世の中のことを考える

2009年6月28日 もう見習う必要はない「アメリカの病理」

米クライスラーに続き、GM(米ゼネラル・モーターズ)が米連邦破産法11条(チャプター11、日本の民事再生法に相当)の適用を申請しました。これからGMは生き残るGMと清算処理に入る旧GMに分離され、生き残るGMの株式の60%は米政府が、12%はカナダ政府などが所有する“国営会社”になります。米国で投資銀行「ロバーツ・ミタニLLC」を経営する神谷(みたに)さんは、日経ビジネスオンライン6月10日号で次のように言っています。「アメリカは、今年3兆8000億ドルの予算を組んで、そのうち半分の1兆8000億ドルが借金です。来年、再来年と、さらに1兆ドルずつぐらい必要になるとすると、この4年間で少なくとも4.8兆ドル。そのお金を彼らは借りられるという前提で言っていますが、そんなお金は借りられません。全部、中央銀行が刷るしかないんです。」必要な借金のすべてを国債ではまかなえない、という見方でありドル安への懸念です。実際にどうなるのかは先の話なので分かりませんが、アメリカドルが弱くなるという見通しは、日高義樹さんも指摘していました。

さらに、神谷さんは10年前の日本の金融危機との違いについて、「深刻なのは、1990年代の日本の金融危機と今回の危機の違いです。日本のバブルの場合は不良資産は全部日本にありました。債権者も全国銀行、地方銀行、住専を含めて全部日本国内の金融機関でしたから、国内で収束しました。ところが、今回の場合、担保である住宅はアメリカにありますが、債権は証券化されて世界中にばらまかれた。債権者がどこにいるか分からないのです。」リスクが世界中に分散されたということであり、アメリカの金融危機がドル安ということにとどまらないだろうという指摘です。20世紀の成功を誇った米国の経済は、エンロン、ワールドコムという経営者倫理の問題から、リーマンブラザーズにはじまる金融危機、そしてクライスラー、GMというアメリカを100年牽引してきた製造業にまでおよび、アメリカの経済成功モデルは行き詰まったことがはっきりしました。

GMに限らずアメリカ政府はファニーメイ(米連邦住宅抵当公社)、フレディマック(米連邦住宅貸付抵当公社)、AIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)と、一連の処理の中でどれも「大きすぎて潰せない」会社を国有化してきました。自動車産業だけでも1000億ドルは下らないと予想される巨額の財政出動を強いられた米国政府そのものが危機的状況であるとも考えられます。3月の日経ビジネスで東京大学の岩井克人教授は「「米国実体経済の悪化により二番底をむかえればドル崩落の可能性もある」と述べ、円高のさらなる進行も示唆していましたが、日高さん、神谷さん、そして岩井さんと多くの方が指摘するのがアメリカドルの弱体化、アメリカ中心だった資本主義の枠組みが大きく変化する前兆と捉える必要があると考えます。この数年、米国の長期債金利は上昇し、ドルは下落、格付け機関の中にはアメリカ国債の格付けをトリプルAから降格することも検討しているとのこと、米国債がトリプルAを失うことのインパクトはどれほどものでしょうか。

アメリカの古き良き価値観は1950年代になくなってしまった、と指摘するのが「下流社会」で有名になった三浦展さん。三浦さんはその著書「家族と幸福の戦後史」で、次のように言っています。「アメリカは1950-60年代、消費文明の頂点に立っていた。男性にとっては家庭と持ち家は成功の証であり、成功を車や電化製品など消費財の蓄積によって示した。このころはアメリカでも専業主婦が多く、女性にとっては家事労働を電化製品が軽減し、持ち家を得ることは主婦としての満足に繋がった。第二次世界大戦前まではアメリカでも実用性を重んじること、禁欲の美徳が唱えられていて、こうした消費生活には良心の呵責を感じていたアメリカ人も多かった。しかし『消費は家族の幸福ため』という考え方に古き良きアメリカ人の気まずさも埋もれてしまった」つまり、アメリカも20世紀初めには実用と節約の心と伝統があったのに、第二次世界大戦後の経済繁栄で、お金を沢山儲けて郊外の大きな家に住むことが幸福だという価値観に変わってきていて、それが今の強欲主義(Greedy Economy)に繋がっているという指摘です。

ウォールストリート・ジャーナルによると、2007年はアメリカ企業の最高経営責任者(CEO)の平均報酬が従業員の平均報酬の180倍以上で、1994年の90倍から格差が大幅に拡大した、と報道されています。一般的に日本の企業経営者の報酬はアメリカに比べると少なくて、一部上場クラス企業でもトップの平均年収は3千万から多くて1億円、上場企業社員の平均年収は6〜800万円ですから、社員の平均収入の僅か4-12倍ということになります。さらにアメリカの経営者は巨額のストックオプションがありますので、短期で大きな利益を出してさっさと退職金をもらって悠々自適、ということを夢見る経営者も多いと思います。ここにアメリカ企業の脆弱性があると指摘したのが原丈人さんですが、エンロン、ワールドコムで露呈した経営者倫理問題の根もここにあると思えます。少しくらいズルをしてでもできるだけ多くの報酬を得て早く退職したい、という経営者が出てきてもおかしくない報酬額だと感じます。アメリカではこういう経営者倫理を法令と会社の仕組みで牽制しようとSOX(サーベンス・オクスレー法)を導入したのですが、短期利益志向と巨額の経営者報酬を改めない限りはアメリカの病理は良くならないと思います。逆に言うと、こうしたアメリカ企業のまねをしてストックオプションや高額な経営者報酬などを日本企業が導入するとアメリカの病理を背負い込むことになる、という警鐘だとも取れます。

アメリカの病理は極まっている、と感じたニュースを二つ。一つは破綻直前のGM副社長など6人の経営幹部が、保有していたGM株を安値寸前で売り抜けていた報道。もう一つは、GM倒産をも儲けるネタにしたアメリカの投資家達、GMの無担保債を保有し、CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)を購入して倒産リスクをヘッジした “債権者”がいるとの報道解説。一つめは経営者の品格の問題、二つめは国民の税金を使っての民間企業支援の上前をはねようという投資家の存在がある、というアメリカ人の“Greed”(強欲)も極まれり、という典型例だと思います。

アメリカの50―60年代の中流生活を日本人は「パパは何でも知っている」や「かわいい魔女ジニー」などのテレビドラマで知り、自分もいつかはこういう生活がしたいと夢見ました。その結果、日本人は幸福になったでしょうか。三浦さんは著書「家族と幸福の戦後史」で、アメリカの行き詰まりは20年以上前に個人の価値観行き詰まりで始まっていたと解説しています。「1973年の三菱地所のCM、『3Cのある3LDK』。今の人はご存じないかも知れないが、3Cとはカラーテレビ、車、クーラーであり、アメリカでの『消費は美徳で郊外に持ち家』、という延長線上にある幸福観である」。60年代に始まったベトナム戦争とその反動はアメリカでの価値観崩壊につながったといわれています。今でも必ず大統領や政治家に問われる価値観に関する質問、『宗教観、家族愛、同性愛、人工中絶』など古き良きアメリカにあったものでこの時期に失われたと思われるものばかりです。さらに三浦さんは解説します。「アメリカで60―70年代に起こった価値観の変化からくる社会の歪みは、日本ではバブル崩壊後の90年代におきていると見ている。それは95年のオウム事件であり、97年の小学生惨殺事件が象徴する90年代におきた一連の中高生による事件群であり、それらの多くは郊外型の住宅地でおきている。こうした郊外型事件の共通点を著者は次のようにまとめている。
@共同性の欠如:地域の結束力が希薄。
A働く姿が見えない:地元で働く人たちがおらず、住宅地は寝る場所。
B世間がない:親戚や近所という子供達にとっての「世間」がない。
C均質性:誰もが同じような生活をする中で、人との違いを目立たせない子供が増加。
D生活空間が合理的すぎる:子供達は部屋にこもる、息苦しい私有空間。
これらの問題はアメリカでの理想的な生活と価値観、私有財産を殖やすことが幸せ、という価値観がそもそもの病原ではないか」というのが三浦さんの主張です。

個人も企業もアメリカ型経済と生活を成功モデルとして追いかけてきたのが日本の戦後50年。企業にとっては、「良い企業」モデル、個人にとっては「幸せな生活」モデル、いずれもアメリカ型の価値観は行き詰まったのです。日本の企業や個人が考えるべき理想はどこにあるのでしょうか。アメリカのすべてを否定する必要はないと思いますが、それでは古き良き日本とアメリカ、良い部分はどこにあったのでしょうか。一つの考え方として、原丈人さんは企業の成功モデル「公益資本主義」を提唱していますが、個人の価値観ではどうでしょうか。

ここで紹介したいのは「幸福度指数」(GNH)という考え方。米国は世界で10位、日本は25位と、一人当たりGDPに比例はしないものの、人間開発指数(HDI)は、「1人当たりのGDP」と「平均寿命」と「教育」という3つの指標の合成指数だそうなので、先日のメッセージで紹介したように、格差が大きい社会は幸福度は低くなる傾向にあると考えられます。究極的には、「幸せだ」と感じる人が多い国が幸せな国だと思います。この比較表には掲載されていませんが、ブータンでは、政府の05年の調査では97%の人が「とても幸せ」「幸せ」と答えたといいますから、1位はブータンとなります。

ブータンという国、どうなっているのでしょうか。既に調査した方が沢山いるようです。京都大学の吉川さんはその調査報告で次のように総括しています。「ブータン王国では最優先事項として人々の『幸福』の促進が挙げられており、その実現へ向けて、4つの支柱(@価値観と文化の保全・促進、A公平な社会的・経済的発展、B良いガバナンス、C自然環境保護)の促進を戦略の中心的手法としてあげている」国の最優先事項が国民の幸福である、なんと素晴らしいことでしょう。この理念は、自然や社会の幸福を尊重し、人間は生態系の一部であると位置づける仏教思想を根源に持っていて、宗教心や伝統文化からなる倫理をベースに、持続可能な開発を行っていく、としています。

ところがです、いい話だと思えば、近年、職に就けない若者の数が増加し、危機感が強まっているそうで、9.7%という高い若年層の失業率を受け、政府は経済対策にも力を入れはじめているといいます。やはり持続的な経済の発展に裏打ちされなければ、精神面での幸福感も長続きはしないと言うことになりそうです。そして問題になっているもう一つが難民です。1989年に導入されたブータン北部の伝統と文化に基づく国家統合政策により、南部のネパール系ブータン人は、文化的にも北部のドゥルクパと大きく異なっているため、こうした政策に反発したネパール系住民が難民となってネパールに押し寄せたというもの。

そもそも仏教の根源はチベット仏教の利他心があると言われ、生きとし生けるものに対する思いやりと親愛の情をもって接することであり、自然は相互に依存しあって生きていることを自覚することである、とされています。どうすれば他者を苦しみから救うことができるのか、どうすればよりよい心の平安が得られるのかを考え、自らが行動する。そうして得られた他者の幸せはやがて自らの喜びとなってはねかえってくる、という考え方、ブータン王国は心の豊かさを追求し経済成長も実現しようとしていたはずなのに、経済的な問題によってこうした理想も実現できない結果となるようです。

ダーウィンの進化論「変化対応力と社会性に優れた生き物が生き残る」人間がこれを持続的に成功させるには神谷さんの言う「強欲資本主義」の限界がはっきりしたアメリカモデルでもない、理念だけでは食べていけなかったブータンモデルでもない、全く新たな日本モデルを作り出す必要があるのだと思います。

2009年6月17日 日本は感染症後進国なのか

麻疹(ハシカ)という感染症、ご存じだと思います。子供が罹っても大したことはないという認識の方もいるのかも知れませんが、免疫がなければ死ぬこともある感染症です。日米の麻疹感染者数(2001年)を比較すると驚きます。
アメリカ 116人 日本 27万8千人 (麻疹が流行する国で新型インフルエンザは防げるのか 岩田健太郎 著)
日本では麻疹が原因で毎年30-50名程度の方が亡くなっています。岩田さんによると、原因ははっきりしていて、厚生労働省が1990年にMMR(三種混合)ワクチンに副作用が出たため任意接種とし、2006年までそれが続いたためであるとのこと。副作用によって責任追及されることを恐れた厚生労働省はワクチン接種を任意とすることで責任を回避し、結果として2007年の麻疹大流行を招いてしまった、ということです。ちなみに2006年以降日本ではMRワクチンという副作用が出やすいおたふく風邪(Mumps)を除いたワクチン接種を義務づけています。官庁では責任者は2―3年で異動するため、本件の責任部署に尋ねても「私は当時の担当官ではない」と説明されてしまいます。これが責任者不在の問題です。

ハリセンボンの入院で話題になった結核、日本では再び感染者が増えています。結核ワクチンはご存じBCG、ワクチンにも横綱級から平幕級があるとのこと(岩田さん著書より)で、BCGは平幕級(時々有効で3勝12敗もある)、麻疹や天然痘は横綱級(必ず有効)とのこと、アメリカではBCGは効かないと考えられ打たないことになっています。その代わり、結核対策には強制入院と無償治療の二本立てで撲滅に努めています。(http://www.jata.or.jp/rit/rj/onozaki.html )子供を同伴して米国駐在経験したかたはご存じの通り、アメリカでは小学校入学時にMMR、DTP、ポリオなどを強制接種させ、TB test(ツベルクリン検査)で陽性になると入学させてくれません。日本人はBCGで陽転していれば「陽性」ですから一昔前なら大騒ぎだったそうですが、今は日本やスウェーデンはBCGで陽転させていることが有名になりましたので、胸部レントゲン検査を受けてらっしゃい、となり非感染が証明されます。今、日本でじわじわと増える感染症には、百日咳、HIV、肝炎、ロタ、日本脳炎などがあり、一人でも副作用で死亡例があると前述の通り、ワクチン接種からはずされてしまう傾向にあります。アメリカでは強制接種され日本では強制には接種されていないワクチンには、主なもので肝炎(A,B)、日本脳炎、肺炎球菌、ロタウイルス、Hib(インフルエンザ菌でインフルウイルスとは別物)、髄膜炎菌、おたふく風邪、Tdap(大人向け百日咳)があり、日本では任意接種ですので、多くの方が未接種と考えられます。岩田さんによるとワクチンにも横綱から平幕があるので「シートベルト」だと考えて必ず打つことが、感染拡大を防止、命を救うことに繋がると言うことです。HIV感染者が増えている国はOECDでは日本だけ、日本はワクチンでは後進国並みだ、というのが岩田さんの評価です。

5月25日の報道でご覧になった方も多いと思いますが、参議院での参考人証言で、感染症研究センターの森兼啓太さんと厚生労働省検疫官の木村盛世さんが、今回の新型インフルエンザ対策について証言されていました。この中で、成田空港などにおける水際検疫の有効性を聞かれた森兼さんは「検疫は有症状者を見つけること、これに関しては当然ながら有効」と証言。一方の木村さんは「成田で検疫官が防護服で走り回っている、パフォーマンス的に利用された」「国外から感染症が入ってきた場合には検疫法、こちらに偏りすぎると国内がおろそかになる」「医系技官で充分な議論がされないまま検疫偏重が行われてしまった」 つまり、水際検疫は有症状者を見つけることはできるが、国内感染者拡大防止策とのバランスは重要で、今回は水際偏重ではないか、という検疫担当者たちの証言です。意思決定者に担当者達の意見が十分届かないまま施策が実行されている、というコミュニケーション問題があるようです。

そもそも、厚生労働省内の専門家も入った議論で、2008年―2009年にかけて新型インフルエンザ対策ガイドラインが見直され、感染から発症まで数日のずれがあり、検疫でのスクリーニングが100%ではないことから、水際検疫から国内感染防止へとシフトすることが確認され2009年2月に出されたガイドラインではそのことが明記されました。それにもかかわらず今回の流行では空港検疫に数百人の検疫官が動員、自衛隊や医系技官が他部署からも動員された結果、国内感染防止のための発熱外来などの体制が手薄になりました。せっかく議論されていた専門家の意見が実行段階では活かされない結果になったのです。

政府広報の問題も露呈されたのが今回のH1N1インフルエンザ流行だったと感じています。米国CDC(感染症予防センター)は4月22日の報道以降、毎日センター長代理か報道官が記者会見をして、その質疑応答の一言隻句までスクリプトにしてWebで公開、WHOや厚生労働省からの情報不足に困っていた企業担当者の情報源になりました。厚生労働省は患者数の発表はするものの、聞かれないことには答えない新型インフルエンザ担当技官の記者会見が開かれるだけで、総理のテレビ広告や大臣の発言は「国民の皆さん、冷静に対応してください」と繰り返すのみ、ウィルスの分析や感染広がりについての見解などはほとんど表明されませんでした。国民には、冷静に対処するとは具体的にはどうすること、を示すことが必要だと感じました。インフルエンザ対策として重要なのは、
1. 咳を伴う38度以上の熱があれば職場や学校に行かない
2.咳がでるときはマスクをするかティッシュなどで口を押える
3. 重症になるまでは医療機関を受診しない
ただし、要注意グループとしてあげられる2歳以下の子供、妊婦、慢性疾患を持った方、免疫力が低下している方などで、感染が疑われる際には早めに受診するなどの注意が必要です。マスクの効用と限界についても、厚生労働省のWebには掲載されているのですから、熱があるからと病院に行き、マスクが売り切れたからとパニックに陥っている一部国民には上記1、2、3の徹底が重要だと思いました。これらは政府の広報問題です。

マスコミ報道にも大いに疑問を感じました。一番問題だと感じたことは「読まれない記事は書かない」という取材・報道姿勢です。芸能ニュースならともかく、こういうパンデミック報道では、事実をおさえて、科学的根拠を明確にする、パニックをおさえる、今後の指針を示す、こういう内容が必要なはずです。「今回の流行はマイルドな症状なので通常業務を続けています」という企業対応は報道されず、「海外と関西地方への出張を自粛しています、朝から全員マスク着用です」という企業報道ばかりが報道されたのはこういう理由。視聴者は「企業はみんなそうしている」と思ってしまい、成田空港でのガウンをまとった検疫官の映像も相まって、心理状況は一層エスカレート、不安を煽られます。新型インフルエンザ報道には直接関与してこなかった官房長官が5月25日の定例会見で「終息の方向へ向かっている感じがする」という発言をきっかけにするようにその日以降はすっかり報道されなくなってしまいました。逆にそれ以降世界、特に南半球での感染者増大が外国のメディアでは報道されています。5月22日に発表された改訂基本的対処方針では「今回の発生は、国家の危機管理上重大な課題であると認識」と明記された直後の官房長官の「感じがする」発言の科学的根拠はなく、政治的には理解できても、危機管理上、そして公衆衛生管理上には疑問が残ります。日本の報道で心配が広がり、外国のメディアやCDC情報で安心する、こういう企業担当者は多かったと思います。

国内での感染拡大防止対応でもいくつかの問題が露呈しました。気になったのは学校閉鎖や修学旅行実施の判断、H5N1流行を想定した事前シナリオでは都道府県に一人でも感染者が出たらその都道府県全校の閉鎖を実施することとしていました。流行ウィルスは弱毒性と判断して市町村単位に変更したのは良い判断だったと感じますが、そもそも今回流行しているH1N1は症状が軽く、日本では季節性インフルエンザよりも軽症で治癒する方がほとんど、感染症法で定義しているような流行ではないと、5月初旬の時点でも判断できると思います。修学旅行中止は本当に必要だったのでしょうか。国も自治体も学校も「大事は取るが責任は取りたくない」という姿勢が明確で、H1N1ウィルスが感染症法の二類(H5N1、結核、SARSなど)ではないことも、四類(H5N1以外の新型インフルエンザ、マラリア、狂犬病など)や五類(季節性インフルエンザ、梅毒など)のいずれなのかの判断も示さないまま、学校閉鎖や発熱相談などの体制を取りました。感染症法では「新感染症が発生したと認めたときは,国は速やかに発生地域を公表するとともに,症状,病原体検査方法,診断及び治療,ならびに感染の防止の方法,実施する措置,その他の発生の予防またはそのまん延の防止に必要な情報を逐次公表しなければならない」とされています。今回、国民に対して十分な情報提供はなされたでしょうか。 
 

感染症に基づくインフルエンザの類型

感染症に対する主な措置

国民側にも課題を残しました。模擬国連イベントがあるとして米国旅行に踏み切った学校があって、米国からの帰国便で新型インフルエンザ感染が発見されたことから、保護者から「なぜ行かせたのだ、自分の子供が感染したらどうしてくれる」との問い合わせが相次いだとのこと。校長先生は「一生に一度の機会、是非生徒の望みを叶えてあげたかった」と記者会見。ウィルスは弱毒性との判断から行かせたことに対しては、さらなる非難が続いたとのことで、それを見ている他校の先生達の判断にも影響を与えたことと感じます。状況判断とその理由の説明、双方のコミュニケーションが重要だと思います。

先ほど、参議院で証言した木村盛世さんはその著書「厚生労働省崩壊」で、空港検疫とともに学校閉鎖の効果は限定的、と指摘しています。なぜなら閉鎖になった学校の生徒達はカラオケに行って教室よりも濃厚接触するような空間で過ごしたことが報道されていたとおり、外出禁止まではできないため家で閉じこもってなどしないから、という理由です。こちらは弱毒性、という報道を素直に信じた生徒達の行動として納得できます。

63日朝日新聞朝刊には長野県立須坂病院で感染制御部長と務める高橋央(ひろし)さんの、「今回のH1N1流行対応は国、自治体、マスコミの後出しじゃんけん合戦、責任のなすりつけ合いをしている場合ではない」とのコメントが掲載されています。今回の対応での反省を、厚生労働省、自治体、マスコミは今後の対策に活かし、新型インフルエンザワクチンと季節性インフルエンザワクチンの製造と接種方針について判断し、アクションにつなげて欲しいと思います。その際、冒頭のようなワクチン後進国対応ではない対策が必要であり、次の流行時にも後出しじゃんけんをしなくてもすむように準備して欲しいと考えます。

2009年6月7日 日本の強みは「ご近所の底力」

社員がやる気とやりがいを持って働き続けるためには、社員が肉体的にも精神的にも健康であることが大前提、さまざまな格差や組織への信頼感欠如は健康に悪く、会社にとってもマイナスが多いようです。

近藤克則著「健康格差社会」によると、米国50州における所得の不平等と死亡率の関係にははっきりとした相関が見られ、不平等であればあるほど死亡率は高いとしています。

国別比較もしてみたいと考え、上記データとは調査年代やソースが異なりますが、平均寿命を国際比較している厚生労働省の統計データ(http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life02/life-3.html )と、貧富の格差を示すジニ係数を国際比較している世界銀行のWorld Development Indicators Database 2005から見てみると次の通り。米国内比較では見られた健康と不平等の相関はここには顕著には表れていないようで、健康にはもっとさまざまな要素が働いていることが分かります。 

                            ジニ係数               平均寿命(男)       (女) 

米国                    0.408                   74.1                    79.5      

英国                    0.360                   75.3                     80.1

フランス               0.327                   74.9                     84.5

ドイツ                   0.283                   74.8                     80.8

フィンランド          0.269                   74.6                     81.5

日本                    0.249                   78.3                     85.2

デンマーク           0.247                   74.7                     79.2

 

国連開発計画(UNDP)が「国の豊かさ」と寿命との関係を調べた結果が発表されています。国民一人あたりの国内総生産額が年間8000-10000ドルぐらいまでは、豊かな国ほど平均寿命も長いことが分かりますが、それ以上収入が多くなると、収入が多ければ多いほど寿命が延びるわけではないことが分かります。キューバやコスタリカなどの低所得国の平均寿命とアメリカやカタールなど収入が多い国とでの逆転も見られます。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1620.html 

貧富の格差が大きい社会は非健康的、という仮説を立ててみたのですが、そんなに単純ではないようです。ここまでのデータからは次のことが分かります。
@所得が低く生活が苦しい人が多い社会では、平均寿命は短い。
Aある程度の生活レベルが平均的に達成できている社会では、平均寿命に貧富格差以外の要素が働いている。
B一定の生活レベルにはあるが、同一文化社会で所得格差を感じると健康にも格差が出る。

西洋医学は細胞や遺伝子などミクロに向かって研究が進んできていますが、健康を決定するのは、生活習慣や食事、家庭環境や家族関係、収入や加入している保険制度なども関係するかも知れません。そして、個人の健康には暮らしている環境としての国や社会が影響を及ぼしているのではないかと考えられます。(図2-5 健康格差社会より)

それでもアメリカの調査にように、ある程度の所得がある国での比較調査では、所得の絶対額より周りと比べた相対所得を気にし、格差の大きい社会=相対的に低所得と感じる者が多い社会ではストレスを感じる人が多く、国民全体の健康水準に悪影響を及ぼしている、という分析もできます。また、「日本の繁栄は高信頼社会が背景にあった」というフランシス・フクヤマ(「信」無くば立たず)や、「寿命を決める社会のオキテ」の著者ウイルキンソンの指摘もあり、日本の平均寿命が世界一レベルなのは、所得以外にも社会のあり方やコミュニティの良い意味での影響があるのではないかという点を、もう少し掘り下げてみたいと思います。

「健康格差社会」の著者、近藤さんが指摘しているもう一つの要素は「ご近所の底力」、ソーシャル・キャピタルと国際的には言われているそうですが、適切な日本語訳がないのでそのまま使います。ソーシャル・キャピタルは健康と関係があるという説です。ソーシャル・キャピタルの構成要素は、@人のつながり Aお互い様という雰囲気 B信頼、助け合う気風 です。だから「ご近所の底力」であり、会社組織で言えば「連帯感・まとまりのある職場・組織」ということになり、ソーシャル・キャピタルが豊かだとパフォーマンスが良い組織・社会になり、乏しい組織・社会はパフォーマンスが悪く、ストレスを高め、健康にも悪いという仮説です。

「健康格差社会」によると、アメリカの2002年の調査でソーシャル・キャピタルが乏しい地域で死亡率が高く、所得格差が大きい地域ほどソーシャル・キャピタルが乏しいという結果がでているそうです。アメリカ50州における所得格差と、殺人事件の発生率を調べた研究もあり、ロサンゼルス、ニューヨーク、テキサスなど所得格差の大きい州の殺人事件の発生率は、モンタナ、ユタなど格差の少ない州の4倍から5倍になっています。ソーシャル・キャピタル指標の一つとされる「人々への信頼感」と死亡率をアメリカの州別に比較した資料でも相関が見られています。(図4-5)

 日本でもソーシャル・キャピタル指標の一つとされる「ボランティア活動行動者率」が高い都道府県ほど刑法犯認知件数が低いことが示されています。(図4-6) 

このように、所得格差が拡大したり社会的関係性が薄まったりすると、その社会や組織に属する人の社会的・心理的ストレスが高まり、内に向かう人はうつになったりニートになったり、自分を責めて自殺したりします。ストレスを外に向ける人は犯罪に走り、暴力をふるってしまうのではないでしょうか。ソーシャル・キャピタルを向上させるということは、その地域や組織が抱える問題を自分たちの力で解決しようということ、つまり「ご近所の底力」をつけることで解決する、と言うわけです。

近年、日本において、貧富の格差を示すジニ係数は若年層で上昇、中高年では減少傾向にありましたが、最近の10年では30―50歳代でジニ係数が若干上昇する傾向が見られています。この原因は2001年のバブル経済崩壊以降の不況により、企業が人件費削減のため正規雇用者数を減少させ給料の低いパートや派遣労働などの非正規雇用者数を増加させたことなどが原因と考えられています。また、シングル化や少子化の原因が経済的格差拡大にもある、ということも指摘されています。
http://plaza.umin.ac.jp/hiseiki/kako/pdf/tohousugita120080927.pdf  

一方、全死因でみると太平洋戦争後一貫して年齢階級別死亡率は低下してきたのに対し、日本の自殺死亡率は上昇してきており、特に最近では20―30歳代の自殺が増加しているとの報道もあり気になります。個人の経済的問題に起因するリスクの国としての対策が不十分であること、そして日本社会全体としての社会的関係性が薄れてきていることを示しているのではないでしょうか。
 

図1

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/suicide04/2.html 

また、200168日に大阪・池田小学校に侵入した男が小学生を殺傷した事件で、犯人は「どこの学校でもよかった、どうせなら金持ちの子どもの学校にしょうと考えた」と言っていました。2008年秋葉原で奇しくも同じ68日におきた無差別殺人でも犯人は「相手は誰でも良かった」などと言っています。格差社会や社会的つながりの希薄さがこうしたひずみを増長させているのではないかと感じます。

 つまり、フランシス・フクヤマやウィルキンソンが指摘してきたように、日本社会が持っていた良い部分が近年失われてきた結果、日本全国で「ご近所の底力」が弱まり、自殺者やニート、犯罪者が増えて長期的には日本が持っていた経済の強みも頭打ちになるのではないか、という仮説です。

それでは、日本はどのような社会を目指すべきなのでしょう。欧州のような福祉国家モデルを目指し、社会保険を充実させて、国民の不幸の最小化を図るかわりに、税・保険は高負担となることを理解してもらうのか。それとも、米国のような自由主義モデルを目指し、個人に自己責任によるリスク管理を任せて、国民幸福の最大化をめざし、多数の貧困・無保険者の存在を受容するのか。経済成長後の停滞を経験し、上記のような社会環境変化を経てきた日本では、日本人が納得できる日本独自のモデル作りが必要だと感じます。

日本では少子化が問題であること述べてきましたが、少子化対策の入り口は結婚です。そして社会的関係性をより強くした形も結婚だと言えます。「健康格差社会」によると結婚は健康に良い、ということも言えるようです。非婚者の死亡率は既婚者に比べ女性で5割、男性では2.5倍も高いという調査結果が出ているそうです。そして少子化の最大要因は遅婚化。日本人2939歳の女性を対象に婚姻の有無が精神的問題とどのように相関するかを調査した結果、鬱状態など精神的問題があったオッズ比は、初婚者を1とすると、未婚者4.9、離婚経験者は8.1、再婚者10.2となって、最初の結婚が継続する女性がもっとも精神的健康を維持できるという結果になっています。著者の近藤さんは結婚が健康に良い理由を次のようにまとめています。 

@情緒的社会的サポート A経済的安定 B同居人がいること 

健康に良いので結婚しましょう、とは言いにくいですが、「メタボはダメよ」などと優しく言ってくれるパートナーがいることは重要です。社会的関係性を深める努力が健康面からも重要ということ、理解いただけると思います。

まとめると、次のようなことが言えるのではないかと思います。

1. 体でも心でも、病んでしまったものを直すにはミクロ的医学アプローチが必要であり、時間とお金がかかる。予防的かつマクロ的社会アプローチでソシアル・キャピタルを充実させること、「ご近所の底力」を持っている組織作り、コミュニティ作りが重要である。

2. 社会への関心や信頼を持てる人が多いコミュニティでは、結束力が強い組織を作ることができるため、社会貢献活動やボランティア活動が盛んな組織は高いパフォーマンスを発揮できる。

3. 社会的関係性強化、具体的には自治会活動の活性化や地域貢献活動推進、そして結婚促進などは、犯罪に強く健康なコミュニティ作りに繋がる。

4. 企業においても、社員の格差を広げるよりも組織内コミュニケーションを向上させることが社員の体と心の健康に繋がり、健康管理コスト低減が実現、社員のやる気やりがいにも寄与するため、長期的には企業パフォーマンスの向上に繋がる。

 の政策、企業の長期戦略、そして個人の価値観、それぞれ短期的には変化させることが難しいものばかりですが、日本社会や日本企業が20年前の強さを取り戻して、国際社会に貢献できるようになること、これは重要だと思います。皆さんも「格差」と「社会・組織への信頼」について考え、日本の強みである「ご近所の底力」見直してみませんか。

2009年5月27日 認識ギャップが大きいマスクの効用

流行中の新型インフルエンザ対策の一つとして「マスク着用」を通勤時には推奨したり、企業によっては義務づけする企業があります。国内外への出張や対外勤務者への対応なども含め、H5N1型の強い毒性を持つ可能性のあるウイルス蔓延を想定したBCPを、今回のような弱毒性ウイルスにも適用する企業とそうではない企業による対応に温度差が出ていることご承知の通りです。

厚生労働省は2009年2月17日に改訂した「新型インフルエンザガイドライン」で、個人や事業者が実施できる具体的な感染防止策として次のような対策を推奨しています。
・対人距離の保持
・手洗い
・咳エチケット
・職場の清掃・消毒
・定期的なインフルエンザワクチンの接種

このように「マスク着用」は挙げられていないのです。そして一般的な企業において、新型インフルエンザの感染防止策として使用を検討するマスクの考え方を次のように示しています。
<マスク>
・ 症状のある人がマスクを着用することによって、咳やくしゃみによる飛沫の拡散を防ぎ、感染拡大を防止できる。ただし、健康な人が日常生活においてマスクを着用することによる効果は現時点では十分な科学的根拠が得られていない。そのため、マスクによる防御効果を過信せず、お互いに距離をとるなど他の感染防止策を重視することが必要となる。やむを得ず、外出をして人混みに入る可能性がある場合には、マスクを着用することが一つの感染防止策と考えられる。

感染している人がマスクをすると、他の人への感染を防ぐ効果はあるが、健康な人が感染防止の目的でマスクをしても効果があるかどうかはわからない、これが厚生労働省の見解です。さらに、使用上の注意点として、
・ マスクは表面に病原体が付着する可能性があるため、原則使い捨てとし(1日1枚程度)、捨てる場所や捨て方にも注意して、他の人が触れないようにする。
つまり、マスク着用によりかえってウイルスに触れる危険性を増やすことに留意するとしているのです。こうした見解を踏まえて、ある企業では、マスク着用は推奨するにとどめていますが、他の企業ではそうでもない、これが認識ギャップです。

日本での「マスクの効用」には信仰に近いものがあり、ある企業で着用を義務づけていることに対して、「効果は限定的ですよ」と主張してもはじまりませんので、その企業のオフィスではルールに従うことが必要だと思います。しかし、こうした認識を踏まえた上で、感染可能性がある方がマスク着用することは公衆衛生上の意義はあると考えられ、混雑する通勤電車内でのマスク着用には直接的飛沫付着の防止という一定の効果もある、ということから通勤時のマスク着用をすることは無意味ではないでしょう。もっとも感染可能性が疑われる人は外に出ないこと、これが一番であり、咳やクシャミをするときには口をティッシュや袖口などでおさえる、重症化するまで病院には行かず自宅で療養する、これがインフルエンザ対策での最重要事項です。

今後、WHOがフェーズ6を宣言したり、国内感染者から死者が出るような場合には、企業によってはさらに対策を強化するケースも想定され、さらなる認識ギャップが生まれる可能性もあります。もちろん、ウイルスが今後変異して毒性が高いものに変異するような場合には企業施策の変更も必要になりますが、現在のような致死率のウイルスで感染が広がっても、季節性インフルエンザ対応並の対策を講じることで、一般企業では通常業務継続が可能ですので、感染状況に注意しながら、経済的インパクトを最小限にする、これが今必要なBCMでしょう。

2009年5月16日 新型インフルエンザの謎

英語では”Pandemic Flu”とか”Novel Flu”と呼ばれ、日本語では新型インフルエンザ、と呼ばれている今回流行しているH1N1インフルエンザ、1918年のスペインインフルエンザもH1N1、今回はなにが新型なのでしょうか。メキシコから広がった今回のH1N1ウイルスは鳥、人、豚など4種類のウイルスの複合体であり、このウイルスの母体となった三種複合豚インフルエンザは米国内で2005―2009年に12人の感染例があったとのこと。そもそも、今年3月末に新型の豚インフルエンザにカリフォルニアで2人の子供が感染し、人人感染が起きていたことが米国CDC(疾病予防センター)から4月22日発表されましたが、これが今回のH1N1です。3月以降、カリフォルニア州に隣接するメキシコで原因不明の高致死性の呼吸器感染症が発生していて、そのウイルスがカリフォルニアの豚インフルエンザと同一であることが確認されたのです。その後メキシコ帰りの人々から各国に広がっている事が確認され、人から人への感染が広がっている事も確認されてきた、こういう流れです。

もっとも、今流行中のH1N1は、従来流行が懸念されていたH5N1とは異なるウイルスで、想定していたより今までのところずっと症状が軽いのが特徴と言えます。H5N1型のウイルスは鳥由来インフルエンザとも言われていたように、インフルエンザは元々鳥類であるカモが宿主です。今回の豚インフルエンザが豚由来というのは少々混乱する言い方で、インフルエンザウイルスは豚を感染介在動物として鳥から人へ感染してきた歴史があり、豚は鳥からも人からもインフルエンザをうつされやすいとされているのです。今後の変異が心配されているのは、H5N1や他のタイプのウイルスと再び豚を介在して人に広がる可能性があるウイルスのことです。そうなると、またまた人類が誰も免疫を持たないという新型インフルエンザが登場してしまうと言うこと、これが懸念事項です。

メキシコでは多くの死者が出ていますが、それ以外の国ではそれほどでもない、その理由はなぜでしょう。メキシコでの死者の多くは重症化したのに投薬や治療ができなかったことが原因と見られています。約1億人の人口を抱えるメキシコ、うち4000万人は貧困とされています。貧しい国民の多くは少々だるくても咳をしていても病院に行けるような経済的余裕がなく、保険制度も充実していないため、本来なら治癒できるような患者も死に至るケースが多かったのではないかと見られています。また、感染して治癒したケースでも届けでないので、メキシコ当局が捉えている数(発病者数)をはるかに上回る国民が感染したのではないかと考えられています。CDCは今回のH1N1ウイルス発生国での感染率を25%-30%程度ではないか、と見ていますので約1億人というメキシコ国民の30%として3000万人が感染する可能性があるということです。一方、米国での死者は筋無力症の乳児(22ヶ月)、妊婦(33歳)、心臓疾患を持つ30代の男性、いずれもインフルエンザの高リスクグループに属する型です。

高リスクグループとしてCDCがあげているのは
@5歳以下の子供。(特に2歳以下の子供では季節性インフルエンザからの合併症を伴う重症化の危険性が大きい)A65歳以上の方。B喘息などの慢性肺疾患、高血圧を除く心臓疾患、腎臓疾患、肝臓疾患、鎌型赤血球病などの血液疾患、神経障害、神経筋障害、糖尿病などの代謝障害、投薬やHIVなどによる免疫抑制中の方、妊娠中の方、アスピリンを長期服用する19歳以下の方、長期療養中の方。
日本でもこれから感染者が増えるかも知れませんので、特にこうした高リスクグループに属する方は注意が必要です。一方、当初、メキシコでは若い人が亡くなっている、との報道があり、「恐れていたサイトカインストームだ」と言っていた学者もいましたが、メキシコ以外での若者の死者は出ていません。季節性インフルエンザでは毎年全世界で25―30万人が死亡、その9割以上が65歳以上の高齢者で、多くは合併症で亡くなっています。CDCによると米国では2009年1月から4月までに季節性インフルエンザで1万3000人が死亡、毎週800人以上が亡くなっていると発表しています。メキシコでの季節性インフルエンザの状況はどうなのか、新型インフルエンザに関する当初報道の数値も訂正されており、メキシコでの数値の信憑性には疑問が残ります。

日本では水際作戦として、北米大陸からの直行便に絞って機内検疫を実施していますが、その北米であるアメリカ、カナダでは、今回のH1N1は季節性インフルエンザ並であるとして、海外からの渡航者にも発熱などの申し出による検疫しか実施していません。CDCは5月5日、流行中のH1N1ウイルスについては引き続き毒性や致死率などが変化するような変異が起こらないかどうかを注視する必要があるとしながらも、致死率は低く季節性インフルエンザ並みの強さであるとして、H5N1を想定した「感染者発生校は2週間の学校閉鎖」方針を変更、今は学校閉鎖の必要はないと判断しています。WHOがフェーズ6を宣言したとしても、「それは地理的広がりが世界的」という意味であり、ウイルス変異、致死率などの状況変化がなければCDCはこの方針は変えないとも言っています。

日本でもインフルエンザは感染症予防法では麻疹などとともに第二種と分類されており、対応方針を決めているのです。大事を取っている、ということでしょうが、新型だという理由だけで、エボラ出血熱やラッサ熱など第一種と分類される致死的な伝染病と同様の厳重な対策が本当に必要なのでしょうか。強毒性のH5N1を想定した対策を今回のH1N1でも実施する、というのは今までのところは水際作戦として国民には理解されてはいますが、フェーズ6が宣言されたり、国内感染者が拡大して、日本でも死者が出た場合の対応など、これからの対応方針は、H5N1並みの毒性ではないこと認識することが必要です。また、必要以上の対策を取ったために、経済的な影響が大きく出たり、諸外国との対応差によって誤解や文化摩擦が起こらないように配慮が必要です。国内初感染者としてニュースになった高校生の隣に座席があったとして保健所から外出自粛を要請されている米国人観光客は京都見物を本当に自粛したか、出かけるときはマスクをしたか、食事はどのようにして取っているのか、強制力がないお願いであるため実際には不明です。「それでも季節性並の毒性をもったインフルエンザが世界流行している」という事態であり、実際日本では2004年のインフルエンザ流行で1700万人が病院を訪れ15000人が亡くなっています、慎重で注意深い対策が重要なのは確かです。

CDCがまとめている、今回流行のH1N1インフルエンザの特徴と対処法は次の通り。
・季節性インフルエンザと同様の病状で、患者は18歳以下がほとんど
・症状の多くは7日以内に解消、季節性インフルエンザとの大きな違いは、嘔吐と下痢症状の割合が大きい
・これからインフルエンザ・シーズンに入る南半球の今後の状況を注視、北半球では秋の流行へ注意を向けている
・現在、抗ウィルス薬(タミフル、リレンザ)への耐性ウイルス出現はない
・抗ウィルス薬は、高リスクの人たちには必要、他の健康な人たちは自宅療養で回復している
・予防目的での抗ウィルス薬服用は不要

CDCからの情報を中心にまとめてみましたが、こうした内容は日本ではあまり報道されておらず、日本での報道は厚生労働省や舛添大臣の発言などが主たるもので相当の温度差があります。多くの日本企業は、こうした日本での報道を主たる情報源にしていますので、こうしたCDC発表や欧米諸国での認識とはギャップがあると思います。ギャップがある中で、「それはやり過ぎだ」とか「米国ではそんなには騒いでいない」などと言ってみてもギャップはなくならないと思います。最悪のケースを想定するのがリスク管理、として最悪のシナリオだけでBCPを策定していた企業では、「海外渡航を禁止」「10日間の自宅待機」などを既に実施、どうしたらこれを緩和できるのかと社外に問い合わせている企業も出てきているといいます。

いずれにしても、慎重な対応が必要なことは確か、手洗い、感染の可能性があるという方はマスクを着用、その他、イントラネットやニュースなどによる情報入手と慎重な行動が重要です。
 

2009年4月18日 日本人は100年前より進歩したか

3月10日に書いた「人類が消えた世界」が与える示唆では、人類はその存在自体が地球に負荷を与えるようになっている、と説明しましたが、人類の歴史時間軸を横軸に、人口を縦軸に取ると、環境問題は人口爆発問題だ、ということが直感的に分かります。

http://www.unfpa.or.jp/p_graph.html 

日本における人口推移を見ても同様のことが分かりますが、農耕が中心だった時代には気温変動と感染症が人口に与える影響が非常に大きかったことが分かっています。6000年前日本列島の平均気温は1万年前に比べ2度上昇、暖温帯落葉樹林が広がり人口が急増したといわれています。その後4500年前から再度寒冷化、2500年前には現在より1度以上低くなり暖温帯落葉樹林が後退、人口扶養力が衰え、栄養不足に陥った日本人に大陸からの感染症が襲いかかり、日本の人口は大きく減少したと推測されています。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html 

弥生時代以降は気候が安定、徐々に人口が増えてきています。それでも明治維新(1868年)には3330万人、1900年時点でも4400万人しかいなかったのです。そのころ日本人の生活レベルはどうだったのか、一人あたりのGDP、というデータがあり、世界の平均値と比較しているので見てみましょう。1900年時点では世界平均以下、世界平均を超えたのは1950年代、たった今から50年前だった、ということが分かります。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4545.html 

1900年、夏目漱石が英国留学の途中立ち寄ったシンガポールで目にしたのは、日本から貧しい娘達が売られていった先の姿、山崎朋子著「サンダカン八番娼館」で描かれたような光景で、今からは想像もできない日本の現状を漱石はその時目にしたと日記に記しています、日本は大変貧しかったのです。

 明治維新から三十数年、このころの日本は列強との不平等条約を解消し、その後、1904年の日露戦争に向かうのですが、日露戦争での参謀 秋山真之は次のように言っています。「吾人一生の安きを偸(ぬす)めば、帝国の一生危うし」富国強兵、殖産興業を国是とする日本国家への個人の責任感を表す「坂の上の雲」の心意気です。当時の日本人を代表する心の高ぶりではないでしょうか。同じ頃、欧米を訪問して先進文明を見て学んだ日本人が書いた英語で日本人の心について説明するような多くの著作があります。「代表的日本人」内村鑑三、「武士道」新渡戸稲造、「東洋の理想」「茶の本」岡倉天心、「日露紛争」朝河貫一など1900年をはさんで多くの日本紹介本が英語で発刊されています。海外駐在を経験すると、日本について考えること、自己確認をしたくなる気持ちが湧いてくるものですが、明治の先達も圧倒的に先に行っている西欧諸国を訪問して日本的価値を語りたくなったのではないかと、「二十世紀から何を学ぶか」の寺島実朗さんは解説しています。

 その時から約100年がたった今、日本人は世界にどんなメッセージを発信しているのでしょう。欧米の人が日本というと今でも「サムライ、腹切り、フジヤマ、芸者」を思いつくのは、1900年の頃、欧米を興行して回った川上音二郎の演し物の影響であると分析したのも寺島さん。20世紀後半には日本製品の世界進出で、日本の印象には「ニンテンドー、ソニー、キッコマン(スシ)、キャノン」が加わり、21世紀には「アニメ、カラオケ、北野、中田」とモノから文化に移行しているような気がします。欧米諸国で「日本年」が企画されることがありますが、その際紹介されるモノは、仏像・浮世絵、歌舞伎・狂言、黒澤・北野、宮崎・押井、大江・ばなななど圧倒的に文化モノであって、生活に根付いているとも言えるスシやカラオケはもはや日本製品とも意識されていないのかもしれません。

 一方、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、そして中国と東南アジアへの進出を皮切りに、日本は米中英仏蘭と対立、第二次世界大戦により侵略によって得た多くの植民地を失いました。(しかし、もし今でもそれらを支配していたとしたら、IRAやイスラエルのようなテロにさらされる毎日になっているかもしれません)敗戦後の六十数年間、日本は米国との条約によって一定の安定を得て経済的成長を成し遂げてきました。一人あたりのGDPはその間に4倍にもなり、団塊の世代近辺の方は特にこの間の生活レベルの向上が実感できると思います。しかし今、日本が立ち向かっているのは、米国型資本主義の行き詰まりをきっかけとした「グローバル対応=米国対応」という価値観の転換だと思います。100年前、明治の先達が立ち向かった時のキャッチフレーズが「欧米列強に追いつけ」だったとすると、「世界での日本の役割を考える」というのが現在のテーマ。米国、EU、台頭するBRICs諸国とバランスを取りながら、中東の資源大国、東南アジア諸国などともコミュニケーションを図り、主張すべきを主張して貢献すべきをなす、日本としての再立国なのかもしれません。

 米国型資本主義の行き詰まりがきっかけになり、覇権問題も浮上しています。19世紀、米国は3回しか戦争をしていません。1812年英国との独立を巡る戦争、1846年メキシコとの戦争、1898年スペインとの戦争、戦争による死者数は100年で合計4400人だったそうです。1893年のシカゴ万博では「軍事力を抑制し隣国を圧迫せず相互の安全を保ちながら国際関係を紛糾させる条約を締結しないこと」と参加各国に「平和実現のための趣意書」を送っているということ「二十世紀から何を学ぶか」は紹介しています。その米国、20世紀には第一次、第二次世界大戦以降、戦闘爆撃をした国の数はベトナム、グレナダ、リビヤ、アフガニスタン、イラクなど19にも上っており、死者数は43万人、「自由のための戦い」によって平和は実現されたのでしょうか。9.11での死者は2982人、イラク戦争での米国人兵士の死者数はそれを遙かに超え、19世紀に死んだ米国人兵士の数をも2009年4月時点で超えようとしています。

寺島さんは「二十世紀から何を学ぶか」の中で次のように主張しています。「日本企業はグローバル対応の名のもとに、米国型競争志向・市場至上資本主義に走り、金融派生商品や証券化などでマネーゲームの片棒を担いできたのではないか。『売り抜く資本主義から育てる資本主義へ』『儲けるだけの資本主義から節度ある資本主義へ』『格差の資本主義から中間層を育てる資本主義へ』が必要だ。」この本が書かれたのは2007年5月、リーマンショックの1年以上前のこと。米国と対立するのではなく、お互いに足りない部分を補完するという原ジョージさん主張の「公益資本主義」「アメリカを助けるのは日本ですよと教えるのが自分の仕事」と同様の見識ではないでしょうか。 

米国発の基準や制度が、経営者へのストックオプション提供は経営者に短期利益志向に傾かせるため弊害が大きかった、などと今時の経済危機の煽りを受けて米国で見直しが進み、同時に危機に陥った米国企業を救うため、時価会計の見直しなどがされている現状を見ると、日本は米国との二国間関係中心で短期利益志向の価値観から、EUやBRICs諸国その他諸国との関係も重視した、複数国関係主義(マルチラテラリズム)に移行する必要があると感じます。世界では人口爆発が問題ですが、日本では少子化が課題、経済貢献以外にも、環境問題、人口爆発問題に対応するための省エネ技術の提供や移民受け入れ、「足を知る」教え、「もったいない」精神など世界に貢献できることがたくさんあると思います。100年に一度の経済危機というなら、100年前よりも日本企業は進歩しているのかと自省してみる視座と、目指す社会の姿を描ける歴史観が必要であり、100年後の子孫のため、国も企業も目先の経済変動に惑わされない、100年の歴史観を踏まえたマルチラテラリズム外交、複数視点経営が重要になってきたのだと思います。

2009年4月2日 技術者が尊敬される国

1990年代からの「失われた15年」以降、BRICs諸国の台頭、日本国内においては少子化、シングル化の進展、そして2008年後半からの経済激変など、世界における日本の占める位置づけは大きく変わり、相対的な国際競争力は世界のトップから20位前後にまで低下しました。2009年日本のGDP成長率がマイナスになると予測される中で、日本の経済成長に寄与するために国や企業ができること、それは長期的視点に立った国家的規模の技術者育成ではないかと考えています。

日本のGDPの支出内訳は平成19年度(2007年)のデータでみると次の通りです。

項目

金額(10億円)

構成比(%)

@民間最終消費支出

291870.9

57

A政府最終消費支出

93126.1

18

B総固定資本形成

119625.4

23

C在庫品増加

3231.7

1

D財貨・サービスの輸出

92221.7

18

(控除)財貨・サービスの輸入

-84217.87

-16

合計

515857.9

101

出典は内閣府 http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/h19-kaku/19a1_jp.xls 

こうした支出を生み出すのは生産、つまり企業や個人が積み上げた付加価値の合計です。(用語が難しいので解説すると、民間最終消費支出は、家計の消費行動による支出と考えられ、総固定資本形成は、民間住宅投資、民間企業設備投資、公的固定資本形成、民間在庫品増加、公的在庫品増加に分けて見ることもあります。)

 上記GDP支出の内訳をベースに考えると、日本のGDPを増やすには次のようなことが考えられます。

1. 個人収入を増やすことで個人支出を増やす。 → @

2. 民間企業が自らの付加価値を増大させる。→ B、C

3. 国内向けの投資や支出を行うことで他企業の付加価値を増大させる。 → B

4. 国内企業が輸出を増やす。→ D

5. 政府が公共支出を増やす。 → @、A、B

「1-4」は企業ができることですが、日本の安定成長を考えると、一番重要なのは「2」の付加価値増大とその結果としての「1」の個人収入増大であると思います。

 昨年からの急激な経済状況変化から、各企業では生き残りや利益確保に向けてさまざまな施策が検討されていることと思います。一つはコストダウン、もう一つは売り上げの維持拡大、そして生産性向上で、ここで注目したいのは最初のコストダウン。経営効率向上につながり、利益向上と納税額・配当増加につながり、大事なことではありますが、そればかりでは日本企業の付加価値合計は増えません。原価部分で海外の安価な資源を活用するようなケースでも、売価を下げれば日本企業の付加価値合計は増えません。もっと費用を減らせる部分はないのか、と過度に細かい部分にはいればはいるほど企業の本来の目標である「現在から将来にわたってお金を儲けること」を損ないかねない部分最適のワナに陥ってしまうのではないかと懸念します。国としての付加価値(スループット)を増やすために他にできることがあるのではないでしょうか。

 このことを指摘した本が日本では2001年頃に大変売れた本「ザ・ゴール」、読まれた方も多いと思います。「ザ・ゴール」は1984年にエリヤフ・ゴールドラット博士の著書として米国で出版され、250万部の大ベストセラーになったのですが、当時米国から見て日本がグローバルビジネスにおける脅威となる、と感じていた著者によって日本語訳が17年間許可されなかったといういわく付きの本です。本著で繰り返し語られる話の土台になっているTOC(制約条件の理論)とは、まず最初にあるべき企業の目標を正しく自覚した上で、そのあるべき企業の目標達成を阻む制約条件(ボトルネック)を見つけて、それを克服する為の手段を考え、その手段を実行して企業の目標達成に役立つ生産管理の理論です。ザ・ゴールでは「全体最適化」と呼ぶ考え方に基づいて経営をいかに立て直すかという著者の実経験に基づいて物語り風につづられています。(詳細はWebでいくつかあらすじが紹介されています http://csx.jp/~valuejyouhou/sub1.html )             

 TOCに基づく「全体最適」の考え方も、しょせんはトヨタの生産方式にはかなわない、という指摘もあり、日本はやはり日本独自の方法を模索しよう、という向きもあると思います。しかし経済逆境の今、日本企業はTOCの4つの実践アプローチ、@スループット会計 A思考プロセス BDBR(ドラム・バッファ・ロープ)スケジューリング Cクリティカルチェーン から学べるものがあるのではないかと指摘するのが「コストダウンが会社をダメにする」。著者の本間さんは元日本電気に所属していたコンサルタント、特に企業が利益を上げていく上で重要なのは@のスループット会計だと主張しています。「会計」と名前が付いていますが経営管理の方法であり、企業の付加価値部分であるスループットを増やすこと、作業経費を削減すること、在庫を削減することを主眼としています。

 製造業を例にとって図解してみましょう。

この会社の営業が企業の付加価値総額増大のためにできることは「沢山売る」、もしくは「高く売る」こと。製造ラインの能力が限られている製造業では「高く売る」ことが重要になります。

安くしないと売れない、という営業からの声があると思いますが、スループットを増やそうとすれば薄利多売には生産量の限界があり、自社製品の付加価値を如何に説明し、高く売れるかが重要、つまり他社と差別化できる独自の技術力が重要になります。スループット増大に向けて生産部門ができることは、生産ボトルネックの解消と外部購入費削減つまり内作化となり、こちらでも技術者の継続的育成やスキルなどの継承が重要です。これが流通業だとどうなるか、流通業でのスループットは粗利(売差)、流通業者自身でできるスループット増大策では、売れる商品の品揃えであるマーチャンダイジングと、取引業者へのバックマージンを抑えて物流コストを最適化することが重要となり、LT、つまり物流技術がポイントになります。サービス業は製造業と似ていますが、「高く売る」以外のポイントでは製造業では在庫にあたる自社資源の稼働率アップが最重要です。

日本特有の業態である建設ゼネコン業界は、顧客からの主契約者となり、下請け孫請け業者に仕事を再委託し仕入れ価格を最適化する、つまり「たたく」ことで利益を得てきました。また、官が定めた人月単価をベースに随意契約を繰り返すビジネスモデルが長年続いてきましたが、ここに来て入札案件が増え競合が激化、ゼネコン業界では生き残りをかけた合従連衡が進んでおり、昨今の経済環境から見ると業界再々編は不可欠なように思えます。また米国発のCM(建設マネージャ)が建設全体を管理する契約形態もでており、ゼネコン各社は規模の競争から独自技術力による差別化への転換が必要になってきています。民間企業がコストダウンからの縮小均衡ではなく、上記のようなスループット増大を図ることで、GDP増の一部をなす「民間企業が自らの付加価値を増大させる」ことにつながります。

SI業界はこうしたモデルの混合した業界、システム開発という製造業モデル、コンサルティングやアウトソーシングというサービス業モデル、ハードウェア販売という流通業モデル、人月商売のゼネコンモデルの混合体とも言えます。さらにSaaSやアウトソーシングなどのITサービスは規模の経済が働き、SI業界のCMとも言える事業プロデュースをビジネスとする企業も出現、SI各社は各社の戦略に応じた施策のベストミックスを考えることとともに、事業モデルの変革を図ることが必要になっています。SI業界での付加価値増大策は一筋縄では行かないこと、経済状況の悪化で安売り競争になってしまいがちなこと、業界再編が必要なことなど理解できると思いますが、スループット(付加価値)を増やすのに最重要なのは、他社にはない自前の技術力を持ってビジネスに活用し続けること、経済的に困難なときこそ技術力を持った企業は強さを発揮すると思います。

国に期待する施策はこの経済情勢でずいぶん変わってくるのではないかと思います。団塊世代の大量退職と長期的な少子化傾向によるGDPへのマイナス影響をひかえ、従来のばらまき型公共事業実施や話題となっている定額給付金などの短期的施策だけではなく、女性、高齢者、外国人、障害者などの雇用を促進するような制度整備とともに、日本が強みを持つ高度技術者養成のための教育機会の提供など中長期をにらんだ雇用機会の拡大策が重要になるのではないでしょうか。日本の国としてのGDP(マクロのスループット)拡大を考えれば、それ自体ではGDP増大に寄与しない官僚や自治体職員などの民間製造業や農業への移転を図ること、ミクロ(企業レベル)で見るとスタッフの現場配転などもスループット向上につながります。このように中長期的視点に立った技術者育成が日本における国力回復のための最重要戦略だと思います。 

個人のスループット向上にはなにがあるのでしょうか。日本の強みはモノ作り、こちらでも技術職、エンジニアの増強が重要だと思います。これから就職しようとする大学生達には是非モノ作りへの関心を持って欲しい、文部科学省は理科系技術者を育成するプログラムを立ち上げる、企業でも技術職のキャリアパスをもっとメリハリのあるものにする、個人もエンジニアとしてのキャリアアップを目指す、などと良い循環になっていくことで高い技術力をもつエンジニアが尊敬される文化を醸成し、それらが長期的には日本の国力を維持向上していく施策になるのではないかと考えます。日本企業の一つとして、本業でGDPに貢献できること、それも中長期に継続的に寄与できることとして技術者の育成があり、企業の長期的社会責任を果たすための最優先事項ではないかと思います。   
 

2009年3月22日 「社員が健康」は企業の重要事項

インフルエンザや風邪で会社を休む社員がいると業務に支障が出ます。花粉症やアレルギーでもパフォーマンスが下がります。メンタル疾患やうつ病はもっと深刻です。健康ではない状態、もしくは最良の状態ではない社員が増えると会社にも経済的影響を及ぼしますので、こうした状態を良くすることは社員本人にとっても会社にとっても重要なことです。

1978年には年間2万人だった日本における自殺者数は年々増加の一途を辿り、2007年度には3万人、原因が「うつ病」である数が6,060人となっています。(警察庁「平成19年中における自殺の概要資料」)http://www.npa.go.jp/toukei/chiiki10/h19_zisatsu.pdf 

分かっている自殺理由別(重複有り)に見てみると、健康問題14,684人で全体の約48%、経済・生活問題7,319人で約24%、家庭問題は3,751人で約12%、職務問題は2,207人で約7%となっており、この健康問題の41%がうつ病、統合失調症が9%で約半分がメンタルに起因する健康問題と考えられ、少なくとも自殺者の約25%がメンタル問題を自殺のなんらかの原因にしていると言えます。

見過ごせない数字だと思います。実際、職場でもうつ病ではないにしてもメンタル面での不調を訴える同僚や部下等を持っている方が増えているのではないでしょうか。企業にとって社内に自殺者が発生したり健康を害して休業する社員が増えることは、企業活動のパフォーマンスを損なうだけではなく、損害賠償の対象になったり企業イメージを損なうことにもなりかねません。メンタルヘルス問題により社員が休職すると、休職に関する手当の支給や代替要員の確保が必要であり、年間で見ると休職した従業員の年収の2倍以上のコストがかかるという報告もあります。メンタルヘルス対策は、企業活動に直接影響する経営問題であり、リスクマネジメントであると思います。

メンタルヘルスに変調を来す社員が増加傾向にあることは、労災認定の統計数値にも表れており、平成19年度のうつ等の精神障害による労災請求件数は952件と、4年前の2倍以上となっています。

図2−1脳・心臓疾患及び精神障害に係る労災補償状況 厚生労働省「脳・心臓疾患及び精神障害に係る労災補償状況(平成19年度)」

 

 

 

 

 

 

 

 

http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/05/h0523-2.html#page8

こうしたメンタルヘルスの変調はどのようなメカニズムでおこるのでしょうか。やる気があって、会社活動への貢献もできて、家庭生活・個人生活もうまくいっているという良い状態が何をきっかけに崩れるのかを考えてみました。

原因としては会社や職場環境、家庭や個人生活、個人の資質という3つの相互作用だと考えられます。うつ病になってしまったあとで対応する、これは大変手間や時間もかかり、回復後も元通りというわけにはいかないことが多いのです。できれば未病、うつ病やメンタル疾患になってしまう前に手が打てないか、そのためには何ができるか、これを考えてみます。

労働者健康状況調査(2007年度)によると、仕事や職業生活に関する強い不安、悩み、ストレスを感じる者を100としたときの割合上位3つは次の通りです。(重複回答あり)@職場の人間関係 38.4%、A仕事の質の問題 34.8%、B仕事の量の問題 30.6%。仕事というのはストレスからは逃れられないものだと思いますが、職場では上司や同僚がそうしたストレスを増強する方向ではなく軽減する方向に相互努力する、ということが求められるはずです。企業の組織長はそうしたことが意識できているかどうか、これが一つの課題です。また、社員自身を自律的な存在に育成する、という育成プログラムも増えてきています。自律的な人間とは、主体的な仕事への取り組みや社内外のネットワークづくり、スキル開発への取り組みを行うことで、自分らしいキャリアを継続的に切り開いていくことのできる人であり、昇格や昇給のような外発要因だけではなく、動機づけや価値観などの内発要因により、やる気とやりがいを見いだしていける人材、とされています。(高橋俊介「人が育つ会社をつくる」日本経済新聞社

このような問題意識を持つ日本の企業では、メンタル疾患を軽減させるためには組織内コミュニケーション向上や自律型社員が重要だと認識し、社員への気づき研修や管理職のパワハラ研修、組織コミュニケーション向上などさまざまなことに取り組んでいると思いますが、なぜメンタル問題は増加しているのでしょうか。

1つには、会社が体制を整備しても、社員はその存在すら知らないケースがあります。一連のストレスチェックや研修効果もその場限り、その場では分かったつもりになるが職場に帰ると元通り、施策の持つ意味が社員や管理職に伝わっていないと考えられます。さらに、「健康格差社会」近藤 克則著 によると、社員への健康行動や生活習慣への介入は短期的効果しかなく、長期的には会社全体の仕組みや風土を変えていく必要がある、としています。つまり会社での研修やセミナーではその時点での行動変化は見込めるものの、長期には元に戻る、やってはいけないこと、やるべきことは「分かっちゃいるけどやめられない」というほうが勝る、ということらしいのです。そしてなにより会社と社員の関係変化がみられます。社会経済生産性本部「2007年版産業人メンタルヘルス白書」によると、会社と社員の相互信頼が失われつつあり、「会社の最高経営層に信頼感を持っている」の質問項目では、6割近い59歳社員が信頼感を持つと回答しているのに対し、特に30代以下の若年層では3割程度しか信頼感を持たないと回答しており、20-30歳世代にこうした傾向が顕著に現れてきているのです。

ここ数年、若年層を中心に増加しているタイプに「現代型うつ病」があります。会社にいる間のみ発症するもので、会社を出ると直る、という他人から見れば都合の良いうつ病です。強いストレスに対して我慢を続ける過剰な適応行動はメンタルヘルス不調を招く一方で、自己愛や甘えが強いためにストレスをすべて自分以外の外的要因に帰することなども原因とされていますが、こうした現代型うつ病も含めてメンタルヘルスは大きな問題になってきているのです。

こうした若い世代を「けしからん」とか「自分が若い頃は・・」と言っても世代間ギャップを埋めることは難しいでしょう。昔は会って話すしかなかった人とのコミュニケーションに電話が加わり、その後PCメール、携帯メール、SNS(ミクシーなどのサービス)、ブログ、プロフと多様化するコミュニケーション手段。現在28歳以下の世代は高校入学時に携帯電話を持った世代、その時からメールやSNSを使っているデジタルネイティブです。20-30歳代の半数以上は自分のホームページかブログを持っているという統計もあり、友人とのコミュニケーションはそちらが中心、という人も増えてきています。40―50代ではデジタル活用・移民とデジタル難民に分かれてしまうかもしれません。こうした世代間で「僕は夜のつきあいは一切しません」とか「仕事を断ってプライベートを優先させるとは何事だ」とお互いの価値観に触れる部分で争っても合意が難しく、かといって避けてばかりでは仕事がうまくできません。とにかく、人とのコミュニケーションの取り方が変わってきていること会社としても認識せざるを得ませんので、新人への教育問題ではなく、社会環境の変化と考える必要があります。

冒頭ふれたように、会社パフォーマンスを下げるのはメンタル疾患やうつ病だけではありません。インフルエンザや風邪、花粉症などのアレルギー、ぜんそくなどもパフォーマンスを下げる要因です。会社に来ているのに効率が上がらないことを、「プレゼンティーイズム」と呼び、会社にとって対応策を考えることは経営課題だ、と指摘した記事がありました。(ポール・ヘンプ「プレゼンティーイズムの罠」ハーバードビジネスレビュー、2006年12月)

感染や症状がはっきりしやすいものには対策も考えやすいと思います。インフルエンザや風邪は感染により患者を広げますので、手洗い・マスク・うがいなど予防策が有効です。花粉症などのアレルギーは空気清浄装置や執務場所の空調管理が有効なケースがあります。事業所の禁煙はぜんそく対策には非常に有効でしょう。こうしたプレゼンティーイズムへの対応は今後取り組む問題だと思います。

やはり、大きな課題は目に見えにくいうつ病や精神的疾患、それも表には出てきていない予備軍をいかに救えるかだと思います。「健康格差社会」によると、格差感が不健康を増長させることを統計データを使って説明しています。所得の不平等率であるジニ係数が米国で最も高いルイジアナ州では最も低いアイオワ州よりも3割以上死亡率が高く、OECD諸国の中でもジニ係数が低い北欧スウェーデンやノルウェイと高いフランスやスペインの平均寿命の差は3―4歳あることを示しています。企業活動でもそうではないかという示唆です。行き過ぎた成果主義への見直しや年功序列賃金体系の持つ意味が問い直されていますが、長期的なやる気や精神的安定も企業活動をスムーズに同時に効果的に行っていくためには重要なこと、経済効率ばかりの議論ではダメだと言うことだと思います。

企業内の組織長研修に熱心なことで有名な大阪ガスの統括産業医 岡田邦夫先生は次のようにおっしゃっています。「農耕生活を長く続けてきた日本人に、狩猟民族型の成果主義や業績評価制度はなじまなかった。毎年毎年業績評価を繰り返す、というより、10年後になりたい自分像を明確にしてもらい、今年はその10年プログラムのどこまで達成できたのか、という成長評価人事制度にしていくことが必要だと思っています」

個人にとっては健康というのはミクロな話題ですが、企業の中での社員の健康、という視点で考えると、もう少し大きな視野が必要になってきます。個人の健康というのは、西洋医学で治療する対象である物理的な体の健康の周りに、健康的な体を維持する生活習慣があり、体の健康に影響する精神活動を安定化させる会社の制度や雰囲気、職場コミュニケーションなどがあります。さらに家庭での家族や婚姻の状況、そして健康な生活を送る知識や意志の背景となる知識や経済的状況があります。そしてそうした生活を取り巻くコミュニティや友人、そして国の環境があります。

企業として影響を及ぼせる範囲は限られており、個人のプライバシーに介入することはできませんが、医学的な健康だけではなく、個人の健康が成り立っている基盤の維持、という大きく長期的な視点から考えていかなければ、目先の欠勤率低下などすぐに元に戻ってしまう短期的施策だけに陥ってしまう危険性がある、というのが健康問題だと思います。組織長研修や社員教育などを通してもこのような働きかけをしながら、長期的な視点からも取り組んでいくことが「健康経営」であり、企業として今後取り組むべきアイテムだと思います 。

2009年3月10日 「人類が消えた世界」の与える示唆

人類が誕生して200万年などといわれていますが、ニューヨークやロンドンの緯度にある場所でさえ氷河で覆われていた氷河期のことを考えると、先祖達はどのようにそれを耐えてきたのでしょうか。氷河期は周期的に繰り返され、いったん始まると10万年以上続いています。その間の間氷期は1万2千年から2万8千年の間で、現在は第四間氷期、最後の氷河がニューヨーク地区を去ってから1万1千年といいますからそろそろ氷河期になってもおかしくない時期ですが、多くの学者が主張しているのは、人類が放出してきた大気中の二酸化炭素などの温暖化ガスにより、過去65万年で最高レベルの二酸化炭素濃度になっているということ、間氷期はまだまだ続きそう、というのが地球環境の問題認識です。

そもそも人類が出現してこなかったらどうなったか、今すぐ人類がいなくなったら地球温暖化は終わるのか、こうした問題に一つの見方を与えたのが、アラン・ワイズマンの「人類が消えた世界」。ワイズマンによると、「今すぐ人類がいなくなっても、地質学的循環により二酸化炭素が元のレベルに戻るには10万年くらいかかり、次の氷河期までには1万5千年くらい時間がある」とのこと。第四間氷期に入った以降の比較的温暖な1万年の間に人類は農耕を始め、文字を発明し、産業革命を起こして発展、農耕開始時期の世界人口は100-500万人くらいと推定されているそうですが、4000年前には5000万人、キリストが誕生した頃に2億人、今では人口は67億人まで増やしてきました。地球環境問題の原因は人口爆発であり、資源エネルギー問題だ、というポイントはここにあります。

「人類が消えた世界」が面白いのは、シミュレーションの映像化でしょう、テレビでご覧になった方もおられるかもしれません。(『科学シミュレーション 人類の消えた地球』  NHKハイビジョン特集) 人類が消えた数日後には、メンテナンスがされないニューヨークの地下鉄は排水機能が麻痺して水没、厳しい寒暖の差と錆でボルトがゆるんだ吊り橋は200―300年程度で完全に崩落する、とのシミュレーション。こうした映像を見ることで、人類が地球に与えてしまった環境負荷を感じることができます。

人類の歴史と地球の歴史を同じ尺度で議論するのはナンセンスなのですが、人類が地球に住んでいる限りは仕方がない比較、もう少し、身近に感じるために次のような比較をしてみます。地球の歴史は46億年、人類誕生は200万年前なので、地球の歴史を1年とすると、人類誕生は、12月31日の午後8時35分くらい。これでは人類の地球上への登場どう考えてもごく最近のことと思えます。地球温暖化は人類が18世紀の産業革命以降に主に為してきた温暖化ガス排出のことですから、200年程度のことを議論しているわけで、それは12月31日午後11時59分59秒の話です。温暖化よりずっと以前から寒冷化や温暖化を繰り返してきているのが地球であり、カンブリア紀(5億年くらい前)以降知られているだけでも5回は生物の大量絶滅を経てきていて、原因は大型の隕石や寒冷化などだといわれています。

だからなに、ちょっとくらい地球が温暖化しようと寒くなろうが、良いじゃないか、そういう話ではありません。皆さんにも考えて頂きたいのは人類が地球に対して与えてきた負荷が過去最大になっている、この負荷を調整できるのは人類しかいない、という点です。温暖化するか寒冷化するか、どの学説が正しいのかではなくて、人類が為してきた地球への負荷をなんとか増やさない努力をしなければ、かつて地球が経験したことがないスピードで環境負荷が高まり、どのような反応になるかが予測できないということです。こういうことを考えるにあたり、「人類が消えた世界」は示唆を与えてくれます。

古生態学者のポール・マーティンの唱えた「電撃戦理論」では人類がアジアとアフリカを出て世界各地に到達したとき生物界には大混乱が生じたことにより、4万8千年前には確かにいた大型のほ乳類が70以上の属のレベルで1000年以内に絶滅したとのこと。火と武器をもつ人類に他の動物はひとたまりもなかったのです。農耕生活のさらに前の形態である狩猟生活でさえ、生物多様性面から見ると悪影響を与えてきたことが分かります。そして農耕です。「人類が消えた世界」では、農耕が行った地球環境への影響には次のようなものがあげられるとしています。農地開発のための森林伐採、農地への有機肥料使用による植物多様性減少、化学肥料と農薬による土壌汚染、遺伝子組み換え種子と組み換え生物。環境問題の議論の中には江戸時代や農耕時代への回帰、というアイデアが出てきますが、農耕でさえも地球環境への負荷として大きな影響を与えてきているという示唆だと思います。

一方、コンピュータとインターネットにより大いなる利便性を人類に与えた情報技術が人類に為してしまったことは何でしょうか。50年前に販売された大型汎用コンピュータと今の最新鋭ノートPCとの比較。

最新のCPUはPentium以降マルチコア化が進んで、単純な性能比較が難しくなりましたが、IPS(一秒あたりにこなせる演算量)で比べるとこんな感じ、という比較です。Pentium4 HTのCPU 3Ghz仕様で5GIPSといわれ、Core2テクノロジーでマルチコア化してクロックを落とすことで消費電力を抑えながら性能を向上、単位クロックあたりPentium4の8-9倍の性能になっている、ということなので5-25GIPSとして見ました。(専門家の方、間違っていればご指摘お願いします)これで比較してみると、54年前のコンピュータより2億-10億倍以上早くなり、重さは1000分の一、価格は5000分の一になっています。これで人類は幸福になったか、というのがテーマです。今では携帯電話にもCPUが入っていますので、それで、人類はどれくらい幸せになったか。小中学生のいじめ、高校生の出会いサイトなどをきっかけにした事件、インターネットサイトを情報交換の場にした犯罪、等数えればきりがありません。当然、プラスはたくさんあります。しかし、情報技術が人類に与えている負荷は人類が地球に与えてしまった負荷と同様に後戻りができません。ここでバンザイして知らぬふりをするわけにはいかないので、今後どうしていくべきかということを考えるしかないのです。

地球環境問題では、希望的観測とも言える筋書きとして、温暖化によりグリーンランドなどの氷冠から氷が融け出すため、現在の潮の流れが変わり、メキシコ湾流などは冷やされ、欧州、北米にも氷河が戻る、人類が今のCO2ガスの排出レベル以下に留める努力により、寒冷化と温暖化は相殺される、という説もあります。いずれにしても、地球環境への負荷軽減、生物多様性の維持、私たちの身の回りでできること、実践したいと思います。皆さんも自分でできることは何かを考えてみてください。

一方の、情報技術が人類に与えてしまった負荷、こちらはなかなか映像化できませんし、希望的観測もありません。私たちの頭の中で、具体的なイメージを作り上げて、一つ一つ対策を考えていくしかないと思います。小中学校の生徒達に携帯電話とインターネットの上手な使い方、つきあい方を教えるにはどうしたらいいのか、ということが問題になり、小中学生には使わせない、という解決策も浮上しています。問題はこのことを教える立場にある学校の先生達に、携帯電話やインタネットの基礎的な知識とリテラシーが根付いていないこと。学校の先生たちにも民間企業並みのインターネットとPC環境を提供して、先生たちから携帯電話とPCの便利さと危険性を体験してもらうことが先決だと感じます。

2009年3月1日 経営者が立ち返るべき場所

日本企業が1990年以降、企業が稼いだ付加価値をどのように配分をしてきたかをまとめてみました。(ここでは付加価値として従業員給与・賞与、役員給与・賞与、配当金、社内留保、法人税など納税額の合計を取りました。最初のグラフは付加価値金額の推移を示し、二つめは付加価値合計を毎年100としたときの比率推移を示します。)バブル崩壊直後の1990年頃には付加価値総額から従業員給与・賞与への配分率は約70%、2000年頃まで内部留保と法人税の割合を結果的に調整しながら、1999年度には約80%弱にまで増えています。役員報酬の割合に変わりはないようですので、それまでは企業が雇用と給与の維持に努力したことがわかります。

2000年以降にはこの状況が変わっています。従業員給与への配分割合は減少、2007年度には1990年レベルの70%を割り込み、株主配当と内部留保を増やしていることが分かります。

 2009年2月3日のメッセージで「90年代のバブル崩壊、国際競争力低下を背景に、この会議(1994年2月25日に千葉県舞浜で行われた経済同友会の研究会)がきっかけになって日本企業の雇用重視政策は、急速に萎んでいくことになったと2007年5月19日の朝日新聞記事では説明しています」という解説をしましたが、上記を見ると、結果としてそれが裏付けられているように感じます。

企業の付加価値をどのように人件費などに配分しているかを示す一般的指標に労働分配率があります。労働分配率の説明としては、「企業が生産活動を通じて新たに生み出した付加価値のうち賃金など人件費として労働に分配される割合をいい、以下のように計算します。

労働分配率(%)=人件費÷付加価値×100」

付加価値の算出には積み上げ方式と差し引き方式がありますが、一般的な積み上げ方式では人件費には従業員給料、福利厚生費、役員報酬も含み、分母の付加価値は経常利益、人件費、減価償却費などからなっています。ここで解説が必要なのは、役員報酬が分子には入っているので、労働者への分配とは言いにくく、分母には経常利益や減価償却費などが含まれ、大きく利益が出ているときに一気に給与や賞与に反映できるわけでもないということです。経営者としては、好況時にでた利益の一部は再投資原資にしたり内部留保に回したりすると考えられ、単純に数値の多寡で評価や比較ができないと言うことです。つまり、労働分配率が高ければ社員への配分が多いので社員に報いている良い会社、という風に単純には考えられないのです。

しかし、企業経営指標としてミクロ(企業別)にみると傾向は顕著にでてきます。例えばトヨタと日産を比べると、自動車業界の景気が良かった2005年度の労働分配率はトヨタが37.1%、日産が43.9%。景気が落ち込んでいた1998年の労働分配率は、トヨタは43.4%、日産75.8%となっており、景気の浮き沈みがあっても日産は必死で雇用を守ろうとしていること、トヨタは好景気時には内部留保に励んでいて、逆境でも余裕があったことが分かります。そのように今までは余裕があったトヨタでさえも今、雇用調整を行いながら営業赤字に転落しているという、非常事態であることの証明です。

企業としてはこういう経済的困難なときに何をすべきなのでしょうか。神坂次郎さんの「天馬の歌 松下幸之助」によると、松下幸之助さんには次のような逸話があります。ちょっと長いですが一部引用(一部割愛)します。

世界大恐慌の試練

「1929年ニューヨーク株式市場の大暴落に端を発した世界大恐慌は、日本経済も痛撃し、失業者が街にあふれた。幸之助は思案に暮れたが、腹をくくってみると打開策が閃いた。『明日から工場は半日勤務にして、従業員には日給の全額を支給する。そのかわり店員は休日を返上し、ストックの販売に全力を傾注すること』 工員や店員を集めて、後の三洋電機創業者 井植歳男の口から幸之助の決断を伝えた。首切りかと覚悟していた所に、思いも寄らぬ話で皆「うわっ」と躍り上がった。店員たちは、「さあ、売りまくりじゃあ!」と市中に飛びだしていった。販売は心意気、2ヶ月後には在庫の山が消え、半日待機をしていた工員たちもふたたびフル操業を開始した。」

一番困ったときに経営者の人間の器が試されるという話だと思います。もう一つ、企業のBCPの考え方の参考になる逸話です。

大震災後の信用確立

「1923年9月1日、関東大震災が起こり、東京の3分の2が炎上した。井植は上京して営業活動を再開、売り掛け回収することが最初の仕事だったが、幸之助と打ち合わせて、売掛金は半分だけいただき、これから納める品物の値段は震災前と同じ、というものだった。「ええっ」と、得意先の主人たちは目を輝かせた。復興し始めた東京では電気器具などは災害前の数倍の高値となっていた。「売掛金は半額で結構」と言ったのに、結局は全額回収できた。この一件で松下に対する東京での信用は一気に確立した。」

時代が今とは全く異なり、グローバル競争もほとんどなかった時代の逸話ですから、神話の範疇かもしれませんが、しかし、これが松下イズムの原点です。社会との持ちつ持たれつの関係を通した事業貢献、それが商売である。「松下電器は何を作っている会社ですか、と聞かれたら、人を作っている会社です。あわせて電気製品も作っていますと答えなさい」と幸之助は社員に教えたそうです。

パナソニックと会社の名前は変わった今もその精神は生きていると思います。パナソニックグループの経営理念は「産業人タルノ本分ニ徹シ社会生活ノ改善ト向上ヲ図リ世界文化ノ進展ニ寄与センコトヲ期ス」 〜創業者の松下幸之助さんによる経営理念。 

トヨタにも「豊田綱領」があります。

一、上下一致、至誠業務に服し産業報国の実を挙ぐべし
一、研究と創造に心を致し常に時流に先んずべし
一、華美を戒め質実剛健たるべし
一、温情友愛の精神を発揮し家庭的美風を作興すべし
一、神仏を尊崇し報恩感謝の生活を為すべし

日産自動車にもビジョンがあります。「人々の生活を豊かに」 

今のような、経済的に困難な状況に陥ったときにこそ経営者が立ち返るのはこのような経営理念であり綱領、ビジョン、と言うものだと思います。年度末に向けて各企業からはさまざまな発表やアナウンスメントが続きます。内部留保や株主配当を減らしてでも雇用を守る努力をするか、短期的な株価維持政策をとるかは経営者の判断、社会は企業の判断を見ていると思います。 

2009年2月16日 「相互理解」がビジネスの根本

商取引において、各地域の商慣習・法令・宗教戒律などに反しないことは、グローバルにビジネスを展開する上では重要なことですが、日本国内中心にビジネスを進めてきた企業ではこうした意識が希薄です。今までは日本国内で事業を展開してきた企業においても、こうしたことにも気配りをしておくことはビジネスを成功させる上では重要なことです。そもそも宗教や商慣習というのは、「過ちを犯さず正しきことをなす」、どの国の人とも、どのような宗教の信者とも共有できる価値観があるはず、ということだと思います。

欧米では昔から宗教上の視点から投資先を選別しており、SRI(社会的責任投資)を初めて行ったといわれるキリスト教の一派であるクエーカー教徒は「平和主義」を信条とし「質素な生活態度と兵役も拒否する平和主義」を理想としています。文明に毒されない簡素な生活を送ろうとしているという意味では、映画にもなったアーミッシュと似ています。彼らは、欧米で奴隷制度があった時代に、奴隷の開放・売買の禁止を促す宣言も発表しています。その価値観に基づき、クエーカー教徒は軍備関連に投資をしないことでも知られています。また、米国では徴兵制があった時期にも、宗教的な立場や良心的戦争反対の信念を持つ市民を兵役から免除することを認めていました。信者の数ではクエーカー教徒は多数派ではないにもかかわらず、市民の信教の自由を認め、多様性を受容した例だと思います。現在の米国のSRIは、煙草やギャンブル、アルコール、戦争、武器などに関する企業は投資対象にはしませんが、多くの場合「堕落」や「暴力」を戒めるプロテスタント系キリスト教の価値観に沿って判断していると思います。一方、欧州のSRIでは環境問題や反正義などへの関心が高く、農業による環境破壊、環境汚染、民主主義軽視、独裁政権への支持、ポルノ関連、劣悪な労働条件を許容するなどへの投資をしない、という傾向が強いと思います。

こうしたSRIのスクリーニング基準の背景にはキリスト教の教えがあり、キリスト教の教えの基本である博愛、慈悲、奉仕、こうした教えの背景には行き過ぎた経済発展や国力増強へのバランス観が根本にあると感じます。

アジアの仏教国タイの社会には、仏教の教えに従って、「他人のために善行をし、功徳を積む」とした考え方があります。タイの文化はもちろん、経済活動にもこの思想が根底に流れているため、タイの企業家は、「寄付」「慈善」を通して、社会に利益の一部を還元するという行動を取ってきている、と言う話を聞いたことがあります。しかし、そのタイでさえ、1970年代の工業化による急速な経済成長によって、無秩序な自然資源利用による環境破壊が発生し、過酷な労働条件や児童労働などといった不公正な労働問題なども顕在化してきました。20世紀末の経済危機の際、タイ国民の敬愛を集めるプミポン国王が、経済、社会、政治、環境の均衡がとれた開発を実施するという、「足るを知る経済」の哲学を表明、倫理観のある元々のタイへの回帰を求めました。こうした動きはタイの社会に大きな影響を与え、経済活動を見直すきっかけにもなりました。「足るを知る」というのは仏教の教え 持続可能な社会を目標に、個人、企業、政府などすべてのレベルで、今やタイの経済発展の根本概念となっています。

では日本でもよく引き合いに出される「商人の家訓」がありますので見てみましょう。
*所期奉公(事業を通じ物心豊かな社会の実現に努力する)、処事光明(公明正大で品格のある行動を旨とし活動の公開性、透明性を堅持する)、立業貿易(全世界的、宇宙的視野に立脚した事業展開を図る)(三菱グループ 岩崎小称太)
*三方よし−売り手よし、買い手よし、世間よし(近江商人)
*一時の機に投じ、目前の利にはしり、危険の行為あるべからず。わが営業は信用を重んじ、確実を旨とし、以って一家の鞏固隆盛を期す(住友家)
*徳義は本なり、財は末なり、本末を忘するるなかれ(茂木家)
*物価の高下にかかわらず善良なる物品を仕入れ、誠実親切を旨とし、利を貪らずして顧客に接すべし。(伊藤松坂屋)

「過ちを犯さず正しいことをなす」ことを支える価値観や行動規範を社会、企業、個人と分類してみると次のように整理できます。
1.社会
 @国家体制(資本主義、社会主義、民主主義など)
 A宗教観(キリスト教、イスラム教、仏教、日本の宗教)、哲学観
 B風土・歴史・文化に根ざす考え方
 C業界慣行・商習慣
 D社会における一般通念としての道徳
2.企業
 @会社の経営理念・創業の精神・家訓など
 A企業風土・社風(自由闊達、先義後利など)
 B経営者の考え方、発言・行動
 C内部統制、取締役、内部監査、会社の仕組み、上司の指示
 D契約やQCDの制約
 Eコンプライアンス関連の組織、内部通報制度、社員教育
3.個人
 @良心・常識・道徳心・正義感
 A社会的知識(法令遵守、社会的規範、正義感など)
 B信仰
 C動物的自己防衛本能
 D境遇、生い立ち、家庭内環境

さまざまな国や地域での常識や宗教観、商習慣を守ると言うことは上記のように整理してみた社会や企業、個人の価値観を尊重することに他なりません。私にはイスラム諸国、中国やベトナムでの経験はないので米国や英国での2つの具体例を通じて、「理解する」、「理解してもらう」を考えてみました。

「理解する」
ビジネスの場で初対面の人と、宗教、人種、政治の話はするなとよく言われます。意見対立を解消する方法がないケースが多いからですが、おつきあいが進むと自ずから話題にせざるを得ないケースが出てきます。その際、その背景を理解していないとトラブルになる場合も多々あります。夕食に誘われる際に“What is your religion/denomination?”と聞かれたらどうでしょう。イスラム教の場合は、豚肉や血を食べること、お酒、客人に熱い飲み物を出すことが禁じられています。ヒンズー教の場合は、牛肉や卵を食べることが禁じられています。ユダヤ教では、鱗とひれのある魚以外(例えば、タコや、うなぎ、あなご、イカ、エビ、貝類など)は食べてはならず、豚・馬の肉も禁止されています。キリスト教でも一部の宗派(denomination)では、鯨や血を含んだソーセージなどを食べないケースがあります。(食品を扱う会社で、宗教上のこうした常識をおろそかにして大きなトラブルになったケースもありました)夕食やパーティに誘われる場合には、こうしたことを先方としては聞いておきたい、と言うことですので、多くの日本人なら「問題なし」だと思いますが、この時“I have no religion”という回答は相手によっては“なぜだ”と思われるケースもあります。日本人は無宗教、ということは有名ですから英米で“?”はないと思われますが、それでも“I’m a Buddist”(Shintoist)とでも言っておいた方が理解しやすいと思います。

英米人から年末にグリーティング・カードを受け取る方も多いと思いますが、“Merry Christmas”などとは書いていないことに気づいていますか。相手が何教の信者であるか多様な英米では“Season’s greetings & Best Wishes for the new year”などと書かれていて、ユダヤ教のハヌカや仏教のお正月などに配慮しています。イスラム教ではラマダンという日中食物を口にしない期間が一ヶ月くらいあるので、ラマダン明けは「おめでとう」ということで盛大な食事会を催したりします。ラマダン中はイスラム教徒とは「昼飯はどうする」という会話は成立しないので、お誘いしないこと、またその時期は毎年月がずれていくので注意が必要です。

「理解してもらう」
インフルエンザの季節になると、日本ではマスクをする人が増えますが、英米ではほとんど見かけません。英米でマスクをしているのは「強盗」か「廃棄物処理作業員」。「マスクをすることで口からの飛沫をガード出来る」と言うと理解はされますが、街でマスクをして信号待ちでもしていると、じろじろ見られること請け合いです。しかし、こういう皆さんには、「日本人は風邪をひいた時、周りの人にうつさないようメディカルマスクをつけるのです、周囲に対する素晴らしい心配りだとおもいます」などと日本人の美徳として紹介すればいいと思います。しかし急には習慣は変えられないでしょう。BCPの一環としてインフルエンザ流行時にはマスク着用のこと、と会社として決めても社員に励行を促すのには困難が伴うかもしれません。うがいも日本独自の衛生習慣らしいのですが、誰にも迷惑はかけませんので、一人でうがいはしていればいいと思います。見つかったら次のように説明すればいいと思います、「うがいには滅菌作用と喉を湿らす作用があり、インフルエンザ予防に効果がある」。20年くらいたったときに、英米でもマスクとうがいが感染症予防になることが常識になっていること、期待したいと思います。

一つ二つの例で文化などの違いを理解しろという方が無理な話です。習慣の違い、宗教の違いによるふるまいや商習慣の違い、文化的背景による個人の価値観の違いなど、重要なのは相手を理解し、相手にも理解してもらうこと。日本でも本来は必要なことなのですが、海外では特に、相手は異なる背景を持った人なのだと言うことをいつも認識していることが重要です。一方的な判断や価値観の押しつけはビジネス上も個人的なおつきあいでも良い結果を生まないと思います。郷にいれば郷に従い、しかし、相手にも当方のことを理解してもらうことでコミュニケーションが深まって長いおつきあいができると思います。
 

2009年2月11日 さまざまなシングルの生きる道

日本における未婚化、晩婚化は進行しており、シングル人口は増え続けるのは確実な状況です。1970年には613万世帯しかなかった単独世帯が2000年には1300万世帯、2025年には1700万世帯以上と推定されています。国民生活基礎調査(2003年6月調査)の全世帯数は4580万世帯ですので、3分の1は単独(シングル)世帯となっているのです。シングル化する日本で紹介した、さまざまなシングルの生きる道はどうなのでしょうか。なにかソリューションはあるのか考えてみます。

単独世帯にもさまざまな「シングル」が存在し、それぞれが抱える問題は多様です。

■ 介護する羽目になった非婚者、一人っ子の「シングル介護」 総務省の就業構造基本調査において、親の看護や介護を理由として転職や離職した者の数が2003年から2005年は年間10万人前後で推移していたが、2006年になって14万人を超えたとのことです。 

■ 子育てする「シングルファーザー/マザー」約140万世帯 (総務省統計研修所調査2003年11月)※統計上は単独世帯ではありません。また「一人親と子の世帯」は2000年時点で365万世帯ほどありますが、それはシングルファーザー/マザー世帯数とは等しくありません。 

■ 派遣労働者で結婚に踏み切れない「派遣シングル」 2007年労働力調査によると、男性25―54歳での派遣シングル(パートアルバイト、派遣労働者、契約社員の単身者合計)は32万人、女性25―54歳で40万人となっています。 

■ 一人で生きる「アラフォーシングル」 厚生労働省国民生活基礎調査によると、単独世帯1300万のうち9.4%が35―44歳のアラフォーとされており122万世帯(人)のアラフォーシングルがいると推定できます。 

■ パートナーと離別もしくは未婚の「シングルシニア」 国勢調査データによると1980年には2.5%しかなかった65歳以上の単独世帯の割合が、2000年には6.5%になり、2020年には12.6%になると推計されています。 

働いて収入を得ながら生きていくための手段と、老後も幸せな生活を送るための手段、いずれにおいても、10万時間の使い道で紹介したように、「お金、健康、生きがい」が重要であり、「個人、企業、国」それぞれができることがありそうです。シングルである、ということによる不安や課題はなんでしょうか。

  生活 お金 健康 生きがい/希望
シングル介護 両親を介護 介護費用負担 自分しかいない 考えたくない
シングルファーザー/マザー 育児時間捻出
家事(父子家庭)
収入不足 病気になどなれない 子供の成長
派遣シングル 次の職 収入不安定 健康保険 資格や技術習得で正社員に
アラフォーシングル 両親の老後
次の週末予定
貯金不足
将来の年金不足
更年期の始まり
厄年
世のためになる社会貢献など
シングルシニア 年老いた親
話し相手
親の介護
将来の年金
老後の自分
健康な食生活
経験を活かして世間に貢献

いずれも深刻ですが、特に「シングル介護」は 1.突然はじまる 2.先が見えない 3.悲しい ということでシングルファーザー/マザーより状況が悪く、介護に割く時間の制約から、勤め先を辞めて介護する必要性に迫られるケースもあり、収入面でも介護している親の年金だけが収入、という場合もあります。この場合でも失業保険と介護保険の対象ではありますが、支給期間は限定され、外部からの介護に対してしか保険の対象にはなりません。

 特に男性の場合は生活経験(家事、病人やお年寄りの世話、生活における雑事など)が不足している方が多く、介護の必要が生じても自分ではなにもできないことになりがちです。さらに、一人っ子で独身、本人が介護から逃げられないとすれば仕事との両立ができず離職という選択をしてしまう場合もあります。会社の制度を使って年休も使い果たしても、上司や同僚にプライドがあり、「できない」「助けてほしい」と言いにくい、と言う方もおられると思います。今まで仕事をしっかりとこなしてきた、という自信がある方ほど、職場で優秀な働き手でない自分を受け入れられない、というケースが多いのです。これは会社サイドも、「バリバリ社員」を想定し、人事制度も成果主義へ傾倒しすぎているような場合、制度が公正であることが、「バリバリ社員」であることを強いていることにも原因があるのかもしれません。 

短期的には、現要員の最大活用は経営的には正しそうですが、多様な社員が社内に存在することを想定すると、代替要員も用意できないようなぎりぎりの運営では、長期的には社員のやる気が減退することにもつながりかねません。高齢化社会では、意欲を持って働ける限り働き続けることが、社会への参画、義務遂行、健康維持のためにも必要で、高齢者が尊敬され、その知恵を求められるような社会こそ、個々の尊厳が保たれ、それを見て育つ子供も心豊かになると思います。こうしたスキルやノウハウを持ったシニア社員や介護が必要になった社員が、希望する労働時間、労働場所程度で働くことを選択できる制度や受け皿を会社が用意することが、重要になっていると思います。 

「派遣シングル」も経済状況の急激な悪化で事態は深刻です。住む場所もなく、親との同居もできない、行政の保護にも限界がある、と言う結果ホームレスになり一層職探しが困難になる、という悪循環のケースもあるようです。いまや労働者人口の三人に一人は非正規労働者、このまま増え続けると次の世代の子供達の多くが「派遣シングル」になってしまう、このままでは大きな社会問題となります。2007年労働力調査によると、男性の派遣シングル(パートアルバイト、派遣労働者、契約社員の単身者合計)の年代別人数、男性正規雇用者、非正規雇用者の男女別シングル比率をまとめてみます。 

 

 

派遣シングル(単位人)

正規雇用者シングル比率

非正規雇用者シングル比率

男性

2534

14

13.4%

16.1%

3544

7

9.6%

16.3%

4554

11

9.6%

31.4%

女性

2534

17

14.7%

8.0%

3544

12

11.6%

5.3%

4554

11

9.0%

4.2%

男性では派遣労働者であるために結婚をあきらめている方が多いのではないかと推察できる数値です。「派遣切り」国と企業ができること、で紹介しましたが、国としての競争力維持のためにも、会社はできる範囲で派遣社員の正社員化の努力をすることが必要だと感じます。

 総務省統計研修所調査によると2003年11月時点での「シングルファーザー/マザー」つまり日本の単親家庭数は、母子世帯が122万5,400世帯、父子世帯が17万3,800世帯となっています。国民生活基礎調査(2003年6月調査)の全世帯数(4580万世帯)との割合でみると、母子世帯は2.7%、父子世帯は0.4%。年代別では20歳〜30歳後半が多く母子家庭では76万人を占めています。片親世帯となった理由は厚生労働省の「2003年度版母子家庭白書」によると「離婚」68%、「死別」19%、「未婚での出産」7%。母子世帯が多い理由は、離婚時に夫が子の親権を行う件数が、妻が行う件数の約5分の1(人口動態統計2003 年)であることが考えられます。ここでの最大の問題は収入です。特に母子家庭の平均年収は約213万円。一般家庭の平均約564万円と比べると、4割弱しかないことがわかります。育児をする社員ができるだけ会社を辞めなくてもすむ制度、受け皿、すでに多くの施策が実行されてきていますが、今後もいろいろ知恵を出していきたいと思います。

 「アラフォーシングル」や「シングルシニア」はその他3つのシングルに比べれば深刻度合いは軽いと言えますが、当人としての悩みは深いと思います。アラフォーシングルの、特に女性は団塊世代以前では結婚して子供を2人以上産んでいた層であり、婚外子は産みたくないという気持ちから、この年代の層が晩婚化、非婚化が出産適例時期を逃してしまうことにつながり少子化の原因となっていると考えられます。シングルシニアは離別もしくは未婚によるシングル化です。

 2005〜2006年のデータによると、世帯人員数はスウェーデンで2.0人、イギリスでは2.4人、アメリカでは2.6人。単独世帯割合はスウェーデンで46%、イギリスで29%、アメリカで26%となっています。福祉システムが普及して高齢者が安心して暮らせる国や、晩婚化・非婚化が進む国で世帯人数が減り、単独世帯割合が増える傾向にあるようです。日本でも2030年頃には単独世帯割合が北欧諸国のそれに近づくことになりそうです。

 国や企業ができることについては、以前も述べましたので、ここではまず、本を紹介します。「おひとりさまの老後」(上野 千鶴子 著)では、高齢シングルが元気でサバイバルするための心構え、住まいやお金についての準備を説明しています。親とどう付き合い、どんな介護を受け、最後の始末まで紹介されている、ということですが、なぜこの本が75万部も売れているのでしょうか。日本人の平均寿命は、女性が85歳、男性は78歳で女性はパートナーがいても最後の7年は一人、そもそも妻の年齢の方が若いケースが多いので最後の10年は一人になります。65歳以上の女性の2人に1人は夫がすでにいない(先立っている)というデータもあり、また介護施設の入居者の80%以上は女性となっています。未婚、非婚、既婚にかかわらず、女性の最後はひとりになる確率が高く、その覚悟が必要、と感じた多くのまだ若いシングル女性も読者になっている、と推測できます。

 上野さんによると「1人で生きる知恵をもつこと」「どんな暮らしを誰としたいか」、選択の基準として、第一に人間関係、第二に介護資源をあげています。そして「友だちの選び方」、人間は一人では生きられません。年齢を重ねるといろいろなことが身の回りでおこって、だれかにヘルプをお願いしなければなりません。そのためには、友人選びはとても大切になるということです。詳しくは本を読んでみてください。

 さらには社会や考え方を変えることを提案します。まずは事実婚、フランスやスウェーデンなど欧州では広く受け入れられています。フランスでは「ユニオン・リーブル(内縁関係)」が社会的に結婚と同様な状態として認められています。さらに、フランスでは1999年にPACS(連帯市民協約)法というものが成立し、同棲カップルにも夫婦と同じ権利が与えられるようになりました。財産分与まで法律で保障されているので、フランスでは結婚にこだわるカップルがさらに少なくなったのです。事実婚の子どもの姓は、先に認知した親の姓になります。両者同時に認知した場合は父親の姓になりますが、統合姓も許されているそうです。事実婚でも婚姻による夫婦同様、一方の社会保障をもう一方が利用することができ、また、国鉄の家族割引などの利用も可能なのだそうです。子どもの出生の際には、父親が出産休暇を取ることもできて、子どもの相続権は、認知されていれば嫡出子と同等の権利が保障されています。つまり結婚している夫婦とほぼ変わりない権利が与えられているのです。スウェーデンでは事実婚や同棲婚「サンボ」、その他の国でも事実婚が法制化されており、旧東欧諸国以外のEU諸国では事実婚が当たり前、と言う状況です。日本でも非嫡出子とか私生児などという呼び方、考え方を見直す時代なのでしょう。

 日本でもコレクティブハウス、という住まいが出始めました。私生活の領域とは別に共用空間を設け,食事・育児などを共にすることを可能にした集合住宅のことをこのように呼び、未婚、非婚、既婚、子持ち、シニアあらゆる層の方が一緒に暮らす、というコンセプトです。各世帯がキッチン、トイレ、バスのついた独立した住戸に住みながら、共有のリビングルームやキッチンを他の世帯と積極的に利用しながら暮らせる住宅なので、核家族の子育てに限界を感じた人や、多くの人の目がある中で子育てをして子供のコミュニケーション能力を高めたいと考える人も暮らしています。若いシングルの方でもコレクティブハウスであれば抵抗感なく、こうしたサークルに入っていけるのではないかと思います。

 シングル介護をしている人が派遣労働者になるケースや高齢化で自分自身もシングルシニア年代になるケースもあり、さまざまなシングルの複合化も進みます。国や企業も知恵を絞る必要がありますが、自分のことは最後は自分で解決しなければならないのも現実です。自分にできること、今から準備が必要なこと、考える必要があります。

2009年2月3日 雇用の提供、国と企業ができること


経済状況が急変する中、いわゆる「派遣切り」は問題、と報道されていますが、何が問題なのでしょう。派遣労働の法的根拠となっている労働者派遣法制定の目的は次の通りです。
「職業安定法と相まって労働力の需給の適正な調整を図るため労働者派遣事業の適正な運営の確保に関する措置を講ずるとともに、派遣労働者の就業に関する条件の整備等を図り、もって派遣労働者の雇用の安定その他福祉の増進に資すること」

江戸時代以来の労働者搾取から労働者を守るため職業安定法では労働者派遣を禁止してきましたが、1986年、IT技術者など13業種に限定して労働者派遣を可能とする先述の労働者派遣法が施行されました。もともと「女工哀史」や「たこ部屋」のような悲惨な状況から労働者を保護しながら、日本企業の国際競争力も向上させるというのが法律制定の主旨でした。また、労働者の立場が弱く日雇い労働者派遣につながりやすい建設業や港湾運送業務、責任が重くリスクもある警備業務、資格などが必要な医療関係の業務などは対象から除外されました。その後、一般労働者との混在で管理が難しいと考えられた製造業でも、国際競争力強化の必要性から2004年に適用対象とされ、医療業務もスタッフ不足などから紹介予定派遣(注)を前提に対象とされました。

法律制定の功罪としては、土地バブル崩壊後の日本企業の国際競争力維持、企業業績回復への寄与、そして失業率改善に貢献しました。企業活動の一部を間接雇用者(派遣社員使用・業務請負)でまかなう企業サイドから見たメリットを整理すると、次のようになると思います。

人事管理が不要、社員教育費用削減、福利厚生費用削減、社会保険料/雇用保険料削減、退職引当金が不要、期間雇用が可能

一方、今問題になっているような労働者からみた雇用の不安、日雇い派遣、正社員との賃金や社会保障面での格差を生み、そして間接的には経済的不安から生涯のパートナー選びで男女ともに消極的になる結果として少子化・シングル化の後押しをしてきたことも否めません。しかし、労働者派遣に問題が出てきたからと言って、制限業種を増やすような規制強化は、経営者マインドとして正社員の採用に慎重になるため中期的には逆効果、性急な見直しには注意が必要です。

企業の社会的責任を考えると、労働・雇用の観点から責任ある行動をとることを求められています。考え方としては次の通り。

社員の働き方に十分な考慮を払い、個性や能力を活かせるようにしていくことは、企業にとって本来的な責務であり、そのような行動を積極的にとっている企業が、市場において投資家、消費者や学生から高い評価を受けることは社会からみて有益である。

具体的には社員が能力を十分に発揮できるよう、人材の育成、従業員個人の生き方・働き方に応じた働く環境の整備、安心して働ける環境整備を行うこと、人権への様々な配慮を行うことなどがあげられます。企業が業務の一部を正社員ではなく間接雇用者に担当させること自体は合理的な経営判断ですが、企業の社会に対する雇用の提供、という社会的責任を広く捉えると、間接雇用者に対しても(正社員化する方向も含めた)上記配慮をすることが重要だと考えられます。

以上、まとめて考えると、経済的状況の悪化や企業業績の悪化を原因として、企業のコスト削減が経営課題となったときに、人の削減に手を付けることは経営者にとっては社会的責任を意識した重大な決断であるはず、ということです。

また、社員以外に契約派遣社員や請負業務をになう協力企業社員が社内で社員と一緒に業務をしている状況で、自社社員ではないからと言う理由から請け負い企業や派遣社員の契約延長をしない(雇い止め)、もしくは途中でも契約を打ち切る(派遣切り)、加えて採用内定社員に自主的辞退をほのめかすことは、自社社員へも相当な心理的な影響を与えることを考えておく必要があります。ハーバード・ビジネス・レビュー日本版2008年10月号に「リストラはかえって高くつく」という記事が掲載されました。リストラを敢行すると、リストラを免れた社員の意欲が低下するだけでなく、計画以上の自主退社者が発生することにより、かえって効率・業績が悪化する。そして、この傾向はキャリア開発制度が整った企業ほど強い、という調査結果を紹介したものです。業務の外部化(派遣社員使用、業務請負・委託、アウトソーシングなど)は短期的な経費節減や費用の変動費化には寄与しますが、社員のやる気低下を招き、継承すべきノウハウや技術などの喪失をもたらします。逆に「ウチの会社はそのようなことはしない」というメッセージは社員や社会に相当な良い心理的影響を与えることができると考えられます。

しかし、雇用についてはマクロとミクロを混同してはならないと思います。企業の経営判断においては社会的責任は重要とはいえ企業の存続が前提ですから、ある時点では人の削減まで踏み込んでなされることがあります、これはミクロ。国としては不況などによる雇用状況の悪化に対するセーフティネット確保や経済刺激、その他施策の早急な実施が求められます、これがマクロ。企業経営者に雇用保障の責任などないのだ、と主張する経営者は社会からは尊敬されないと思いますが、ミクロ判断としてのリストラはあり得る判断だとも言えます。問題は、企業が可能な手段や施策は尽くした後に、赤字転落や企業存亡の危機にいたり、その結果人の削減にまで手を付けたのか、それとも安易な経費削減として、人件費を変動費扱いするような派遣と請負切りで難局をしのごうとしているのかです。生産調整のための工場の一時操業停止などの施策の次には、正社員の労働時間短縮なども含めたワークシェアリングも選択肢、非正規雇用者ではない正社員も他人事ではありません。「百年に一度の経済危機」という形容詞で企業としての責任を棚上げしていないか、社会は企業の行動を見ています。

非正規雇用には賃金格差の問題もあります。一般労働者とパートタイム労働者の賃金比較では年々格差は拡大しており、男女間の格差も大きいことが分かっています。日本での非正規職員・従業員の割合は33%台(労働力調査)となっており、前年に比べ0.5ポイント上昇、なんと労働者の3人に一人が非正規雇用者になっています。また、若年層でもいわゆるフリーター人口が近年急増しており、自分の子供達の3人に一人は非正規雇用者になる事態と言えます。

他の国ではどうでしょう。例えばオランダの場合には、国レベルでの政労使の合意をベースに「同一労働価値であれば、パートタイム労働社員とフルタイム労働社員との時間あたりの賃金は同じにする」制度(ワッセナー合意)があります。これはオランダでは非常に失業率が高かったためにワークシェアリングを進めるために取られた施策です。その結果、1980年代には14%にも達した失業率が2007年には3%台に低下しました。また、年間労働時間を比較すると日本が1800時間弱なのに比べオランダは1300時間台、ワークシェアリングを進めた結果、労働時間も短縮され、出産や育児をする女性の雇用も確保されたのです。さらに、国民一人あたりGDPをみるとオランダは2007年8位、日本は21位、1993年にはオランダは13位、日本は2位です。今や日本は長時間労働で低所得、ここ20年の日本における労働施策、雇用施策に何か問題があったのではないかと感じます。

気になる統計データに近年の「自殺者の増加」もあります。特に国際的には日本の自殺率は世界で9位、それより上位には社会問題山積の旧ソ連諸国が並んでいます。年代別には日本は50歳代が最多、他国とは異なる傾向を示しており、失業率遷移と相関しているため、理由としてはバブル期に背負った住宅ローンや教育費用などの経済的理由が想定できます。シングル化や少子化にとどまらず、自殺の増加にまでつながる原因の一つが失業や非正規雇用者の増加だとすると大きな社会問題です。

賃金格差以外には年金受取額や年間消費支出額の格差もあり、国のレベルで考えると税収とGDPに影響してきます。UFJ総研が調査した「フリーター人口の長期予測とその経済的影響の試算」によると、フリーターと正社員では次のような格差があるとされています。(単位 円)

  住民税 所得税 消費税 年間消費支出 年金受取月額-単身 年金受取月額-夫婦
フリーター 11800 12400 49000 1039000  66000 132000
正社員  64600 134700 135000 2829000 146000 212000


同調査によると、フリーター人口の消費支出は正社員に比べて低く、正社員になれないために消費できなかった支出によりGDPにして1.7%相当の引き下げ要因になるとしています。「フリーター」という語感から気楽なすねかじり、と受け取りがちですがフリーターも非正規雇用の一部、非正規雇用者やフリーター増加は少子化、シングル化と相まって国力の低下を招きます。国力低下がまた企業競争力低下やフリーター増加を招くとしたら、それらは相互作用的に急加速していくことが予想され、年金や健康保険制度破綻が懸念されます。失業者に対して国がセーフティネットの諸施策を講じるにも財源(税金)が必要であり、正規雇用者を企業努力で増やすことは国力維持にもつながるのです。

欧州諸国が女性の社会進出により少子化に歯止めをかけたように、他国に比べると十分ではない日本における女性の社会進出が、こうした国力低下や少子化、シングル化への処方箋ではないかと考えられますが、出産や育児をする女性を社会が受けとめられる仕組みが重要です。内閣府男女共同参画企画会議 2002年発表 「ライフスタイルの選択と税制・社会保障制度・雇用システム」によると、

  女性が生涯に受け取る賃金と年金受給総額の合計
定年まで正社員 2億1109万4608円
いったん企業を退職後正社員として再就職 1億8230万9637円
いったん企業を退職後出産育児を経て年収103万円以内でパート 8217万358円
いったん退職後無職 4719万1210円

となっています。正社員として働けるかどうかで大きな差があります。また、労働政策研究・研修機構は「若者就業支援の現状と課題」2005年調査において正社員と非典型雇用者の有配偶者比率を調査、男性においては、正社員であることで結婚する確率が2倍以上高まることが分かりました。

企業としては、特に若い世代における正社員の比率を上げ、出産や育児をしている女性を正社員として再雇用する仕組みを提供することが、女性が結婚や出産、育児に踏み切る決心を後押しし、結果として国力低下や少子化対策への貢献となると考えられます。また、育児や介護をしながら働く人を支援できる社会の仕組みが必要になりますが、そのためには今まで以上の社会保障費用がかかります。国としての税収には限りがありますから、国民の選択肢として消費税増税による負担が必要になるかもしれません。また、夫婦と子供二人と言う標準世帯をモデルにした年金や納税制度(配偶者控除や三号被保険者など)を見直し、個人を基準にする納税と福祉モデルにすること、同等価値労働同一賃金単価というオランダ方式などを参考にしていかなければ、日本での女性の社会進出は進まないと考えられます。育児や介護支援などにより新たな雇用が生まれ雇用対策にもなります。男が世帯主で正社員である、と言う時代は終わりを迎えたのです。

日本企業は一体どの時点で終身雇用から株主重視に転向したでしょうか。2007年5月19日の朝日新聞によると、それまで「雇用重視」を掲げてきた日本企業が「株主重視」に大きく転換したのは、1994年2月25日に千葉県舞浜で行われた経済同友会の研究会での議論だったそうです。「企業は、株主にどれだけ報いるかだ、雇用や国のあり方まで経営者が考える必要はない」というオリックス宮内社長の主張に対し、新日本製鉄今井社長が「それはあなた、国賊だ、我々はそんな気持ちでやってきたんじゃない」と批判するなど、トップ企業の経営者達が白熱した議論を展開したと紹介しています。90年代のバブル崩壊、国際競争力低下を背景に、この会議がきっかけになって日本企業の雇用重視政策は、急速に萎んでいくことになったと記事では説明しています。

私たちは今、米国でのサブプライム問題から端を発した世界の経済状況激変を目の当たりにしています。今こそ、日本企業の国際競争力や日本の国としての力をどのようにして維持、強化していくのかを考える時だと思います。団塊の世代は日本という国や所属する企業が右肩上がりで成長する時代を生き、「明日は今日より良くなる」という経験をしてきましたが、同じ考え方では立ち行かない、というのが今の事態です。今の日本の若者が、「明日」は「今日」より良い日になるという希望を持てる社会にしていくことに、国と企業は責任を持ち、国民や社員としても状況を認識する必要があると思います。1月12日号の日経ビジネスでマイケル・ポーター教授は、短期利益志向反省からの持論である「戦略的CSR」を主張しています。教授が主張されるように、日本企業は90年代に一度切った舵をもう一度切り直す時期であり、米国的価値観主導でここまで来た短期利益志向資本主義を見直す時期なのではないでしょうか。

雇用調整を進めることが、企業にとっては人件費削減策になり、こうした事態を受けて国にとって必要なことは雇用の一時的確保とセーフティネット整備である、という短期的な弥縫策にとどまるべきではないでしょう。日本企業にとっては昔の形に戻るのではなく、企業の株主価値最大化から社会価値最大化に向けて転換するような中長期的な経営ビジョン、国にとっても長期的な人口動態変化を見据えた長期的な国家戦略を再構築することが必要になってきている時だと思います。

注「紹介予定派遣」:紹介予定派遣とは、一定の派遣期間後、正式に採用することを予定して派遣を行うことです。2004年の改正により、それまで禁止されていた派遣社員と派遣先企業の派遣前の接触が解禁になりました。
 

2009年1月26日 行き過ぎたインフルエンザ報道

 


新型インフルエンザ関連ニュースで「個人は二週間程度の籠城を覚悟」などの報道が増え映画まで封切られ、一部には「空気伝染もする」という間違った情報や過剰な振る舞いをマスコミが視聴率稼ぎのために煽っているようにも感じられます。新型インフルエンザ対策は「未知の恐怖への自己防衛」ではなく、社会的混乱をできるだけ回避するためのリスク対応策、つまり社会との関わりをどう考えるか、でなくてはならないと思います。ポイントを整理してみます。

1.個人の対応
 感染は接触ならびに飛沫でおこります、空気感染はないと言われていますので同じ部屋にいるだけでは感染しません。宅配便の受け取りや商店での買い物も、お互いにサージカルマスクをして、日常の手洗い、うがいを正しく実行していれば感染は防げるとされています。「籠城2週間で自分たちだけは生き延びる」という自己防衛策だけを考えていればそれでいいわけではないはずです。実家の親、兄弟、親戚、近所の寝たきりの方、病気がちの一人住まいの老人や知り合いは大丈夫なのか、阪神淡路大震災の時にも課題になった、そうした方々への気配りが必要とされるのが災害に向けた準備だと思います。
 新型インフルエンザ対策の基本は、流行時にウイルスを社会に急拡大させないために、発病者は自宅で療養、そのために発病期間1〜2週間程度の食料品と日用品の備蓄をしておくことが主目的です。新型インフルエンザは最初の大流行で全国民の25%が罹患、その後も変異するウイルスに新たに罹患する方が増えて、全国民の7―8割が罹患もしくはワクチン接種で免疫を獲得するまで流行は収まらないとされています。毎年はやる季節性インフルエンザも過去の新型インフルエンザのなれの果てだそうですから、新型にはいずれ罹る、と考えた方が良いということです。ゴーグルが家庭で必要なケースは、家族に罹患者がでて看病する際に、飛沫を浴びないよう装着する、家族が罹患すると感染を避けるのは難しいが、できるだけ発病を遅らせて、家族相互の看病を可能とするためを考えたらどうでしょう。
 また、毎年のインフルエンザ流行で「マスク・手洗い・うがい」をしっかり習慣づけて、咳エチケットは守ること、マスクは感染を広げないために着用すること、特に手洗いをこまめにすることは有効とされています。インフルエンザに罹ったら 仕事を休むこと、回復してからも2―3日はウイルスを出し続けているので迷惑ですから 出勤をひかえることなど、周りに感染を広げないことを普段から心がけておくことが新型インフルエンザ対策としても有効です。

個人での備えをまとめると、次のようになると思います。
■物流が止まったり、自分や家族発病に備えて2週間程度の食料品と日用品の備蓄。
■病気などの看護してくれる人をあらかじめ決めておく。
■地域における新型インフルエンザ対策に協力する。
■発病したときは周囲に感染させないためにサージカルマスクを着用。
■子供たちにもマスク・手洗い・うがいの習慣を教える。


2.国の対応
 流行前ワクチンをまず6000名の検疫担当者や医療従事者に先行接種してもらい、副反応の有無を確認した上で1000万人の流行前接種を行う、というのが日本政府の方針でした。昨年12月19日の新聞で、「6000名の接種者のうち8名が脳血栓などで入院した、ワクチンとの因果関係は調査中」と報道されました。その後12月23日には、「来年度中に医療従事者ら約150万人に接種することを検討していたが、発生前の大規模接種には反対意見もあるため、流行時に出入国が認められる空港・港がある7地域の医師ら30万人に接種対象者を絞ることにした」と報道され、対策にぶれが生じていることが伺えます。
 もともと日本以外の国では事前接種を行うとしている国はありません。理由は効果が不明、副反応に不安、というもので、「なぜ日本だけが実施するのか」という反対意見が多いことにも頷けます。米国では1976年に豚起因インフルエンザの流行懸念から4565万人へのワクチン接種を実施、副反応と疑われる500名のギラン・バレー症候群発症者がでたところで中止を余儀なくされたという悪い経験を持っています。
 国に対しては多くの研究者などから、抗インフルエンザ薬の国民全員分の準備と流行後ワクチンの早期の製造体制確立、関連する研究開発促進が望まれています。さらに、世界に目を向けると、このような研究開発や体制確立が経済的にも難しい国がたくさんあり、皮肉にも新型インフルエンザが発生している国での対策が非常に遅れています。こうした国との研究協力と併行した抗インフルエンザ薬やワクチンの提供協力の意思表明がないために、アジアの一部の国ではウイルス検体提供を拒否する、という行為につながっているのです。新型インフルエンザは世界流行が懸念されているわけですから環境問題と同様の取り組みが必要です。日本を初めとした先進国は「自国民だけは生き残る準備をしておく」という考えを一歩進めて、世界流行を最小限の被害で食い止めるための国際的な協力体制を議論する必要があると思います。国として必要を思われる準備を整理してみます。
■抗インフルエンザ薬の研究、生産、備蓄を全国民分を第一目標に、さらに国際協力も視野に入れた体制を整える。
■流行後ワクチンの生産体制確立と全国民への早期の接種方法確立する。
■高病原性ウイルス流行期間には「医療行為」から「リスク対応」へのモードを切り替え、超法規的対策も含め検討すること。(駐車禁止解除、処方薬のOTC配布、医者看護士以外によるワクチン接種、企業間契約の執行猶予、債務決済猶予など)

国の対応が遅くてお粗末なので、多くの学者や研究者がちょっと強めに新型インフルエンザのリスクを訴えたために、マスコミが過剰報道をしている、とも解釈できるのが昨今の新型インフルエンザ報道です。しかし、本当にウイルスによる世界流行が始まったらパニックです。余裕のある行動は難しいと考えて、平時の今だからこそ考えられる準備をしておくこと、これが新型インフルエンザ対策のポイントだと思います。
 

2009年1月20日 シングル化する日本の将来を考える

日本が昭和から平成にかけて辿ってきた変化、このキーワードは「シングル化」ではないかと考えてみました。

 1. シングル化する日本人

日本人は本当にシングル化しているのでしょうか(この場合のシングルというのは結婚をしない選択肢、という意味)。 高度経済成長期には、団塊の世代を中心により良い職と教育を求めて大都市圏へ人口が集中、大都市圏の住宅事情から複数世代家庭が減少、核家族化が進行しました。昭和の右肩上がり経済から安定成長期に移行するのと併行して経済サービス化が進みました。サービス経済化とは、サービス業の拡大だけでなく、すべての産業でサービス化が進むということであり、こうした中で働き方の質も変化しました。製造業が産業の中心であった時代には、労働時間が生産量を決める主要因であったため、需要があれば長時間労働をする必要性があり、高度成長期にはそうした時間的制約が出産や育児をする女性の社会進出を阻む原因になっていました。しかしながら、サービス業務では、アウトプットが労働時間に比例するわけではなく、一定時間の労働よりも、より良い成果が出せる人材の育成が重要となり、時間的制約を持つ女性でも働き続けることが可能な選択肢が増えてきたと考えられます。こうした変化と併行して少子化も進みました。少子化が進んだ理由は結婚時期の高年齢化とそれに伴う女性一人あたりの生涯出産数減少である、とされています。一組の夫婦が作る平均的な子供の数は2005年に少し減少が見られていますが、概ねここ30年間変化していません。(国立人口問題研究所 夫婦の完結出生児数)一方、一人の女性が生涯に生む子供数の推計値である合計特殊出生率は高度成長期の2.2人から2007年には1.34人に減少しています。このことから結婚した夫婦が作る子供の数はあまり変わらないとすれば、「少子化が進んだのは平均婚期が遅くなってきたから、つまりシングル化が進んだから」と、「パラサイトシングルの時代(1999年)」の著者 山田昌弘さんも主張しています。

 社会的責任必要性は安定成長期に移行したことがきっかけになり叫ばれはじめました。このシングル化と少子化が需要低迷のきっかけを作り、将来の右肩上がり需要期待を背景とした「土地価格は下がらない」、という神話の崩壊がおこりました。つまりシングル化と少子化をきっかけとして、安定成長という名の低成長時代への幕が開けたのではないかと考えられるのです。同書の中で山田さんも解説していますが、少子化はその後数十年にわたって高齢化を招き、相対的な労働力人口減少をもたらします。結果として国民経済という枠で考えると生活水準低下を招く、という理屈です。少子化が進んでパラサイトが可能になったと考えると、シングル化と少子化は相互に原因と結果の関係になるようにも思えます。

 同じように寿命の伸びが見られる北欧、英仏と北米でも少子化傾向は見られますが、日本ほどのシングル化が目立たないのにはいくつかの理由が考えられます。@成人になる際に親が子供に自立を義務づけている、A多くの若い移民を受け入れ国力維持に努めている、B女性の地位向上と出生率維持には正の相関があり、女性の地位向上に国を挙げて努力してきた、C結婚制度から事実婚を認める社会に移行している、D婚外子を容認する社会風土がある。日本女性の社会進出は進んできたのに北欧や英仏のようには出生率が回復しない、とすれば上記に加え、日本における女性の地位向上はまだ足りないとも考えられます。

 日本でシングル化が進展していることは統計数値にも表れています。女性20代後半では、1970〜2000年の間に未婚率は18%から54%へと3倍に増え、半分以上が未婚、男性30代前半では同じ時期に12%から43%へと3.6倍になっています。これらの年齢層では、その分だけ結婚している人が減って、出産も減っています。日本ではシングル化が少子化の後押しをしているようなのです。

 山田さんはシングル化の原因を、親への依存で楽でリッチに暮らせる選択肢をとる人が増えているから、としていました。その後の著書「パラサイト社会のゆくえ (2004年)」で自立したくても自立できない貧乏パラサイトが増えている、ともしています。しかし、現実はシングル化がそうした消極的な選択の結果だけではなく、自己キャリアの確立や両親の結婚観変化などのために、より積極的にシングル化を選んでいる男女が増加しているからであり、山田さんのパラサイト論のように単純ではないと考えられます。結婚して子供をもうけ育てることが幸福、という価値観自体が変わってきていること、増大する非正規雇用者をパートナーとしたくない、雇用が不安定で結婚できない、結婚のメリットがデメリットを上回らないと考える人が増えてきていることは見逃せないと思います。

 核家族化、少子化、高齢化、離婚率増加などとフリーター化、シングル化が同時進行しているために、親の介護をする貧乏なシングルや一人っ子、高齢者が増えている、という深刻な事態も進行しています。シングル化は流行語にもなった「アラフォー(40歳前後)」だけではなく、さらに若い世代やシニア離婚者、連れあいを亡くした高齢者など多くの世代を巻き込み、個人生活にも大きなインパクトを与えようとしているのです。シングル化志向はさらに今後の政府の政策や国民の選択肢にも大きな影響を与えようとしています。

 2.社会を支えるために必要な国のかたち

シングル化や少子化は中期的には高齢化を招き、長期的な人口減少は国力の衰退をもたらします。目の前にある問題、シングル化した高齢化社会を支えるためにはどのような国のかたちへと向かう必要があるのでしょうか。伊田広行さんは著書「シングル化する日本 (2003年)」の中で、「目指すべきモデルとしてアメリカ型の市場経済・小さな政府か、北欧型社会民主主義・大きな政府かの選択を迫られる」としています。そして「シングル化が進むと家族の単位を夫婦と子供二人を標準とするモデルから、国民一人一人を一つの単位として捉える方向に変わってくる。個人単位の福祉国家を目指すべき」と主張しています。さらに家族、企業、国家の変化について「家族は夫婦で子育てをするのが幸せなモデルから、北欧のように結婚制度がなくなり個人が幸せを感じるための男女の組み合わせというモデルに変わる」「企業では年功序列賃金や扶養家族という概念から個人別同一価値労働同一賃金の原則へと移行する」「国のレベルでは税や年金、社会保障、戸籍などにおいて家族の標準を夫婦と子供を想定する諸制度から個人を基本単位とする制度へと移行する」としています。 政府は、人口動態の変化を見据えた社会の長期ビジョンを示し進む道を示す必要があると思います。また、座して人口動態の変化を論ずるにとどまらず、長期的な国力の維持を考えれば、出生率向上や移民受け入れなど人口維持施策をもっと積極的に考えていく必要がありそうです。少子化担当大臣は2003年9月の小泉第二次改造内閣で小野清子さんが任命されましたが、その後内閣改造や首相交代毎に担当者が変わっています。現在の小渕優子さんで7人目、5年間でそんなに代替わりをして少子化対策などの長期ビジョンが描けるのでしょうか。アメリカのように首班は変わっても継続が必要な大臣は留任させることも考えられると思います。また、少子化の原因はシングル化と考えると、少子化担当だから女性が大臣、という発想自身に問題がありそうです。

 経済の状況は数年単位で浮き沈みがあり、その時々の機敏な政策運営が必要ですが、人口動態は数十年単位で変化するため、税や年金などの社会保障政策の決定にあたっては、目指すべき社会の仕組みを示す長期のビジョンが必要だと思います。

 山田さんが指摘しているように、シングル化は本当に進んでいるのでしょうか。また、伊田さんが主張しているように、シングル化を前提として目指すべき社会を考える必要があるのでしょうか。このまま人口減少が進んで日本と日本人は幸せになれるのでしょうか。私たちも考える必要に迫られています。

2009年1月15日 裁判員制度始、指名通知がきたらどうすれば良いのか

裁判員制度がいよいよ始まろうとしています。約30万人に裁判員指名の郵便が配達されたようです。「指名されたことは他言してはいけない」ので誰が受け取ったのかは分かりませんが、受け取った方はどうしたらいいのでしょうか。裁判員制度など要らない、と反対する声も多く、仕事や育児・介護などでそれどころではない、と思う方もおられると思います。(裁判員制度Q&Aはこちら) 論点を整理してみましょう。

 憲法では「国民主権」が明確に示されており、私たち国民は納税の義務などを持つと同時に、法律などの制定・改正・廃止、公務員の選任・投票、裁判を受ける権利などを持ちます。憲法9条やその改正方法などについては様々な意見があると思いますが、国民主権の考え方や国民の権利と義務条項についてはほとんどの国民のコンセンサスがあると思います。憲法で定められている司法・立法・行政三権の独立を保ちつつ、公正な運用を実現するためには、司法・立法・行政に対して、国民がその参画方法を考え提案し、必要があれば自らも参画すること、これが民主的な国家運営では常に課題だと思います。憲法では、日本という国を形成し維持していくためには、司法・立法・行政への参画は基本的な国民の行動規範だと示していると思います。

 実際にはどうでしょうか。立法府の議員に対しては投票権行使の権利があり、一定年齢以上であれば誰にでも立候補という参画ができます(当選可能性は別にして)。行政に対しては自治体によって様々な工夫があり、行政参画のための市民会議やタウンミーティング、オンブズマン制度や異議申し立て制度、ふるさと納税も税金の使い道を自分で決めるという行政参画につながります。また、自分で公務員になるという選択肢も比較的容易にとれます。一方、司法への参画は、司法試験に合格するハードルが高く、また、最高裁判事の国民審査もありますが、略歴や裁判歴などが数行で解説されていても、その可否判断をすることは一般国民には難しく、「遠くにある星を顕微鏡で覗くような権利」、という印象を持ちます。立法や行政はそのプロセスや結果を公にすることがマスコミや担当者自身の努力により進んできていると思いますが、司法はどうでしょう。法律という特殊知識と裁判という特殊技能を持った裁判官と検察、弁護士によって「多分公正に裁かれているはず」と私たちは信じている、これが現実ではないでしょうか。

 裁判員制のメリットを考えてみると、裁判過程に国民が参加することで、司法が立法や行政と同様の民主的基盤を得ることができると考えられます。国民が裁判員になることにより現行よりも一般国民の良識に沿った裁判が実現できるからです。さらに、「裁判は難しいので専門家にお任せする」という意識を変え、「公正な裁判を自らの手で実現する」という国民の参画意識向上につながります。立法や行政への参画には口うるさい国民が、司法には無関心では、憲法が保障する権利を他人任せにしていることになるからです。裁判を受ける権利があるのだから裁判員の義務を負うことは妥当、と考える のは憲法が定める国民の権利義務の主旨だと思います。裁判員制度のデメリットは多くのマスメディアで取り上げられていますが、「時間的拘束」「心理的負担」そして「国としてかかる費用」に集約できます。制度の不具合についても数多くの意見があり、「なぜ刑事裁判だけが対象なのか」「守秘義務違反罰則や裁判員になったことによる被害補償などの仕組みが未整備」「指名辞退ができるケースの条件が国民視点で定義できていない」など、まだまだこれからのようです。

 裁判員制度は米、加、露、英、仏、独、伊などでは以前より実施されていますが、米加露英では「裁判員」ではなく正確には「陪審制度」です。陪審員は事実の認定に関わり、表決で有罪・無罪を最終的に決定、裁判官が量刑を決めます。これに対して、仏独伊で採用されている裁判員制度は参審制とも言われ、裁判員と裁判官が同格の立場で審議・判決に関わります。日本の制度は参審制に近いと言われています。すでにこうした国民による司法参加が行われている国では、立法・司法・行政は国を形作る基礎と認識されていて、国民は国の基礎を築き守る権利と義務を持っている、と考えられています。米国では社会保障番号を持っているすべての人に、数年に一度は陪審員召喚待機通知が送付されているようで、市民権がなければ“私は対象外”とチェックして送り返します。普通の米国民(citizen)は「jury duty(陪審員の義務)だからしかたないね」とか言いながらも、召喚通知(summon for jury)が来たら「国民が果たすべき義務」と考えて、納税や投票と同様、出産や病気などの理由を除き、納税者の誇りを持って受け入れているようです。

この判断は個人の判断です。裁判員制度のFAQに裁判員を辞退できるケースとして「事業上の重要な用務を自分で処理しないと著しい損害が生じるおそれがある。」とありますが、これは自営業などで自らが店主であり唯一の店員であるような場合だと考えられます。日本の国民として自らが裁判員をどう考えるか、それが判断基準です。

2009年1月12日 「派遣切り」

契約期間が終わったらもう雇いません、雇い止め、とも言いますが、企業にとっては背に腹は代えられない措置なのでしょう。不況になったので、世の中に失業者があふれた、という雇用問題は国の仕事とも考えられますが、企業に責任はないのでしょうか。

企業には社会的な責任があり、経済、社会、環境の3本柱があるといわれますが、経済は本業で売り上げを上げてしっかりと利潤をあげ必要な再投資などを行って継続的に活動することです。雇用機会の提供は、この経済活動の中での重要な社会への貢献です。派遣切りはこの雇用機会を契約が切れたから、という理由で継続しないということ、利潤がでなくなるから人件費を削減する、というのが企業の言い分です。赤字企業になれば継続的な活動はできませんので、赤字に転落する、というのは人件費を削減する理由になりますが、その前にできることはないのでしょうか。また、本当に企業経営者はこのような状況になることを予想できなかったのでしょうか。

景気の悪化は2007年秋頃から、と政府は発表していますが、企業経営者が米国での状況を見て日本にも大きな影響がある、と感じ始めたのは2008年11月頃ではないでしょうか。昨年夏前には今年度の経営状況は悪くはないと踏んでいた経営者が日本には多いと思います。トヨタでも昨年初めから北米での車の売れ行きが落ちている、という報告が現場からあがっていたそうですが、経営者は史上空前の利益に聞く耳を持たず、工場建設などの投資に邁進した結果、2008年暮れになって突然派遣切りです、先が読めなかったのではなくて、もう景気は下向きになっていますよ、という意見を聞かなかっただけと言えます。

企業の業務を正社員以外でこなす方法には、派遣以外にも請け負い、生産委託、業務アウトソース、ちょっと解釈を広げると一部業務の別会社化、出向受け入れなどもあります。請け負い以下は雇用ではありませんので、打ち切ったとしてもマスコミが大騒ぎで取り上げていないのですが、これらについても急に発注を取りやめたり、委託しなくなると、業務を請け負っていた会社、受託会社は仕事が減って困りますので、広く企業の社会的責任を考えると、大きい会社であればあるほど、こうした外部への業務委託も含めて、事業を急に縮小することは社会への影響が大きいことを認識する必要があります。

そこで、派遣切りです。赤字になるかもしれないときに企業が行う対策には、中期的には増資、社債発行、研究開発費削減、投資削減、事務所経費削減、在庫削減、さらに短期的には営業費削減、広告宣伝費/交通費削減などなど、こうした努力でもまだ赤字に転落しそうなときに初めて人件費に手をつける、というのが経営者が考えるべき手筋です。「100年に一度の経済危機」という
形容詞で経営の責任を語っていない経営者が多いのではないでしょうか。派遣切りで仕事がなくなった方の中には、失業保険を受け取ったり、行政が住居を提供したりして、なんとか最低限生きていく道を指し示してあげることが必要な方も多くいます。住む場所をなくして犯罪に手を染めてしまう方もいるという報道もあります。企業が雇用を放棄した分は社会がコストを払ってカバーする必要があり、
それは税金、つまり国民の負担です。働かない方は消費も激減しますからGDPにも大きな影響があります。少子化で将来のGDP落ち込みが懸念され年金や健保の財政懸念がある中で、このように企業の雇用削減はGDPに悪影響を及ぼし、ひいては国力の低下を招きます。できる範囲で、企業はできるだけ雇用を提供することが、社会への貢献であり責任であると考えられるのです。

少子化、高齢化という国としての長期的課題に対して企業ができること、雇用の継続的提供はそのなかでも重要な一つであるといえるでしょう。特に社会的責任が重要と考えて 専任部署まで設置した企業は、見せかけだけではなく社会的責任を果たすためには、雇用の継続的提供についても何ができるのか考える必要があります。

2009年1月5日 定年後、10万時間の使い道

 10万時間の自由」(著 紀平正幸)という本を読みました。定年後の自由時間は約10万時間、これは社会に出てから働いてきた時間とほぼ同じくらいの長さですよ、どのように活用するか考えたことありますか、という問題提起と活用事例紹介の本です。 式にすると次のようになります。

社会人になってからの労働・通勤時間合計 10時間X40年X250日 = 10万時間
定年後の自由時間合計                                    14時間X20年X365日 = 10万時間

言われてみるとドキッ!としますが、計算するとその通り。自由時間活用のキーワードは紀平さんによると3つ、「金」、「健康」、「生きがい」。現役時代とこの部分は同じですね、安定収入、家族と本人の健康、そしてやりがい。現役時代にはなにかと背負うものが多くて、出産や育児、親の介護というプライベートな部分から、会社では責任ある仕事を任され、モチベーション高く会社や社会に貢献することが求められます。定年後には現役時代のように背負うものは多くはありませんが、「金」、「健康」、「生きがい」という根本部分は現役時代と共通です。しかし定年後、使える時間が全く違うことが分かります。この自由時間をどう活用できるか、これが鍵です。

 「金」

夫婦二人でまずまずの生活を続けるには月35万円の安定収入が必要、と言われていますが、世代によって期待できる年金額が異なります。紀平さんによると次のように計算されます。計算前提はサラリーマンの夫が厚生年金に加入、妻は専業主婦で国民年金加入後、昭和61年からは3号被保険者となったとします。昭和19年生まれの世代は60歳から厚生年金の基礎部分、62歳からはさらに報酬比例部分が支給され85歳までの年金支給額は合計7395万円、一方生活費、趣味、リフォーム費用など必要なお金は9550万円、定年時に必要な貯蓄額は差し引き2155万円です。これが昭和29年生まれでは老齢基礎年金支給開始年齢が65歳になるため収入合計が6535万円になるので必要貯蓄額は3015万円になります。さらに昭和39年生まれの方では65歳にならなければすべての年金は支給されないので、収入合計が5796万円で、必要貯蓄が3754万円となります。世代によって1600万円もの格差が生じることになります。紀平さんは対策の一つとして自宅のオフバランス化、つまり賃貸住宅やいくつかの投資のポートフォリオパターンを推奨していますが、関心がある方はWebで検索、もしくは本を読んでみてくだ さい。 http://www.sia.go.jp/seido/nenkin/shikumi/kaishi.pdf 

 「健康」

健康維持と病気、入院、介護時の対応に分けて考えます。適度な運動、パートナーで共通の趣味、年齢に応じた食生活です。定年後は健康でなくなった場合の対応が心配です。こうした心配のため保険に入っておこうと考えますが、実際の入院や通院で必要な金額と加入している保険のカバー範囲を年齢に応じて見直すことが必要です。しかし、若い頃加入した保険の条件のままにしている方多く、40歳以降は支払う保険料の方が多い場合があるので注意が必要とのことです。介護についても、実際に介護が必要になる確率は70〜74歳で3.9%、75〜79歳で5.5%であり、80歳をすぎても10%と、10人に一人の割合で懸念される介護のために個人はどのくらいの準備をしておくか、という問題です。公的サービスを期待したいところですが、夫婦や子供との今からのコミュニケーションにより、将来の健康問題の懸念解消を図る方が健全、とも考えられます。そしてなにより病気や寝たきりにならないことが重要、生活改善は積み重ねが重要、急にはできませんので気がついたその日から心がけましょう。

 「生きがい」

現役時代には「今日はなんかモチベーションが上がらない」などとぼやきながら、原因を会社や上司のせいにしていたやる気・やりがい、定年後は誰のせいにもできません。定年後の生きがいに共通して大切なのは「社会貢献」と「自然とのふれあい」だそうです。インタビューを読んでみると皆さん、生きがいを自分で探して見つけ、そしてそれを持続させる努力をしています。現役時代より自然に近い住まいで、世の中のお役に立っている、と感じられることが生きがいだ、という方が多いのです。現役世代の私たちも、やる気・やりがい、同じことではないでしょうか。そして現役時代に培った人脈や経験、ノウハウ、資格、趣味、パートナーとのコミュニケーションがすべて活かされてくる、というのも皆さん共通しています。定年後、急に田舎暮らしをしたり、未経験の農業に転向したり、という方は成功していません。現役時代からパートナーと一緒に徐々に生活パターンを切り替えていった方が成功しています。つまり、現役時代の人脈などの「貯蓄」が人生の「引き出しを」増やし、定年後の10万時間を豊かにする、ということなのです。バランスシートにして考えてみましょう。

 

子育てでも「貯金」説があります。生まれてから本当にかわいい12歳までが「かわいい思い出貯金」が増える期間。それ以降は反抗期もあり、憎たらしくなって悪さもするが、社会人になるまでは、子供が12歳になるまで貯めていた「かわいい思い出貯金」を引き出し続けて、面倒を見る、ちょうど「貯金」がトントンになる頃に自立する、という説です。定年後のワークライフ バランスシート(WLB/S)もこれと同じなのかもしれません。「資本」の部充実は重要ですが、さらに現役時代にこのWLB/Sの右と左のバランスを取りながら、どれだけの「資産」を蓄積できるかで、定年後の10万時間の有効活用可能性が決まります。あなたの「資産」はどれだけたまっていますか。

 

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