価値観を背景として変化・定着してきた言語は日本文化の一部です。「そんなこと気にしていては話しもできない」「面倒なレターなど出したくないのでテンプレートを作って欲しい」等と言う方もいますが、コミュニケーションは相手との相互理解です。相手がどのように受け取るのかに気を配り、相手を理解しようとする姿勢が、はっきりと言葉や言いまわしになって表れるのが日本語の特徴であり、受け手の感覚を忖度し、相手立場や気持ちを慮(おもんばか)る姿勢は相手にも伝わります。清少納言も「枕草子」で若者の言葉について嘆いているといいます。時代とともに言葉は変わる、しかし相手を理解し思いやる、というのは敬語に限らずいつの時代にもコミュニケーション上必要なこと。各種メッセージにおいても、受け手の立場や気持ちを考えることは大切な日本文化だと考えます

2009年11月12日 「悪魔のささやき」を超える力

作家で精神科医でもある加賀乙彦さんは200名以上の犯罪者と会って話を聞いてきた、その経験をベースに、「悪魔のささやき」という言うべき状態が人間には起こることがあるとの仮説を立てました。秋葉原や大阪池田市の小学校でおきた無差別殺人事件で、犯人は「相手は誰でも良かった」などと供述していますが、いずれも犯行は計画的です。一方で衝動的殺人もあります、自分ではそんなつもりはなかったのに、「女性の首が細かったので」手を首に回して殺人をしてしまった、などという死刑囚が結構いるとのこと、「魔が差す」という状況です。両方同時に起こったのがドストエフスキー「罪と罰」のラスコーリニコフ、金貸しの老婆を斧で殺したのは計画的でしたが、偶然帰宅したその娘まで殺してしまったのは偶発的殺人でした。このような偶発殺人は加賀さんによると実際良くあるケースであり、物盗りに入った家で、たまたま帰宅した家人に見つかり、その人を殺してしまう、こうした殺人も多いとのことです。逃げればいいのに、心理的に追いつめられてしまい、台所にあった包丁で刺してしまうなどというケースです。刑務所にいる200名もの殺人犯にヒアリングをすると、追いつめられて魔が差したという殺人と、そして計画的な殺人があり、犯人自身も納得できない殺人の原因、つまり少し長期間にわたる「悪魔のささやき」によるものには、刹那的、衝動的な「魔が差す」とは別の状況があるというのです。 

犯罪を犯して刑務所には来なかったが、自分自身の境遇や状況に絶望して自殺してしまう例も多いとのこと。日本では自殺者総数が年間3万人を超え、ロシア、ハンガリーなどについで世界8位、旧ソ連を一つの国とすれば不名誉な銅メダルです。加賀さんによると自殺者の3分の1程度はうつ病、うつ状態であり、こうした状態では自殺と同時に、きっかけさえあれば殺人さえ犯しかねない心理状態にあるとの分析をしています。原因のかなりの部分を占めるのがストレスで、ほとんどの人は思いとどまるのですが、そこに何かのきっかけ、例えば同じく悩んでいて自殺願望がある人と知り合う「自殺サイト」、肉親や親友の死、会社経営失敗、病気、友人の裏切り、借金など、「ポンと背中を押される」ようなきっかけで、健康人なら耐えられるような苦しみにも耐えかねた自殺が多いのだそうです。

囚人に見られる詐病や心神耗弱などのなかには、拘禁状態によるストレスから心の異常を来す人がいて、その一つの事例が「爆発反応」。大声で叫び、暴れ回って器物破壊、自傷、そして「爆発」の後にはその記憶がない、というもので、爆発状態の間は人間であることを放棄した「無意識下の動物状態」と加賀さんは表現しています。また、仮面痴呆も一つの症状で、無意識下のストレス回避のための乖離性反応だといいます。オウム真理教の麻原死刑囚は仮面痴呆よりひどい昏迷状態という昏睡直前の無反応状態、詐病ではない、というのが加賀さんの診断。現代社会は刑務所外でも刑務所内でみられるようなこうしたストレスを受ける状況になっているのではないか、と加賀さんは分析しています。集合住宅に独りで住む、家族で住んでいるが部屋にこもりきりである、いわゆる引きこもり、こうした状況が長期にわたると、精神的に「拘禁状態」になりストレスを感じている、これが現代人のストレスの原因ではないかというのです。すぐに「キレる」若者も、ストレスを感じている結果「爆発」しやすくなっているのかも知れません。貧しかった時代、大家族時代、自然が周りにあった時代には存在しなかった現代の病巣である、というのが加賀さんの分析です。公園で子供達が大声を上げる、これが騒音だという訴訟がありますが、一昔前なら、公園で子供達が騒ぐのは当たり前、お互い様、というのが常識だったのが、近隣のつながりが薄れ、向かい三軒両隣、という「ご近所の強み」がなくなってきたのが原因だと感じます。

『全世界の現世人類の先祖は15万年前にアフリカを脱出したたった一つの集団であった』ことを遺伝子分析で解説した「人類の足跡10万年全史」、著者のスティーブン・オッペンハイマーは、人類のコミュニティについて次のように解説しています。『人類は不安定で寒冷な氷河期に脳の容量が急激に増大した。乾燥と寒冷化する世界で食べ物を発見するために臨機応変さを身につける必要があった人類の脳容積は100万年前までに400ccから1000ccへ、現人類の75%程度まで増えていたことになる。この大きな脳を使ってコミュニケーション手段たる言語を発達させた。人類は5人前後の核家族を最小単位とし、少し大きな機能を果たすための20名前後のグループ、大きな単位として100-400人の集団を形成していた。こうした集団は狩りや、肉食獣からの襲撃、他部族からの攻撃に対しても有効であったことだろう。言語はこうしたグループ化とメンバー間コミュニケーションに重要な役割を果たした。』人類が一人では決して生き残れなかった時代に、脳容積とコミュニケーション手段の発達により生き残るために数百万年かけて進化させてきた、その大切な部分を現代社会は疎かにしてはいないでしょうか。

精神学者のフロイトは「死の本能」論で人間の根源的エネルギーは生きること、楽しむこと、創造することなどの生の本能であるが、同時に生の前の状態である無に還ろうとし、時には不快や苦痛をも求める死の本能ももつと主張、死の本能が外に向くとき暴力や殺人を犯し、内に向かうと自殺を図ると主張しています。動物学者のローレンツは「攻撃」で、社会性のあるネズミや人間は同族の中では平和に暮らそうとする。しかし、自然環境からほど遠い状況の文明下では、ストレスがあって同族以外の仲間には攻撃的に振る舞う、といっています。こうした先人達と加賀さんの分析を併せて考えてみると、地上に脅威となる他の肉食動物がいなくなり、特に都市部では集団生活から個の生活に移行、自分以外は皆同族ではないと感じる、その時に「拘禁状態」からくる心理的ストレスに晒され攻撃的・自傷的に振る舞う人が出てくる、「悪魔のささやき」は突然やってくるのではなく、都市部の反自然的環境、人類進化に反する環境が継続的にストレス状況を作り出しているのではないでしょうか。

変化する社会環境からのプレッシャーもあります。「カラマーゾフの兄弟」では、兄弟の父親フョードル・カラマーゾフが殺され、日頃から父親を憎んでいた長男、ドミートリーが逮捕されます。しかし、殺人を犯したのは給仕で次男のイワンを尊敬しているスメルジャコフだと判明。しかし、スメルジャコフの言葉により、無意識下で父親を憎悪していたのはイワンであり、イワンの憎しみの願望がスメルジャコフに殺人の動機を与えたことが分かります。兄の判決を前に徐々に精神不安定に陥るイワンは、自分の目の前に悪魔を見る。「おまえは俺の幻影だ、俺の欲望の化身なのだ」、ドストエフスキーが描いた「悪魔のささやき」です。イワンの悪魔のささやきは父親への憎悪からきたのですが、ドストエフスキーが生きた1821から1881年まで、この時期にロシアに急激な勢いで近代化を推し進めようとした時代でもありました。近代化がロシア国民に与えていたストレス、これがイワンに囁いていた悪魔の正体かも知れません。今の日本はどうでしょうか。 

「悪魔のささやき」を避ける、または耐える手段はあるのでしょうか。加賀さんは次のように言います。

1. 自分の周りの卑近なことばかりに関心を持たず、世界、世の中、将来など大きく遠いことにも興味を持つこと。

2. 世界の多くの宗教が導く、精神、隣人愛、謙譲、感謝などについて考え、自分が信じられるものを持つこと。

3. 死の醜さ、怖さに向き合うこと。

4. 自分の人格について考え、個人として自立できるように努力、確固とした人生への姿勢を持つこと。

オウム真理教に入信した高学歴のメンバー、秋葉原でトラックを暴走させた若者、同級生をナイフで切ってしまった小学生、こうした近年に見られる「悪魔のささやき」とでも言えるような些細な、もしくは信じられない妄想による殺人者に、どのような方法で上記1ー4を考えさせられるのでしょうか。大人になってから、1―4を考えろと言われても難しいでしょう。人類の強みは「おばあちゃんの教え」があること、という説もあり、上記1―4は「おばあちゃんの教え」に含まれている、とも考えられます。 

日本の強みは「ご近所の底力」だったのに、それが薄れてきたのではないか、また、家族における会話の重要性、友人やコミュニティの重要性は言うに及びません。一方で、日本の経済成長や便利なICTツールが、その裏側で「悪魔のささやき」を助長していることも見逃せないと感じます。人類が何百万年という長い時間をかけて進化させてきたコミュニケーション、他の生物よりも優れているためには、単にお互いに通信ができれば良い、とは言えないのが先に紹介した先人達や加賀さんの主張です。大切なおばあちゃん(もちろんおじいちゃんも大切)、「実家のお母さん、元気にしてる?」「いつも電話しているから大丈夫」、本当でしょうか。家族、同僚、上司部下、ご近所など、オッペンハイマーの言う数名の家族から数百名の集団におけるコミュニケーション、現在社会は何が足りないのか、皆さんにも是非考えてみていただきたいと思います。

2009年9月12日 天寿を全うする幸福

7月17日次のような報道がありました。『厚生労働省は2008年の日本人の平均寿命を公表、男性は79.29歳、女性86.05歳と男女ともに3年連続で過去最高を更新した。男女の寿命差は6.76歳で前年(6.80歳)よりやや縮まった。国・地域別では、女性は24年連続で世界一、男性は4位と一つ順位を下げた。(平均寿命は、現在の死亡率で推移した場合に0歳児が何歳まで生きるかの平均値)』 
「長生きはするもんだ」というお年寄りの言葉、最近耳にしなくなったような気もしますが、長生きすることは幸せなことなのでしょうか。

<男性の寿命はいつから女性より短かくなったのか>
日本人の平均寿命、男女の差が約7歳あります、この理由はなんでしょう。男女寿命差の変遷を見てみましょう。
 

日本人の寿命の変遷 (1921-1950内閣統計局生命表データより)

時代

男(歳)

女(歳)

紀元前11世紀〜1世紀「縄文時代」

14.6

14〜16世紀「室町時代」

15.2

江戸時代

20後半〜30

1880(明治13)

36

38

1921〜24(大正10〜14)

42.06

43.20

1935−1936

46.92

49.63

1947(昭和22)

50.06

53.96

1950(昭和25)

58.0

61.5

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1610.html 
統計情報のある明治時代には2歳程度だった男女寿命差は1950年以降どんどん拡大して、今や7歳ほどにも広がっています。平均寿命が長い国で、日本以外に男女差が大きい国はフランス、アメリカ、小さい国はクウェート、一体どのような理由や背景があるのでしょうか。

<なぜ男は先に死ぬのでしょうか>
世界のどの国でも女性のほうが長寿です。男性の平均寿命は女性のものより1割程度短く、『子供にとっては面倒を見てくれる母親のほうが必要価値が高い』という生物学的な理由によるものだと言われています。その他には何が考えられるでしょうか。
■男性は、私生活や仕事上のストレスをタバコや酒などで解消する傾向があり、不健康な生活を送るケースが多い。
■既婚男性の平均寿命は79.06歳、独身男性の平均寿命は70.42歳、一生結婚しない男性は、既婚男性より8~9年早く死ぬ、という。(「独身王子は早く死ぬ」 牛窪恵)ちなみに、女性でも独身の方が8年程度寿命は短い。離婚した男性はさらに2年程度短命だが、離婚女性は未婚女性より3歳長生きするとのこと。
■1985年まで男女とも平均寿命日本一を誇ってきた沖縄県で、男性の平均寿命が徐々に低下し、26位にまで落ちた理由。桜美林大学大学院老年学研究科の柴田博教授によると、食事には関係なくて(同じ食事をしている沖縄県女性の平均寿命が依然日本で一位であることの説明がつかない)、男性のライフスタイル全般、たとえば、若い男性に目立つ飲酒に関係する肝硬変などの疾病、飲酒関連の事故、自殺など社会的な要因と解説しています。沖縄の男性の65歳の平均余命は今でもトップで、それなのに、平均寿命だけが低下しているのは、65歳未満の死亡率がいかに高いか、戦後生まれの沖縄男性の短命化傾向を示しています。都道府県別に見ると図抜けて高い失業率や低い所得など経済的背景があるのかも知れません。
http://journal.mycom.co.jp/news/2007/12/18/001/index.html 
http://www.yakult.co.jp/healthist/news/190_01/01_05.html 
■(「ゾウの時間 ネズミの時間」本川達雄著)によると、ほ乳類においては、代謝と寿命は反比例する、つまり、細胞に過剰な酸素を必要とさせない生活が長生きの生活ということです。生命を維持する為に必要な最低カロリーは男性よりも女性のほうが少なく、基礎代謝率の差があるので女性の方が男性より長生きすることになります。食物の摂取量と寿命の関係を調べた結果もあり、少食の方が体が小さくなるがはるかに長生き、食べ物を消化しエネルギーに変えるというのも一種の代謝、大食は早死するといいます、「腹八分目で医者知らず」という諺、代謝の面からみても正しいことになります。

<平均寿命が短い国が短命な理由>
一般的に平均寿命が短い国で人々が短命な理由として次の項目があげられています。
1. 低所得、経済的後進国である
2. 医療制度、健康保険制度が未整備
3. 貧富の格差が大きい(不平等)
4. 紛争、戦争がある
5. 国民に不満がある(失業率が高い、独裁政治、国内対立など)
6. 教育が不十分(公衆衛生、食生活など)
こうしてみてみると、短命であることは「不幸を増大させる」条件と重なっていると感じます。

<日本人の平均寿命が太平洋戦争後伸びた要因>
一般的に戦後寿命が延びた理由としては、次の項目があげられています。
1. 乳幼児の死亡率の減少
2. 結核・脳卒中の激減
3. 食生活の改善
4. 日本経済の成功
5. 公衆衛生の向上、医学の進歩

そして現在、日本人が世界の中でも長寿を保っている理由としては、
1. 国民皆保険制度、高齢者医療制度
2. 勤労意欲の高さ、社会参加率の高さ
3. 社会が比較的平等
4. 学校教育が充実し啓発が進んでいる
5. 敬老精神がある
(日本人の長寿についての再考 マイケル・マーモット,ルース・ベルより)
http://www.niph.go.jp/kosyu/2007/200756020008.pdf 
先ほどの短命な国の理由と合わせて見てみると、日本では戦後、経済的発展とともに「不幸の要因」が減少してきたとも言えるのではないでしょうか。

<食事や入浴などのライフスタイルも要因>
財団法人長寿科学振興財団によると「日本人の食事や入浴などのライフスタイルも長寿の要因と考えられます。日本は先進諸国中でも脂肪摂取量が一番少なく、米飯を中心とした炭水化物の摂取が比較的多く、魚の摂取も多いことが特徴です。豆腐や納豆、味噌などの大豆製品の摂取も多く、動脈硬化の進行を防ぐ働きをしています。また緑茶をよく飲むため、カテキンやビタミンCなどの摂取量が多く、それらの抗酸化作用が動脈硬化や癌の発生を抑制しているとも指摘されています。清潔好きな国民性から毎日入浴、身の回りを清潔に保つこと、挨拶で握手など身体接触をあまりしないことなども感染症の予防につながっていると推測されます。」平均寿命が長い理由には本当にさまざまな背景があることが分かります。長寿国、日本に生まれ育った日本人は幸せなのでしょうか。
http://www.tyojyu.or.jp/hp/page000000900/hpg000000876.htm 
 

<幸福感と日本人>

平成20年度国民生活白書によると、「あなたは現在、ご自分のことをどの程度幸せだと思いますか」との問に対する回答(「幸せである」、「どちらかといえば幸せである」、「どちらかといえば不幸である」、「不幸である」の4段階で回答)と他の質問項目に対する回答との関係を統計モデルを用いて分析した結果、下図のような相関があります。

幸福度にプラスの影響

女性であること
子どもがいること
結婚していること
世帯全体の年収が多くなっていくこと
大学または大学院卒であること
学生であること
困ったことがあるときに相談できる人がいること

幸福度にマイナスの影響

年齢が高いこと
失業中であること
ストレスがあること

(備考) 1.内閣府「国民生活選好度調査」(2008年)により作成。

    2.サンプル数は、全国の15歳以上80歳未満の男女3,752人。

http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h20/01_honpen/html/08sh010301.html

第1-3-5図

国民生活白書によると
「諸外国における調査では、年齢と幸福の間にU字型の関係があるとの結果が出ているものが多い。つまり、若者と高齢者は熟年層よりも幸福だというのである。その理由としては、熟年層に入る頃には、自分の人生がある程度定まってくるので、人々は若い頃持っていた野心を実現することをあきらめざるを得ないから幸福度が下がる。その後の高齢期に入ってからは考え方を変え、後半の人生を楽しく充実させようと努力するから幸福度がまた高まるのではないかとの考察がなされている。」
日米比較では若い頃は幸福度が高い日本人、しかし、今回の推計では、67歳を底にして79歳にかけて高齢者の幸福度が上がらないのが日本の特徴とも解釈できます。こうなると、長生きすることが幸せとは言えないでしょう。

また、対人関係について国民生活白書は
「既婚者の幸福度が高いというのは過去の多くの研究結果と一致している。結婚によって得られる親密な人間関係が精神的やすらぎとなり、幸福度を高めると考えられ、子どもについても幸福度を高めると考えられる。ほかの調査でも信頼が高い社会やソーシャル・キャピタルが存在する社会ではそうでない社会より幸福度が高いという結果が得られている。困ったときに相談できる人、言い換えれば、気心が知れ自分の心の拠り所になる人、社会的つながりが存在することが、幸福度を高めるということを示し、対人関係が幸福に与える重要性を裏付けている。」
ソーシャル・キャピタルが幸福度に影響するというのは、以前紹介した「ご近所の底力」でも述べたとおりです。

失業やストレスと幸福度については、
「失業により不安定な状況に置かれることが不幸感を生み出している。例えば、英国の研究では、『離婚や別居といった幸福度にマイナスをもたらすどのような要因よりも、失業は幸福を抑圧してしまう』と述べられている。さらにその原因としては非経済的なものが大きく、人の社会的地位は就いている仕事により判断される側面があり、失業した人は地位を失ったと感じることが幸福度の低下に影響を及ぼすとの指摘がなされている。」
長生きすることでパートナーとの離別や年金問題を原因とするストレスを感じるとしたら、長生きなどせず、元気なうちにパートナーと一緒にポックリ逝ってしまった方が良い、ということにもなりかねません。

<幸福感とGDP、そしてHDIの世界比較>
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9480.html 日本は25位、という調査結果を以前紹介しました。GDPと平均寿命、GDPのあるところまでは相関が見られますが、一人あたり年間GDPが10000ドルを超えるあたりから相関がなくなります。寿命には経済面がネガティブに働くが、それ以外にも影響因子がたくさんあるということです。そして、経済万能主義に代わる指標として有名なのが人間開発指数(HDI−Human Development Index)です。HDIはノーベル賞学者アマルティア・センがリードし、国連開発計画(UNDP)が毎年公表していて、「1人当たりのGDP」「平均寿命」「教育」という3つの指標の合成指数です。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1130.html 
HDIの上位国には、指標構成から当然ですが、平均寿命の上位国、幸福感の上位国、一人あたりGDPの上位国が並んでいます。
 

<老人医療は障害期間を延ばす行為>

老人医療に自ら携わり、作家でもある久坂部羊さんは「長生きしたくない、という老人が増えてきている、如何に長生きするかではなく、本人のQOL(生活の質)を如何にあげていくかが、老人医療のポイントである。」と著書で述べています。そして、長生きするためにアンチエージングなどの努力をするのは「欲望のなせるワザ」、長生きすることをお金と同じように手にしたところで幸せにはなれません、と解説しています。今の医療は「天寿」をできるだけ延ばすことに主眼をおいていて患者のQOLを考慮していない、江戸時代はみんなが安楽死をしていた、という主張です。ちなみにオランダやベルギー、オーストラリア北部準州、アメリカオレゴン州では安楽死を法制化していますが、判断基準の確定と国民のコンセンサスには時間がかかると思います。実際オランダの全死亡者の安楽死率は3%だそうです。(「日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか」 久坂部羊 著)

長生きしても寝たきりでは幸せとは言えません。平均寿命に占める障害を有する期間の国際比較(WHO世界健康報告書2000)によると、障害期間を除いた平均余命(健康寿命)でも日本は世界一の長さを誇っており、健康で長生き、と言えます。久坂部さんによると、「老人医療は健康寿命を延ばすのではなく障害期間を延ばす行為である」、そういう見方もあります。ある年齢以上は病院に行かず、天寿を全うすることを勧めます、というのが久坂部さんのアドバイスです。

http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpax200101/b0001.html 

現実世界では、長生き=幸せ とはなかなかいかないのかも知れません。長野の佐久市に「ぴんころ地蔵」というのがあり、訪問者が絶えないと言います。生きているうちはぴんぴんしていて、死ぬときにはコロリ、PPK、とも言われています。健康やぴんぴんも含め、幸せも主観的概念であり、半身不随になっているのに「私は健康、ぴんぴんしている」といっているおじいさんもいます。今まで紹介してきたように、平均寿命や幸福感には両方とも経済的側面、対人関係、男女性差、年代・年齢による差、地域間格差などがあり、多様な要素が関連しています。幸福感を持ちながら長生きできること、その実現にも多様な施策が必要であり、雇用や年金などを含め、企業ができることもたくさんあると思います。近年、関心が高まっている介護の問題も、長生きするようになってきたことの派生問題の一つとも考えられます。介護に対しては、企業ができることにも限界があるのですが、介護は突然に誰にでも訪れる可能性のあること、企業として社員にはできるだけ長く勤めて欲しい、介護によって辞めざるを得ないような社員には、なんとか働き続けてもらえるような施策を講じることが重要だと思います。個人にとっては、老いてからの努力もさることながら、現役時代からの積み重ねが幸せな老後の基礎を作る、という指摘もあります。私たちが住む国、日本を「天寿を全うすること」が幸せである、という国であり社会にするために、できる努力をしていきたいものです。

2009年8月22日 ワクチン接種は誰から

H1N1ウイルスに対応する新型インフルエンザワクチンの接種順位に関する検討がされてい ます。国内生産は1500万人分程度、という見込みであるため全国民に接種はできないことが想定され、優先順位を付けなければならなくなったためです。流行後ワクチンに関して、厚生労働省は製造量に限界があって、全国民には接種できない場合の順位を平成20年のガイドラインで示していました。それによると、

■新型インフルエンザウイルスが高齢者に重症者が多いタイプのウイルスの場合

@医療従事者・社会機能維持者等 A医学的ハイリスク者 B高齢者 C小児 D成人

■新型インフルエンザウイルスが成人に重症者が多いタイプのウイルスの場合

@医療従事者・社会機能維持者等 A医学的ハイリスク者 B成人 C小児 C高齢者

※社会機能維持者とは以下の群である

@治安を維持する者 Aライフラインを維持する者 B国又は地方公共団体の危機管理に携わる者 C国民の最低限の生活維持のための情報提供に携わる者 Dライフラインを維持するために必要な物資を搬送する者

いずれにしても、医療従事者・社会機能維持者等で1500万人、家族も入れると5000万人と言われていましたから、最初の優先度対象者で国内生産されるワクチンはおしまい、ということになります。

これに対して、今年流行しているH1N1ウイルスへの罹患状況分析から、

24歳以下の感染者が多い

■健常者の致死率は低く基礎疾患を持つ方、妊婦などの医学的ハイリスク者の致死率が高い

■高齢者の感染率は低い

などが分かってきました。H5N1のような致死率が高いウイルスを想定していたので、社会機能維持者が上位にあり、さらにそのなかには代議士や官僚なども入っていて、今の状況で妊婦や基礎疾患を持つ方より先に接種されるのは問題である、と思われることから、このような接種間際になって上記ガイドラインの見直し、接種優先度の議論がなされているのです。

論点をを整理してみましょう。

@高い致死率をもつH5N1ウイルスを想定したガイドラインでの優先度は、現状のH1N1ウイルス程度の致死率(0.1-0.5%)でも適用できるのか。

A日本で足りないワクチンは海外から輸入できるのか。(発展途上国に配分される量がその分減ると言うこと、道義的視点と先進国としての責任があるはず)

B社会の混乱を治めるのか死者数を最小化するのか。(感染者数をできるだけ抑える、もしくは平準化させることで医療機関への感染者殺到を避けるのか、医学的ハイリスク者への対応を最優先させることで、致死率を抑制するのか)

C日本で製造されている新型インフルエンザワクチンはH1N1ウイルスに対してどのくらい有効な抗体が形成されるのか。(ワクチンは効くのか)

D季節性インフルエンザワクチンとの重複接種による経済的負担と接種時期調整による医療機関混雑。(一回の接種に3000-4000円とすると、家族4名で季節性一回、新型二回の接種のためにかかる費用は4000X三回X四名=48000円にもなり、負担が大きい。また、季節性インフルエンザワクチンの接種との間隔は1週間以上あけること、などのガイドラインを守ると時間がかかり、医療機関窓口混雑が想定され、医療機関での感染確率も上がる)健常人がそこまでして接種する価値はあるのか。

朝日新聞の報道(821日朝刊)によると、米国、ドイツ、韓国の優先接種対象者案は次の通り。 http://www.asahi.com/special/09015/TKY200908200353.html

オーストラリアでは9月中にワクチン接種が開始されると発表があり、接種はまず400万人の感染ハイリスク者に接種する:妊婦、慢性疾患保有者、先住民族、障がい児童、保健医療担当者、肥満者他。

820日にasahi.comで報道された内容によると、「親子にワクチンが有効」という研究が発表されたとのこと。これは上記米国のワクチン接種ガイドラインに対して、学童とその両親を中心にワクチンを接種するのが、社会におけるインフルエンザ拡大を防止する最も効果的方法であるという研究報告。感染すると重症化する危険性のあるハイリスク者よりも、ウイルスを社会に拡大させる人々にワクチンを投与すべきであると主張している。「米国CDCの季節性及びH1N1インフルエンザに対するガイドラインでは、感染するともっとも重症化しやすい人々が接種優先度が高いとされている。しかしサウスカロライナのクレムソン大学のジャン・メドロックは、ワクチンは学校内での感染を防ぐために、学童達に接種し、そして学童達の両親に接種することがウイルス拡大にとって、一番抑止的効果があると、数理的解析からの研究報告をサイエンスに発表した。エール大学の共同研究者とメドロックは、5歳〜19歳までの年齢層と、子供達から最も感染を受けやすい30〜39歳の年齢層にワクチンを接種することが、最もウイルス拡大する効果的方法と結論している。」 

元小樽保健所長の外岡博士は次のように主張しています。「ワクチン接種の優先度は、ハイリスク者がトップであるのは言うまでも無いことだ。ハイリスク者とは先天性疾患保有小児、小児喘息、心・肺・腎の慢性疾患保有成人、妊婦、抗免疫抑制剤および抗ガン剤使用者等。ハイリスク者への接種は、個人的健康危機から守ることであるが、他に社会全体に流行するのを抑制するために、易感染層である20歳以下の若年層もワクチン接種の優先度が高い。」

日本では8月中旬から2回目の波が来た、というような報道がありますが、米国では5月になって流行期に入り、その後感染者数は減少しています。http://www.cdc.gov/h1n1flu/

Graph of U.S. patient visits reported for Influenza-like Illness (ILI) for week ending August 8, 2009.

日本での感染者数の遷移は米国や英国などより数週間遅れだとも言え、舛添厚生労働大臣が言うように、これから秋に向けて流行期、拡大期だ、というにはまだ科学的根拠が薄いのではないかと思います。だいたい、このようなコメントは米国ならCDCの医学博士である報道官が行うもの、日本では政治的意味も含めて、大臣や政治家がコメントしていることに疑問を感じます。

今後、流行カーブがどのような軌跡を描いてゆくか、日本ではどうか分かりませんが、「流行期に入りました、今後さらに拡大しますという言い方は科学的とは言えない」と外岡さんもコメントしています。日本国としての事情や特性を考慮に入れて、今回流行しているウイルスの性質を科学的に分析、公正な視点でオープンな議論をして決めていって欲しいと思います。
 

2009年8月2日 信念通りに生きる原丈人(ジョージ)

あるセミナーでデフタ・パートナーズグループ会長の原 丈人さんによる講演がありました。「株主至上主義であるアメリカ型資本主義の弊害を廃し、会社の事業を通じて公益に貢献する、こういう公益資本主義を提唱します」という内容、ちょっと感動的な講演でしたのでなんとか他の皆さんとも共有いたしたく、講演録とその解説、感想としてまとめてみました。原さんについては「新しい資本主義」の読後感でも紹介しているので、そこで紹介した話や略歴などは繰り返しません。講演を聞いて素晴らしいと感じたのは「自分の信念があり、その信念通りに仕事もしている」という点です。 

原さんは投資家であり、資本主義経済の家主ともいうべき資本家、サラリーマンではありません。上司もいなければ、アメリカには日本のように箸の上げ下ろしまで指導や監督する監督官庁もありませんので、私たちサラリーマンや日本の企業経営者とは立場が違います。だから思った通りのことがやりやすい、と言う面はあるでしょう。一方で、敵対しても無益なこと、例えばアメリカでの伝統的な価値観や従来型の仕事のやり方を変えられない政府や官僚、原さんとは意見が合わないのですが、なんとか味方につけよう、という努力もする、という大人の姿勢もあります。 

例えば国連とのつきあい方、国連からの特命大使であれば各国政府要人の協力が得やすいが、国連は大きな組織であり、方針を決めるのにも時間がかかる、だから国連の職員には手伝ってもらわず自分の組織を使ってやらせてもらっているというのです。また、アフリカや東南アジア諸国へ民間企業が人を派遣すると誘拐される危険性が高い、国連からの派遣であれば可能性が低くなるので国連を窓口としているとのこと、こういう話も実際に体験した上での話なのでしょう。政府を通してODA援助などを行うと、多くの発展途上国政府では組織が腐敗していることが多く、援助がほとんど末端までは届かないと言うことが起こります。そのため、肩書きは国連からもらって、WAFUNIFという組織を作り、日本政府と相手国政府を通さず、その組織を通して活動する。さらに一時的な「援助」ではなく長続きする「事業」とする。事業もできるだけ税金で持って行かれずに資金を再投資可能とするため、デフタパートナーズからは6割、BracのようなNPOから4割の出資をしてもらう形を考え、4割分の利益は無税扱いとする。事業展開する相手の国の政府担当責任者、大臣などには直接会って事業内容と主旨を理解してもらっているか確認する、という念の入れようです。また、日本からの特命大使は外務省から外部発表資料のチェックや事業内容に注文がつきすぎるのでEUの特命大使にしてもらったとのこと、各国政府の協力は得ながらも、より自由にやりたいという自分の意志は押し通したいのでしょう。 

「企業経営者の使命は株主価値の最大化であり、あげた利益の8割は株主に配当すべし」、と信じているアメリカ財界人に対して、「市場で競争をしながら社会への貢献をすることが企業存続の大きな目的である」と『公益資本主義』を主張すると、“Are you communist(あなたは共産主義者か)?”などと言われる。アメリカでビジネスをするに際して“Communist”と言われれば悪影響が大きいので、共和党のビジネス・アドバイザリーボード(BAB)の共同議長となった、BABのメンバーがCommunistなわけはない、というのがアメリカ人の常識なので、それ以降自由に発言できるようになった、という話も紹介。意図してそうしたのかどうかは分かりませんが、アメリカ社会でビジネスをする上での知恵であり、単なる思いつきではBABの議長にはなれないでしょうから、まあこれは自慢話なのかも知れません。アメリカでの金儲けの旗手、ゴールドマンサックス出身のポールソンが財務省長官になったときには辞めさせてもらった、ということなので、原さんの「強欲資本主義」嫌いは筋金入りのようです。 

講演で紹介された、バングラデシュに通信インフラを設置するBracNetやアフリカ諸国にタンパク質豊富な食料生産の技術提供をするスピルリナプロジェクトの話は既に多くの場所で紹介されているのでご参照ください。 

原さんの主張を「新しい資本主義」と講演からかいつまんでまとめてみます。

「アメリカン航空では経営が苦しくなり、企業生き残りのためには大幅な人件費カットが必要とされていた。340億円の人件費削減を断行した経営陣には200億円のボーナスが支払われた」、こんな話はいくらアメリカ人でもおかしいと思うでしょう。株主価値最大化というのは究極的にはこのように作用するという典型的事例だと思います。米国の製造業は自動車産業以外は廃れてしまっていて、残っているのは金融とITだけという状態、その自動車も風前の灯火です。金融というのはあらゆる産業を支援する仕組みであって、それ自身が産業の中心にはなり得ないもの、その金融業が主人公のような顔をして架空の土台の上に築かれたものが崩れた、これが今の金融ショックです。IRR(内部投資収益率)やROE(株主資本利益率)という指標は投資家にとっては重要な指標です。IRRは投資に対してどれだけのリターンがあるかを示すが、同じリターンを得られるなら10年より5年、さらに3年、1年という風になるべく短期の方が投資効率がいいとされています。一見もっともなようですが、研究開発に多額の投資が必要な長期的なリスクを持ったビジネスよりも短期で儲かる仕事をした方がいい、ということになります。ROEは株主の投資に対してどれだけのリターンがあったかを示しますが、経営者としては資産を圧縮して財務諸表を良く見せることで株価を上げて、短期で儲けてストックオプションの権利が行使できるように努力するようになります。アメリカ的成功の尺度はすべてお金であり、単純といえば単純ですが、賢い人は金融でもうけ、額に汗して働きたくはない、という風土を生み出してしまいます。アメリカはもうこういう風土になっています。

 アメリカのベンチャースピリットは今、地に落ちてしまっていると思います。短期的リターンだけを気にするファンドマネージャがほとんどであり、時価会計、減損会計が大手を振っているので新しい価値を創造しようとする開発者に不利益で、新技術が成長しにくくなっていると感じます。過去の成功が自縄自縛の原因となる企業は多いのですが、今のMicroSoft社やOracle社などはOSDBの更新でお金を儲けているだけ、こういう会社からは新しい技術など生まれないと考えます。基幹産業の端境期には過剰流動性が起こりやすいのですが、繊維、鉄鋼、自動車、ITと発展、移行してきた産業が今端境期にさしかかっているのではないでしょうか。金融派生商品を駆使するようなファンドは、1の実態しかないものを数十回も右から左に動かして差益と手数料までとるような強欲な存在、金融資本主義とIT産業の先にある新時代に向けての資本主義を見据える必要があると思います。

 内燃機関が機関車や自動車、船舶、飛行機などを生み出し、それらを使った輸送や物流などのサービス産業を生みました。このケースでは内燃機関がコア技術でした。IT産業ではTCP/IPというのが一つのコア技術だったと思っています。私の投資先の第一号はこのTCP/IP関連商品を作っていた“WOOLLONGONG”という会社です。その後、世界で最初のISP企業UUNETPCUNIXを動かしたSCO90年代には第3位のソフトウェア企業になったBorlandなどに投資してきました。その後テレビ会議のPictureTelPolycomDVDチップを開発したZORANなどに投資しましたが、こうしたIT産業はもうほとんどアメリカに先を越されていて、日本で今からこの分野で新産業を起こそうというのは筋が悪いと思います。Web2.0というのもコア技術ではなく、技術の使い方の一つであって、日本の経済拡大に寄与できるようなジャンルではないと思っています。

 日本人によるおもしろくて、採算も取れる活動は、最新テクノロジーを活用して「貧困」国を助けること。同じ資本や技術を投入するなら経済効率ではなく、世界の人たちが日本の技術と支援を期待する、必要とされる国になることを考えることが重要です。教育、医療サービスにXVDのようなデータ圧縮技術や大量データ電送技術を組み合わせて提供する、こうしたことは日本でしかできない貢献。こうした活動をNGOや国連組織を通じて行う、国連旗の下での民間による支援が日本という国ができることだと思います。

 市場万能・株主至上というアメリカ型資本主義の弊害を廃し、会社の事業を通じて公益に貢献する、こういう公益資本主義を提唱します。世の中への貢献こそが企業活動の価値だと思います。市場万能主義は正しくない、自由でありさえすればいいということはなく、法律、規制、伝統習慣、倫理観などこうした制限や価値観を持った上での自由のはずです。また、エネルギーと食料は市場万能主義に任せてはいけないジャンルであり、クリーンエネルギーの利用拡大や飢餓の撲滅など、政治や企業の意志を働かせていかなければならないと考えます。CO2排出権取引市場は株式、エネルギー資源という市場で大もうけしたハゲタカが狙っています、注意が必要です。

 原さんの主張のポイントだけをまとめてみました。また、以前メッセージでも紹介した神谷(みたに)さんの主張「強欲資本主義ウォール街の自爆」とも共通する部分が多いと思います。セミナーでは、鉄道模型コレクターの世界では超有名人で本も出している父、原信太郎さんについての質問もでました、「お父さんから受けた影響は?」原さんのこたえは「相手が誰であろうと、信じたことを主張し実行することの大切さです」コクヨの専務を勤められた父親にはやはり相当影響を受けたようです。公益資本主義については、研究も進めている、ということなので関心がある方はご参照ください。講演のすばらしさはこのような文章では伝わりませんね、機会があったら原さんのお話聞いてください。また、「新しい資本主義」一読をお勧めします。

2009年7月25日 未亡人の涙は「ネット廃人」に届くのか

携帯電話が気になって仕方がない、という人が増えていることご承知の通りです。小中学校では携帯禁止、という方向性を出している自治体もあり、事態は少し進歩していると感じますが、それでも高校生になったら携帯電話を買い与える、という方が多いかも知れません。出会い系サイトで被害に遭うのは99%が携帯電話経由、被害者の93%が女性、85%が18歳未満、18歳未満に限ると99.6%女子生徒です。警察庁ではこうした犯罪(サイバー犯罪)を防止するため情報提供をしていますが、平成20年には出会い系犯罪の検挙者数が激増しています。もう一つがゲーム端末としての携帯、子供が小中高生の方は特に、携帯電話は「電話」だと思っていたら大間違い、ネット接続機器であり、「誘惑装置」だと思った方が良いと思います。Googleで「ネット 出会い」「ゲーム 携帯」など検索してみてください、検索結果と件数、さらにスポンサー広告を見て「これは問題」とウンザリした気持ちになります。そして、さらに深刻なのが「ネ(ッ)トゲ(ーム)廃人」です。 

<メール>電車に乗ってお向かいに座った若者が地下鉄駅に着くたびに携帯電話を開いている、何をしているのかと思ったら、メールチェック、気になって仕方がないようです。携帯とPCで世代間ギャップがある、という話を以前紹介しましたが、携帯のBB(広帯域)化と大画面化、PCの小型モバイル化、でPCとの融合化も見られていますが、次のような違いがあるようです。(「大人が知らない携帯サイトの世界」より)

PC世代の携帯の使い方:ブログ更新、Mixi更新、路線検索/終電チェック、ゲーム

携帯世代:プロフ/ブログ更新と検索、SNS、無料コンテンツ/ゲーム、メーリス(ML)

何が違うのか、というとPCと携帯両用か、携帯ですべてが完結しているか、やはりギャップはあるようです。SNSに切り替えてメールチェックが以前ほど気にならなくなった、という携帯ユーザもいますが、相手が多くなれば同じ症状であり、立派な中毒症状です。5分以内で返すのがマナー、などということはない、ということを大人は子供に教える必要があります。

 <出会い系サイト>危険な入り口は携帯だけではなくて、ニンテンドーDSやソニーPS等を含んだインターネット接続機器とPCです。出会いサイト、などと表示していなくても犯罪者はこっそりとしかし突然現れます。モバゲータウンの同好者サイトのSNS書き込みが学校裏サイトに使われたり、プロフを出会いサイト代わりに使われたり、ゲーム利用者SNSも同様に無知な利用者をターゲットに       犯罪者は狙っています。(楽天が運営する「前略プロフィール」はフリーアクセス、子供達が晒されている危険度合いが実感できます)ゲームサービスや通信サービス提供各社はフィルタリングサービスも提供していますが、ホワイトリスト方式で徹底的に排除しなければかいくぐる方法はいくらでもあります。また、モバゲータウンの運営者であるDeNAのように24時間365日サイトの巡回を専任者を多数おいて実施、不適切な書き込みや通信が行われていないかを徹底的にチェックする、などというサービス提供側の努力が重要であり、これは企業の品格の問題です。しかし、最重要なのは大人が子供にゲームや携帯を与えるときにマナーを教え注意事項を徹底すること、かわいいデコメが来ても名前や住所を教えてはいけないこと、アクセスしてはいけないサイト、守るべきマナー、依存症があることなどを教えることです。そのためにはこういうことを大人が知らなければなりません、親が知らないということはこの場合重い罪です。

 <株取引>これは大人の話です。会社で一日に何度もトイレに行く方、個室で携帯デイトレードしていませんか。サラリーマンで株をやって「儲けた」という話も時々は聞きますが、多くの場合には何年かに一度痛い目にあって、パートナーにさんざん文句を言われ、今では細々とやっています、という程度だと思います。しかし、これもハマれば日中も気になって仕方がない、Webでニュースを見てはトイレに駆け込む、ということになります、こうなればタバコなどと同様立派な中毒です。休日や業後株取引に励むのはもちろん自由ですが、頻繁な売り買いには限界があります。中長期保有に徹するか、それ以上に株取引にのめり込みたい方は、退職後、悠々自適になり余裕資金でやればいいと思います。

 <ゲーム>廃人といえば昔は戦争でけがをしたり、薬物乱用で日常生活に支障を来す状態になった方を指す言葉だったと思いますが、最近ではオンラインゲーム依存症を自嘲も含めこう呼ぶようです。あまりに被害が深刻なので「ネトゲ廃人」という本まで出版され警鐘を鳴らしていますhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090430/193491/ 

http://haijinrui.info/txt/haijin_txt.htm 

韓国、ロシア、中国でも長時間プレーで死んだ人もいるようで特にMMO(Massive Multi-player Online)ゲームは社会問題になっています。例えば「ファイナルファンタジーXI」は6人でゲームをすることがあるのですが、米国人の場合は一人ひとりに自律性があって、眠くなったりすると途中で「じゃあ、自分は抜けるよ」と言ってゲームをやめます。しかし、日本人にはこれができない、組織や集団のしがらみの中から抜けられない傾向があります。「私が眠るとみんなが死んじゃう」という名セリフがあるという世界です。日本人の国民性から特にMMOゲームにはまってしまう人が増えているのではないかと分析されています。配偶者やパートナーが依存症になり、現実社会に取り戻したいと思うまでになるゲームの代表格が『エバークエスト』、S社が運営していて月額定額料金で利用できるためできるだけ多くの時間使おうというインセンティブが働くといいます。Yahooではこのゲーム専用にエバークエスト未亡人の会(英語版)』を運営しています。『未亡人の会』は、エバークエストのせいで被った被害について愚痴をこぼし合い、励まし合ったり、仲間を作ったりする場となっているそうです。深刻な問題ですが、対象者が大人なのでうまい解決方法はありません。ゲームによっては既に工夫されているケースもありますが、サービス提供者は、一日接続時間制限や連続時間アラート、定額料金制から時間課金制へなどの依存症防止策を講じて欲しいと思います。やったことがない方は近づかないこと、はまりかかっている人は、一日X時間という制約を設けること、中毒の人にはつける薬はありませんので、脱出成功事例や「未亡人」の手記など読んでみてくださ い。 http://wiredvision.jp/archives/200112/2001120702.html 

 携帯とインターネットについての解決策は、長期的な対応しかないと思います。今の状態は、免許なしで車を与えるようなもの、子供たちが携帯を利用することが増えてきているので、利用を始める段階でインターネットと携帯コミュニケーションに関する教育を行うことが必要です。しかし、教師や保護者など「教育する側のネットリテラシー」が高くないことから、「教えたくても教えられない」ギャップがあります。

 子供が高校生、大学生の方、学校から一目さんで帰ってきて、食事時にも「今忙しい」などと最近部屋にこもりっきりで出てこない、どうも最近寝不足だ、携帯電話の使用料が急に上がった、などという場合、気になります、声をかけてあげてください。パートナーがこうした依存症の場合、当人は正常であると考えている場合が多いため、強く非難すると「逆ギレ」するなど対応が難しいといいます、根気強く話し合いの機会をもうけるようしてください。これらは遠い世界の物語ではないのです。

2009年7月10日 「100年に一度」というまやかし

「強欲」がある限りバブルは形成され、バブルはいつかは破裂する、これを何度も繰り返しているのが資本主義、と主張するのが米国で投資銀行「ロバーツ・ミタニLLC」を経営する神谷(みたに)さんです。(「 強欲資本主義ウォール街の自爆 」)100年に一度と最初に表現したのはグリーンスパン元FRB議長ですが、神谷さんによれば「自分の失政を見えにくくするレトリック」、今の危機はクリントン政権時代の金融自由化とアメリカ企業の短期利益志向が産んだ80年前(1929年大恐慌)の亡霊だとのこと。米国発の経済危機だと多寡をくくっていたら、アメリカ経済頼みで脆弱だった日本経済が世界で一番の経済危機を迎えているというのが現状です。

こうしたアメリカの病理を1987年時点で指摘していた日本人が下村博士、池田内閣時代に「所得倍増論」を構想した経済学者で指摘事項は次の通り。
@消費好きのアメリカ人を作り出すレーガン減税は虚構の経済政策。
A日本商品はアメリカの異常膨張に吸い込まれ繁栄しているかのように見えるが、異常膨張に合わせて設備投資すると過剰投資となる。
B財政赤字を減らすには大幅な歳出削減と増税以外に道はない。
Cアメリカの要求に合わせた日本の内需拡大論は日本経済を破滅させる。
Dドル崩壊の危険性は常にあり、日本はすでに何兆円も損をしている。
E日米は縮小均衡から再出発するべきである。世界同時不況を覚悟するしか解決の道はない。
1987年当時、この下村博士の主張に耳を貸す人はおらず、内需拡大路線を唱えた前川レポートにつながり日本バブルは90年代初めに崩壊、「小泉・竹中時代」にはさらなる強欲資本主義が日本を席巻、ホリエモン事件や村上ファンド問題に繋がり、そして今アメリカ金融経済は崩壊、日本も大きな影響を受ける結果となっている、と神谷さんは解説しています。これからは内需振興や輸出振興、特にアメリカの浪費を前提とした輸出は多くを望めず、資源価格は上昇傾向、地球温暖化問題もある。大きな赤字を抱える日本としてはこれ以上の財政出動にも限界があり、下村博士指摘の通り、ゼロ成長を現実のものとして受け止める必要がある、という主張です。企業としての戦略策定にも大いに影響のある話であり、企業の果たすべき責任も変わろうとしているのです。

日本は国の将来、どのような国になりたいのか、今一度考えるときが来ていると感じます。今年は開国150周年の年とされていますが、1853年ペリー来航で開国→1900年前後の日清日露戦争→1945年太平洋戦争→現在という50年に一度の節目にあるようにも思えます。ペリー来航による開国と攘夷に明け暮れる当時の日本を明治維新に導いたのは、下級武士階級の若者達でした。幕末の頃、薩摩と長州はながく敵対していましたが、これでは外国にやられてしまうばかりと危機感を募らせた中岡慎太郎、坂本龍馬、小松帯刀、桂小五郎、西郷隆盛などの働きで薩摩名義による武器輸入を実現させ、薩長同盟の基礎を築くことで倒幕への道筋をつけます。この時立ち合った西郷38歳、小松31歳、桂33歳、坂本30歳、中岡29歳にすぎない若者だったのです。明治政府が樹立された後、西南戦争で西郷隆盛(享年51歳)も木戸孝允(桂小五郎:享年45歳)も死にます。西南戦争の翌年、大久保利通(享年49歳)は暗殺され、残ったのは大物は伊藤博文と山県有朋です、明治元年の時には伊藤28歳、山県31歳、10年たって伊藤38歳、山県41歳、若い彼らが明治政府を背負って立ったのです。(「幕末史」半藤一利)

考えてみると明治維新というのは若手の武士達が攘夷、開国の狭間にあって、国家大変革が必至との認識を持って行動した、その結果、武士という特権階級はなくなり、国民という概念を持つ一つの国として生まれ変わったのです。藩の利益、自分の階級や立場の維持などに拘泥しない若者達だからなしえたこととも思えます。幕末の日本人平均寿命は40歳弱だったらしいので、今の半分、今の40歳代が当時の20歳後半から30歳代だと考えても良いかもしれません。それにしても日本の今のリーダー達の多くが60歳代であること考えれば、国が変わるときには若い力が重要になるわけです。

ペリーによる開国交渉の一報から始まる物語「夜明け前」、主人公で中仙道馬籠の庄屋の息子である青山半蔵は著者の島崎藤村の実父をモデルに描かれています。日本は近代化を急ぐなかで、半蔵の故郷をはじめ各地で一揆が続発、都会では西洋の猿真似をする人々が増えていきます。「このままでは、日本人の歴史と魂は西洋に飲み込まれていってしまう」と危機感を持つ半蔵は明治天皇への直訴を試み捕縛、幽閉され、死に到るという結末です。1929年というアメリカ大恐慌の年であり、日本が太平洋戦争に向かう不安な年に書かれた「夜明け前」、日本という国が今向かっている方向は間違っているのではないか、という危機意識が藤村にもあったのだと思います。

無理矢理開国をさせられた「ペリー来航」、資源を求めて外に向かい袋だたきにあった太平洋戦争、そしてこの60年以上、国、企業、個人すべての価値観をアメリカをお手本としてずっと真似してきた日本が、目指すべき国の形と個人の幸せモデルを、自分自身の頭で考え、自分で創り出さなくてはいけないときが来たのだと思います。こうして歴史を振り返ってみると、開国から明治維新、太平洋戦争から戦後にあったような大変革、これらは「100年に一度の」と形容されてもおかしくない国を挙げての大変化だったと思いますが、今の経済危機はそのような大変化なのでしょうか。

冒頭紹介したように、一部の経営者達が自らの強欲を満たすために仕掛けた仕組みが、バブルを繰り返すたびに大がかりになってきて、今は世界経済を巻き込むスケールになってきているだけ、と分析するのは、楽天証券経済研究所の山崎元さん。バブル進行のパターンを次の7つの段階に分類します。(経済危機「100年に一度」の大嘘)
1. 新しい金融技術/規制緩和 → 2. 商機の発生/拡大 → 3. リスクテイク姿勢の前傾化 → 4. 維持できない資産価格高騰 → 5. 資産価格下落の小さな契機 →
 6. 流動性の枯渇と信用収縮 → 7. 金融緩和による資産価格回復

1987年のブラックマンデーはポートフォリオ・インシュランスのプログラム売りが連続的に発動され株が下げ止まらなくなりました。1980年代の日本の不動産バブルは特定金銭信託とファンドトラストという仕組みが金融技術として登場したことがきっかけでした。今回の引き金は1995年のグラス・スティーガル法の形骸化を背景に、サブプライムローンの証券化がきっかけとなりましたが、いずれも強欲な人たちが「うまく1年稼げば自分は逃げ切れる」という姿勢で限られた信用枠を如何に広げるか、そして自分はババを引かないようにする行動の連鎖でおきたこととしています。100年に一度どころかブラックマンデー以降でさえ日本のバブル、LTCMショック、アメリカネット株バブル、日本のREITバブルなど何度もおきていて、今回のバブルの証券化は巧みだったために世界を巻き込んでいる、という解説です。さらに強欲資本主義は年収300万未満という非正社員階級と年収1億円を超える株式階級を中産階級の上下に作り出してしまったと指摘、従来の中産階級である年収300万―1500万円程度の給料階級と1500万―1億円程度の経営者、弁護士、医者などの特殊技能者によるボーナス階級と合計4つの年収階級を形成してしまったと解説しています。(経済危機「100年に一度」の大嘘より)

4つの階級 年収 職業
株式階級 1億円以上  株式公開・値上がりなどが収入源。投資家、創業者など
ボーナス階級 1500万−1億円 余人を持って代え難いポジションやスキルを持つ。医者、弁護士、経営者など
給料階級 300万−1500万円 3雇用が安定しているサラリーマンなど
非正社員階級 300万円未満 雇用自体が不安定で取り替え可能の労働力

 アメリカのようなこうした格差の大きい階級社会は幸せな社会なのでしょうか。

明治維新のきっかけを作り、保守的な藩主達や幕府、朝廷の公家達を引っ張り新しい日本にしたのは当時の30歳前後の若者でした。「夜明け前」の青山半蔵は古(いにしえ)の古き良き日本の良さを取り戻すべきと信じて命がけで明治天皇に直訴しました。今の日本を変えられるのは一体誰でしょう。日本が抱える現状の課題を整理すると次の通り。
1. 少子化による経済縮小
2. 高齢化による福祉コスト増大
3. 財政赤字
4. 東アジア地域の防衛リスク増大
5. 地球環境・資源エネルギー問題への対応
現状認識で重要なのは下村博士や神谷さん、原丈人さんなど多くの経済人、企業人が指摘するアメリカ経済の限界とゼロ成長の覚悟だと思います。政治家も企業経営者も「米国発の100年に一度の経済危機」という無責任な視点ではなく、これからの日本としての国、企業活動、個人価値観のモデルをどうするか、おきてしまった経済危機が100年に一度だったのではなく、これから起こさなくてはいけない大変革にこそ100年に一度の覚悟で臨む必要があると思います。また、三浦さんが指摘するように、日本人の幸せはアメリカ人の中流家庭のように郊外に一軒家を構えて車や電化製品などの私有財産を持ち、都会の企業に通勤することなのでしょうか。どうなれば自分は幸せと感じられるのかという自問が必要だと思います。私たちは、これからの日本や世界の大変革をになう世代として、そして次の世代に伝える世代として、社会を変えることの必要性と責任、そして目指すべき国家像や個人の幸福モデルを考え、伝えることができるでしょうか。

2009年7月1日 『進化論』で生き残る

進化論を唱えたダーウィンは、「この世に生き残る生物は、最も力の強いものや、最も頭の良いものではなく、変化に対応できる生き物だ」という考えを示したと言われています。政治家や経営者が好んで引用する考え方です。変化には温暖化などの100年単位のものもあれば、隕石落下や火山爆発のような突然の変化もあるので、長期の市場変化や突然の環境変化にも耐え抜く一瞬の強さも企業の生き残りには重要な要素でしょう。変化対応力を「社会性」で実現したのが昆虫です。昆虫の中には、蟻や蜂など社会性を持った数千の種があって、昆虫全体の生物量の半数を社会的昆虫が占めているそうです。デイヴィド・ウイルソンの「みんなの進化論」によると、これは、社会性という強みを、種の増大という戦略で勝利してきた遺伝子の成果だというのです。一見利他的な行為も遺伝子からみた子孫繁栄戦略であり、社会性を持つ種の方が、個体で生きる種よりも自然界では有利、だから個体としては働き蜂は損している気もしますが、コロニーもしくは密蜂という種としては強いのです。

種としての形質遺伝ではなく親子間やコミュニティでの文化伝承という「ミーム」の概念を考えたのは、「利己的遺伝子」で有名なリチャード・ドーキンス。竹内久美子さんはその著書「そんなバカな!」で、ニホンザルのイモ洗いをミームの事例としました。海岸に群れをなすニホンザルの子供達が親から与えられたイモを塩水で洗ってから食べることを覚え、塩味がついてきれいになることが群れ全体に広がった。その知恵はその後も生活の知恵として群れに引き継がれました。ミームによって説明できるのは霊長類の優位性。「ニホンザル」や「ヒト」という単一の種が社会性を持つだけでなく文化伝承を繰り返すことにより地球上での種としてのの優位性を、遺伝子による競争力強化よりもずっと早いサイクルで実現している、と説明できます。社会性を生み出したのは遺伝子とミームであり、その社会性と文化伝承が人類の強みだというのです。「みんなの進化論」は森羅万象、生き物が関わっている現象は進化論的に説明できる、という仮説を全36章を使って検証しています。

<よく卵を産むニワトリ>
良く卵を産むニワトリとそうでないニワトリがいるそうです。例えばいくつかあるニワトリ小屋にそれぞれ10羽いて、最も良く卵を産むニワトリの子供のみを選択的に残していくやり方と、最も良く卵を産むニワトリ小屋の10羽全部の子供を残していくやり方では、後者の方がトータルでみた卵の産出量は圧倒的に多くなるという実験があるそうです。最も良く卵を産むニワトリばかりを一つのニワトリ小屋に集めると、10羽のうち半数以上が産む卵を減らすか、病気になってしまったとか。会社でも2:6:2の法則があり、どのように超精鋭社員からなる部署を作っても2:6:2の法則は生きているということ、社会というものの難しさを示しています。会社全体最適のためには精鋭部隊を作るより、生産性が高い部署の特徴を解明し、その特徴の全社化と文化継承を図ることが有効なのでしょう。

<幽霊とのダンス>
ヒトが脂肪、糖分、塩分を好んで摂る理由は、数百万年の人類史上、そうした成分が常に不足状態にあったことを示す証拠だそうです。現代の先進国ではそれらの不足はありませんがそれは最近の100年程度のことであり、遺伝子の幽霊はそうしたダンス(行動)に人類をかりたてているとのこと。肥満、糖尿、高血圧などが現代病と言われる所以です。少ない体重で生まれてきた子供は、少ない体重をなんとかして取り戻そうとする遺伝子の働きで肥満になりやすい、というのもそうした幽霊とのダンスだそうです。「それで分かった、メタボの原因はこの幽霊だ」という方、進化論はダイエットの面倒までは見てくれません。変化対応力という面で見るとマイナスとなる幽霊とのダンス、ミームの出番だと思います。

<生きる力が強い社会的昆虫>
蜂は甘い水のありかをダンスで仲間に知らせます。その際、同じ距離に甘い水ともっと甘い水を置いて実験した場合、蜂たちはもっと甘い水により多くたどり着ける、その理由は、ダンスの時間の長さで甘さを示すからだという。他の個体に、より良い獲物のありかを教えることはその個体のためにはなりませんが、こうした集団としての知恵はどのようにして生まれたのでしょうか。利己的であると言われる遺伝子が、生物個体レベルでは利他的行動をとり、集団として繁栄するという成功事例です。企業で考えるとこれは社会に役立つ仕事をすることや後輩にノウハウを伝授すること。これを「社会性の分水嶺を超える」と「みんなの進化論」では表現しています。ヒトは「言語」によりダンスをしなくても情報伝達ができるのでさらに効率的です。民間会社は経済的存在ですから、社会のために働く社員ばかりになっては倒産してしまいますが、社会の視点も必要だという意味。進化論的に言うと、こうした社会性とノウハウ伝承の視点をもつ社員が多くいる企業が社会性の分水嶺を超えられる企業であり、変化する社会では生き残れるのではないでしょうか。

<進化論からみた存在理由>
進化論から見ると一見不要であり、説明が難しく人類だけが持つ特性として、自殺、同性愛、養子縁組、アレルギー、宗教、芸術、笑いなどがあるといいます。笑いは人類に近い霊長類ボノボなどでは確認されており、仲間であることを確認する笑いがあると言いますが、相手を笑わせる、と言う行為は生物の中では人類だけが獲得している形質だそうです。集団を形成することは進化論的に優位であることから、笑いにより集団の一員としての確認をする意味、つまり集団結束強化の意義があるとのこと。話をしたあと必ずニコリと笑う人いますね。また、会社で開催されるセミナーで、講師がジョークを言ったとき、自分の上司、役員が笑っているかどうかが気になる方もいると思います。いずれも、集団結束強化の遺伝子に操作されていると考えられます。

進化論からみて芸術はなぜ必要かという説明。軍隊で行進する、そうすると自分が大きな集団の一員となったことが感じられ、戦士としての価値が高まる、これが軍隊でやたらに行進訓練をする理由。そして、舞踏や音楽は行進と同様、戦いに向けた戦意発揚と集団としての結束確認の意義が大きいとのこと。人類発祥の歴史を学ぶと、そこには呪術的な宗教とともに必ず音楽と舞踏があります。音楽で踊る盆踊りやディスコ、クラブなど必ず大勢で踊ります、一人二人では楽しくないですからね、これは進化論的にも直感的にも頷けます。会社で行う部旅行、スポーツ大会、朝礼や社歌斉唱などはこうした舞踏や音楽同様の進化論における芸術の位置づけだとも言えます。

<アレルギーがあるわけ>
アレルギーがなぜ存在するのかという疑問にも、進化論的に説明しています。現代社会では昔に比べて滅菌状態が進んでいますが、それと反比例するように自然社会には存在しなかった化学物質も増えています。免疫機構は外部からの毒物を攻撃するのが使命ですが、攻撃対象物が滅菌で減少、同時に今まで自然界にはない物質を体が取り込む、そのため自らの器官を誤って攻撃してしまう、これがアレルギーだそうです。人類は地球にとっての「異物」を大量に作り出してしまったために、地球規模でアレルギーが起きているとも考えられるのが環境問題。今まで文明の進歩と考えられていたことや利便性の向上なども含めて、地球環境への負荷をこれ以上増やさない、できれば減らす、という視点が必要であり、人口を増やさないで利便性も悪くなることを我慢することが求められます。先進国は既に享受している利便性を犠牲にして地球環境のために我慢ができるのか、利他的対応の典型事例です。先進国から発展途上国まで、モノの豊かさを求める価値観を変えることができるのか、以前ご紹介した『パパラギ』のツイアビ酋長の思いは現代人にも伝わるか、人類生き残りをかけた変化対応だと考えます。

<宗教が持つ意味>
そして最後に宗教。それは集団で成し遂げられることの方が個人でよりも大きいことから、集団形成の手段として宗教はあり、細胞が集まって体をつくり、蜂が集まってコロニーを形成するようなものである、と説明しています。宗教に芸術的要素が多いのは、芸術と宗教は進化論的に共通目的をもつからとも解説しています。日常生活における自己愛や欲を牽制する宗教の教え、集団の結束を訴えながら、行き過ぎた現実社会での欲望を精神的な宗教の教えによってバランスを取っているとも考えられます。いずれにしても、人の心の中はそんなに単純ではなく、お金のためだけに働いているわけでもないし、幸福感さえあれば満足するわけでもありません。

このように進化論は「社会性」と「利他性」、「変化対応力」というキーワードを与えてくれ、生き残る力をどのようにして発揮するかのヒントを沢山示してくれているようです。 「世の中の役に立つ」「社会貢献」「正しいと信じることを実行する」などなど、われわれのの子孫(子供)ともコミュニケーションを進めたくなります、皆さんも生き残る方法について考えてみてください 。

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