読書日記(2009年7月−)

2009年10月31日 風花病棟 帚木蓬生 ☺☺☺

著者が小説新潮に1999年から2008年まで毎年掲載していたシリーズ短編をまとめたもの。戦争中の父親世代が従軍医として戦地に赴いた際の記録をたどったチチジマ、震える月、大学病院、開業医などのストーリーなどなど、医師としての良い思い出やストーリーが綴られている。印象的な短編がいくつかある。

「藤籠」、患者の一人が病室から見える山肌の藤が滝のように見える、と言う。春の5月頃にそれがまた見られればいい、という希望を抱いているが、病状は思わしくない。医者は先輩の医師から教わった言葉を思い出す。「処方薬の中で一番効くのはなんたって『希望』なんだよ」その藤のある山に藤籠を作るために伐採に行く機会にも、病室から見える藤だけは残そうとする。しかし患者は4月に息を引き取る。

主人公は「チチジマ」では従軍していた父島で航空機で墜落した米軍兵士が救助されるのを目撃するが、戦後の学会で偶然その空軍兵士だったという医師と出会う。
その後家族ぐるみの交流を続ける日米の医師の話。

「震える月」の主人公の父親は太平洋戦争で従軍医師としてベトナムにいた際にベトナム人の少年兵士タムの命を救う。戦後医師として学会に出るためベトナムに行くことになる主人公はタム少年の息子が医師として同じ学会に出席することを知り再会する。そこで父親の知らざる一面を知る話。
いずれの短編もすっと読める良い話ばかり。
風花病棟

2009年10月30日 氷の森 大沢在昌 ☺☺

冷血な殺人者はいるのか、ストーリーでは最後にしか登場しない人物が支配するシナリオだ。私立探偵で、元麻薬捜査官緒方、格好良いが鉄人的ではないところが好ましい。この種の小説では、「そんなにすごいやつはいないだろう」というような主人公が登場することがあるが、本小説緒方は抑制が利いている。それでも女にもてる、ヤクザにもひるまない、危険から逃げない、仕事を真剣に遂行する、という主人公の必要条件は原則は貫いているようだ。もっとも、危険から逃げるようでは小説にならないので、そんなお話はないのではあるが、ヤクザさえも弱みえお握られれば言うことを聞かざるを得ない存在、そんなヤツはこの世にいるのか、出張のお供かな。
新装版 氷の森 (講談社文庫)

2009年10月28日 凶犯 張平 ☺☺☺☺

中国での地方自治体組織の腐敗と地域有力者による実質支配、民衆の無知による腐敗の継続を描いた作品。1989年に実際にあった森林伐採木材の地域有力者による不正流用とそれを告発した地方公務員の正義感を描いている。自治体組織としての県役員、森林管理組織である林業管理組織、そして警察地方組織、さらには共産党地方組織、これらが責任回避をしながら、地方有力者からの袖の下でうまい汁を吸っている、それを告発するような正義感に燃えた地方公務員が出現したらどうなるのか、その公務員が軍人OBで実際の戦闘での英雄だった場合、そして、地方の有力者に実力で抵抗する意志を持っていたらどうなるのか、現代中国の暗部、問題点を描いている。

軍での栄光を背負って公務員として地方森林管理担当官としてある村に赴任した李狗子、地元住民からは最初は届け物攻勢にとまどうが、管理すべき森林の盗伐を知り、正義感から徹底した不正告発を決意する。今までの森林管理官は住民と一緒に不正を見逃して私利を肥やしていたが、狗子は今までの管理官とは違うことを住民は知る。地元有力者である四兄弟は徹底して狗子をいたぶる。水や食料、電力の提供妨害により、狗子は妻子を町に逃し一人でも戦う決意をする。それでも四兄弟と地元民からの嫌がらせが高じて、ついに爆発する日を迎える。

狗子は四兄弟に半殺しにされ、この事件をきっかけに狗子は四兄弟を殺害する。物語は殺害の瞬間を挟んで事件前と事件後に分割、狗子側からは事件前数時間の描写、村民と事件をヒアリングに来た役人達の描写が事件後になっていて、読者には徐々に事件の全容がわかる仕掛けになっている。

中国での天安門事件以降の改革開放政策と情報統制をかいくぐっての小説であり、軍人を良く描く一方で地方役人達の腐敗を描くなど、一方的な腐敗究明にはなっていない。それでも地方役人からの訴訟を受けての作品、作者の工夫が読み取れる。中国での現代小説としてのベストセラーで40万部売れたという、読者層の薄さをおもんばかれる数値だが、それでも中国での人々の意識向上、小さな一歩が記されているとも感じる。

著者の張平の作品、着目したい。
凶犯 (新風舎文庫)

2009年10月26日 他諺の空似 米原万里 ☺☺☺

後書きで養老先生も書いているが、死んで惜しい人、米原さんである。こんなに本や人間を愛して、軽薄な日本人を小気味よく糾弾する自由人はいない。この本でも、よくぞいろいろ調べたな、と思うほど世界中の諺が集合している。

面白いのは各章の造り。最初に米原さんらしい開けっぴろげなエロ話がまずあって、世の中で起きている現実に目を向けると、小泉首相やブッシュ大統領が実行しようとしていることはこんなに間抜けなことなのよ、と解説。そして返す刀で、ギリシャローマ文化がエジプト文化やイスラム文化からの影響を受けて、諺から見てもこう見える、と説明。今のヨーロッパ文化は実はチグリス・ユーフラテスから派生したものだと気づかせてくれる。アメリカ文化など歴史的には文化とも言えないレベルだと直接なくても読者は感じてしまう。

秀逸だと思ったのは諺ではなく、アーサー・ポンソンビーの「戦時の嘘(1928年)」からの引用。太平洋戦争とイラク侵攻を始めたアメリカを思い起こしながら読んでほしい。為政者による戦争をしなくてはならない10の理由。
1.われわれは戦争をしたくない
2.敵が戦争を望んでいる
3.敵の指導者は悪魔のような人間だ
4.領土や覇権のためではなく使命のために戦う
5.敵は残虐な行為をしている
6.敵は卑劣な武器や戦略を用いている
7.敵の損害は甚大である
8.芸術家や知識人もこの戦争を支持している
9.我々の大義は神聖なもの
10.この正義に疑問を呈するものは裏切り者である
太平洋戦争に突入した日本でも「統帥権干犯問題」から「満州事変」の時からこの10のパターンが唱えられている。

これこそ、他諺の空似ではないか。米原さん、僕は忘れませんよ。
他諺の空似―ことわざ人類学 (光文社文庫)

2009年10月25日 街道をゆく夜話 司馬遼太郎 ☺☺☺☺

街道をゆく、は1971年から25年にもわたってかかれた旅行随筆であるが、夜話は街道をゆくの裏話、その前後の逸話集のような書き物。司馬遼太郎が育った奈良當麻町竹ノ内の景色が彼の心の原風景である、という記述がある。

「段丘のかなたには、大きく南北に両翼を広げたように、山脈が横たわっている。向かって左の翼は葛城山であり、右の翼は二上山である。その山脈の麓には幾重にも丘陵が重なり、赤松山と落葉樹の山が交互にあって、秋などは一方では落葉樹が色づき、一方では赤松山がいよいよ赤く、また右の翼の麓の赤松山の緑に当麻寺の塔がうずもれ、左の翼のふもとには丘陵の他に古墳も重なり、白壁の農家が小さく点在して、こう書いていても涙腺に痛みを覚えるほど懐かしい」

司馬遼太郎がこう感じるように、すべての日本人にはどこかに生まれた故郷があり、多くの人には同様の心の原風景、懐かしい景色のようなものがあるのではないかと問うている。身土不二、という言葉があるが、食べ物だけではなく、暮らしの様子はその地方地方にある自然や環境をうまく取り込んだものが多く、旅行はそうした数々の人間達の工夫を感じる場となる。そして、場所には歴史が刻まれていて、出会う人々からは歴史を感じるのだろう。

夜話には1960年頃にかかれた随筆も採録されているが、そのころにはまだまだ地方独特の風俗が残り、明治、江戸の記憶が人々の記憶に残っていることに司馬は感嘆する。街道をゆく、は日本歴史再訪の旅である。
街道をゆく 夜話 (朝日文庫 し 1-55)

2009年10月24日 「坂の上の雲」と日本人 関川夏央 ☺☺☺☺

司馬遼太郎の「坂の上の雲」が書かれたのは1968-1972年、その中で描かれた日清、日露戦争は1894-1905年のこと。筆者はその二つの時代の背景から司馬遼太郎が、そしてその時代の日本人が何を感じ、何を考えていたかを考察している。1968年は大学紛争が最盛期を迎え、大学には複数の派に分かれた学生たちが、国や大学の体制に「反対」、建物や大学の器物を破壊する、そこに国家権力の機動隊が鎮圧にくるが、戦前、戦中の国家権力の重さ、強さを体感する司馬にとってみるとこのような国家権力が、つまり国家が軽すぎる、と感じている。筆者は、司馬遼太郎のその他の作品だけではなく漱石など同時代にかかれた作品も引用して立体的にこの時代と日本人を分析しようとする。

関川は「坂の上の雲」での方言について説明している。秋山真之と正岡子規のやりとりではわかりやすい松山弁標準語訳をしていると。そして、徹底的に正当松山弁を駆使した事例として、1978年の伊丹十三による「一六タルト」のCFを紹介している。言葉による「お里」紹介であるが、司馬は日本人のお里として明治の先人たちが築きあげて、日本を後進国から先進国の仲間入りをする基礎を作った「お里」として、日露戦争を戦った時代の日本人代表として秋山兄弟と正岡子規を取り上げたというのだ。秋山真之も正岡子規も悲壮がらず、まじめに明るく振る舞いながら日本の文化と力を世界に示せた、こういう時代をお里と表現している。皮肉なことに、日本このお里を出発点として、その後の40年、日本は太平洋戦争と敗戦という不幸な歴史をたどる。

「坂の上の雲」のストーリーをなぞりながら、二つの時代を分析、二つの時代の日本人について考えていく。20世紀の初め、最大の版図を世界に広げる英国は、なぜまだ先進国とはいえない日本と同盟を結んだのか。露仏同盟に対抗したい英国は、欧州での艦船バランスを保つために、このころ艦船増強を図っていた日本に目をつける。これは日本にとっては行幸であったが、同時に日露戦争を避けがたいものにもした。司馬に無能な将軍と描かれた乃木対象、さらに無能だったと描かれた伊地知参謀、本当に無能だったのか、他の日本人ならもっと違った旅順攻防になったのかを分析してみせる。児玉源太郎大将が乃木大将から一時的に指揮権を借用して203高地を攻めたとあるのにも、そんなことが可能だったのかを検証している。そもそも太平洋戦争後は民主教育と平和推進一辺倒の流れから、戦前には神格化されていた乃木大将を、再度評価して無能の烙印を押して見せたのは「坂の上の雲」がきっかけであったと関川は言っている。

日露戦争の評価で、日本がもっとも成功したのは「広報」だった、とも言っている。捕虜の取り扱いを決めたハーグ条約、これを日本は徹底的に守った。さらに、水師営でのステッセル将軍に帯剣を許し、それを写真に撮らせる、さらに世界の新聞記者に丁寧に対応するなど、その後の太平洋戦争ではできなかったことを、この時代には立派にやっている。海軍では脚気で死亡する兵隊が続出したことを研究、米の大量摂取が原因ではないかと考えて、麦飯を混ぜることで脚気患者が激減したこと、陸軍は軍医であった森鴎外が頑迷で、海軍の試みを無視したことを紹介している。加賀乙彦の「永遠の都」でも同様のことが紹介されていた。

東郷平八郎の連合艦隊と日本海で海戦することになる、ロジェストベンスキー率いるバルチック艦隊が、バルト海を出発して対馬海峡まで到達する様を、関川は解説している。当時の艦船は石炭動力、石炭を大量に積み込まなければ走れなかったのだ。そして日英同盟を結ぶ英国領には立ち寄れないロジェストベンスキーの苦労、日本の駆逐艦の出現におそれるバルチック艦隊の222日間の苦労の航海を描く。坂の上の雲でいえば第4巻から第8巻までの期間をかけてバルト海から対馬海峡までたどり着いたことになる。兵隊たちの疲労は激しく、志気も上がらなかっただろうと分析する。さらに、ロジェストベンスキーの不安は、対馬海峡と津軽海峡、宗谷海峡3つのオプションを最後まで選べないことにつながる。迎える東郷平八郎も迷うはずであるが、「対馬海峡である」と断言する場面を紹介、これで東郷が海戦のの神様になったと評価する。この後、有名なT字作戦でバルチック艦隊を打ち破るのだが、これは偶然の勝利だった、という海戦への参加者からの証言を集め、日露戦争のアメリカによる仲介と勝利自体が偶然の産物であったという。天佑神助はこの時一回きりであり、その後の軍事力強化は、この勝利を誤解した軍部と、自信過剰に陥った日本人を誤った道へと導く導火線となった、と分析。脚気で学んだ反省や広報の重要性、兵站の重要性なども日本陸軍はその後に活かせていない。

明治維新以降の40年は、日本が世界に学び経済も軍事も強い国になる健全な40年だったが、その後の40年は明治の先人のような健全さを維持できず、反省も経験を活かすこともできなかった、と司馬は考えたのではないかと分析。68-72年の日本が、同じような転換点を迎えているのではないか、というのが司馬が「坂の上の雲」を書くきっかけになったのではないかという。幸い、日本は戦後65年、戦争をしない、兵隊を戦闘のために海外に送らない期間を過ごしてきた。しかし、日本の若者は今、平和を個人ベースでも絶対維持すべきと考え、摩擦や争いをさける振る舞い、考え方を徹底、「引きこもり」「オタク」がはびこっているのではないかと分析。司馬遼太郎が40年前に憂いた日本を関川も今、憂いている。

「坂の上の雲」の読み方、すばらしい解説書であり、日本人論である。
「坂の上の雲」と日本人 (文春文庫)

2009年10月22日 冬のデナリ 西前四郎 ☺☺☺☺

デナリ、一般にはマッキンレイ峰の冬季登山への世界で最初(1967年)の挑戦を描いたノンフィクション。夏でも氷点下20度にもなることがあるデナリ、冬には日照時間が4時間、高度6千mの頂上付近では氷点下50度にもなった上に、風速50mの強風が吹いて、計算上氷点下148度にも感じられるという極寒の山である。そこに、日本人の筆者(物語ではジロー)とその他4カ国から7名が集まり、合計8名のチャレンジで、麓の氷河から歩き始めて3日目にチームの一人ファリーンがクレバスで転落死。チームは引き返すこととこのまま上ることで意見が分かれるが、遺体をアンカレジまで一人が運ぶことで、7名でさらに進むことで合意。第二第三第四とキャンプを設営して必要な荷物を運ぶという登山が綴られる。単独登頂やもっと大勢のポーターやシェルパを雇ったヒマラヤ登山の中間規模の登山、それでも運び上げる燃料や食料、テントなどの荷物はすさまじい量である。

物語の中で、日本人の登山はチームであり、誰が頂上を究めてもみんなで喜ぶことが紹介される。一方、米国人は自分が頂上に立てなければその登山は失敗と考える。このあたりの心理が、この挑戦の中でも登山計画と実行に影響を与え、7名中3名の登頂成功後の強風のなかでのビバーク、遭難につながる。残りの4名も二つのグループに分かれての行動を余儀なくされ、7日間にもわたる頂上直下での強風下のビバークは3名の命を削る。食料と燃料は3日分しかもっておらず、残りの4名からは絶望視されるなか、ビバークの3名は奇跡的に以前に登山した際の燃料と、他の登山隊が残した食料を見つけることができる。それでも手足の凍傷で、3名のうち一人しか両手を使えない、という絶望的な状況の8日目強風がやみ、凍傷の手足で死にものぐるいで下山する。筆者は頂上に行けなかった4名の中の一人であるが、この挑戦が本当に良かったのかどうか、自分はできることを本当にやったのかどうか、懊悩する。

筆者はその後、1975年に隊長として上ったヒマラヤで遭難によりメンバーを失う。その後日本で学校の先生になり、冬山登山はしない。このときのこと、そしてヒマラヤでの仲間の遭難死を考えると、山に登ることができないのだという。冬のデナリでの登山の描写は本当に厳しい冬の山デナリを経験した人でしか書けない山での生き延びるための知恵を紹介する。植村直己もホワイトアウトで1m先も見えない時に、クレバスに落下するのを防ぐために6mのアルミポールを腰に差して歩いた、という逸話も紹介している、スキーなのかと思っていた。登山家らしい淡々とした書きっぷりの中からも読者は冬山登山の素晴らしさと、遭難したときの厳しさ、登山家の考えていること、それでもなぜ冬のデナリに登ったのかを感じることができる。作り事ではないだけに、一つ一つの出来事が読者の目の前に示され、その迫力のために読み止まることができず、一気に最後まで読んでしまう。

文中より、その後の冬のマッキンレイへの挑戦者を紹介すると、第二登が1982年3人のチームが挑み一人が頂上に立った。第三登は1983年4人チームで2人登頂、一人が遭難死。第四登が1984年植村直己、登頂後遭難死。第五登は1988年の単独登頂、第六登1989年3人のチーム、第七登単独登頂。この本が書かれた1995年まではその後登頂されていない。筆者はこの本を執筆後、発刊直前の1996年亡くなった。忘れられない山登りのお話となりそうだ。裏表紙に小学生上級以上などと書いてあるが、立派な大人向きの山の本である。
冬のデナリ (福音館文庫)

2009年10月21日 誤読日記 斎藤美奈子 ☺☺☺☺

丸谷才一が米原万里を書評家として高く評したポイントとして、「本の世界を背負って本を読める数少ない本好き」と言っていた。この著者、この評価を真似るなら「読者からの期待を背負って本を読める数少ないワイドショー好き」、著者自身もこの本は「本のワイドショーだ」と後書きで言っている。米原万里の推薦がなければ読んでみなかっただろうと思える書評集だが、読んでみて良かった。「誤読日記」とは最初から言い訳がましいタイトルで、自信のなさと腰の引け方がタイトルに出ているのではないか、と思っていたが、逆だった。徹底的に言いたいことを言う、書きたいように書くために、何を言われようとも書く、という意志の表明だったのだ。書評集、ちょっと面白い分野だと思う。
誤読日記 (文春文庫)

2009年10月20日 栄光なき凱旋 真保裕一 ☺☺☺☺

1941年、ロスアンゼルスとハワイの日系人が太平洋戦争に巻き込まれていき、戦争を経て自らのアイデンティティーに悩む物語。舞台はアメリカ、LAで働くジロー・モリタ、父親は死亡、母は困窮の末白人世界に取り入って生業を得ているという境遇。ヘンリー・カワバタは両親がLAのリトルトーキョーで日本食堂を経営しながら大学に進学、アメリカの銀行への就職を決めた。マット・フジワラはアメリカ人のローラを恋人に持つ薬屋の息子。この三人の太平洋戦争を時代背景とした壮絶な苦悩の物語である。LAに住んでいた日系人は、太平洋戦争開始と同時に適性人として、強制収容所に移転させられる。一世の人たちはあきらめて移転を受け入れるが、二世はアメリカ人、日本による卑劣と思われるパールハーバー奇襲に反発、アメリカ人として祖国を守るために志願して軍隊に身を委ねる。

マットとジローは日本語知識と能力を買われて南太平洋戦線へ、ヘンリーはヨーロッパ戦線へ派遣される。ジローとマットは語学兵としてガダルカナルの戦線を経験、多くの敵兵である日本人戦士を殺害する。ヘンリーもイタリヤ戦線で死と隣り合わせの戦いの中で、多くのドイツ人戦士を殺害する。

白人と有色人種の差別を経験しながらも、日本からの奇襲を憎み、祖国アメリカを守るために兵隊として働く日系人。複雑な心理、しかしいったん戦場に出れば、殺さなければ殺される、という現実。3人とも祖国はアメリカだと思いながらも、自分には日本人の血が流れていることも感じている。山崎豊子の二つの祖国を思い出す。兄弟同士が戦場で敵として出会う場面がある。この物語では、LAで日系人同士のいがみ合いの中から、殺人を犯してしまったジローの苦悩が縦糸となっている。マットとジローはガダルカナルで助け合って英雄的な働きをするが、自分が単なる一つの駒だと感じたジローは上官を殴って軍法会議にかけられ、兵役を終わる。戦争が終わったと煮裁判にかけられ20年の懲役を宣告されてしまう。

ヘンリー、マット、ジローそれぞれの苦悩と生き様が、リアルな戦争描写とともに描かれる。ここまで死を描写する戦争小説は珍しいのではないか。死をそのまま描くこと、死は痛くて苦しく、いやなことだと素直に描くことは重要なのではないか。醜い死、理不尽な戦争、自分の理想とはほど遠い行動を強いられる現実、それらすべてが、自分の運命であるかのように目の前に進むべき道として示されたら、人間はどのように振る舞うのか、それが示された小説だと思う。

五味川純平や児島謙が書いたガダルカナル島での戦争が、アメリカ人から見るとどのように見えたかもよく描かれている。戦争未経験者が書いた戦争小説として意義ある作品だと思う。
栄光なき凱旋〈上〉 (文春文庫)
栄光なき凱旋〈中〉 (文春文庫)
栄光なき凱旋〈下〉 (文春文庫)

2009年10月17日 汝ふたたび故郷へ帰れず 飯島和一 ☺☺☺

種子島の南にあるトカラ列島の宝島出身、新田駿一はボクシングでミドル級の日本2位ランカーである。リーチが長くバランスがいいミドル級では珍しい才能を持った日本人ボクサーとしてトレーナーの白鳥、会長の下村からの期待を受けている。しかし、日本ではミドル級のランカーなど少なく、興業としてくまれる試合は年に数回、苦しいトレーニングや減量の苦しさ、他にも自分はできることがあるのではないかという、思いに駆られ、下村会長が運営するジムを飛び出しアルコールにおぼれる。

アルコールに飲まれ、中毒患者のようになった新田はある時、元の体に戻りたいと思い「修理工場」という場所でアルコールを断つ努力をする。そして年末に故郷である宝島に船で帰る。そこで2週間過ごす中で、宝島の住民、仲間、友人たちがどれほど自分を誇りに思い、応援していたかを知る。2週間島で体を鍛えるトレーニングに励む。これが自分がやるべきことだったと感じる。

東京に戻り、自分を受け入れてくれるジムを探し、受け入れてくれるジムがあるが、昔のジムの下村会長が手を回しておいてくれたことを知る。昔のジムのあった場所を訪ねてみると、顔見知りの人たちに出会う。ここでも多くの近所の人たちが自分を応援していたことを知る。下村会長はもうこの世にはいない。自分の無力感や現実逃避が多くの人の期待を裏切っていたことを知る。

新たなジムでトレーニングに精を出し、昔を思い出しながらも自分の強みと弱みを知り、それを生かす戦略を練る。復帰戦をひかえて、昔の応援者たちからローブを贈られる。ローブには”Shimomura””Grandpa's Dream”とある。応援してくれていた人たちの気持ちが伝わる。復帰戦では、リバイバルを図る24歳の元日本ランカーを見くびる相手からダウンを奪い、激戦の末勝つ。下村会長の思いを思い知る。そしてやはりこれが自分の故郷だと新田は思う。

人は一人では生きてはいけない、自分に期待してくれている人たち、才能を認めてくれている人たちがいるということがどれほど幸せなことか、故郷の人たちの思い、ジムがある地元の人たちの応援などなど、そういう熱い思いのお話である。

汝ふたたび故郷へ帰れず リバイバル版

2009年10月13日 臓器農場 帚木蓬生 ☺☺☺☺

サスペンス小説であり、人が2人殺されるストーリー、無脳症児の臓器を臓器移植希望者に販売する、という重いテーマにもかかわらず、読み終わったあとの印象は爽やかな小説。

海沿いの田舎町の山の中腹にある病院が舞台、看護師養成短大を卒業した規子は聖礼病院に看護婦として就職、自宅からケービルカーで通勤するようになる。同期の優子とともに看護婦としての仕事に就く規子は小児科、優子は産婦人科に配属される。臓器移植で全国的に有名な病院、優子によると特別産婦人科病棟があるという。不審に思った優子の誘いで規子も一緒に特別病棟に忍び込む。一般の看護婦や医師には秘密の病棟が確かに存在することを知る二人。このことを同じ病院の医師、的場に打ち明けると的場も同様の不信感を抱いている。的場も独自に調査、特別病棟で無脳症児の臓器培養が行われているのではないかという証拠の一端をつかむが、車の事故で死亡、規子はその死因に不審を抱く。

規子はケーブルカーの車掌で多少知能障害のある藤田茂と知り合う。茂もケーブルカーへの乗客を毎日見ていて、不審な乗客の目星をつけている。規子の同期優子はさらに調査を進め、無脳症児が沢山培養されている現場を見るが、自殺に見せかけられた形で死んでいるのが見つかる。危機感を抱く規子は、的場から預かった証拠品を茂に預ける。結局、病院の副院長や無脳症児の臓器移植研究に携わる医師などの行為が警察と的場や優子、規子の調査により明らかになり、病院が裏で組織的に臓器培養を行い、臓器移植をビジネスとして展開、研究費用を賄っていたことが発覚、聖礼病院は再起を期す、というお話。

いくつかのポイントがあると思う。一つは無脳症児の発生が妊娠中の女性の大量ビタミンAで発生する、という研究、1995年頃に明らかになったという話を一つの切り口として物語は進む。実際にあった話をベースとしているだけに現実感がある。看護婦としての仕事に対する責任感を規子が自分の科白として語るのも、医療経験がある筆者だからこその描写だと感じる。そして何よりは「無脳症児」に命はあるのかという重いテーマ。これは藤田茂に語らせている。「無脳症児も生きている」というのが茂の意見、脳死の赤ちゃんからの臓器移植に一つの問題点を提示している。赤ちゃんとは無生物が生物になった瞬間の存在、その赤ちゃんの生死の判定と臓器移植には医学的知識が不可欠であり、だからこそ移植判定会議で判断される。そこで妥当と判定されれば、それが後に問題になったとしても、警察や裁判での正否の判断は難しくなる。無脳症児の臓器による移植はこうした問題の隣接分野の問題である、これが本小説のメインテーマ。

このように重いテーマと殺人サスペンスを爽やかな印象に仕上げた筆者の筆の力に一読者として感謝である。

2009年10月8日 国銅 帚木蓬生 ☺☺☺☺☺

心の中、襞にしみこむような印象を持つ小説、じんじんじん、というのが読後感である。時代は743年、聖武天皇が紫香楽から奈良に遷都、東大寺を建立して大仏を作るため日本国中から原材料を調達、何千人という人足も徴用されるという状況。

主人公の国人(クニト)は17歳、兄の広国と共に周防長門の国の奈良登という銅鉱山で人足として課役にある。まだひ弱な体つきの国人は何かにつけて兄の広国にカバーしてもらいながらなんとか切口という銅炭坑の鉱石採掘を担当している。どうして自分はこのような課役をしなければならないのか、もっと楽な仕事はないのかと疑問を持つ国人だが、兄の事故死の後、広国が慕っていた修行僧景信を知り、墓標の漢字の読み方を習うことで、一気に世界が広がる。景信は素直で好奇心のある国人に漢字を教え、千字文を教えていく。景信は山の側面に大仏と同じ大きさの仏を彫っている。何年かかるかわからない一人作業であるが、自分に課したミッションであるかのように彫像に打ち込む。兄の事故のあと、国人は耳と口が不自由な黒虫とペアを組んで仕事をする中で、黒虫が些細な日常の出来事を楽しみ、苦しみの中にも楽しみ、幸福を感じる様を知る。漢字を学ぶこと、黒虫の心の持ち方を知ることで自分の未熟さを知る。

何事にも一生懸命な国人は頭や同僚から信頼され、素直に境遇を受け入れることができるため、景信からも次々と知識を吸収する。17歳からの5年間、奈良登の鉱山で、切口から鉱石を焼く釜屋へ、そして精錬する吹き床を経験させられ、国人は若くして真吹銅ができるまでの全プロセスを経験する。景信からは薬草の知識も授けられ、同僚や頭の病気も治してやることができるようになる。頭の娘で絹女(キヌメ)と知り合い、思いを寄せる。絹女も国人におもいを寄せている。22歳になったとき、他の14人と共に奈良の都に廬紗那仏建立のために上洛することになる、一番の若手である。このころには漢字も読める、立派な体つきの若者に成長している。

奈良登から川沿いに船で瀬戸内海に出て、そこから漕ぎ手と一緒に船を進めて苦労を重ねて奈良までたどり着く。途中、一人が死に、海賊にも出くわす。一ヶ月半程度の道程だがこの程度の旅は当時命がけの旅行だったことが描かれる。それでも徴用にあって都に向かうときには役人が同行し、費用は国が持つ、帰りは自分の裁量と費用負担で、危険な目にも遭うという。

都ではいつまでの課役なのかはわからないまま大仏の建設を担当する。土の大仏を作った上に外側から型をつけていって隙間に銅を流し込むという方法。奈良登の銅が最も良質のものであることを国人たちは知る。都でも国人は多くの人たちと知り合う。時が読み書きできること、薬草の知識があることは国人を助け、交流を広める。また、素直に境遇を受け入れ、与えられた使役を黙々とこなす国人は頭達から信頼を受ける。景信が師と仰ぐ行基の兄弟弟子であったという基豊にも会いに行くが、菅原寺の高僧となっていた基豊の高慢な態度に国人は落胆する。行基が開いたという悲田院では捨て子や行き倒れの老人を引き取って面倒を見ているが、そこでの無名の僧は、黙々と世話を焼いている。一生ここでこうした人たちの面倒を見たいとその無名の僧は言う。国人は高僧となった基豊と無名の僧、そして奈良登でひとり山に大仏を彫る景信を思う、いったいどちらが民のためになるか。大仏は銅を流し込んで銅像になるまでは若草山の上からでも見えたのが、その後大屋根で囲われ、民衆からは見えなくなる。ここでも、見えなくなって大切に保管される東大寺の大仏と、景信の山の斜面にあり誰からでも見られる大仏、どちらが民のためになる かを考える。

5年の課役の後、奈良登の仲間3人と若狭に帰る1人と一緒に若狭から日本海周りで長門に帰ることになる。途中、仲間の2人は死んでしまう。帰りも苦労を重ね、思いを寄せていた絹女と景信との再会を期待する。しかし二人ともすでにこの世の人ではなくなっている。物語は出会いと別れ、老病死であふれている。所々に挿入される漢詩、仏の教えが効果的に国人の気持ちを代弁する。銅採掘から精錬を担当し、大仏建立の使役を経験した国人は、長門から難波津まで船で運んでくれた船子や、途中で出会う百姓、大仏殿の大柱を切り出し、そして運搬する人足などそれぞれの苦労と苦しみ、そして専門性があることを痛感する。どんな仕事にも苦労と喜びがあること、それが世の中の成り立ちであることを若い健康な体でそして素直な心で学ぶ。また、百済や唐という大陸や半島からの知識と技術がなければ日本の近代化はなかったことを知る。大仏、仏教、精錬、学問これらはすべて大陸・半島渡来者によって日本にもたらされたこと、これが8世紀の日本の近代化であったことを知る。

8世紀の日本が病気や怪我で命を落とす人であふれていたこと、薬草は重要であったこと、人々の貧しい食生活と、頭や役人との生活格差、律令国家としての日本が九州や東北まで勢力を広げ、長門の銅、武蔵の金を奈良に集め、人足や衛視を日本中から徴用していたことを描く。日本の国としての出発の時代である。作者は当時の病とその治療、そしてその甲斐もなく死んでいく人たちを描くことで、当時の衛生事情や人々の一生の短さを描く。骨折で命を落とした広国、聾唖だった黒虫、痔疾で苦しんだ奈良登の頭、血の道の病で苦しんだ貴人、足が麻痺して歩けなくなった都での国人の恋人などが描かれ、それにヨモギやコウホネ、スイカヅラなどが利くことが描かれる。読者は自分が国人になったかのような気持ちで読んでしまうため、自分も少しは仏の教え、人生の悲しみ、人との出会いと別れなどを学んだ気がするのが不思議だ。

読み終わってもしばらくは「じんじんじん」という頭の中の感触を楽しみたい本、もう一度すぐにでも読み返してみたくなる本、こういう小説は17歳から22歳の高校生、大学生が読むと、大きな影響を受けると思う。本書は名作である。
国銅〈上〉 (新潮文庫)
国銅〈下〉 (新潮文庫)
水神(上)
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インターセックス
 

2009年10月5日 人類の足跡10万年全史 スティーブン・オッペンハイマー  ☺☺☺

遺伝子情報から得たところによると現生人類(ネアンデルタールなどの栄えたが今は死に絶えたいとこ人類は除く)はたった一回の出アフリカのチャンスから分岐して世界に広がったという。たった一回というのは、アフリカ大陸からの出口はアラビア半島の付け根と先っぽの二カ所であり、気温により海の深さが変化すると同時にアラビア半島の人類にとっての住みやすさが異なるため、たった一度きりの機会しかなかったと考えられるというのだ。それ以外の機会に脱出した人類は滅びたと言うこと。12万5000年前に人類の一団がエジプトとイスラエルから北方に進出したが9万年前に死滅したこともわかっている。

混乱しないように整理すると、ヒト科の人類は800万年前頃のものから発見されており、有名なところではアウストラロピテクスやネアンデルタールなど、しかしそれらはすべて死に絶えているとのことで、ホモサピエンスとして生き残っているのが現世人類、その歴史は15万年ほど。250万年前から世界は寒冷化し、最終氷河期と言われる1万8000年前までに何回もの氷河期を迎えている。この不安定で寒冷な氷河期に人類の脳の容量が急激に増大したというのだ。乾燥と寒冷化する世界で食べ物を発見するために臨機応変さを身につける必要があった人類の脳容積は100万年前までに400ccから1000ccへ、つまりホモサピエンスよりもっと以前の人類の脳容積は現世人類の75%程度まで増えていたことになる。この大きな脳を使ってコミュニケーション手段たる言語を発達させた。

人類は5人前後の核家族を最小単位とし、少し大きな機能を果たすための20名前後のグループ、大きな単位として100-400人の集団を形成していたとのこと。こうした集団は狩りや、肉食獣からの襲撃、他部族からの攻撃に対しても有効であったことだろう。言語はこうしたグループ化とメンバー間コミュニケーションに重要な役割を果たしたことだろう。

もう一つの推定は現在様々な人種が世界にはいるが、それらは多地域で進化したのかそれともアフリカから脱出した一つの集団から進化したのかという問題、これは後者だという。女性の遺伝子系列はミトコンドリアから、男性はY遺伝子から辿れるようになり、そこからそうした結論が導かれるという。8万5000年前にアラビア半島南部沿いに脱出した後の拡散ルートは3種類で、アラビア半島南部からインドの海岸沿い、そしてインドシナ、オーストラリア、ニューギニアへ向かうルート。このルートでは7万5000年前にインドシナからジャワ島、そしてオーストラリアには6万5000年前に到達した。インドシナから北の中国に向かった一団は、4万年前頃には日本、そして2万5000年前にベーリング海を渡り、19000から15000年前に北米に到達、12500年前には南米チリに到達していたという。一方、ヨーロッパ人は5万年から13000年前にヨーロッパに到達、一部は中央アジアからの一団が4万から25000年前に東ヨーロッパに広がったという。

こうした人類の歴史から学べることは、人類のほとんどの歴史を通して食料を求めていること、人類の多様性が生き延びる上では最重要だったこと、これからも進化するのかは気候変動や隕石などの偶然に大きく左右されるだろうと言うことなどであり、人類が自分の努力できることがあまり多くないようにも感じる。それでも、考えることを止めるわけにはいかないし、コミュニケーションを止めるわけにはいかない。地球環境や病原菌、ウイルスまでコントロールできるようになったとしても、地球外の世界に出るようになったとしても、この多様性の重要性や食料を求める戦いは不変であること、いつかしみじみと感じるときがくるかもしれない。
人類の足跡10万年全史
 

2009年10月4日 道頓堀川 宮本輝 ☺☺☺

昭和44年の大阪、邦彦は21歳の大学4年生。両親は死んでおらず、喫茶店で住み込みで働きながら大学に行っている。喫茶店のオーナーは昔、賭ビリヤードで稼いでいたという武内鉄雄。登場人物は多いが、この邦彦と武内の物語。

邦彦は、宮本輝のほかの小説にもよく登場するような主張が弱い、迷いも多い若者で、女性にもてるがものにする女性は一人である。武内は昔稼いだ金で経営する喫茶店を邦彦に継がせてもいいと思っている。武内の歴史と邦彦の生い立ちが物語を構成する。

泥の河の昭和30年から比べると、主人公の力強さは弱まり、世の中の豊かさが男の子の心の太さを弱体化しているのではないかと考えてしまう。宮本輝の作家としての主発点があるとしたら、「道頓堀川」、これだなと思う。
道頓堀川 (新潮文庫)

2009年10月3日 泥の河 宮本輝 ☺☺☺☺

著者が「螢川」で芥川賞を取る前に、太宰治賞を取った小説。昭和30年ころの大阪、堂島川と土佐堀川が一緒になって安治川となる場所に架かる橋のそばでうどん屋を営む家族がいた。主人は終戦後のバラックからここまで店を育ててきた晋平、妻の貞子、子供は信雄。近くを流れる川にある日一艘の船がやってきた、そこには母と姉弟が住む、姉は銀子、弟は喜一、きーちゃんだ。信夫ときーちゃんは同じ年、すぐに仲良くなる。物語の中では、近所に暮らすおっちゃん、おばちゃん達が描かれるが、戦後10年という時代の貧しさや、まだまだ混乱していた世の中の騒音が伝わってくる。船は当局から見ればは許されない不正住民らしく、姉弟は学校にも行っていない。娘のいない貞子は銀子をかわいがるが、銀子は着るものや飾り物をくれようとする貞子から何もうけ足らない。船にいる母親はどうも春をひさいで収入を得ていることがわかり、近所の住民はなにかと噂をするようになるが、信雄親子は暖かく接する。貞子の喘息がひどくなり、家族の新潟への引っ越しが検討される。貞子の本心は「動きたくない」、しかし晋平は商売を変えたいため、その話を進めている。信雄はきーちゃんの家族が気になる。2ヶ月ほどで船は不正住民として退去を命じられ、3人は出て行く。信雄たちも新潟に引っ越すことになる。

とても切ない悲しい話であるが、この時代には結構あった水上生活者、大阪にはあった話だとおもう。今でも大阪市内の川は美しくはないが、当時の川は生活用水やゴミ、死体さえも流れていたという。そこでの生活者たちもその川の水のように泥と一緒になってゆっくり流れるように暮らしていた、というレトリックか。タイトルは泥の川、話の中に、ゴカイを泥の中から掬って釣り人たちに売る老人が登場、窓からそのゴカイ取りをみていた信雄が目を離したすきに、船から落ちてしまうエピソードがある、老人は泥の川の底に沈殿する数メートルにもなるヘドロに埋もれて死んでしまったと思える。生活の糧となるゴカイもとれる泥で死んでしまう。

昭和30年の大阪下町での庶民生活、その後の道頓堀川が描かれた昭和44年、道頓堀川にはネオンが輝く、この14年の差は大きい。いまでも大阪には泥の河が流れている。
蛍川・泥の河 (新潮文庫)

2009年10月2日 螢川 宮本輝 ☺☺☺☺

宮本輝、芥川賞受賞作。昭和37年の富山、竜夫が銀蔵爺さんと大発生した螢を見に、幼なじみの英子と母親の千代、4人で弁当を持ち夕方から川をさかのぼっていく。4月に季節はずれの大雪が降る年に大発生するというのが螢、稲を植える直前に行くのがポイント、というのが銀蔵爺さんの主張であり、竜夫にとってみると竜夫の父、重竜のいまわの際の言葉でもあった気がする。相当歩き疲れた4人、時間も相当遅くなっている。「あと1000歩歩いても蛍がいなかったら帰ろう」と銀蔵爺さんが言うと、「1001歩目にいたらどうするの」という英子の意見、「じゃあ1500歩歩くことにしよう」と4人は歩き始めたそのとき、500歩も歩かない4人の前に光の固まりが現れる。これが蛍なのか。4人は我を忘れて蛍の帯に見入る。「もっと近くに行こう」という竜夫、一緒に行くのは英子、川の近くに行く二人、それを上から見るのは千代と銀蔵爺さん。川の草むらに降りた竜夫、その前にたつ英子の足下から蛍が何万匹と飛び立つ。英子は竜夫に言う「恥ずかしいからこっちをみないで」。

上から二人を見下ろす千代がみたのは、人の形をした蛍、光の塔だった。これが最後のとっても美しい場面。

竜夫の父の戦後の成功と挫折、前夫と別れて一緒になった千代と前婦と別れて千代を嫁にした重竜の人生の歴史が物語の縦糸、その中に越前岬の宿で聞いた盲目の三味線弾きの音色が響く。竜夫の中学生の友人、関根圭太との交友とその死、英子への憧れ、これが横糸。時代背景とこうした縦糸横糸という小道具が最後の場面の美しさを際だたせる。印象的な物語だ。
蛍川 (角川文庫)

2009年10月1日 毎月新聞 佐藤雅彦 ☺☺☺

1998年から2002年、毎日新聞に連載されたコラムであり、著者は団子三兄弟の作者であり、「バザールでござーる」などのコピーライターでもある。「じゃないですか、禁止令」という表紙に惹かれて買ってしまったのだが、全く同じことを思っていた僕としては、もっと前から感じていた人がいることに意を強くした。僕の発見は「じゃないですか」は女子高生に移ったとたん「なくない」に転じ、「良くなくない?」というフレーズになっていて、実は同根であること。

著者は「じゃないですか」が、自分の意見を主張するのに、他人がみんなそのように言っているように迫るから、一般論を装いながら自説を主張するお便利ツールとして若者に広がってきていて、これは禁止にしたい、それも言うなら、「である」と言い切りなさい、との主張、まさに同感。2009年の今では若者に限らず多くの人たちが多用するフレーズとなっている。直接的に主張することを避ける言い回し、ほかに何があるか。

「〜だったりします」
「〜なんていったりね」
「コピーとか必要ですか?」
「みたいな」

目の前にいる人との直接的な対立を回避する手段としての言い回し。どうしても主張したいときに使うのが「じゃないですか」。

他にもある。「これは好きですか?」「私的には、好きとか言えない感じがする」もう一つの回避方法として、反論できないほどの主張を表明する。「私、これ超好き」、そこまで好きなら、それは致し方ないから反論はできない。

京都の商人が、力を持っている武士との対立を避けるために、持って回った言い回しをした京都弁。「そこのものを取ってほしい」そのときに「ちょっとそれ取ってくれはらしまへんやろか」、「くれはる」とはくれるの丁寧語、「しまへん」で一度否定、やろかで疑問型。「じゃないですか」の否定+疑問と似ている。

自分への「侵害」を避けたいために、他人へも過剰な接近をさける、こうしたためのプロトコルだとすれば、若者から広がっている「直接的対立回避会話法」の根っこには、引きこもり指向の若者が傷つきたくないためのコミュニケーション手段だと考えられる。

そういえば、これも政治家バージョンともいえる言い回しに「〜させていただきたい」。いたします、したいと考えます、と言えばいいところを多くの政治家は選挙、インタビュー、演説などで多用している。これは何だろう。下手に出ながらも、します、ということを表明している、政治家は出しゃばりの目立ちたがり屋があまりに多いものだから、そうではないのだ、ということを示したい、というしゃべり方なのか。これも間接的対立回避に見えるが、政治家は引きこもりの若者ではないと思えるので、「装い」の言い回しだと考えられる。

本の内容とは離れてしまったが、佐藤雅彦さん、ユニークな着眼点から問題点をえぐり出す才能がある、それがコピーライター。
毎月新聞 (中公文庫 さ 48-2)

2009年10月1日 悪魔のささやき 加賀乙彦 ☺☺☺☺

自分ではそんなつもりはなかったのに、ついふらふらと、手を首に回して殺人をしてしまった、という死刑囚が結構いるとのこと、著者は精神科医として200名以上の犯罪者と会って話を聞いてきた、その経験をベースに、「悪魔のささやき」という言うべき状態が人間には起こることがあるとの仮説を立てた。ドストエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフ、金貸しの老婆を斧で殺したのは計画的だったが、その娘まで殺してしまったのは偶発的殺人だった。このような偶発殺人は実際良くあるケースであり、物盗りに入った家で、たまたま帰宅した家人に見つかり、その人を殺してしまう、こうした殺人のことです。逃げればいいのに、心理的に追いつめられてしまい、台所にあった包丁で刺してしまう。こうした200名もの殺人犯にヒアリングをすると、犯人自身も納得できない殺人の原因、つまり魔が差した、「悪魔のささやき」のようなことがあるというのだ。

自分自身の境遇や状況に絶望して自殺、しかし自殺のかわりに殺人を犯してしまう例も多いとのこと。筆者が席巻したメッカ殺人事件犯人で「宣告」のモデルにもなった正田がその例であり、最近では小学生殺人の宅間もそうだという。

日本では自殺者総数が年間3万人を超え、ロシア、ハンガリーについて世界3位、不名誉な銅メダルだ。著者によると自殺者の3分の一程度はうつ病、うつ状態であり、こうした状態では自殺と同時に、きっかけさえあれば殺人さえ犯しかねない心理状態にあるとの分析である。原因のかなりの部分を占めるのがストレスで、多くの人は思いとどまるのだが、そこに何かのきっかけ、例えば同じく悩んでいて自殺願望がある人と知り合う「自殺サイト」、肉親や親友の死、会社経営失敗、病気、友人の裏切りなどなど、「ポンと背中を押される」ような、健康人なら耐えられる苦しみに耐えかねた自殺が多い。

囚人に見られる詐病や心神耗弱などのなかには、拘禁状態によるストレスから心の異常を来す人がいる、一つの事例が「爆発反応」。大声で叫び、暴れ回って器物破壊、自傷、そかし爆発の後にはその記憶がない、というもので、爆発状態の間は人間であることを放棄した無意識下の動物状態と表現している。また、仮面痴呆も一つの症状で、無意識下のストレス回避のための乖離性反応だという。オウム真理教の麻原死刑囚は仮面痴呆よりひどい昏迷状態という昏睡直前の無反応状態、詐病ではない、というのが著者の診断。現代社会は刑務所外でも刑務所ないでみられるようなこうしたストレスを受ける状況になっているのではないか、と著者は分析する。集合住宅に独りで住む、家族で住んでいるが部屋にこもりきりである、いわゆる引きこもり、こうした状況は貧しかった時代、大家族時代にはなかった現代の病巣である、というのである。

精神学者のフロイトは「死の本能論」で人間の根源的エネルギーは生きること、楽しむこと、創造することなどの生の本能であるが、同時に生の前の状態である無に還ろうとし、時には不快や苦痛をも求める死の本能ももつと主張。死の本能が外に向くとき、暴力や殺人を犯す。動物学者のローレンツは「攻撃」で、社会性のあるネズミや人間は同族の中では平和に暮らそうとする。しかし、自然環境からほど遠い状況の文明下では、ストレスがあって同族以外の仲間には攻撃的に振る舞う、という。

カラマーゾフの兄弟では、兄弟の父親フョードル・カラマーゾフが殺され、日頃から父親を憎んでいた長男、ドミートリーが逮捕される。しかし、殺人を犯したのは給仕で次男のイワンを尊敬しているスメルジャコフだと判明。しかし、スメルジャコフの言葉により、無意識下で父親を憎悪していたのはイワンであり、イワンの憎しみの願望がスメルジャコフに殺人の動機を与えたことが分かる。兄の判決を前に徐々に精神不安定に陥るイワンは、自分の目の前に悪魔を見る。「おまえは俺の幻影だ、俺の欲望の化身なのだ」、ドストエフスキーが描いた「悪魔のささやき」である。

「悪魔のささやき」を避ける、耐える手段はあるのだろうか。著者は次のように言う。
1. 自分の周りの卑近なことばかりに関心を持たず、世界、世の中、将来など大きく遠いことにも興味を持つこと。
2. 世界の多くの宗教が導く精神、隣人愛、謙譲、感謝などについて考え、自分が信じられるものを持つこと。
3. 死の醜さ、怖さに向き合うこと。
4. 自分の人格について考え、個人として自立できるように努力、確固とした人生への姿勢を持つこと。

オウム真理教に入信した高学歴のメンバー、秋葉原でトラックを暴走させた若者、同級生をナイフで切ってしまった小学生、こうした近年に見られる「悪魔のささやき」とでも言えるような些細な、もしくは信じられない妄想による殺人者に、どのような方法で上記1ー4を考えさせられるか、家族の重要性、友人やコミュニティの重要性は言うに及ばないが、日本の経済成長が「悪魔のささやき」を助長していることも見逃せない。経済成長で日本人は本当に幸福になったのか、経済的豊かさだけでは得られないものは何か、何があれば人間は幸せになれるのか、とても重要な課題である。
悪魔のささやき (集英社新書)

2009年9月30日 ハルビン・カフェ 打海文三 ☺☺☺☺

記憶喪失の自分が、見知らぬ街に放り出されて、人と話すうちに徐々に記憶を取り戻すが、その記憶はとんでもない物語だった、とでもいうような近未来小説。場所は福井県の仮想の都市、海市、登場人物は多いが最後まで中心的な役割を果たすのは布施隆三。海市は中国、朝鮮、ロシアからの移民が大勢押し寄せた結果、日本人よりも他の民族の方がマジョリティを占め、日本の警察の勢力が十分にその威力を発揮でききれなくなってしまった街として描かれる。警官はマフィアに殺され、その結果取り締まりを強化しても、さらにマフィアにやられてしまう。そして、「P」と呼ばれる警察内部での仮想反抗組織が立ち上がり、警察内部とマフィア両方に対し牙をむく。そしてその「P」の内部に警察に通報するスパイの存在が明らかになる。

こうしたシナリオは徐々に、登場人物の履歴や記憶、告発などの様々な形で読者に示される。読者は徐々に全体像を組み立てることができる。作者は全貌を整えた上で、どのように読者に示すかを考えているはずであるが、この小説を読んでいる限り、ミステリーでもSFでもないジャンルの新しいタイプを感じる。

感想としては、あまりに多くの登場人物が死にすぎて、登場する女は必ず男と関係する、そんなものと言えばそうなのだが、読んだあとの気分は良くはない。しかし、それでは良くない小説だったかと言われると、著者の次の本を読んでみたいと思う、不思議な作家だ。警察内部のキャリアとノンキャリアの確執、警察の内部問題隠蔽体質など、黒川博行の作品を思い浮かべるが、死者の数は大沢在昌ばりである。もう少し、打海文三、読んでみるか。
ハルビン・カフェ (角川文庫)

2009年9月27日 花の大江戸風俗案内 菊地ひと美 ☺☺☺

江戸時代の武士、庶民、商人、職人、女性、男性、子供それぞれがどのような服装をし髪型を結い、そして生きていたのかを沢山のカラー絵(浮世絵に色づけしたもの)で解説、とても分かりやすいそして興味深い解説書である。鬼平犯科帳や銭形平次、藤沢周平作品などを読むときに、具体的登場人物イメージを思い描くときに非常に参考になるであろう。解説はまずは吉原から、その地図、江戸の中でのロケーションと行き方、初めての登楼の方法、遊女のランキング、太夫との出会いとお値段などなど、事細かに解説。続いては武士の暮らし、旗本から御家人、足軽などまで家の大きさから服装などを解説。武士の階級は細かく細分化されていて、武家諸法度により着るものも定義されていたとのこと、日常業務から儀式まで図解して紹介、分かりやすい。奉行、与力、同心、岡っ引きなどの違いを服装、屋敷、収入などで説明しているので具体的でよくわかる。そして大奥から庶民までの女性、大旦那から丁稚までの商人、鳶職から左官、飾り職人など、これ一冊読めば大江戸通となること請け合いである。
花の大江戸風俗案内 (ちくま文庫)

2009年9月26日 打ちのめされるようなすごい本 米原万里 ☺☺☺☺

著者の読書量と速読に改めて敬意を表する。そして本への感謝さえも感じる。本の前半は週刊文春に連載された「私の読書日記」、後半が各種新聞などに掲載された著者の書評である。解説の丸谷才一が書いているのだが、「彼女の長所は本を面白がる能力が高いということ、そして褒め上手である」「そして一冊の本を相手にするのではなく本の世界と取り組んでいる」。本の評価をするには、その本を書いた人が影響を受けた世界、読んだ本をも理解しなければできないからである。村上春樹を評価するには大江健三郎やフィッツジェラルド、チャンドラーを読んでいなければならないのだ、ということ。

そして、著者の書評を読むことで著者の好み、考え方が手に取るようにわかる。「私の読書日記の最後の部分は、自身がかかった癌に対する治療法を解説した本達への書評、評価になっており、西洋医学では対処できない癌への様々な対処方法について自らがモルモットとなり試している。「私が10人いたら10種類の方法が試せるのに」という著者の叫び、これはサービス精神などというモノでは言い表せないほどの本好きの言葉なのだと思う。

ここにあげられて中で、読んでみたいと思った本がたくさんある。
星野博美 謝々!チャイニーズ 謝々(シエシエ)!チャイニーズ (文春文庫)
金平茂紀 ロシアより愛をこめて ロシアより愛をこめて―モスクワ特派員滞在日誌
田村志津枝 台湾人と日本人 台湾人と日本人―基隆中学「Fマン」事件
ノーマン・レブレヒト 巨匠神話 巨匠(マエストロ)神話―だれがカラヤンを帝王にしたのか
丸谷才一 恋と女の日本文学 恋と女の日本文学 (講談社文庫)
ロバート・ワイマント ゾルゲ 引き裂かれたスパイ ゾルゲ 引裂かれたスパイ〈上〉 (新潮文庫)
ゾルゲ 引裂かれたスパイ〈下〉 (新潮文庫)
斎藤美奈子 読者は踊る 読者は踊る (文春文庫)
張平 十面埋伏 十面埋伏〈上〉
十面埋伏〈下〉
大江健三郎 取り替え子 取り替え子(チェンジリング) (講談社文庫)
澤地久枝 昭和史のおんな 完本 昭和史のおんな

2006年、癌で著者は亡くなった、まだ56歳、本当に惜しい人だ。

2009年9月23日 魂萌え! 桐野夏生 ☺☺☺☺

定年前の男にとっても身につまされるお話。59歳になった敏子の夫 関口隆之は63歳だったが風呂上がり脳溢血で突然死、死の直後から物語は始まる。専業主婦として穏やかに過ごしてきた敏子にとっては、「これからは二人で楽しくすごそう」という夫の言葉通りになればいいと思っていた生活が一気に崩れてしまう。これからは月15万円の年金と夫の保険金1000万円、そして築20年の一戸建ての家、これだけが頼りになる。子供はアメリカに行っていた彰之は葬儀のために帰国、初めて目にする妻の由佳子(36歳)と4歳、2歳の子供達と一緒だった。もう一人の娘は美保31歳、年下のマモルと同棲しているという。彰之は日本に帰ってくるから一緒に住もうと言いだし、敏子は悩む。美保はそれは兄のわがままだと言い、私が帰る場所がなくなるではないかと主張、敏子はどちらも我が儘で、自分が夫を失ったことを気遣ってもくれないと悲しむ。敏子の学生時代からの友人達、栄子、美奈子、和世が訪ねてきて慰めてくれる、そして、そこに夫が生前蕎麦打ちを一緒に楽しんでいたという今井が現れ、関口はなくなる日の昼間蕎麦打ちに言っていた、ということが嘘だったことがわかる。夫には10年もつきあっていた女性伊藤昭子がいたのだ。

波風なくここまで平穏に暮らしてきた、と信じていた敏子は混乱して、同居を迫る彰之を家に残し、カプセルホテルで4日を過ごす。そこで波乱の人生を送ってきた老婆とその甥の野田と知り合う。二人は借金に追われてホテル暮らしをしていることを知り、自分が家もあり子供もいてそんなに不幸ではないと考える。自宅に帰った敏子は子供達に同居はしない、財産分割などしないことを宣言する。

敏子は今井に誘われて蕎麦をおいしく食べる会に参加、67歳のダンディーな塚本と知り合い、知り合った日にホテルに行ってしまう。今まで経験したことのないことで敏子は動揺するが、これも自分の人生と自分を見つめ直す。夫がつきあっていた伊藤昭子とはゴルフの会員権の所有を巡って一悶着するが、昭子も幸せではない人生だったことに気づく。今井達の蕎麦の会に敏子は栄子を誘い、そして美奈子、和世も誘い、赤坂の高級蕎麦料亭で食事をする。今井は結婚詐欺にあって2000万円かすめ取られたことを告白、敏子は子供とのこと、伊藤昭子との決着、自分の決意をみんなの前で表明する。敏子が積極的になったことを和世や美奈子、栄子は褒める。塚本は敏子にまた付き合ってほしいと言う

59歳の今まで世間にほとんど出たこともない未亡人が主人公、これは珍しいのではないか。いや、これからはこうした人たちが増えてくると言うこと。団塊の世代の生き方のバリエーションである、他人ごとではない。年の取り方には人それぞれの過去としがらみがあり、介護、病気、お金、子供のことなどなど、さまざまなパラメーターがあって、それぞれが重しとなって人の肩にはのしかかってくる。定年後はのんびり過ごしたい、とは誰しも思うことではあるが、こうした事情には定年はない。敏子はこれから老いていきながらも一人で生きていくすべを考えながら確立していくのであろう。誰しも定年前からこうした準備を、経済的にも心理的にもしていく必要があること、じんと胸にくる小説である。

2009年9月22日 国家と神とマルクス 佐藤優 ☺☺☺

宗男事件で起訴され裁判を経験した著者の弁を綴った本。第一章「それでも私は戦う」は自己弁護、あまり感じるところはない。第二章「国家の意思とは何か」国家が捜査権を駆使してある人間を追求する場合、そしてその人間が政治家や有名人である場合、法律は追求される側の個人にどのように作用するのか、国家は法律をどのように使うのか。第三章「私は何を読んできたか」獄中での読書紹介、米原万里を読んで感動したとは意外。第四章「日本の歴史を取り戻せ」米英の植民地主義とその結果分析、大川周明と神皇正統記の研究 第五章「国家という名の妖怪」日本国憲法と国体護持、靖国問題について。

頭の良い方だと思うが、国家との戦いで性格が歪んでしまったのではないか。人の善意や社会への貢献、個人の社会的責任などについて考えてみてほしい。

2009年9月20日 ヴァイオリンと翔る 諏訪内晶子 ☺☺☺

18歳でチャイコフスキーコンクールのヴァイオリン部門で優勝した諏訪内晶子さんのエッセイ。「東京からモスクワまで」ではチャイコン優勝までのコンクールでの足跡を記録、ソビエトのナショナルピアニストとも言えるコンクールへの力の入れようと、派遣された3人のロシア人のプレッシャー、そしてロシアでの音楽メソッドの素晴らしさを描写、ロシアへの憧れを紹介する。憧れはロシアでのコンクール参加で、食事や国の貧しさに打ち砕かれる、結構現実的なのだ。「ヴァイオリンという楽器」では日本のサロンコンサートが自身を育ててくれたことを紹介、チャイコンで優勝して真っ先に演奏をしたのはそのサロンコンサートであったことも紹介。そうしたサロンには耳の肥えたリスナーがいて、著者の音楽的成長を見てくれていることを紹介する。「師との出会い」ではヴァイオリンを中学時代から見てもらった江藤俊哉先生とのやりとりを紹介、江藤のメソッドがいかに一貫していて素晴らしいのかを自身の経験とともに紹介している。著者はチャイコン優勝のあと91年から米国に留学して、一時コンサートからは遠ざかりながら、ジュリアード音楽院とコロンビア大学で勉学に打ち込み、音楽だけに秀でていても良い演奏はできないことを噛みしめる。最後の章ではアンドレプレビンと小澤征爾との音楽的交流を通して学び、得てきたことを紹介する。

1990年に18歳で優勝してから2009年だから今は37歳、これから彼女はどのような成長した姿を私たちに見せてくれるのだろう。

2009年9月19日 絆 江上剛 ☺☺☺☺

タイトルが中身と合わない気がする。絆、といえばもう少し強い良い繋がりをイメージするが、本ストーリーでは兵庫県の丹波に昭和28年に生まれた康平と治夫の幼い頃からの出生の秘密を含むシガラミを含んだ交遊と養育者の子治夫と養われている側の子康平の成長、そして成人してからも子供時代の関係を引きずる交流を描く。

康平の母京子は生活保護を受けながらも自堕落な生活を送る女性、母子家庭で貧乏である。治夫の父は柳本統治郎、地元の造り酒屋で御殿のような屋敷に住んでいる。次男が治夫、姉の翔子と統治郎は康平に優しいが治夫と母文子は何かにつけ康平につらく当たる。勉強もスポーツも康平の方が治夫よりも優れるが治夫はそれが気にくわない。康平の母京子はある日自殺、康平は柳本の子として育てられることになるが、康平は京子と統治郎の関係に疑問を抱く

康平と治夫は成長しながらも、二人の主従関係から逃れられず、いつも康平は治夫の言うことを聞いてしまう。高校卒業の時、治夫が以前から好きだったという佐依子を康平が呼び出す。寒い日、呼び出された佐依子は康平への好意を告白するが、治夫に暴行されそうになり、康平は力づくで治夫を佐依子から引き離す。これ以上柳本の家には世話になりたくないと考えた康平は家を飛び出す。

福知山線で大阪にでた康平は、ヤクザに絡まれていた矢井田をとっさの機転で助ける。矢井田は高校生の康平を自分の会社ヤイダ染工で雇いたいと申し出て、康平は一も二もなくそれに従う。ヤイダ染工は愛知県尾西にある300名程度の工場、矢井田はその社長である。そこで康平は無心に働く。あるひ、先輩の相川に連れられて岐阜のソープランドに行き、そこで佐依子と再会する。佐依子も再会を喜ぶが、店に200万円の借金があることを康平に告白、康平はお金を貯めて佐依子を救いだし、一緒になろうと持ちかける。

その事情を知った相川と矢井田は200万円を康平に用立てて、店に交渉に行くが、佐依子は出奔したあと、康平には嘘をついていたことがわかり、康平は大いに落胆する。そしてその後康平は矢井田の妻の親戚であった早苗と結婚、長男真一を儲ける。一方、治夫は早稲田大学から都市銀行で東海地方に展開する中部日本銀行に勤めて、愛知県に赴任している。ここからが、バブル時代の銀行のなりふり構わぬ強引な貸し付けと、その後の株価高騰、そしてバブル崩壊、貸しはがし、という金融機関の醜さと恥部をこれでもかと言うほど執拗に描く。

ヤイダ染工の後継者と指名された康平は糸を染める、という仕事に没頭、中小企業ながらも独自の技術をもつ企業へとヤイダ染工を成長させようとするが、矢井田社長は治夫が進める事業拡大融資と株式投資に乗ってしまい、7億円の借金を抱えてしまう。治夫は銀行の出世競争とノルマから、会社の将来よりも銀行での自らの出世を優先させ、不要な融資まで矢井田に受けさせてしまう。1989年バブルは崩壊し、矢井田の借金は返済不能となってしまう。経理部長を拝命して経理面を引き受けた康平は少しずつでも返済しようと努力、やっと残金3億円まで返済を進めたときに、銀行は合併、治夫は東京に転勤、WBJという巨大金融機関になった銀行には新しい支店長が赴任、貸しはがしを矢井田に迫る。

返せないなら、会社を売却せよと迫るWBJの新支店長、売れないとがんばる矢井田だったが、吐血して死んでしまう。こうしたストーリーの中に、こうしたバブル形成から崩壊、そしてその後の日本の金融機関が行ったさまざまな行動が描かれる。平和相互銀行事件、イトマン事件、富士銀行赤坂支店の不正融資事件、日本興業銀行頭取による料亭の女将尾上縫への3000億円不正融資事件などバブル時代を象徴する無軌道な事件が思い出される。また、スーパーダイエーへの融資はダイエーの実質破綻で焦げ付くのだが、その事実を金融庁から隠蔽しようとする様も描かれる。

治夫は50歳近くになってから康平に謝りに来る。矢井田社長を死に追いやったのは自分だと、康平はそれを許し、ヤイダ染工の専務として迎える。絆は康平と治夫、そして佐依子、偶然知り合った矢井田と康平、京子と統治郎などなど多くのつながりを示唆するが、一番のしがらみである康平と治夫の絆に納得がいかないものが残る。解説の元木昌彦は書いている「金融機関の不祥事では、時の責任者は糾弾され一掃されても、その跡を継ぐ後継者達はそのときの本当の痛みを知らないため、同じ過ちを繰り返してしまうのではないか。リーマンショック後の日本の金融機関でもバブル崩壊後の貸しはがしと同様の狂態を示しているのではないかと。まったくその通り。

2009年9月18日 現代史の争点 秦郁彦 ☺☺☺

南京事件、慰安婦問題、家永裁判と教科書論争、太平洋戦争と歴史観、情報公開とプライバシー、こういう長く論争が続いている現代史の諸問題に関しての戦争史専門家としての見解をまとめたもの。左派と右派、左翼右翼に属さない学者としての見解としてできるだけ事実をベースに見解をまとめているので好意がもてる書きっぷりである。

南京虐殺については、虐殺された数が中国側の30万人が当時の人口より多く事実とは言えないこととともに、日本の右翼学者達が言うように、虐殺などなかった、というのは大嘘であり4万人、というのが当時の人口や資料としてのドイツ人の日記などから導かれるとしている。南京虐殺の証拠写真の真偽についても言及、多くの書物で参照されている写真の疑問点についてまとめ、左右両派の誤りを正している。

慰安婦問題の論点を整理、すべての慰安婦が強制連行されたとするのは無理があり、当時の日本では公娼制度があったこと、高給に惹かれて応募した女性もいたこと、陸軍が直接関与したとはいえないケースが多かったことなどもあげている。戦後米国も日本が用意した売春施設を利用したこともあげているが、この部分はやや迫力がない。慰安婦問題を国の問題として、今でも国によらない見舞金の受け取りを拒否するように慰安婦経験者に要請している韓国やインドネシア政府を紹介、慰安婦狂想曲は茶番劇、としているのには賛同しがたい。

家永裁判と教科書検定については、家永氏の経歴上の矛盾を指摘し、家永氏が32年に亘って続けた教科書裁判が敗訴に終わったことを紹介することで家永氏の主張を退けて退けている。

東条英樹の戦争責任や太平洋戦争のキーワード、日本陸軍の最後の反省などは、歴史学者らしい分析であり、納得できる書きっぷりである。

いずれにしても、日本の現代史が人によってこれほど違った形で分析され語られていることは日本人にとって幸せなことではないだろう。真実と事実、江戸時代以前の歴史は比較的冷静に説明されていると思えるのに、現代史が本当に中立な立場から語ることができる日は来るのだろうか。

2009年9月17日 霞町物語 浅田次郎 ☺☺☺☺

浅田次郎、良い話し書くじゃあねえか、という彼の青春物語。今の西麻布あたりが霞町、そこで写真館を営む伊能家には祖父、両親と「僕」がいた。青山のディスコ パルスビートに通う不良の高校生だった「僕」はディスコで明子(はるこ)に出会う。パルスビートでは飛行機事故で死んだオーティスレディングがかかっていてR&Bの中でポニーテールで赤いハイヒールを履いた明子は目立っていたのだ。「僕」は高校1年生から軽自動車免許を持ち、ホンダのN360(Nコロ)に乗っていた、というからお金持ちでボンボンの不良ということになるのだが、高校は赤坂の都立、というから日比谷であって単なる不良でもない。明子とは出会ったその夜にジンライムで酔わせてしまい、渚のホテルで抱いた。高校生の「僕」は中間テストやらなんやらでしばらくパルスビートには行かなかったが、明子は「僕」がくるのを店で待っていた、という証言もあり、「僕」の心は少し揺れる。その後、高校を卒業、大学生となった春に友人のトオルが自動車事故で死ぬ、その葬儀に出かけて、久しぶりに明子に会う。写真館は売り払って、神奈川に引っ越していた「僕」は相模ナンバーのロータリークーペに乗っているが、それではパルスビートに顔を出せなかった、などと明子に見栄っ張りの言い訳をする。明子は姓を梶井と名乗り、元伯爵梶井家の令嬢だったことを告白する。「僕」は明子にキスをして、明子を思いでの霞町に置き去りにする、という格好よすぎる見栄っ張りの青春物語、これが第一話。第八話まで「僕」の高校時代と祖父、祖母を思い出す小学校時代の話が交互に綴られる。

相当に背伸びした高校時代の青春物語よりは、祖父、祖母を思い出す話の方が格段に良くて、中でも芸者だった祖母との思い出を綴った「雛の花」と少し呆けていた祖父が死ぬ直前に写真を撮ってくれた「卒業写真」は逸品である。祖母は筋違いが許せない一本気な江戸っ子、「僕」が学校で「立ち小便をした」という濡れ衣を着せられた。冤罪だと僕は知りながら校長や先生たちが、誰かが白状するまで授業を始めない、というものだから成り行きで白状してしまった、と祖母に愚痴を言ったところ、祖母は学校に乗り込んで校長から詫びを入れさせた、という逸話を思いでとして語る。できすぎた思い出とも言えるが、その祖母は60過ぎとは見えない若くて美人の女性だった、とも言っているので、「僕」の美しい幼少のころの思いでなのだ。祖母は歌舞伎も大好きで、「音羽や!」などというかけ声もかける芝居通であった。芝居の帰りに寿司屋に行って、頼んだ寿司が早くですぎたのを見て、「食べちゃいけないよ、出るからね」と代金だけ払って「僕」を連れ出した。どうしてさ、と聞く僕に「はなっから握ってあった寿司なんか食べたくないからね」という。そして行きつけの鰻屋で口直しだ、といった。鰻が出てくるのが襲い、と「僕」が言うと「鰻屋で早くしろは口が裂けてもいうんじゃあないよ」と教える。なんとも江戸前作法はやかましいことだ。そんな祖母と芝居を見に行ったときの思いで、立派な紳士と一緒になり「僕」は誰なんだろう、と思う。のどの調子が悪かった祖母に代わって、膝をたたいたら「おおナリ駒!」ってかけ声を出すんだよ、と言われた「僕」はその通り声を出す、群衆は子供が間合い良く声をかけたので一斉に振り向く。謎の老紳士とは芝居がはねた後まであまり口をきかなかったが、別れ際に紳士は菜の花と桃の花の花束を祖母に渡す。受け取ってしまった僕に、捨てておしまい、と祖母はいって日本橋から川に投げ入れてしまう。そんな祖母との思いでは、祖母の急な入院、そして死で終わる。「僕」はどうしても出棺の時までに菜の花と桃の花を手に入れたくて渋谷まで自転車をとばし、東急文化会館一階で時ならぬ菜の花を見つけ、それを霊柩車に乗るときに祖母に捧げる。桃の花はなかったんだよ、と「僕」が祖母に詫びる。霊柩車がクラクションをならして走り出すと、近所の知り合いから「音羽や!」「日本一!」などとかけ声がかかる。「僕」はおばあちゃんは音羽やじゃあないよね、と母に言う。「僕」は母にお願いする、ちょっと膝を叩いてと。訳の分からない母はそれでも膝を叩く、「僕」は大声で「おお成り駒!」と叫ぶ。なんというおしゃれな思い出だろうか。

写真家である祖父との思い出、「卒業写真」。年末不良高校生だった「僕」は霞町のミスティで友達の良次とキーチで飲んでいる。そこにボケが進んでいるはずの祖父が迎えにくる。どうしてここが分かったのか、祖父がミスティを知るはずがない、と訝る「僕」、しかたなく友達と一緒に年末の家に祖父共々帰る。家には誰もおらず、祖父と友人も入れて飲みなおしていると、そこに血相を変えた父が帰ってくる。風呂に行ってくる、と言ったきり帰ってこなくてどうしたんだ、とどなっている。そう、祖父は「僕」を探してくれたんだ、と父に説明する。怒気がおさまらない父を母がなだめてくれる。翌朝、祖父は写真を撮る準備をしている。「僕」達三人の卒業写真を撮ってくれるのだそうで、ボケは出ておらず、まともな祖父、「僕」達3人は神妙に写真に収まる。その正月、松が取れる頃に祖父は亡くなる。こうしたストーリーの中に、師と弟子の関係でもあった祖父と父が描かれ、父が撮った祖父の写真がコンクールで優勝した話しや、その写真と同じ風景を「僕」も祖父と経験し、叔父であった真一と祖父の関係を知ることにもなる。そして、霞町や都電というそのころの風景、ライカIIIやストロボなどの小道具などのディテイル描写が思い出話をもり立てる。1990年代後半の著作であるが、著者の物語力を大いに示す小品である。

2009年9月16日 アジアの隼 黒木亮 ☺☺☺☺

1990年代後半の香港、インドネシア、ベトナムなどを舞台にした国際金融機関で働く人間物語。物語はアジアの隼というタイトルにもなっている投資銀行ペレグリンにつとめるアンドレ・リーやフィリップ・トーズなどの強欲資本主義に取り付かれたともいえる急成長と没落のストーリー。もう一つは日本の長期債券銀行のハノイ駐在員となる真理戸がベトナムでのビジネス案件を一年がかりで奪取、主幹事会社となるストーリーである。ペレグリンは実在する会社であり、長期債券銀行は架空の会社となっているが、日債銀を思い起こさせる設定。

ペレグリンのストーリーは描写が浅く、面白味もあまりないが、真理戸の長期債券銀行が、ベトナムのタカリ体質の中を苦労して現地職員に賄賂を使い、ベトナム人に様々な便宜を図ることにより一年がかりで許認可を得た上でビジネスを獲得する、この間の苦労やばかばかしい接待などが生き生きとまた生々しく描かれていてとても面白い。ベトナム戦争で大国アメリカを破った国、という誇りを持ち、さらに先進国からの投資を引き込む魅力をもつ市場に育った国、という二つの誇りをもつベトナム人達が、ビジネスでは賄賂やタカリ根性を徹底的に発揮する様をリアルに描いている。また、ベトナムでの貧乏な民衆がどのようにたくましく生きようとしているか、女性達のナイトクラブなどでの稼ぎをあげる手管を紹介して、リアルさを感じさせる。

ペレグリン側のストーリーはすべて実名、そして90年代後半にアジアや日本を襲った経済危機も実名で描かれているためリアル感が増す。一方の長期債券銀行真理戸のストーリーは架空の話とはいえ、当時実際にあったと思われるベトナムでの巨大発電プロジェクト入札を巡る話、ベトナムや香港の情景や人々をリアルに描写しているので現実味が増している。

現実世界では2008年以降のリーマンショックで90年代以上の世界金融混乱が生じていて、90年代日本の金融機関が次々と破綻していった、それと同様のことがアメリカの巨大金融機関と企業に起こっている。著者は欧米企業に勤める欧米人が、企業が求める企業人としての働き、というものを冷徹にとらえ、日本人サラリーマンののんびり度合いを皮肉っているが、冷徹な働きの行き過ぎが「強欲資本主義」を生んでいるのが現実。日本のサラリーマンが良いのだ、とはいえないが、お金のためならなんでもやる、というのが優秀なビジネスマンだ、という価値観には同意できない。法令を遵守するだけではなく、誠実な人間関係を重視する、というのがアジアの価値観だ、という描写もあり、アジアの隼がこうした価値観を片手に再登場して、経済的成功を再び手にする日を期待したいものだ。
 

2009年9月12日 新撰組副長助勤 斉藤一 赤間倭子 ☺☺☺☺

新撰組で組頭をつとめたのは、沖田総司、伊東甲子太郎、永倉新八、井上源三郎、武田観柳斎、谷三十郎、原田佐之助などが有名だが、そのうちの一人が斉藤一。新撰組を描いた物語で印象に残るのは浅田次郎がまったく目立たない隊士吉村貫一郎を描いて映画にもなった壬生義士伝、新撰組を島原の芸妓で太夫になった糸里の目から描いた輪違い屋糸里、そして新撰組のメンバーを一人ずつ取り上げて描いた司馬遼太郎の新撰組血風録。斉藤一はいずれにも描かれているが、左利きの油断ならない剣の使い手で、高台寺一派の伊東への間諜として働き、明治大正と警察官として長く生きた男、という印象だった。斉藤一が江戸から京都に移り、新撰組に入る経緯が綴られるのを読むと、こうした剣士にも江戸に残した女性がいて、その女性お貞が忘れられない、という情が深い男であることを知る。若くして新撰組に入り剣の腕から助勤に取り立てられ4番組頭として活躍するが、会津藩とのつながりを一生持ち続けてもいる。近藤勇や土方歳造という疑り深い人間と一緒にいて、高台寺の伊東にも嫌われない、そして会津藩大目付け高木氏とも交流を持つという器用な面も持ち合わせている。

ある日新撰組で会津から来ている有賀権左衛門に姪への贈り物に匂い袋を選んでくれと頼まれ目利きをしてやるが、これがずっとあとに官軍を敵に回した会津の一員として戦うことになる斉藤が会津藩士の娘で時尾と出会い結婚するきっかけとなる。新撰組時代のことはほかの本にも書かれているが、新撰組が敗走して隊士たちがどのような行く末を迎えたかは近藤や土方など一部を除いて知られていない。ここでは、斉藤が土方とともに会津藩側の一員として薩摩長州軍と戦うことになる経緯や、その後時尾と結婚した斉藤が旧会津藩の人たちと青森の五戸(斗南藩でのちに青森県に併合される)に逃れ苦しい生活を余儀なくされること。そして、明治になって西郷隆盛が征韓論を唱えた際に、西郷に従って多くの警察官たち(3000名いた警察官の2000名は薩摩人だったという)が九州に帰ってしまった穴を埋める形で、旧会津藩の藩士たちが東京で警察官となった話も紹介され、斉藤はそのうちのひとりとなり、西南戦争にも今度は政府側の一人として薩摩を討つ、という皮肉な歴史も味わう。

戊申の役で会津藩が軍制を改革した話の中で藩兵の年齢構成が紹介され、18から35歳までが朱雀隊、36から49歳が青竜隊、50以上が玄武隊、そして16-17歳が白虎隊となったと初めて白虎隊のいわれを知る。斉藤一という名前は新撰組時代の名前であり、その後は山口次郎、藤田五郎などと立場や仕える人に従い改名している。壬生義士伝で描かれていた斉藤一は、一緒に歩くときには左側を歩きたくない、と吉村貫一郎に言われたほどの無骨で無口な左利きの人きり男、という印象だったが、少々違う側面も持っていたことを伝えてくれた。歴史の中では大きな働きを示さない新撰組であるが、新撰組に加わった隊士達の物語には、長い徳川時代の淀みをなんとか打ち破りたい、しかし個人の力では何ともできないという、儚い希望のようなものを感じる。斉藤一が生きた一生も、その時代をより実体に近い形で語る逸話がある。ほとんどが早くして死んだ新撰組隊員にあって、永倉新八とともに長く明治時代も生きた斉藤一の人物伝である。

2009年9月10日 プリズン・ホテル 浅田次郎 ☺☺

ヤクザが温泉旅館を買い取ってしまった、というお話し。思い出すのは「天切り松の闇語り」、本書はそのドタバタバージョンとも言える。浅田次郎の小説には「蒼穹の昴」や「壬生義士伝」「輪違い屋糸里」などの素晴らしい歴史物があると同時に、「王妃の館」「オーマイガッ!」など暇つぶしにも読みたくない、という傾向の書き物がある。本書は後者、文庫では全4巻、このように長くなる必然性はない、という内容。文庫本に解説を寄せている草野満代さんは「登場人物の男のキャラクターが人間味があり迷惑なヤツだけど一本筋が通っているため、好き嫌いを感じる読者の女性の度量を試すようだ」と書いている。確かに登場する男もそして女もキャラクターは特徴が先鋭化した形で表現され、現実にはいそうにないキャラがほとんどであるため、読者の度量が試されているとも言えるが、自虐的、暴力的、常識はずれの行為が頻発されていて、筒井康隆のパロディ小説のような雰囲気もある。鴻上尚史がメガホンを取って映画化すればいいじゃない、と思えるようなストーリーなのだが、すでに別の監督で映画化がされているとか。全巻読破という目標を立てている浅田ファンなら読まなくてはいけません。

2009年9月9日 太平洋の薔薇 笹本稜平 ☺☺☺

熱血、日本の海の男の心意気、というスリルと冒険の小説。ストーリーは手が込んでいて、4次元中継から始まり、最後は事件終結に向かって一直線、下巻の最初あたりからは結末がチラチラと見えてくるが、最後までハラハラさせるテクニックで読者を引っ張る。

生ゴムを積んだ貨物船パシフィックローズ(太平洋の薔薇)号はスマトラ島から横浜に向かっている、船長は柚木静一郎、長い海の男としての最後を締めくくる航海である。アルメニア人のアララトをリーダーとする海賊に乗っ取られるところから物語は始まる。筆者によるとシージャックという言葉は正式な英語にはないそうで、海でも列車でもハイジャックというらしい。4次元中継の一つめはパシフィックローズ号がハイジャックされて嵐が吹きすさぶ東シナ海や日本海を北上し、ロシアの港を経由、アルミのインゴットに埋め込まれたブツを運ぶ、という話し。そして、ハイジャックを関知した海賊情報センターにたまたま出向している柚木船長の娘の夏海を軸にした海上保安庁巡視船によるハイジャックされたパシフィックローズ号の追跡。さらに、世界一周航海中の豪華客船に乗船しているロシア人科学者でアルメニア人のザカリアン博士と博士と知り合う船医の藤井、そこにはテロリストや殺人者が絡み合って、ハイジャックの背景をなすロシアによる生物兵器「ナターシャB」とその開発者であったザカリアンが藤井に伝えるワクチン製法の秘密。そしてアメリカNSA(国家安全保障局)がアルメニア人テロリストを追跡、豪華客船のテロリストを発見して殺害しようとするお話し。

4次元中継が脈略なく示され読者にとってはつながりが見えないまま話しが並行して進んでいくが、生物兵器の拡散とそれを阻止しようとする大国の思惑、そして海の男達の誇りは国家の薄汚い謀略を上回る形で示される。パシフィックローズ号の乗組員達は船長の柚木のリーダーシップによりモチベーションは高いが、ハイジャックされ、嵐に翻弄され、そして生物兵器に汚染されるという究極の状況で船乗りとして、人間としてなにを示し、どのように行動できるのかを試される。また、パシフィックローズ号を追跡、乗務員達を救助しようとする海上保安庁の船乗り達にも同様の状況が最後に訪れる。

手に汗握る、という形容詞がぴったりの海の男達の物語、結末は大いに予見できるが最後まで一気に読み切ってしまう。アルメニア人がトルコに蒙った歴史上の迫害という逸話がなぜこの物語に挿入されたのかは分からないが、ストーリーの根幹をなす設定である。船に関する様々な知識もちりばめられ、筆者の海への想いも感じられる。読み応えのある冒険小説である。

2009年9月5日 砂の狩人 大沢在昌 ☺☺

北の狩人にも登場した新宿署の佐江が登場する。中国人マフィア、日本人ヤクザ、そして暴力団担当警察官が3者入り乱れて登場する。西野は元刑事、捜査中犯人と疑われる殺人者を撃ち殺し、刑事を鶴首されその後、房総の片田舎でひっそりと暮らしている。そこに女性キャリアの警視正、時岡が訪問、捜査の手伝いをしてほしいと依頼、物語は始まる。プロットとしては複数の日本ヤクザ親分の子供が殺される、犯人は中国人かと疑われ、中国人とヤクザの抗争が始まる。そこに警察の犯人捜査が絡んで、新宿署の佐江も関わってくる。娘を殺されたヤクザ工藤は犯人を西野と想定、ボディーガードである原を西野殺しに向かわせる。西野やっていないことを原に説明、原と西野は疑心暗鬼ながらも真犯人捜しを一緒にする羽目になる。中国人マフィアは小さい集団がバラバラに存在しているため、ヤクザの対抗勢力にはなり得ないとされているが、それをまとめよう、と言うのが中国人のリーダー的存在の馬、馬の黒幕には唐と謝いう人物がいることもわかる。さらに、時岡には若いときに不倫で子をなした警察内の相手の杉森警視正がいることもわかり、その子拓が真犯人ではないのか、と西野と原は考え始める。話は入り組んでいき、日本人ヤクザと中国人が殺し合うことになって、工藤や馬は死んでしまう。結局、中国人謝と日本人妻のハーフの子の存在があり、拓と組んでの犯行だったことがわかるのだが、沢山の人間が死んで、西野も時岡も死ぬ。後味が悪い。出張の暇つぶしにしても、もう少し中身のある本を読みたい。

2009年9月4日 逃亡 帚木蓬生 ☺☺☺☺☺

帚木さんの憲兵の戦犯を取り扱った小説。物語は第二次世界大戦が終わったところ、場所は香港、主人公の守田は憲兵隊にいて、このままでは香港に駐留してくる英国軍か中国軍に捕まって死刑にされるだろうと想定、仲間と脱出を図る。憲兵時代には何人かの中国人密偵を使っていたが、その中でも信頼が置けそうな人物を頼って、香港脱出を試みる。モデルは著者の父親らしい。上巻では香港脱出のストーリーが描かれ、下巻では日本での逃亡生活が描かれるが、主人公守田が憲兵としては命じられた仕事を立派にこなし、人間としても思いやりのある優しい人物であることを、時間軸を現在と過去に遡りながら描く。過去に遡ることで、守田の生い立ちから兵隊、憲兵時代も読者に示される。また、戦争中の外地憲兵の仕事が現地の日本人の安全確保だけでなく、適性人のスパイなどを探って諜報活動をすること、当時の外地での日本兵の略奪、中国人が感じていた英国人への感情、そして日本人への感情、中国人の生活の様子なども紹介される。ドキュメンタリーではないが、実際にはこうだったのだろうという描写も多く、筆者の取材力にも感嘆する。

最初の香港脱出での問題は服装や広東語が話せるか、さらに顔見知りに出会わないか、こちらが知らなくても顔を知られてはいないか、日本人だとばれないだろうか、など心配はきりがない。中国人の知り合いを頼って、民間人宅に一時潜伏、仲間のもう一人は中国人と一緒に上海、北京を陸路目指すことにして、守田は香港で時期を見計らうことにする。しかし、陸路北上した仲間は電車内での検問で日本人であることが発覚、殺されてしまったことが分かる。守田をかくまってくれた中国人、憲兵時代に手荒なことやひどい扱いをしていたならば、危険を冒してまで日本人をかくまったり、逃がしたりはしない。守田は潜伏先の中国人女性に案内されて、民間日本人が帰国を待つ収容所に紛れ込むことに成功する。守田に世話になった中国人は最後まで裏切ることはなかった、つまり、守田は憲兵時代にも、密偵として使っていた中国人を丁寧に扱ったことが忍ばれる。

逃げ込んだ日本人収容所でのテント生活、そこでは守田の人柄が描かれる。そこには様々な事情を持つ日本人がいる。金品の持ち込みは管理している中国人に巻き上げられるが、香港ドルや金を靴の中や下着に縫い込んだりして持ち込む人間も多い。そうして、抑留テント生活が始まる。まずは配給される食事だけでは不足するため、食料を売りに来る中国人から、守田はこっそり持ち込んだ香港ドルで春巻きや魚などを買い、余る分は同じテント生活をする仲間に振る舞う。収容場所の少し離れた場所に日本人憲兵が隠れているという噂が日本人の間で立つ。昔の仲間、熊谷曹長ではないかと感じるが、危険を冒して会いに行くことは避ける。そうこうするうちに元憲兵らしき人物は姿を消す。テント生活も長くなり、娯楽のための演芸大会が催されることになり、守田は軍艦マーチの音楽で魚雷を発射して敵を沈没させる戦いを模した踊りを、同じテントの仲間と演し物に仕立て上げ、好評を得る。踊りを踊った仲間達からも「良かった」と誉められる。一方、日本人の極限時の醜さも描かれ、人間の本性と良心は人によって全く違った様相を見せることも描かれている。

こうしたテント生活の間にも、憲兵であったことがばれては困るので明坂圭二という偽名を使っている。知り合いに会ったりしないか、中国人に見破られないか、びくびくしての生活である。数ヶ月の後、日本からの帰国船に乗ることができてやっと日本にたどり着く。帰国は鹿児島、そこから切符を配給してもらい、実家がある博多に近い農村、大保に用心しながら顔を出す。そこには両親と兄夫婦、妻の瑞恵、長男の善一がいる。家族は再会を喜び、早速、近所で農家をしていて跡継ぎのいない叔父の納谷に住み込んで農業を手伝う。戦後の農家がどんな生活と農作業をしていたのか、実に詳細に描かれ、都会生活しか知らない読者に迫ってくる感じがする。農業がいやで家を飛び出した経験も持つ守田、やはり長続きはせず、博多で憲兵時代の知り合い久保曹長を頼って闇市場商売を始める。実家や近所の農家から仕入れた米やミソ、醤油その他を博多で売れば結構儲かる商売になる。こうした闇市の描写も実にイキイキとしていて、当時の苦労がよく分かる。久保は憲兵だが早くに日本での勤務になっていて戦犯扱いではない。何人かの憲兵時代の仲間が現れるが、憲兵同士の紐帯は強いことが描かれる。しかし、ある日、実家に仕入れに帰っていたところを警察に踏み込まれ、間一髪のところで逃亡、そこから逃亡生活が始まる。

逃亡は瑞恵の遠い親戚で金光教教会を営む貧しい夫婦や昔のつてを頼って大阪、東京、そして茨城と1年以上も転々とするが、ある時瑞恵が送ってくれたオーバーコートを質入れし、名前が切り取ってあったことから質屋に通報され刑事に捕まってしまう。元憲兵の戦犯、ということで警察では丁寧に扱われ、GHQからの指令により致し方なく捕まえたことが分かる。捕まったという知らせが福岡の瑞恵にもたらされ、わずかな蓄えを手に、生まれたばかりの次男竜次を背負って、長男善一を連れて、警官に引率してもらいながら警視庁に面会に行く。この列車での上京も、当時の蒸気機関車による移動であり1日半かけてくたくたになりながらの初めての東京着である。警官は元憲兵の妻に同情しており、知り合いの家に泊まるように勧める。こうした警官の好意は、元憲兵が戦犯となっている、それは犯罪ではない、旧日本国軍の命令を忠実に最先端の戦場で立派に果たしたために、国民の身代わりになってくれている、という気持ちを表している。福岡の実家の近隣住民が示した戦犯への嫌悪感とは正反対のモノであり、物事は同じことであっても立場や考え方、戦中と戦後でまるっきり変わってしまうことを示していて、そのことを自覚していた日本人、自覚していなかった日本人を描いている。

守田と逃亡生活をともにしていた熊谷は逃亡中このように言っている。「戦後国は俺たちから寝返った。俺たちを使うだけ使って、事情が変わったとたん、俺たちを告発始めた。これは天皇がしかるべき段取りを踏まなかったからだ。天皇が行幸するのは構わない。しかし戦犯について一言も述べないのは卑怯だよ。」そしてさらに「戦勝国には戦犯などいないのだろう。勝った国が腹いせに負けた国に報復するリンチのようなモノだ。見栄えを良くするために法廷という舞台は用意しているが中身は茶番劇。しかし観客は一人も首をかしげず新聞は戦犯を極悪人扱いしている。」戦犯を国が勝った側も負けた側もひどい扱いをしている、という叫びである。そして巣鴨にいる守田をこっそり面会に訪れて、熊谷はこうも言っている。「憲兵の任務は常軌を逸した占領地政策であれば住民の反感も買うし反感の矢面に立つのは憲兵、任務に邁進すればするだけ抱える爆弾は大きくなる」

巣鴨での監獄生活も数ヶ月、ある日係員に呼ばれて、いよいよ香港の法廷に移送されて死刑か、と覚悟するが、言われたのは「釈放する」理由は香港の法廷が閉鎖されたから、というもの。時間を稼ぐことは意味がある、という記述がいくつかあったので予想できた結末ではあるが、主人公に感情移入している読者は本当によかった、とけなげに福岡で待っている妻の瑞恵の顔を思い浮かべることだろう。

筆者は、外地憲兵を主人公に取り上げて、戦争そのものの悲惨さを下敷きにして、憲兵と戦犯、戦後の裁判というものの理不尽さ、そしてそれを見る国の裏切り、そして国民の無知、無関心さを描いている。情報と教育に人は騙されたり踊らされたりしている、それではダメだよ、というメッセージである。筆者には「三たびの海峡」という戦争を挟んだ朝鮮と日本の物語を書いていて、非常に感動的なストーリーであったことを思い出すが、この「逃亡」、上下巻2000枚の長い小説であるが、戦争を知らない世代に是非読んで欲しい。

2009年9月2日 部下を定時に帰す仕事術 佐々木常夫 ☺☺☺

ワーク・ライフ・バランス(WLB)とかダイバーシティなどと聞いても英語だし、ぴんと来ないと感じる方も多いかも知れません。「働きやすい会社」の条件、など言ってもらえば自分にとって何が良いのか、という観点で表現されていてより分かりやすいのだと思います。また、ワーク・ライフ・バランスという表現は、個人が抱える介護や育児などの事情を考えると「軽すぎる表現」なのかとも考えます。「バランス」ではなく「マネジメント(術)」だと主張するのが東レ技術研究所社長の佐々木常夫さん。東レで若い頃はハードワーカーだった佐々木さんが結婚して家族を持ち、家族の入院などで仕事との両立を日々苦闘しながら、時間管理術を編み出したことを綴ったのが著書「ビッグツリー」。佐々木さんはWLBのセミナーや政府審議委員などで今や引っ張りだこ、最近の著書「部下を定時に帰す仕事術」では、ご自分の経験から如何にして仕事の計画を立て、時間を節約して有効に使えるかを説いています。

佐々木さんが提唱する「仕事術」の中から印象に残るものをいくつかを紹介しましょう。
■残された時間の7割は使えない
 会社であればスケジュールは“OutLook”で管理していて、例えば1ヶ月分の予定を一覧できます。佐々木さんは「一ヶ月分の予定を毎日見ることによって、残された時間や必要なアクションを体感することで仕事の段取りができる」と言います。さらに「2ヶ月分見ることが経験上望ましい」とも主張、そして仕事の期限までの時間の7割は突然の来客、上司からの呼び出し、部下からの相談、社内外からの電話によって「飛んでしまう」ものだと言うのです。自分の時間の確保に抜群の効果をもたらすのがテレワーク(在宅勤務)、飛んでしまう7割のロスがない、というのが佐々木さんお勧めの理由です。

■「口頭」より「文章」の方が早い
 「文章で伝えるより、口頭で伝えた方が早い」というのは勘違い、仕事上のコミュニケーションでは誤解や思いこみがないよう、文章で確実に伝えることが早道だ、という主張です。文章のメリットの第一は、文章を書くことによって問題の整理整頓、問題の掘り下げができること。第二のメリットは「言った言わない」がないこと。第三のメリット同じ情報を共有すべきメンバーにも同じレベルの情報が伝わること、上司に承認を得て同僚と部下に指示するような場合にも有効です。この「文章」は「メール」と解釈しても良いと思います。

■2割の仕事をすることで8割の仕事を達成する
 仕事にも「パレートの法則(2割の裕福な人が国の富の8割を保有する など)」があり、重要な仕事2割をこなすことで、その人が抱える仕事の8割は達成できることが会社では多い、自分でやる仕事と人に任せる仕事、後でやる仕事、捨ててしまう仕事に分類することが重要、というアドバイスです。多少危険な話ですが、不要な会議には出ない、会わなくていい人には会わない、読まなくてもいい書類は読まない、という判断ができるかどうかで会社での時間増大が図れるというもの。社内のメールでもやたらに“CC”が入っている連絡だとか、一言も発言しなくても済んでしまう会議など、佐々木さんの言う「不要」な範疇なのかどうかを見極める必要があるのかも知れません。

■上位者の視点に立つ
 これはよく言われることですが、会社である案件の課題が浮上したときに、自分の立場で考えられる解決策だけではなくて、一つ高い視点で考えるとどうなるか、自分が上司ならどう思うか常に頭に入れる、という考え方です。佐々木さんはこれを「2段上の上司とうまくつきあい、その視点で考える」というアドバイスにしています。さらに30代までは研修も役立つが、40代以降はこのアドバイスの実行が最大の自己研鑽だった、とご自分の経験を語っています。

■記録は記憶
 「人に話すことで自分の頭に入れる」という先輩がいましたが、佐々木さんは「記録することで記憶に残る」といいます。確かに「人に話すことで頭に入る」かも知れませんが、聞かされる方は良い迷惑。書くのは一人でもできて、メモは後々役に立つ、ということをご自身の出張や家族の入院などでの経験を著書では披露しています。

■わらしべ長者理論
 サラリーマンには転勤や異動など、逆らいきれない運命がある。それならば、目の前にある仕事を頑張ること、人より少しだけ良い仕事をするささやかなイノベーションを実践することで道は開ける、というもの。これは勝間和代さんから聞いた話、とのことで佐々木さんもサラリーマンとしての経験より共感した話と紹介しています。

■サラリーマンは健康が一番、早寝早起き朝ご飯
 ある時無理をして、仕事をこなしたとしても人生必ずツケはくる、家族を持てばなおのこと、自分が体をこわせば家族が迷惑する、ということ。毎日の生活で規則正しく食事をして睡眠が取れるよう、積極的に計画を立て、強い意志で実行することが重要だということです。また、長時間労働することを努力したと勘違いしないことだ、会社への貢献を長期視点で見ると、健康を維持して長く勤められることが正しい道であり、効率的な働き方だ、というアドバイスです。日本企業の弱点は、管理職が部下の努力と成果を正しく評価できないため、長時間の残業を努力と成果として評価してしまっていること、という指摘です。部下への評価を正しくできる上司の存在が、無駄な長時間労働をなくす、という主張なのです。

他にも、独断と偏見のアドバイス、ということで
◆礼儀正しさに勝る攻撃力はない
◆出勤時走る者は仕事ができない
◆批判精神なき「多読家」に仕事ができる人は少ない
◆出世は「人間性」「能力」「努力」のバロメータ
◆友人は大事、しかし友情には手入れが必要
などなど、示唆に富んだアドバイスが満載です。
 

2009年8月26日 永遠の都 加賀乙彦 ☺☺☺☺☺

加賀乙彦自身の生い立ちを「永遠の都」と重なる部分でWikipediaから拾ってみると、「1929年、東京市芝区三田に生まれる。小学校5〜6年の頃、新潮社の世界文学全集を耽読したことが、後年長篇作家になる素地を培ったという。1942年4月、東京府立第六中学校入学。1943年4月、100倍の倍率を突破して陸軍幼年学校名古屋校に入学するも、在学中に敗戦を迎えたため軍人への道が絶たれ、1945年9月、東京府立第六中学校に復学。同年11月、旧制都立高等学校理科に編入学。」物語は昭和11年(1936年)の時田病院から始まる。時代的には谷崎潤一郎の「細雪」や五味川純平の「戦争と人間」と重なるが、「永遠の都」では登場人物一人一人の描写が深く詳細で、その登場人物の目から見た時代描写によって時代の雰囲気を良く伝えている。また、「永遠の都」の中心人物とも言える時田利平は宮本輝の流転の海の松坂熊吾を想起させるキャラクターだともおもうが、熊吾は戦後であり時代が少し違う。「永遠の都」では登場人物が多く、その相互関係を知ることは物語展開上重要であり、登場人物それぞれの語りが入るので立ち位置を理解しておくことは物語の理解のために必須である、まとめてみたのが冒頭の図。

時田利平は明治時代の日本男児、こうした日本人がいたからこそ日本は成長した、とも思える人物である。利平は漁師の息子に生まれ、漁師にはなりたくないと東京までの運賃を父親にもらって着の身着のままで東京に出てくる。牛乳配達をしながら、済生会病院の大学に入学、自分で稼いで勉学に励み海軍の医者になる。海軍医になったあと日露戦争で巡洋艦八雲に乗船、中国戦線にでて陸軍野戦病院の経験などをする。利平の一番の誇りは日露戦争での軍医としての活躍であり、東郷平八郎や乃木希典とも軍医として面識があり、同時代を共有、戦いに勝ったこと。明治天皇崩御とともに時代は変わったと実感、海軍を退官、東京三田綱町で徳川家の隣に土地を借りて小さな病院を建てる。重病人やけが人を治療し評判を上げていった病院は繁盛し、土地を買い上げ病院を拡大していく。関東大震災の時にも罹災者を治療するなどして病院は改築、増築を重ねて入院患者200名を超す大病院へと成長してくる。利平は発明家としても数々の発明品があり、皮膚病の薬や水の浄化装置、簡易型医療セットやレントゲン装置などで、経済的には病院経営よりもこうした物販による利益が大きい。同時に病院は増築に増築を重ね、発明品製造の工場と合わせ、時田家の住居や入院棟、診察、そして利平の発明のための研究室などが同居する巨大で奇っ怪な建物になってくる。こうした利平の自分史は後にモルヒネ中毒となり松澤病院に入院した際、自分の日記を読んで自分の過去を振り返るという形で読者に示される。旅順や203高地の戦いなどは歴史書や物語では読むが、こうした戦争への参加者体験記としてはなかなか読むことはなく、歴史読本としても貴重な物語である。

これは「永遠の都」を通して言えることであり、利平の生きた明治から、大正、そして物語ストーリーをとおしての昭和時代におきる出来事が登場人物の視点から描かれていてビビッドに読者に伝えられる。特に関東大震災は、時田病院で雇っていた朝鮮人の消火活動での活躍とその後の朝鮮人に対する誹謗からきた民間人による私的制裁が、利平の視点で生々しく描かれる。また、2.26事件は蜂起した部隊と同じ近衛連隊に属する脇中尉の視点と当日町を行き来する市民としての視点から事件が描かれ、歴史上の出来事ではない臨場感がある。疎開先に荷物をまとめて送るのを「チッキで送る」などと言っているが、これも国鉄で荷物が送れたことを知る世代には懐かしい。初江が風間家の桜子の軽井沢別荘に疎開させている央子と草津に学校ごと疎開している駿次に会いに行く場面も、臨場感あふれる描写で秀逸ある。その時代の軽井沢駅前は泥だらけで、初江は別荘につくまでに何度も転んで泥だらけになってしまう。軽井沢から草軽鉄道で草津に移動する電車は雪の中で脱線してしまうが、乗客が手伝って元に戻す、そしてその後列車の中での酒飲み達に初江は絡まれる、この描写も押しつぶされそうな時代に人々が必死に生きている様を感じさせる。B29が高度3000メートルあたりを東京南東上空から侵入してくる様、焼夷弾がぱらぱらと落ちてきて、13発時田医院に落ち、患者を救おうとした利平の体に焼夷弾の油がまとわりつく。終戦を巡る描写は脇美津の息子脇中佐の視線で描かれる。敗戦を認めたくない陸軍と、降伏しなければもっと死者を増やしてしまう現実を参謀本部参謀としてどのように感じ分析して行動したか、強行派将校たちに煽動される形で拡大してきた満州事変以降の戦線をどのように収拾したのか、激高する一部将校と同時に、脇中佐のような冷静な目線がそこにはあったことが描かれている。終戦と幸福を庶民はどのように見ていたのかは、東京に残った悠次の視点で紹介されている。負けて悔しい、しかしこれで終わりだ、という安心感である。こうしたすべてが体験者の目線で語られていて、こうした状況描写が、物語の説得力を増し、戦争を経験していない世代にも共感を呼ぶのである。さらに物語では、戦争中そして戦後までを時田家、脇家、風間家という日本の中では比較的裕福で恵まれた三つの家族のそれぞれの目線から紹介、それぞれのセリフで語られる。語り手がここまで多様である、というのも珍しく、急にナレーターが変わるというので読者がとまどう場面もあるが、視点が多様であることが歴史の証言、という観点からは多くの事柄を読者に伝える。

物語の始めの部分は平和な昭和初期の上流階級の物語である。利平の娘である初江、夏江は包容力ある美人の姉と利発で積極的な妹として描かれている。利平は物語の中心人物であるが、ストーリー展開で非常に重要なのがこの二人の女性である。昭和の初期に、女性がどのように自我を確立し、より良く生きていけるのか、二人以外にも多くの女性達が登場し、多くは男の財力や権勢に頼る女性であるが、初江と夏江は違う。木暮裕次という保険事務員の夫を持つ初江は、著者自身だと想定できる長男悠太、次男駿次、三男研三、そして一番下の央子と4人の子供に恵まれているが、夫には満足していない。夫裕次の姉が嫁いだ脇礼助の息子、一高生の晋助と不倫(物語では破倫)関係になる。確信はないが央子は晋助との子であるかも知れないと初江は感じている。夏江は時田医院の副院長である中沢と結婚するがその後離婚、セツルメントで知り合っていた菊地透と傷病兵としてノモンハンから帰還してきた後に結婚する。菊地はキリスト教信者として迫害され、マルクス主義者と混同され治安維持法で予防拘束、太平洋戦争中ほとんど獄中で過ごす。夏江は献身的に差し入れを行い、思想犯の予防的拘束であるため頻繁には面会できないが獄中の夫を精神的に支える。獄中の菊地が回想する形で菊地の半生も紹介される。それは八丈島で生まれたできの良い青年が一中から帝国大学に入学、キリスト教に出会い迫害されるまでの経緯を純粋な心を持った信者の歴史として紹介される。戦争がなければどのように素晴らしい思想家、もしくは宗教家になっただろうかと想像される人物である。

利平の長女初江は脇礼助に嫁いだ美津の弟である木暮裕次と結婚している。その初江の長男悠太は小学校から六中に合格、その後名古屋陸軍幼年学校に合格する。駿次も研三もそれぞれ成績は優秀であり性格の違いはあるが進級していく。そのなかで末子の央子はバイオリンに才能があることがわかりレッスンに励んでいる。首都爆撃のおそれから軽井沢に疎開、そこでもドイツ人のバイオリニストにレッスンを受けさらに才能を花開かせていく。庶民から見るとなんて恵まれている境遇なのかと思えるが、木暮家にとって見ればその恵まれた中にも、戦争という破壊者は遠慮なくやってくる。

物語の中盤からは戦争が登場人物達の平和に影をさす。時田、脇、風間各家はそれぞれ大病院経営者としての時田利平、政治家の父親の流れをくむ名家が立派な軍人を輩出する脇家、そしてその脇礼造の意志を継ぐ政治家として活躍する風間振一郎の風間家と経済的には上流の各家系だが、それぞれの問題を抱える。時田利平は明治の日本男児はこうある、というような精力家であり、女性にも手当たり次第に手を出す。その結果、先妻の子、妾の子、正妻の子達が同居するようなことになるが、当人は気にはしていない。正妻の菊江が亡くなると妾であったいとを正妻としてむかえ、別宅から病院に看護婦として呼び戻す。病院では先妻の子などが縁を頼って集まり、古くからの病院職員などが絡み合って人間関係は複雑怪奇である。その事務長を誰が務めるか、これが時田医院の鍵であり、上野平吉、夏江、いとなどが代わる代わる勤める。結局、空襲で時田病院が燃えてしまい、利平が失明するまでこうした苦労は続く。

物語の終盤、大きくなった時田病院を破壊したのは戦争である。物資の不足、人材の払底、そして自分自身への過信からくるモルヒネ中毒、そして利平にとって、時田医院にとっての致命傷はアメリカB29による東京爆撃であり、時田医院だけではなく東京中が焼夷弾で燃やされてしまう。初江は俊次と研三を連れて、木暮家ゆかりの地であり脇美津も先に行っている金沢に疎開する。東京には夫の悠次を残しての疎開であり、末子央子は軽井沢、長子悠太は名古屋と家族はバラバラになってしまう。幸せだったみんなを不幸にしてしまったのは戦争であり、これは戦争が如何にさまざまな影響を人々の暮らしや考え方、人生そのものに影響を与えたかを人々の生活経験を描写することで詳しく説明する。

終戦直後、名古屋の陸軍幼年学校に行っていた長男悠太が東京の自宅に復員、父の悠次に問いかける。「お父さん、日本が負けると思ったのはいつ?去年4月に幼年学校に僕が入ったその4月にはもうマキン、タラワ、クエゼリン、ルオットは玉砕していたんだよ。あのときはお父さん日本は勝と信じていたの?入学してすぐにサイパン玉砕とインパール転進で東条首相が辞めたんだぜ。知りたいのは大人も本当に勝つと信じていたのか、それとも負けるかと思っていたけれども子供には勝と教えていたのかということなんだ。阿南首相が自刃した時には正直な方だと思った、閣下は自分の身代わりに死んでくれたという気がした。俺は政府や重臣とか軍閥や財閥が国民に嘘をついて命令で兵隊を死地に追い込んだ人たちを恨んでいるんだ」このせりふは著者の言いたかったことであろう。

幸せだったみんなを不幸にしてしまったのは戦争であり、これは戦争が如何にさまざまな影響を人々の暮らしや考え方、人生そのものに影響を与えたかを人々の生活経験を描写することで詳しく説明している。

時田医院は継ぎ足し継ぎ足しの奇っ怪な建物であるが、この物語の作りも時田医院の建物のように思えてくる。物語は決して奇っ怪ではない、いやどちらかというと非常に分かりやすくここまで昭和10―20年頃の文化や人々の暮らしを正直に、庶民目線で、体験者の語り口で紹介する物語に出会ったことがない。もう30年以上前に著者の「フランドルの冬」を読んだ記憶はあるが、このような一族のストーリーが著書にあることに、この本に出会うまで気がつかなかった。しかし読み始めてすぐに「この本は読む価値のある本だ」と気づいた。全巻で文庫本7冊、大小説であり、夏休み期間格好の読み物であった。じっくり本を読めるときに良い本にであったと実に感謝である。間違いなく五つ 星、すべての世代の読者に一読をお勧めする。

2009年8月22日 「動的平衡」「世界は分けても分からない」 福岡伸一 ☺☺☺☺

「生物と無生物のあいだ」の著者、福岡伸一さんが日経ビジネスのインタビュー(2009/8/18)で次のように述べています。 
「地球環境問題への対応だとして、CO2を地中に埋める、太陽光を遮って温暖化を防ぐ、などというのは別のリベンジを受ける可能性が高い。それは、二酸化炭素が悪いのではなく、インプットとアウトプットを調整する努力が重要だからです。インプットを減らすには、できるだけ化石燃料を燃やさず、代替エネルギーを求めて使う。アウトプットを増やすには、光合成を応援するしかありません。」

環境問題で直感的に腑に落ちないことに、福岡さんが挙げているようなことがあって、その他にも例えば「温暖化ガス排出権取引市場の創出」という計画に、そんなことをしても総排出量は変わらないではないか、と思う素朴な疑問に生物学者としての見解を示してくれたと感じます。(CO2排出量を制御する必要があると考えることはマイナスではないので、取引市場創出による二次的効果を期待できると考えられます。)環境問題も所詮は「増えすぎた人類にとっての問題」であって、46億年の歴史を持つ太陽系地球全体系からみれば、小さな「揺らぎ」程度なのかも知れません。福岡さんは次のように言います。
「人間を分子レベルで見ると見た目は同じに見えても数ヶ月ですっかり入れ替わっています。地球全体で見ると原子の総数は(隕石と地球外に飛んでいったロケットを除けば)誕生以来変わっていない、地球全体の原子の総量は一定で、太陽のエネルギーによって循環させられているだけ。だから私を構成している分子は、次の瞬間に私から出ていって、ミミズや海の藻屑や岩石、無生物の一部になっているかもしれない。時間軸を一億年レベルにとって、私を観察したら、分子が集まって、また雲散霧消するというような、固体ではなくガスみたいなものとしか見えないでしょう。それぞれの生命は、分子の“淀み”と“流れ”でしかない」

これ は、福岡さんのもう一つの著書である「動的平衡」での解説にあるとおりです。インタビューで福岡さんは、環境問題も地球環境という大きなシステムを対象とした複雑系であり、生物のような「動的平衡」があるという示唆をしているのです。地球温暖化、という現象を細かく分析していって、原因となるものをCO2等のガスであると科学的に証明した、というのが現在の環境推進の理論的支柱ですが、太陽系にある地球システムという大きな流れに逆らうことは得策ではなく、地球環境という大きなシステムの動的平衡を乱すことなく、うまくインプットとアウトプットを調整することで対応することができればいい、というのが福岡さんの示唆だと思います。

「自己複製するものが生物」という定義からすると地球は生物ではないのですが、「動的平衡を維持する仕組み」と考えれば、地球と生物の共通項が見えてきます。福岡さんは「生物をパーツにわけて機能を研究しても生物全体のことは分からない」と感じていて、その主張を新しい著書「世界は分けても分からない」で解説しています。分類して細かくしたパーツ毎に研究を進め、パーツの機能を解明していくことが科学である、とすればその科学の限界は「世界は分けても分からない」ことだ、という主張です。

花粉症対策として抗ヒスタミン剤を飲むと短期的には症状は治まるが、長期的に生物は与えられた抗ヒスタミン剤を凌駕するヒスタミンを分泌しようとするのでアレルギーが強まるだけ。つまり、短期的な局所対応は全体系への悪影響を残す、ということ。環境問題を考えるときにも、ヒントになる考え方ではないでしょうか。福岡さんはさらに、次のように人類の罪を解説しています。
「ニッチとは自分の居場所、人類は自分の居場所を拡大しすぎてきた。その結果、生物多様性を犠牲にして、人類の数(人口)だけが増えすぎ、CO2排出量が増えて問題になっている。『過剰』を制御できないのが人類です」
環境問題への対応で重要なのは、CO2を悪者にした排除や取引ではなく、福岡さんの解説している「インプットとアウトプットの調整」が重要である、との主張です。

『過剰』の抑制のために日本人が世界と地球環境に貢献できるとしたら、「足を知る」、「もったいないの精神」を広めることがあると思います。また、人間は「腹オチしないこと」には本気では取り組めない、という性質があると思います。環境問題に「どうも腹オチしない」という方には、福岡さんの「動的平衡」の解説、一つの考え方ではないでしょうか。

2009年8月20日 図解表示のカラクリ 改訂版 表示の謎研究会 ☺☺☺

世の中にある「表示」についての解説本。
自動車のナンバー、「わ」はレンタカーは知っていたが、「れ」もレンタカー、しかし北海道、鹿児島、長崎だけとか。さらに「お」「し」「へ」「ん」は使われていない、理由は「お」は「あ」と見間違えてしまうから、「し」は死、「へ」は屁を連想するから、「ん」は言いにくいから。100%ジュースにも濃縮還元とストレートがある。ストレートは殺菌処理だけ、濃縮還元は果汁を絞った後、一度濃縮し、その後香料などを加えて調整する、つまり、添加物も入りやすいとのこと。ちょっとした知識は役に立つ。視力1.0の意味、靴のサイズ、抗菌グッズってナニ、などなど、興味がある人は多いのではないだろうか。

2009年8月19日 経済危機「100年に一度」の大嘘 波頭 亮 ☺☺☺☺

「強欲」がある限りバブルは形成され、バブルはいつかは破裂する、これを何度も繰り返しているのが資本主義、と主張するのが米国で投資銀行「ロバーツ・ミタニLLC」を経営する神谷(みたに)さんです。(「強欲資本主義の自爆」)100年に一度と最初に表現したのはグリーンスパン元FRB議長ですが、神谷さんによれば「自分の失政を見えにくくするレトリック」、今の危機はクリントン政権時代の金融自由化とアメリカ企業の短期利益志向が産んだ80年前(1929年大恐慌)の亡霊だとのこと。米国発の経済危機だと多寡をくくっていたら、アメリカ経済頼みで脆弱だった日本経済が世界で一番の経済危機を迎えているというのが現状です。

一部の経営者達が自らの強欲を満たすために仕掛けた仕組みが、バブルを繰り返すたびに大がかりになってきて、今は世界経済を巻き込むスケールになってきているだけ、と分析するのは、楽天証券経済研究所の山崎元さん。バブル進行のパターンを次の7つの段階に分類します。(経済危機「100年に一度」の大嘘)
1. 新しい金融技術/規制緩和 → 2. 商機の発生/拡大 → 3. リスクテイク姿勢の前傾化 → 4. 維持できない資産価格高騰 → 5. 資産価格下落の小さな契機 → 6. 流動性の枯渇と信用収縮 → 7. 金融緩和による資産価格回復

1987年のブラックマンデーはポートフォリオ・インシュランスのプログラム売りが連続的に発動され株が下げ止まらなくなりました。1980年代の日本の不動産バブルは特定金銭信託とファンドトラストという仕組みが金融技術として登場したことがきっかけでした。今回の引き金は1995年のグラス・スティーガル法の形骸化を背景に、サブプライムローンの証券化がきっかけとなりましたが、いずれも強欲な人たちが「うまく1年稼げば自分は逃げ切れる」という姿勢で限られた信用枠を如何に広げるか、そして自分はババを引かないようにする行動の連鎖でおきたこととしています。100年に一度どころかブラックマンデー以降でさえ日本のバブル、LTCMショック、アメリカネット株バブル、日本のREITバブルなど何度もおきていて、今回のバブルの証券化は巧みだったために世界を巻き込んでいる、というのが山崎さんによる解説です。さらに強欲資本主義は年収300万未満という非正社員階級と年収1億円を超える株式階級を中産階級の上下に作り出してしまったと指摘、従来の中産階級である年収300万―1500万円程度の給料階級と1500万―1億円程度の経営者、弁護士、医者などの特殊技能者によるボーナス階級と合計4つの年収階級を形成してしまったと解説しています。(経済危機「100年に一度」の大嘘より)
4つの階級とは、年収、職業とを一つの目安にして日本人を無理矢理4分類してみようというもの。

株式階級 1億円以上 株式公開・値上がりなどが収入源。投資家、創業者など
ボーナス階級 1500万−1億円 余人を持って代え難いポジションやスキルを持つ。医者、弁護士、経営者など
給料階級 300万−1500万円 雇用が安定しているサラリーマンなど
非正社員階級 300万円未満 雇用自体が不安定で取り替え可能の労働力

アメリカのようなこうした格差の大きい階級社会は幸せな社会なのでしょうか。この本では今起こっていること、これから起ころうとしていることを10人のそれぞれ異なる視点から分析、徹底的に洗ってみようというもの。おもしろいムック本。
 

2009年8月12日 影踏み 横山秀夫 ☺☺☺☺☺

横山秀夫と言えば警察小説を書く人、と紹介されることもあるが、僕はこの小説、というかお話はそうしたジャンルを超えた作品だと思う。ミステリーなので謎が提示され主人公がその謎を解く、という展開であるがその中に人間の感情や生い立ち、心の動きなどが巧みに組み込まれている。組み込まれた謎のプロットが細かく周到に冒頭から用意され、なにげない台詞の中にもヒントがある。読み手はなかなかそれに気づくことはできないのだが、タネはちゃんと示されている。

双子の弟と母親、そして父親までも母親自身の手による火事で失った主人公の真壁修一、死んだ弟は啓二というが、不思議なことに修一の耳の中に生きていて類い希なる記憶力で「ノビカベ」と渾名される泥棒の兄を助ける、という特異な設定。修一は泥棒ではあるが目の前に示された証拠などを元になぜそうなったのかを徹底してこだわりを持ちながら調べる。警察ものが多い横山秀夫、この小説では主人公はこの泥棒の修一、もちろん警察官はたくさん登場する。修一が出所する場面から始まるが、収監される原因となった事件が修一は気になっていた。忍び込んだ家の夫婦、妻の葉子は起きていて、夫を殺害しようとする寸前だったのではないかと考えている。調べてみるが、妻は夫をその後殺害してはいないという。なぜ修一はそんなにその家の妻の行動が気になるのか、啓二の記憶力によって、その家にあるべきものがないことに気がついたからである。修一と啓二には同時に愛した女性、久子がいたのだが、二人は久子を巡って争い、久子は修一を選んだ。啓二はそのことを根に持ち泥棒になってしまう、これが原因となって母親が自宅に放火、啓二をとも連れにして死んだ。同級生で刑事をやっている吉川や刑務所仲間からの情報をもとに、葉子を捜し謎を解き明かしていく。その後友人である刑事の吉川が殺され、その謎を解く。さらに久子の勤める保育園での盗難事件、地元の泥棒仲間が次々と暴力団の手により手ひどく痛めつけられる事件、と修一の目の前であったり身の回りに起きる事件を、泥棒の修一が説いていくというお話。忍び込む技が持ちネタである「ノビカベ」の力と弟啓二の記憶力を使って、さらには修一のもつ勧善懲悪の信念と行動力、ヤクザを前にしても動じない胆力などで謎を解き明かしていく。こうした中で最後には弟啓二がなぜ死んだのか、母親はなぜ啓二を殺そうとしたのかが啓二の告白で示される。久子とは結ばれるのかどうかは示されない。「動機」「半落ち」「クライマーズハイ」とこの人の小説にははずれがない、また読んでみたい。

2009年8月10日 凜冽の宙 幸田真音 ☺☺☺

幸田さんの男女関係の設定は無理無理ではないか。外資系証券会社の日本支社長に抜擢された坂木、そして元部下で今は投資顧問会社を経営する古樫、その二人に共通する相手女性絢乃。綾乃は金融界では知らないものはいない大物の娘、その綾乃と昔、不倫関係にあった坂木、今でも綾乃に未練がある。その綾乃を古樫に紹介したのは坂木自身であり、悪徳な心を持つ古樫に綾乃は惹かれて結婚したのだ。家庭を持つ坂木だが夫婦関係はうまくいっていない。古樫と綾乃も破局を迎えている。これが物語の背景をなす男女関係。物語では日本の企業、特に不良債権処理に頭を悩ませる金融界の中小企業を手玉にとるように取引する古樫、同じ穴の狢でありながら一抹の不安を抱きながらもビジネスを進める坂木、結局どちらも当局の手に落ちるのだが、物語の設定も誇張が効き過ぎた表現とアレンジメントで鼻につく場面も多い。強欲ウォール街の資本主義の行き過ぎたお金本意主義が批判される今、この物語の多くのプロセスは予定調和的結論を想像させる。出張のお供用のお話かと思う。

2009年8月2日 7月のフランス 自転車とともに 岡田由佳子 ☺☺☺

男が書いたんじゃあこうはいかない。ツールドフランス(TDF)に同行していながら、よくぞ教会やらお花やら見ていたものだと感心するが、それが目的というのだからこれでいいのだという感じ。TDFを見に7月のフランスを旅したい、というのがリタイヤ後の夢だ、という僕にとってはうらやましい、他のTDF観戦記ではほとんどわからない情報が満載であった。2008年のTDFに合わせる形でフランスを旅行するという振り付け。まずはエタップ・デュ・ツールに出場した片山右京に同行、出発地点のルルドの町に入る。ここでフランスの南西の町ルルドはカトリック巡礼の地らしく大聖堂が有名。レースに出る片山さんをバイク取材、これは楽しそう、得難い経験ですぞ。TDF出発地点のナントの町ではファミレスで夕食後、民宿に宿泊、朝食の様子を紹介、何気ない情報だが安く旅行をあげるならこれはよくわかる。こ うしてTDFとともに移動、最初のうちは平地なのであまり知らない地名が多いがその後は山に入り有名なツールマレー峠に向かう。ルルドの町に再び入り、ピレネー博物館を訪れる、入場料5ユーロ、ユーロは現在は135円前後だが2008年7月には175円もしていたらしく、何をしても割高感があったらしい。5ユーロは850円、安くはない。ここからは地中海沿いの道、ひまわり畑とTDFの中継でよく見る風景、プロバンスの町。フランスからイタリアに変わったとたんパスタがおいしくなりフランスパンがまずくなる、フルーツだけはいつでもおいしい、というのも面白い。イタリアから再びフランスに入り、ラルプデュエズへ、ここでも自転車で頂上を目指す観客と一緒にラルプディエズで観戦、見たいなあ、僕も。たなかそのこさんの「ツールドフランスを見に行きたい!」と一緒に買ったが、TDF好きの方には合わせ買いをお勧めする。一気に読んでしまった、来年7月になったらまた読もう。

2009年7月31日 グローバリゼーション 人類5万年のドラマ ナヤン・チャンダ ☺☺☺

すべてはアフリカから始まったとして、ゲノム分析でルーツが分かる話を紹介。Y染色体マーカーを遺伝子分析するとその種類が分かり、ルーツもある程度特定できるという。筆者のM168マーカーは3万1000年から7万9000年前にアフリカで生きていた男性を起源とし、筆者が持つその他のマーカーM89(東地中海レヴァント・マーカー)、M201(1ー2万年前に北インドのインダス川流域に達した)、M52(インド西部)と至る遺伝子分析により、アフリカのアダムが中東を経由しインドに至ったことが分かったとのこと。同様にオーストラリアマーカーといわれるM130、ユーラシアマーカーのM20、イラン・中央アジアのM9、シベリア南部から中国西部のM175などがあるという。こうした人類の広がりは食料調達と気候変動がもたらしたが、人類拡大のエンジンとなったのが、商人、布教家、戦士、冒険家だという。ローマ帝国の商人がインドとの通商を確立する上ではモンスーンの利用は不可欠であった。エジプトとインドの間を帆走するのに30ヶ月かかっていたのが、モンスーン(季節風)と潮流を活用することで3ヶ月へと劇的に高速化、18世紀に蒸気船が出現するまでその輸送速度は3ヶ月であったとのこと。モンスーン活用の発見前は1年20隻だった交易船が発見以降、ほとんど毎日出入りすることとなったとのギリシャ地理学者ストラボンの記述もある。ずっと時代は下って20世紀、大西洋をまたがる電信ケーブルが光ケーブルに変わられ始めたとき、1983年にはNYとLondonの間で同時に接続していた人数は4200人だったものが、1990年代に敷設されたケーブルにより130万人に激増、これは新たなモンスーンの発見であるとしている。商人と同様、布教、戦士も世界を駆けめぐっている。こうした世界の攪拌は民族分布の思いがけない様相を示している。ギリシャ以外の最大のギリシャ人都市はメルボルン、カンボジア人いとってはロングビーチなど。ビジネスでは低価格ホテルの経営者はインド系グジャラー人、食料品経営者は韓国人、レストラン経営は中国人などなど。そして帝国の拡大は遺伝子の拡大でもあった。チンギスハーンのY染色体はアジアに住む男子の8%のDNAに存在する、これは1600万人に相当する、とのこと。そしてウイルス、細菌による民族征服である。武力よりもウイルスの方が他民族征服の力になっていたこともよく分かっている。 ジャレドダイアモンドの銃・病原菌・鉄―1万3000年にわたる人類史の謎とは違った切り口、マクニールの「疫病と世界史」とも違う、壮大な人類の拡散物語の解説本である。上下で5000円はちょっと高いか。

2009年7月29日 ツール・ド・フランスを見に行きたい! たなかそのこ  ☺☺☺☺

筆者自身が撮影した写真が沢山掲載され、ツールに関心がある僕としてはとても面白い。2008年のTDFはサストレがマイヨジョーヌを獲得したが、筆者も書いているように、ランスの連覇以降、TDFではドーピング問題が盛り上がりに冷水をかけ続けてきた。TDFファンでなくても、ファンならなお一層「やめてくれー」と思っているはず。2009年のマイヨジョーヌのコンタドールには是非そんなことがおきて欲しくない。今年のコンタドールはランスとのポジション争いがあったと報道されていたが、15ステージのベルビエ峠で一気にポジション争いに決着をつけた。頂上ゴールを目指す最後の登り、5.5kmで1分半の差をつけた二人の力の差は歴然、この5.5kmで今年のTDFは決まったと言える。たなかそのこさん、2009年のTDFにも来ていたのか、きっと来ていたんだろうと思う。TDFの写真レポートを書くということが、どんなに労力が必要なことなのか、3週間のレポートと写真でよく伝わってきているし、うまくいかなかった悔しさもよく分かるので、きっと2009TDFにもリベンジで来ているのではないかと思うからだ。サラリーマンではなかなか3週間のフランス旅行はままならないが、なんとか、いつの日にかは行ってみたい場所である。

2009年7月28日 イエスの古文書 アーヴィング・ウォーレス  ☺☺

2009年7月27日  イエスの古文書 アーヴィング・ウォーレス  ☺☺1972年初版の「ダビンチ・コード」のルーツのようなお話、物語の語り口や設定、登場人物の発想やセリフなど古びた感じは否めない。聖書にまつわる新たな古文書の発見とその真偽を巡っての攻防、いったい誰と誰とが戦っているのか読んでいるうちにわからなくなってくるのだが、大前提としては聖書の記述で今までにない事実がわかるとしたらそれは一大事であり、大儲けにつながる、ということ。日本でいえば古事記や日本書紀の記述を覆すような発見があるとすれば、それは大儲けになるか、学術的には大騒ぎかもしれないが、大儲けにはならないのではないか、と思って読むと、なぜそれが新解釈聖書などとして出版されると何百万部も売れて大もうけになるのかがピンとこない。ましかし、主人公のマーケティング担当ともいうべきランダルが執念ともいえる真実への探索を行った結果、新発見の古文書の真偽を覆すような事実がわかるのだが、大きな力にねじ伏せられてしまうという話。この手のサスペンスもので37年の古さは陳腐化を拭いがたい。

2009年7月27日 大学病院の裏は墓場 久坂部羊 ☺☺☺☺

小説「破裂」と同様の内容が1章から3章までで解説されている。東京医大の心臓手術連続死亡事件、慈恵医大青戸病院での未経験医による内視鏡手術による前立腺がん患者死亡事件などを実名入りで紹介。つづいて医局についての解説である。医局の構成員はどのようにして決まるのか、ヒエラルキーは教授、助教授、講師、助手、大学院生と研究員、最下層が研修医。そして医局員の一生、勤務医になる場合、開業医になる場合、そして大学病院などに残る場合、教授になるのは最後のケースである。そして筆者は自身のケースを紹介している。医局の問題はマスコミでその閉鎖性や封建制が問題視されているが、悪いことばかりではないと説明、そして小泉改革で研修医制度が改革された結果、医局が崩壊することとなったと説明している。その推進役が新臨床研修制度だったとして、その仕組みを解説している。以前は研修医は研修ノウハウのある大学病院を研修の場に選んだが、古い体質で硬直化している大学よりも実践的な技能を学べる一般病院を選ぶようになってきた。その結果、研修医をマンパワー(雑用係)として使っていた大学病院は人手不足になり、一般病院へ派遣していた医師を呼び戻した。人手不足に陥った一般病院では残った医師の負担が増えて外来の一部を閉鎖したり、小児科や産婦人科を消滅させてしまう結果となった。結果的に医局が持つ一般病院への影響力がさらに薄れ、病院は独自に医師をリクルート、大学病院では呼び戻された医師が研修医がしていたような雑用をさせられ、研修医はそれを見てますます医局に入りたがらない、という悪循環があるというのだ。相次ぐ産科休止病院の原因がこうしたところにあり、さらに昼夜休日を問わない激務と訴訟のリスクから敬遠されているとのこと。筆者は打開策として、大学病院の初期化、老教授の一掃、研究と診療の切り離し、等を提案する。今出産をひかえた女性は妊娠が分かったときにはもう出産する病院の予約をしなければ間に合わないという話を聞く。少子化対策、必要な施策はたくさんあるが、まず踏み出すべき第一歩はここにあるような気がする。

2009年7月24日 幻覚 渡辺淳一 ☺☺

美貌の36歳の精神科医で病院を経営する氷見子、小さい頃から父親っ子だったが父を亡くし病院を引き継いでいる。その病院に勤める31歳のまじめな看護士北向、氷見子を立派な先生と慕う。ある時氷見子先生に花見に誘われる北向、青山墓地にタクシーで行き、桜の小枝を口にくわえる氷見子を見て、変わった先生だと感じる。氷見子は桜の木をマニイ(躁病)だといい、氷見子自身もマニイだという。その後、氷見子は北向を気まぐれに誘い食事をしたりホテルに行ったりするが、あくまで氷見子の気まぐれで、氷見子を慕う北向は喜んで誘いに応じるのみでそれ以上の何かを求められずにいる。北向は同じ病院の看護士中川涼子とつきあっていたが、些細なことで喧嘩別れした。その涼子が氷見子先生の治療にはおかしなところがあるという。必要以上の薬を与える患者がいて、そのために病状が悪化している、というのだ。そう言われると北向も疑念を持ったことがあるが氷見子先生を信頼していて何か理由があるはずだと自分に言い聞かせている。薬の過剰投与をされている患者は3人いて、その共通項は何だろうと考えてみるが分からない。

ある年末、その3人のうちの一人が突然死する。死因に不審を抱いた家族が病院を訴えるという。氷見子は北向にカルテの保管を指示するが、理由がわからない。改竄が目的だとしたら問題である。調べると訴えた家族の後ろには病院を辞めていた涼子がいることがわかる。裁判沙汰は週刊誌に取り上げられ「美貌の医師、過剰な医療で患者を死なせる」などとスキャンダルとなる。

なぜ氷見子は特定の患者に薬の過剰投与をしたのか。氷見子は父親との近親相姦をトラウマとして抱えていたことが最後にあかされる。同じ悩みを持つ親子から相談を受け入院してきた患者に薬を過剰投与したことが分かってくる。氷見子は自分の心の悩みを、患者にも投影していたのだ。スキャンダルと裁判、そしてその心のトラウマを抱えた氷見子は自殺する。

渡辺潤一なので立派な小説として出版されているが、これが新人作家の作品であれば直木賞でも選外であろう。読売新聞の連載小説だったらしいが、夕刊フジ向きかな。

2009年7月23日 日本人の死に時ーそんなに長生きしたいですか 久坂部羊 ☺☺☺☺

著者はいう、年をとるということはスーパー老人になることではなく、多くの人にとっては次のような現象をもたらす。
■排泄機能の低下
■筋力低下
■歩行困難
■関節の痛み
■うつ病
■不眠
■呼吸困難
■めまい・耳鳴り・頭痛
■嗅覚・味覚障害
■麻痺・認知症
80になっても槍ヶ岳に登山しています、とか、90歳でも奄美大島に皆既日食を見に行きました、というのは本当に例外であり、多くの普通の方は様々な老化現象を経験するという。そうした中で、医療行為により障害を直そうとする。

2009年、平均寿命が女性は世界一、男性も世界4位、という報道があったが「健康寿命」、これは事故や重病などで寝たきりになるなどした期間を「平均寿命」から差し引いた期間のこと、各国の「平均寿命」と「健康寿命」のデータ、どちらも日本人が1位になっている。日本人の健康寿命は75才、平均寿命は81.9才で、平均して6.9年は誰かのお世話になるということ。筆者は医療行為というのはこの健康寿命を延ばすということではなく、障害期間を延ばすことになるという。老人に対する医療行為は障害期間を伸ばすような延命治療ではなく、QOL(生活品質)を向上させる方向に向かうべき、というのが筆者の主張。ぴんぴん健康に生活して、死ぬときはコロリと死ぬことをピンピンコロリPPK、というそうだが、本来は長生きできることは幸せである、という社会を目指したいもの。

江戸時代はみんなが天寿を全うする、という安楽死をしていた、つまり延命治療などはなかったのでPPKを実現していた、という。ある年齢以上になったら病院には行かないこと、ということを筆者は勧めている。これも一つの考え方、自分の親や自分自身のことを考えると複雑だ。老化は誰にでも初体験、人の世話をするのと自分が体験するのでは大違いだと筆者はいう。非常に考えさせられる。

2009年7月18日 シーズザデイ 鈴木光司  ☺☺☺

ヨット好きの筆者が書いたシーズザデイ、あの日を掴め。船越達哉は若い頃にヨットに乗っていた。太平洋横断ヨット航海の途中に沈没した経験を持つ。その後結婚して9年、マリン用品の営業マンとして過ごしていたが、ある日妻から離婚宣言を受けてマンションを売却、そのお金でヨットを買うことになる。ヨットは昔のヨット仲間岡崎から格安で購入することに。引き渡しの日にやってきたのは、裕子、岡崎の娘で、ダイビングショップを経営する女性であった。ヨットにすんで職場に通うというヨット好きには夢のような暮らしである。そこに昔つきあって結婚直前まで行った月子から電話、これが物語の始まりであった。月子とは一緒に太平洋航海に出かけた仲間でもある。しかし、沈没して日本に帰り分かれたという過去。彼女が電話でいうには「あなたの娘の陽子が妊娠して家出した」、計算すると中学3年生になる娘は、約束して堕胎したはず、産んでいたのか、という思いと、本当なら何とかしてやらなくては、という思い。調べると妊娠5ヶ月で、下田の黒船旅館に住み込みで働いているらしい。岡崎に相談すると、裕子と一緒に迎えに行こうということに。ここで初めて船越は娘の陽子と対面するが、月子が迎えにきて連れて帰ってしまう。

しかし、陽子はすぐに再び家出、今度こそはどこに行ったか分からなくなる。陽子は奄美大島に行っていた、このことが分かったのは陽子が陣痛を訴えた大晦日、連絡を受けた裕子は船越に電話をする、「助産婦を紹介するから行ってあげて」。助産婦の新井を伴って奄美に行くが結局陽子の出産は死産、失意とともに陽子と船越は東京に戻るが月子の元には帰らない。船越には行方不明になった父親がいた。船越が生まれる直前に姿を消してパラオに行ったといわれる父親である。陽子に太平洋をヨットで横断してみないかと持ちかける船越、陽子はそれに「yes」と答える。

ここから、船越と陽子のヨットによる航海と、裕子と船越の心の触れあいを描くのだが、ここは深いものはない、お互いに惹かれて結ばれる。17年前のヨット事故の原因も月子とパラオで知り合った朝代との軋轢から生まれたこととわかるが、その朝代の育ての親が実は船越の父親であることも判明する。このあたりは下巻の冒頭から予想される。

この小説、著者のデビュー作ともいえる内容ではないだろうか。ヨット好きで、浜松生まれの鈴木、ちょっと優柔不断気味の船越と著者はダブっているのかどうかわからないが、ループやらせんを書いた著者の若き本質を語っているように感じる。気持ちよく読める素直な小説だと思う。

2009年7月17日 破裂 久坂部羊  ☺☺☺

安楽死をあつかった小説、白い巨塔のような大阪の国立大学を舞台に、財前五郎のように教授のいすをねらっている助教授 香村、医療行為の不用意なミスを追求しようとするジャーナリスト松野はノンフィクションの書き物に関する賞を狙うくせ者、松野の取材に協力する医師江崎、彼も当初は取材に積極的に協力するが次第に医局の中での立場や友人関係から態度を変える。麻酔担当医である江崎も実は薬物中毒であり、認知症になってしまった母親を持ち、医療機関に入れてお見舞いにも行かなくなってしまっている。そして厚生労働省のキャリアでありながら、意図的な安楽死を促進するような手法を取り入れようとしている佐久間。突然死はぴんぴんポックリで理想的と香村を操って世論操作をもくろむ。小説のタイトル「破裂」は香村の開発した心臓治療の副作用で現れる心臓破裂からきている。前半は医療過誤を取材する江崎と松野を中心に展開、後半は自らのミスで患者を死なせてしまったことを何とか隠そうとした香村を相手に訴訟を起こす枝利子、これを助ける江崎、こうした登場人物が縦糸と横糸になって物語は進む。佐久間は治療と称して治険を重ねて突然死する患者を増やし、あたかも突然死のように装う、これで長寿に伴う社会保険や健康保険費の抑制をねらうという荒唐無稽の狙いなのだが、絵空事も思えないのは書き手の力か。前作である廃用身を読んでいる読者であれば、ワクチンのプライミング効果のような雰囲気を感じるのではないか。医者である著者の術中にはまってしまう。物語の中で松野は殺され、江崎は薬物中毒になりながら最後に回復、香村は医療行為のミスを訴訟されて勝訴するがその後殺害されてしまう。佐久間は自分自身が植物状態になるという皮肉な結末。安楽死、長寿化、高齢化に伴う社会問題を安楽死、それも意図的な動きで推進しようとする厚生労働省職員が実際に いるとは思えないが、この小説は現実の厚生労働省が社会保険庁問題や血液製剤問題、ワクチン問題などで半身不随になっていることの皮肉なのかもしれない。

2009年7月13日 生物と無生物のあいだ 福岡伸一  ☺☺☺☺

福岡さんは文章が上手である。印象的なフレーズを、印象が残るように配置して読者に提示するので、映像を見るように読むことになる、結果として記憶に残る、こういう文章である。書き出しは筆者がポスドクとして過ごしたニューヨークのロックフェラー大学、野口英世についてである。日米でこれほど評価の違う人物は少ない、という解説があり、その原因となった野口英世の情熱とウイルスの大きさ、顕微鏡の性能の解説、とこの本のイントロにふさわしい書き出しである。

原因と結果はどのようにその因果関係を証明できるのか、想定外の介入要素がないことをどのように証明できるのかというテーマ、野口英世はここに考慮不足があった。そして、DNAが遺伝子なのだと初めて気づいた人物、オズワルドエイブリーの話へと展開していく。生命化学の陥穽は純度のジレンマだという。生物試料はどんなに努力しても100%純粋ではあり得ない、99.99%純粋でも、実験結果に及ぼす影響が0.01%の不純物が与えた可能性を排除できないというのだ。ワトソンとクリックのノーベル賞もエイブリーの肩の乗っかって得られたものだというくらいの貢献者である。

そしてPCRというDNAをいくらでも増殖させることができる方法を編み出した人物、キャリーマリスへと話は移行していく。この間、ポスドクの位置づけやラボテクニシャンといわれる研究室における研究技術に長けた人間のことなどが挿話として語られる。ワトソンとクリックのノーベル賞の後ろ側に「ピアレビュー」の問題点も指摘される。論文の技術的、理論的、科学的重要性は同業者、同一分野の研究者にしか理解できないことも多いため、ブラインドで論文評価をさせることがあり、そのことがアイデアの剽窃を産むというのだ。DNAの構造を明かしたワトソンとクリックのノーベル賞の背後にもロザリンド・フランクリンというX線結晶解析の研究を行っていた女性がいて、彼女が気づかない形でワトソンとクリックはアイデアを借用していたのではないかというのだ。こうした記述の中にも研究者の姿勢には「帰納法」と「演繹法」があり、フランクリンは帰納法、ワトソンとクリックは演繹法だったと説明している。そして生物は動的平衡状態を保つ、という解説。生物の細胞は外見上は同じに見えても数ヶ月ですっかり入れ替わるくらい「代謝」している、これを司り実現している仕組みが動的平衡。これを行うことで生命の維持をしているというのである。生物と無生物の定義は「自己複製」と冒頭定義しているが、その本質がここに語られている。ただの複製ではなく、無秩序への移行を防ぎながら動的に平衡を維持するというのだ。

なにがこの本の魅力なのだろう。語られている内容は簡単な話ではなく、どちらかというと難しい内容であるのに、その内容の解説がさりげなく、そして著者の体験や解説とともに語られるので映像化ができる。どんな読者にも自分の体験があり、その自体験と著者が語る映像が結合しようとするのであろうか。最後にトカゲの卵の逸話が紹介されている。中学生の頃手に入れたトカゲの卵の生育状況が見てみたくて、卵に小さな穴を開けてみた。トカゲの幼生が見えたが、いったん少しでも外気に触れてしまった幼生は育つことなく朽ち果てて死んでしまった、という体験である。生物の営みは時間、進む方向性、タイミングなどが絡み合っていて、機械のようにもう一度繰り返すと言うことが難しい。外部からの介入がどのような影響を与えるのか、または影響を吸収してしまって何事もなかったかのように成長できるのか、生物の神秘である。これが著者の幼時体験として研究者たる萌芽となったこと紹介している、これもやはり著者一流の解説であり印象的文章である。

2009年7月12日 かくて昭和史は蘇る 渡部昇一  

この方の歴史認識は偏りが激しい。まず、間違ったことを歴史上の事実として紹介している。日露戦争での日本軍の機関銃使用、これを日本軍勝利の要因としているが、ロシア軍も当時使用していた。逆に日本兵が大損害を受けたのは機関銃によるものである。また二〇三高地の戦いで、乃木将軍は『これは息子を殺すしかない』と腹を括った、とあり、これによって兵隊たちのリーダーへの信頼が高まった、とあるが、敵陣地が頑丈な要塞になっている事に気づきながら 正面からの攻撃を繰り返し、1週間もあれば旅順を攻略できると考えていたが、落ちなかった。白兵戦を繰り替えすリーダーに戦意は高まらなかった。息子を殺す腹を括ったを兵の戦意高揚に役立てたかのような記述は客観的ではないだろう。一方、明治維新の意義として白人の打ち立てた西洋近代文明を、有色人種も身につけることができることを示した点、日本人は、西洋の卓越した文明を見て、学びたいと思ったので実現した、という点、これはその通りだと思う。岩倉使節団では維新の主役が、1年10ヶ月もの間、米・英・仏などの12ヶ国を回る旅であり、指導者自らが海外視察をして今の日本ではダメだと腹をくくり、西洋化政策を実践したこと、これも素晴らしい決断だったと思う。問題は昭和に入って、欧米諸国からの締め付けに日本があったときにどう考えてどのように対応したかという見方の間違いである。

満州建国の理由としてノーマンズランドであったため中国進出をもくろむアメリカは反対したが、イギリスは黙認した、としているが、満州の地はもめていたとはいて当時の中国の領土であり、誰も住んでいないからといって占領もしくは傀儡政府を立ててもいいとはいえない。その後の満州事変、居留民保護は世界の常識としているが、満州事変は、関東軍は侵略行為だったのは歴史上の事実、五族協和などという戦争中の概念で、移民は増えたなどといっても占領や住民弾圧の罪は消えない。関東軍の勝手な戦争誘発行為を、統帥権干犯問題からの下克上の雰囲気があった、などと分析しているが、これも軍隊のガバナンスが利かなかった悪しき雰囲気を歴史のせいにしてしまっている。これらの関東軍の陰謀を、中国共産党の仕組んだ罠であり、逆に通州事件(廬溝橋の3週間後おきた事件)で300名の日本人が虐殺されたことをあげ、日本は悪くない、と主張するなど歴史を曲げているとしか思えない。南京大虐殺は幻、という説明、この中でも、南京市民を置き去りにした国民政府や、伝聞しかない「虐殺」の証拠などを説明、虐殺計画など存在しないとしている。殺されたとされる20-30万人の人はどこにいたのか、という主張であるが、30万人ではなく3万人や3000人であっても南京市民を日本軍が軍隊をあげて殺したことは事実である。数値の論争や国民政府の動向などは別問題ではないか。

明治から昭和に至る日本の成長と誇りの部分については賛同できる部分もあるが、昭和に突入して軍部が台頭、太平洋戦争に入って敗戦に至る日本国の外交、内政、軍隊の考え方と問題点については全く賛同できる部分はない。愛国的歴史観はわかるが科学的ではない。

2009年7月10日 黄金旅風 飯嶋和一  ☺☺☺

江戸時代1628年頃の長崎が舞台。主人公は朱印船貿易を営む家に生まれ、放蕩息子と言われて、暗殺された父を継いで長崎代官となった二代目末次平左衛門、もう一人は平左衛門の少年時代からの悪友、火消しの組頭平尾才介。本のタイトル「黄金」は、呂宋(ルソン)や南シナから長崎まで海を渡ってくる黄金蝶と、ベトナムやカンボジアから運ばれる黄金色の繭玉、風に乗ってくるのは蝶であるが、輸入されてくるのはもちろん繭である。どちらも海を越えてくるが、海は恐ろしい自然でもあり、船乗りたちにとっては逃げなければならないときもある恐ろしい相手。もう一つは火、長崎にたびたび起きる火災も何とか避けたいものだが、起きたものは消さなければならない。平左衛門と才介が相手にするのはこの二つ。本来ならば不正な貿易を取り締まるべき長崎奉行が自らの蓄財を図るため不正な貿易を行い、一方で隠れ切支丹を探し出しては殺し、蓄財した金をベースに呂宋侵略を企む。平左衛門と才助は朱印船貿易を制約の中でも何とか守りたい、そして長崎の町民を守るために協力するが、才介は殺されてしまう。平左衛門は長崎奉行の不正を暴くためタイミングを計り、長崎奉行の後ろ盾となっている将軍秀忠の死去を契機に証拠文書も含んだ訴状を上申、不明をただす、というストーリー。飯嶋さんの視点はいつも虐げられた庶民、悪事をはたらく勢力を糺そうとする平左衛門を主人公にするが、同時に時に権力の巨大さも描き、下からの抵抗や改革努力の限界も描く。気の利いたせりふがちりばめられているわけではない飯嶋さんの小説、いずれも長く心に残る。

2009年7月9日 グリーン革命 トーマス・フリードマン  ☺☺

これからの雇用と繁栄はグリーン新産業から生まれる、という予言書。フリードマンによる問題提起は、地球のホット化、世界のフラ ット化、人口過密化は次の問題を引き起こした。
1. エネルギー供給と需要
2. 石油独裁主義
3. 気候変動
4. エネルギー貧困国
5. 生物多様性の喪失

「フラット化する世界」で新しい認識を示した著者は次のように解説する。地球温暖化、世界各国でのミドルクラスの急激な勃興 、急速な人口増加が重なり、現在世界は不安定な時代に突入した。原油価格は高騰、産油国の独裁政権や原油メジャー、投資家はオイ ルマネーで潤う一方、エネルギー供給は逼迫し、生活に必要な電力すら入手できないエネルギー貧困層も存在する。経済発展中の中国 やインドは今後ますます気候変動をもたらし、生物多様性を喪失させ、ティッピングポイント(後戻りできない地点)を行き過ぎてし まう懸念が大きくなってきている。石油依存から脱却しつつ、太陽光や水力、風力、地熱などの再生可能エネルギーへ転換し、経済成 長と豊かさを享受したいという課題に、国と企業はどのような戦略や施策で望むべきなのか。18世紀産業革命の前後で世界の支配者が 一変したように、これから起ころうとしている「グリーン革命」の前後で世界の支配者は入れ替わる。

人口増加は人類による消費と生産量が増大したこと。(ジャレド・ダイヤモンド)先進国人口は約10億人、一人当たりの消費量を32と すると途上国55億人のほとんどは消費量1、問題は先進国民の消費量が途上国の32倍を消費していることが問題という。

産油国における石油政治の第一法則は石油価格が上がると自由化の度合いが下がる。言論の自由、報道の自由、公正な選挙、集会の自由、政治の透明 性、司法の確立、法の支配、独立した政党、NGOの結成が阻まれる。石油主義者の指導者が国際社会の評判を気にしなくなるから。下がると自由化度合いが上がる。逆のフォースが働くから。そして石油政治の第二法則はエネルギー節約を勧める政治家は成功する。

世界を取り巻く課題の解決のための方法として次の5つを挙げる。
1. クリーンな電気、2. エネルギー効率 3. 資源生産性 4. 自然保護の摂理
アメリカではスリーマイル島事故以来、原子力発電所を作れなくなった。アメリカ人は6リッターのSUVでハイウエーを走り回り、ゴミの分別をせず、自然は征服するものだと思っている。こういうアメリカ人には耳の痛い4つの課題、日本人には当たり前と思える。

本書では、既存のテクノロジーとロジスティックスを活用してエネルギー効率を高め、経済合理性を実現したトヨタのプリウス、触媒 コンバータを使わずエンジンの前室に副燃焼室を設けることで排ガス基準を達成したホンダのCVCCエンジン、三菱重工のタービン発電 機、シャープのソーラーパネル、冷蔵庫や食器洗い機のセンサー技術を使った省エネ努力など、省エネとグリーン・テクノロジーは日 本の得意分野であり、専門家の多くが日本は地球上でもっともエネルギー効率のいい先進国だと言い、エネルギー価格高騰の時代でも 繁栄する備えができていることを紹介。アメリカと世界は環境規制、排ガス規制、省エネ基準を強化する政策を採用し、日本を追いか けようとしている。太陽力、風力、潮力、原子力、水力など再生可能エネルギーへの投資、ハイブリッド車、電気自動車、水素自動車 など新しい自動車の開発、省エネビルの建設、高速度鉄道の新設など、次なるグローバル産業はすべてグリーンから生まれるからだ。 この得意分野で日本の優位を保ち、21世紀の雇用と経済的繁栄を創り出せるか。

その場合の大きな疑問だと指摘するのが
1. アメリカは本当に真のグリーン革命を先導できるのか
2. 中国は本当にそれを倣うのか。
グリーン革命にオプションはない、実行するだけである、と言う主張。フリードマン信者で環境政策ブレーンを固めたオバマ政権は日本の頭越しに中国説得を試みることはほぼ確実、日本は5月のコペンハーゲン環境サミットで提示した2005年度費15%という削減目標で乗り切れると思っているのなら大間違いだと思う。グリーン革命を覚悟してビジネス投資をする企業と国が生き残れる、そしてそういうユーザを想定したビジネス開発に踏み切る企業が先進企業である、という読みには同意。スタンフォード大学学長ジョン・ヘネシー「解決不可能に見える環境課題に変装した巨大なビジネスチャンス」という表現に本書の言いたいことも凝縮されているというところか。フリードマンらしく大きな仕組みと仕掛けを見せてくれてはいるが、日本人からみれば新鮮味はなくありきたりの主張でありありきたりの課題提起であると感じる。

2009年7月8日 世界と日本の間違い 松岡正剛  ☺☺☺☺

「グローバル資本主義」の出現はいつだったのか、近代国家と国民の成り立ち、戦争もしなければならなくなる国家というものについて著者が解説したノンフィクション書き物。日本の歴史も日本と世界をたて、よこ、ななめに同時に俯瞰してみなければ、日本、世界は見えてこない、と同時代に起こった出来事を並べてみて解説もしている。

考えてみると、この世界には矛盾にあふれているのが現状。反目しあう日本と中国、南北朝鮮、パレスチナとイスラエル、アフリカの貧困と混乱、共産主義は弱体化し、資本主義勢力が大勢を占めてはいるが、資本主義そのものは決して万能の体制ではないこうしたことも、なぜこうなったのかを知る必要がある。

イギリスという国の成り立ちからヨーロッパ諸国の植民地政策、欧米諸国のアジアへの接近と日本の遭遇、そして開国へとつながる歴史の展開がある。日本は1853年ペリー来航によって、無理矢理開国させられ、紆余曲折はあったが明治維新の結果、殖産興業、富国強兵を図り、列強のマネをして国民国家(ネイションステート)を作った。欧米諸国がアフリカの取り合いをしていると見るや、日本は東アジアで植民地政策を展開、朝鮮を併合して、満州国を設立した。資源を求めてインドシナから東南アジアを植民地化しようとして英米と激突、最後は原爆を落とされ敗戦を向かえた。東京裁判では敗戦国として人道の罪などで裁かれ、軍国主義国家の過ちを骨の髄まで知らされることとなった。マッカーサーは当初日本を理想的な平和主義国家とすべく平和憲法を提案したが、朝鮮戦争や冷戦、ベトナム戦争へとつづく覇権のために、日本にも再軍備を要求、朝鮮戦争の時に警察予備隊、その後保安隊、自衛隊をもった。日米安保条約のもとでGNPを稼ぎ経済力でアメリカと競合するようになって、働き過ぎとジャパンバッシング、円安を修正され1ドル100円時代に。日本の株価と不動産バブルがはじけ、失われた15年に。そして目標としてきたアメリカでは製造業がすたれ、自動車産業だけが生き残った。IT産業はアメリカの再生を見せかけたが、エンロンワールドコムの経営者倫理問題からSOX法制が施行、その後リーマンショックの後にクライスラー、GMも破綻、強欲資本主義は限界を見せている。

松岡は本書で述べている。「資本主義のモデルとルールをイギリスやアメリカが綿密につくりあげたものが少なくないのですけれど、だからといって、それが世界の多文明に、また多文化のあてはまるような、ふさわしいものとはかぎらないのです」「資本主義は欲望の市場である」

現在社会はなぜこうなってしまったのか、これを歴史からひもといた解説書、半藤一利の幕末史、昭和史とは趣の異なる解説書であるが、世界と日本の関わりに関しては本書が位置関係を明確にしてくれるであろう。

2009年7月7日 日本語の亡びるとき 水村美苗 ☺☺☺☺

イギリスとアメリカで使われている言語「英語」、18世紀の産業革命から現在まで新しい文化と技術はほとんどが英語情報として世界にもたらされてきた。大学での授業を母国語で行っている国はドイツと日本だけと聞いたことがあるが、それ以外の国でのエリートは英語で教育を受けてきていると考える必要がある。インターネットの時代になり、私たちはさらにしばらくは「英語の世紀」を生きる。ビジネス上英語が必要だとかいうレベルの話ではなく、英語がかつてのラテン語のように、「書き言葉」として人類の叡智を集積・蓄積していく「普遍語」になる時代を私たちはこれから生きるのだ、と水村は言う。

こういう時代の英語以外の言葉の未来はどうなるのか、私たちの母国語日本語と日本人の未来は、言語という観点からのインターネットの意味、日本語教育や英語教育の在り方について、著者は述べていくがとにかく思考が明晰である。著者は言う「たとえば今日、漱石と同じくらいの天賦の才能を持った子供が日本人として生を受けたとして、その子が知的に成長した将来、果たして日本語で書くでしょうか。自然に英語で書くのではないですか」このままで行けば日本語は、話し相手が目の前にいる「話し言葉」としては残っても、できるだけ多くの読み手を期待したい、文化的なインテリジェンスのある「書き言葉」としては存在価値を失っていくのではないか。「英語の世紀」とはそういう時代なのだと日本人は認識し、何をすべきか考えなければならない、というのが著者の主張。日本語を母国語としない中国人やイラン人の著作が直木賞などの候補になる報道があったが、1億2千万人という国民全員が文学の読み手でもある国は珍しい。それでも英語には読み手の数からいうとかなわない。フランス語やドイツ語はそれ以上に母国語人口が少なく、さらにそれ以外の言語は人口が少ないけれども、だからといってそれぞれの言語がもつ価値が低いとは考えられない。文学を書こうと考えるときに本当に「母国語ではなく英語で書いてみよう」などと思えるのか、大きな問題提起である。

2009年7月6日 進化から見た病気 栃内新 ☺☺☺

人類がなぜ病気になるのか、それは進化する上で必要なことだった。病気は人間にとっては都合の悪いことであるが、出ている症状は体を守る防御反応であり、むやみにそれらを抑制することは防御反応を抑えることにもなり病気の回復を遅らせることもある。これを風邪を引いて治るまでを例にとって解説、抗生物質と解熱剤の功罪や風邪というものは自然に治るものであることを説明している。また、人類はその進化の過程で100万年以上にわたり飢餓に苦しんできた。そのため、糖分や脂肪分、塩分でも過剰に取りたいという本能が働くため、それらが豊富に取れるようになった現代人では生活習慣病として、不利な形質となっている。ビタミンCは霊長類に進化する際に作り出す機能を放棄したが、それが今壊血病として表れている。ハンチントン病やダウン症候群がなぜ生き残っているのか、これはそれぞれ癌になりにくかったり、多産系であったりする形質と共存しているためであるという。ウイルソンの「みんなの進化論」と共通する部分が多いが、こちらはブルーバックス新書820円、格安である。

2009年7月2日 豚インフルエンザの真実 外岡立人 ☺☺☺☺

タイムリーな出版であり、企業や団体でBCPや新型インフルエンザ対策を担当する方には非常に参考になる。4月のH1N1インフルエンザ流行の発端から海外での広がり、WHOやCDCの情報の動き、日本での報道と政府や自治体での動きをほぼリアルタイムになぞって解説してくれている。元小樽保健所長の著者は自らが主宰するHPで毎日朝4時から起きて新型インフルエンザに関する情報発信をしているという。無償の社会貢献ともいえる、社会責任を感じている著者としての行為であり、医者である著者にしてみれば、医者をしていれば本の発刊をしているよりは経済的にはずっと楽であろうと思えるが、それでもHPや本発刊による情報発信をしているのは国や自治体などの感染症対応に義憤を感じているからなのだろうか。本の内容はWebサイトで記述している内容とほぼ同様の情報だが、こうした内容が本屋さんでも買えるという意義は大きいと思う。著者が訴えているポイントを紹介する。
1. 潜伏期間が2−4日あるインフルエンザのような感染症は空港などでの水際検疫でスクリーニングするのは限界があり、その人員を国内感染拡大防止に振り向けるべきだ。特に、今流行しているH1N1の致死率からみて、検疫法二類対応のような対応は無駄である。
2. マスコミは普段から感染症や公衆衛生に関して勉強をして事実の報道をすべきである。ワイドショーのようにマスクなどの品切れを報道するのではなく、科学的情報の報道をしてほしい。
3. 米国CDCでは毎日記者会見しCDCの代表者が情報、それも科学的感染症線関連情報と分析した結果の見解を説明していた。日本は患者数を発表するだけ、これでは国民はなにを信用して行動すればいいかがわからない。
4. マスクの効用は正しく伝えられる必要がある。感染疑い者がマスクをすることは有意義、しかし感染したくない人がマスクを着用しても効果はきわめて限定的。このことを厚生労働省は積極的に国民に知らせる必要がある。企業でのマスク騒ぎは経済的損失である。
5. 南半球での流行や北半球での感染者数増加をみていると、日本での秋以降の再流行は避けられないのではないか。ワクチンの準備、季節性ワクチンの準備、ワクチン接種順位の検討、新薬認可の早期化などを厚生労働省は早急に実行する必要がある。
6. 感染した方のすべきことは、6歳以下の子供、妊婦、慢性疾患を持っている方、免疫力低下の方は重症化する前に病院に行く、それ以外の普段健常な方は自宅で療養する、これが重要。

2009年7月1日 昭和史(戦後篇) 半藤一利 ☺☺☺☺

2005年に著者が社会人大学で17回にわけて語った講演録。このシリーズでは一番が幕末史、次に昭和史の戦前篇、それらに比べると戦後篇はちょっと迫力というか力が入らなかったかなという印象。しかし戦前からの日本を見てきたジャーナリストの見識が書かれていると思う。

<昭和天皇とマッカーサー会談>
マッカーサーとしては日本の戦後統治において天皇をどう扱うかを考えるに際して、終戦直後の天皇の決意表明を重く受け止めた。「朕は国が焦土と化することを思えば、たとえ朕の身は如何あろうとも顧みるところではない」と最後の御前会議で述べたこと、そしてその言葉を伝え聞いた国民は、みんなして戦後日本の復興に力を合わせていこうと感じたことを知って、天皇制の存続を考えたという。一億総懺悔のきっかけを作ったのは天皇であると。そして実際に会談した際にも天皇は次のように言った。「私は国民が戦争遂行にあたって政治・軍事すべての面で行った決定と行動に対する全責任を負うものとして私自身をあなたの代表する連合国の裁決にゆだねるためにお訪ねした」マッカーサーはこの言葉を聞いて感動したという。大抵の敗戦国元首は命乞いをするもの、「この人は」と思ったとのことである。新聞に出た会談後の写真が有名であるが、元帥は天皇をお迎えには行かなかったが、会談後は車に乗り込むまでお見送りをしたということ、好印象があったのだろう。

<五大改革>
10月11日にGHQから5大改革骨子が示された。@婦人解放 A労働者団結権 B教育民主化 C特高など秘密警察撤廃 D財閥解体。さらにプレスコードといわれる新聞改革も。戦中は軍国主義の後押しをしてきた新聞が、「国民に謝罪もせずに手のひらを返すようにGHQに政府のご用を務めている、度し難き厚顔無恥」と高見順は8月19日の日記に記していたという。また、ローマ字採用論、漢字廃止論などが新聞に掲載され当時のGHQの締め付けの強さも伺わせる。

<政党の始まり>
1946年の戦後初の選挙に先立ち、次々に政党が誕生した。片山哲の日本社会党、鳩山一郎の日本自由党、町田忠治の日本進歩党、志賀義男と徳田球一の戦前から続く日本共産党、橋本登美三郎の日本民党、児玉誉士夫の日本国民党、生長の家の谷口雅春の日本民主党、その他33を数えた。ジャーナリズムも準備が始まり、文藝春秋、中央公論、改造の再開、新生創刊、世界、人間、展望、潮流、リベラルなども創刊された。

<人間宣言と戦争放棄>
幣原喜重郎内閣の時に、マッカーサーは天皇は人間であると宣言させることで戦争責任を免れさせることが出来ると考え、日本側に要請、それが実現されたとの記述、そういう経緯があったのだと知る。これが1946年1月1日の新聞に掲載された。また、極端な国粋主義は社会科教育に問題有りと考えたGHQは歴史、地理、修身の廃止を命令している。また公職追放により戦争犯罪人、軍人、国家主義者、大政翼賛会有力者などが追放された。政党の幹部にも追放者が多数出て、日本進歩党では274名の議員のうち262名が追放、ほとんどである。しかし1949年になってこれが解除となる、それまでは公職から多くの人間が追放された。マッカーサーの元には多くの日本人から天皇の戦争責任を追及しないで欲しいとの嘆願が多く寄せられたとのこと、これもマッカーサーの判断に影響を与えた。幣原喜重郎はマッカーサーと会談、「日本は軍隊を持たない、戦争をしない国になりたい」との点で一致した。これが憲法9条成立につながっていく。

<象徴天皇と日本国憲法成立>
マッカーサーは1946年1月ワシントンに手紙を書き、「天皇の戦争責任は追及するべきではない」と意見具申、この時点で天皇の有罪無罪の検討は必要なしとの結論をアメリカ国としては出していた。のちの東京裁判でもこの点は変わらなかった。この年憲法草案を日本側が作成するが、明治憲法の焼き直しでしかなく、逆にGHQから草案が出された、これが現在の憲法の元になっている。その時の三原則、@天皇は国の元首 A戦争廃止 B封建制度廃止 かくしてGHQ案が示され、48時間以内に回答せよと迫られた。幣原首相はGHQ草案を持って天皇に上奏、天皇は「自分は象徴で良いと思う」、この言葉を伝え聞いた閣僚は当初断固反対を唱えていたものも含めて受諾やむなしと態度を変更、新憲法が成立した。このころ天皇は地方行幸を実施、戦後の復興に役立ちたいとの天皇の思いを形にしている。国会で憲法議論をしているそのころ、国民の実態は「空いているのは腹と米びつ、空いていないのは乗り物と住宅」という復員ラッシュと食糧不足が関心の的、憲法どころではなかった。

<東京裁判>
1946年5月から1948年11月まで開廷された東京裁判、市ヶ谷の陸軍省講堂で行われた。その間、当用漢字1850字が制定され、1948年2月1日には有名はゼネスト禁止命令がGHQからでる。「一歩退却、二歩前進、労働者、農民バンザイ、われわれは団結しなければならない」というラジオによる中止演説となる。1948年4月の総選挙では社会党が143名当選、第一党となって、片山哲を総理とする内閣が出来るが9ヶ月で総辞職、吉田内閣が組閣された。このころ世界ではパレスチナの地にイスラエルが誕生、この地を統治していたイギリスが国連に判断をゆだね、強力に後押ししたアメリカの力もあってイスラエルが独立、パレスチナの56.6%をユダヤが、43.5%をアラブが所有することが国連決議された。これが現在までの中東問題の引き金になっている。ベルリンの壁が築かれたのもこの年、封鎖された西ベルリンに物資がアメリカ、イギリス、フランスから空輸され、また戦争か、という一触即発の空気が見られる。東京裁判の期間はこのような世界情勢変化があったのである。東京裁判ではA級28名が対象となるが、準A級とされた笹川一郎、児玉誉士夫、岸信介などは裁判を免れている。東京裁判とは何であったか。@日本の軍国主義は悪であり連合国側の行為は正当化される A連合国国民に見せるための復讐の儀式化 B日本国民への啓蒙 これが半藤さんの評価。共同謀議という罪に関してはナチスドイツのヒトラーには当てはまっても、日本のように責任者が不定の国には当てはめにくかった、しかし上記@ABのために強行したのが東京裁判だった。

<GHQの右旋回>
その後米ソ対立が激化、日本の位置づけを変えざるを得ない状況に変わってくる。@ソ連側に組み込まれた諸国の問題 A分割されたドイツ問題 B核兵器問題 こうした情勢変化により、日本を再軍備させること、民主化の行き過ぎをチェックすること、経済復興と安定化を図ることなどの目的で、公職追放されたメンバーの復帰、警察予備隊の設置などが決められる。経済安定のためにまちまちだった円為替レートを1ドル360円に設定した。これが1971年まで続いた。

<朝鮮特需>
今をときめくトヨタやソニーは1950年の朝鮮戦争による特需で成長した。米ソ代理戦争であり、中国と国連軍という名のアメリカとの戦いであった。GHQからトラック注文を受けて作れば作るだけ売れたトヨタ、あらゆる電波探知機への需要がふくらんで会社が急成長したソニー。朝鮮戦争の3年間で日本の契約高は11億3600万ドル、戦後日本はこの三年間で生き返ったとも言える。1951年マッカーサーはトルーマンに罷免される。日本人はマッカーサーを敬愛していて、マッカーサーの銅像でも作ろうという話も出たとか、実現しなかった理由は、マッカーサーによる「日本人は12歳」という発言を日本人が誤解したこと。真意は「アングロサクソンはあらゆる意味で45歳の壮年であり、ドイツ人の軍国主義への傾倒は大人としての確信犯。日本人は国際情勢を見るという意味では12歳の少年、世界情勢を知らずに犯した罪が今般の戦争につながった」これを聞いた日本人は「このやろー」と思って銅像は建たなかった、というのが半藤さんの解釈。

<警察予備隊>
1950年マッカーサーは吉田茂に「75000人からなる国家警察予備隊を設置することを認可する」と手紙を送っている。75000人というのは4個師団、朝鮮戦争が始まったときに日本本土にいた米国陸軍兵力数そのものに相当、朝鮮戦争に行かなければならない米国の穴を埋めて欲しい、という意味だったという解説。G2ウイロビー少将はこの準備のために「森機関」を設置、戦前の佐官クラスを集めた。これにはマッカーサーが激怒、警察予備隊は素人を集めた集団として発足した。国会で「軍隊ではないか」と問いつめられた吉田首相は「自衛のための戦力は合憲である」と回答、これが自衛隊合憲論の始まり。警察予備隊は1952年保安隊となり、その後公職追放されていた元佐官クラスの旧軍人も合流させて自衛隊と発展していった。

<基地問題>
立川、浅間、富士などの基地問題があるなか、石川県内灘の試射場での実弾訓練が大問題になる。しかし現実には内灘村の年間漁獲高は200万円、三年間の米国による使用料金額は7億円、金額ベースで見ると当事者達の本気度合いとのアンバランスがあった。しかし、戦後の開放感から反基地運動は日本全国で熱を帯びる。

<55年体制>
1951年以降、吉田総理と自由党内の派閥争いは激化していた。これが後に55年体制へとつながるが、吉田は徹底して「軽軍備・経済発展」路線、一方の鳩山一郎は「再軍備・改憲」路線、この戦いは現在でも続いている。吉田路線に賛同していたのが大野伴睦、広川弘禅、池田勇人、佐藤栄作、鳩山路線が石橋湛山、三木武吉。このころは岸信介は形勢を見ていた。1955年に社会党の左右合同があるや、保守も一致してあたらなくてはならないと、正力松太郎や児玉の斡旋で大野と三木が会談、保守合同につながる合意をする。吉田内閣は倒れて鳩山があとをつぐ。1956年には「もはや戦後ではない」という有名な経済白書が発刊されている。

<60年安保>
1958年岸信介内閣が成立、日教組への圧力のための勤務評定導入、警務職務法などの審議で国会は騒然とする。ぎすぎすした世情を沈静化させたのが皇太子ご成婚、ミッチーブームであった。「ご清潔でご誠実でご信頼申し上げられる方、柳ごおり一つでももらってくださるなら、、、」というフレーズが新聞で報道され国民的ブームとなった。1959年の参議院選挙でははじめて創価学会員が6名当選、公明党の創設につながる。安保条約改定では岸信介が強行採決、これに抗議する国民のデモデモデモで国会の周辺では連日大勢の警察とデモ隊で大混乱がおきた。文化人達はこれらを批判、「若い日本の会」では石原慎太郎、大江健三郎、江藤淳などいまでは犬猿の仲に見える当時の若手作家達が国会運営と安保条約改定に反対している。

<外交なき日本>
先ほどの中東問題や東西問題もさることながら、1962年には一触即発の世界危機であったキューバ危機があった。この時日本政府は何をしていたか、何も出来なかった。フランスのドゴール大統領には「池田首相はトランジスターのセールスをする人なんですねえ」と皮肉られていた。1933年以降国際連盟を脱退した以降、経済発展ばかりに気を向けていた日本は国際情勢のことは考えず、さらに国防はアメリカにお任せしていた、この不勉強は今でも尾を引いている。福田赳夫は1964年、オリンピックや新幹線開通に湧く日本人を批判して「池田内閣のやっている所得倍増、高度成長政策の結果、社会の動きは物質至上主義がはびこり、レジャー、バカンス、無気力が充満、元禄調の世相が日本を支配している」と述べた。今の世相でもあり、今般の経済危機を経験している現在の日本人はかみしめる必要があるコメントである。

<日本の選択肢>
半藤さんは戦後の日本が選択できた路線を4つ示す。
@再軍備、改憲 A民主社会主義 B軽軍備・通商国家 C永世中立
結果としてBを選んだ日本は強兵なき富国を実現、経済発展は遂げてきたが、日本精神はどこへ行ったか、と問う。今の日本に必要なことは軍事力を持つと言うことではなく、
■新しい国を作る無私の想い
■小さな箱を出る勇気
■大局的な展望能力
■他人に依存しない世界に向けた知識と情報収集力
■「君は功を成せ、われは大事を成す」吉田松陰の悠然たる風格
こうした精神を取り戻すことである、というのが最後の締めの言葉。幕末史を話した半藤さんは坂本龍馬や中岡慎太郎など幕末の若き武士達の想いを現在人に伝えたいと感じているのだろうか。

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