続・靖国問答

表紙に戻る

続・靖国問答(1/5)

(私)
やあ、しばらく。この夏も災害続きだったが、また思うことのある秋だ。

(飲み友)
そして相も変わらず靖国神社問題。まるで際限がない。

(私)
まあ、お湯割りでも、もらおうか。そば焼酎。

(飲み友)
それと、板わさ、川海老のから揚げ、出し巻。

(私)
秋の靖国神社例大祭。「侵略戦争」だの「A級戦犯」だのと中国外務省は難癖だ。

(飲み友)
しかし、日本側からは決まり文句、「国のために命をかけた兵士を追悼して何が悪い」の一点張り。

(私)
毎度のことだが、やはり神道指令の解明が進んでいない。人文系の怠慢でしかないね。

(飲み友)
そういえば、近隣国がいろいろ言い出した時期と、国内での靖国批判が盛んになった時期を比較した人がいた。こないだの講演会で聴いたんだがね。

(私)
おお、来た来た。まずは乾杯だ。お湯割りの秋に。

(飲み友)
乾杯!・・それでね、・・やはり国内の反靖国派が何を言ってるか、整理が必要かなと。

 

続・靖国問答 (2/5)

(私)
お主の言う通り。例えば日本カトリック司教協議会『信教の自由と政教分離』なども徹底批判が必要だと思う。2007年の出版だが本格的な批判を読んだことがない。

(飲み友)
この『信教の自由と政教分離』は市販されている。だから称賛も批判も許される。具体的には何を言っているのかね?

(私)
これは「社会司教委員会・編」となっていて、司教団メッセージの他に4名の論考が載っている。

(飲み友)
じゃあ、かいつまんで順番に説明してよ。

(私)
まず、さいたま教区司教・谷大二「自民党新憲法草案を検証する」からだね。

(飲み友)
自民党の新憲法草案は2005年10月に発表された。

(私)
最初に「憲法二十条ができるまで」として「宗教ではなかった国家神道」とある。むろん、この国家神道はGHQ神道指令にあるものだが、その精査はまったくない。これでは勝手な定義による国家神道と言わざるを得ない。

(飲み友)
いつものパターンだね。歴史の事実を基礎としていない。

(私)
「明治政府は神社神道を国家神道という宗教を超越した別格扱いにし、「宗教」という枠から外したのです」(p20)
明治政府に国家神道という言葉は存在しない。GHQ神道指令の定義からして「世界征服思想」は外せない。だから、議会などで国体的神道などという発言はあっても、この「世界征服思想」がなければGHQのいう国家神道には該当しない。

(飲み友)
「戦前戦中には、国家と国家神道が結びつき、軍国主義に走った結果、多くの犠牲者を出してしまいました」(p22)
変な文章だね。では国家と結びつく前の国家神道とは如何なるものだったのか。

(私)
GHQの宗教担当だったウッダードの『天皇と神道』によれば、GHQが問題にしたのは1930年から終戦までの「国体のカルト」。しかし日本人ですら廃仏毀釈以降に国家神道があったと考えている。そもそも国家神道を定義する法令が存在しないことは『明治以降 神社関係法令史料』に明らかだよ。

(飲み友)
浦部法穂『憲法学教室』も引用してる。
「日本国憲法における政教分離の主眼は、国家と神社神道との徹底的分離という点にある」

(私)
まあ、神道指令からすると当然の見解だね。「国家神道」を問題にしたのだから。ただ浦部本はGHQが問題にした「世界征服」と神社神道との関係をまったく分析していない。これでは戦前の神社神道と日本国憲法のいわゆる政教分離が説明できない。

(飲み友)
「宗教的行為」と「習俗的行為」とを区別する基準、というのもある。最高裁のいう「目的・効果基準」のことだね。

(私)
まあ、国教の禁止と同じように、公共機関は特定の宗教組織・団体に加担してはならないということだろう。常識的ではある。

(飲み友)
これに対し、自民党草案について
「「目的・効果基準」の対象を巧妙にすり替え、「社会的儀礼・習俗的行為」という名のもとで、国と神社神道との結びつきを深めるための扉を開けようとしているのです」
著者は神社に関することを「宗教教育・宗教的活動」として、国家の関与から排斥したいのだから、これはきりがない。

(私)
宗教系私立学校への補助金。彼らは宗教団体への補助金ではなく、教育の機会均等から、受益者は生徒、子どもだと主張している(p40)。それなら学校への補助金はやめて、すべて生徒・学生個人を対象とした奨学金等に統合すべきだろう。

(飲み友)
ホントに勝手な言い分だね。ご都合主義。お話にならない。まさに「憲法二十条ができるまで」をもう一度史実に基づいて検証してほしいよ、まったく。

 

続・靖国問答 (3/5)

(私)
次は、高松教区司教・溝部脩「「国是」と迫害」。

(飲み友)
これは副題が「歴史上よりの再考察」で、キリシタン時代の迫害が主な内容だね。

(私)
お決まりの迫害説。時代時代で考え方が変わることはある。仏教でも最初は導入に反対する物部氏と賛成の蘇我氏の争いとなった。聖徳太子が十七条憲法を創ったのは、官僚たちにその争いをさせない為だったともいえる。

(飲み友)
そう言えば、火薬の話。キリシタン大名というのは、信仰上のこともあったかしれないが、当時の日本になかった火薬が欲しかったのだと。

(私)
最近ではね、蒙古襲来も火薬に関係ありと言われている。日本に豊富な硫黄。当時の日本は日宋貿易が盛んだった。蒙古は宋を取り込むために日本を攻め、宋の戦力を減じようとした、そういう見解だ。

(飲み友)
そう言われてみると、なぜ蒙古襲来だったのか、考えたこともない。元帝国の世界征服だと単純に思っていた。まあ、火薬だけでもないとは思うが・・。日宋貿易から日本に関心を持ったということか。

(私)
平清盛に福原遷都があった。瀬戸内海に面した福原は、いわば兵庫の港。結局、重農主義に対する重商主義推進ということだろう。

(飲み友)
結局、源平は重農主義と重商主義の戦いか。なんか清盛の方が海洋国家日本をよく知っていたということになる。もっとも、現在の大陸国家が相手ではどうしようもないが。ははは。

(私)
火薬も含めて、キリシタン時代のキリスト教国家には、結果として市場の拡大がある。

(飲み友)
モンゴル帝国が東ヨーロッパまで攻めた。押し出されるようにして、西ヨーロッパのイエズス会などはポルトガルの港から東洋へ向かった。大航海時代のダイナミズム。

(私)
まあ、この「「国是」と迫害」に関連して言えば、被占領期から戦後日本の状況はどうだろう。日本国憲法、たとえば第20条などの制定の由来を検証することなく、政教分離を御旗として、まさに靖国神社問題を語り迫害している。

(飲み友)
そうか。これはキリスト教あるいは教徒への迫害について語ったもので、国家と宗教の全体ではないということか。これも一方的だ。

 

続・靖国問答 (4/5)

(私)
さて次は、東京教区大司教・岡田武夫「戦前・戦中と戦後のカトリック教会の立場」。

(飲み友)
副題が「一九三六年の布教聖省指針『祖国に対する信者のつとめ』再考察」。布教聖省は教皇庁の組織の一つ。日本のカトリック教会に対し「国家神道の神社で行われる儀式に参加することは許される」とした指針の再考察。

(私)
ただね、それが収録されているというカトリック中央協議会『歴史から何を学ぶかーカトリック教会の戦争協力・神社参拝ー』(新世社)の文章には疑問がある。

(飲み友)
引用部分を読んでみよう。
「政府によって国家神道の神社として管理されている神社において通常なされる儀式は(政府が数回にわたって行った明らかな宣言から確実に分かるとおり)、国家当局者によって、単なる愛国心のしるし、すなわち皇室や国の恩人たちに対する尊敬のしるしと見なされている」(p61)

(私)
GHQ神道指令が定義した国家神道には「世界征服」の思想が含まれる。これは指令に記されているから、動かしようがない。そうすると1936年、つまり昭和11年に教皇庁が用いた国家神道なる用語と神道指令のそれとは異なるということになる。

(飲み友)
それはそうだ。「世界征服思想」の儀式が「単なる愛国心のしるし、すなわち皇室や国の恩人たちに対する尊敬のしるし」というのは、やはりおかしい。教皇庁とGHQの国家神道は明らかに異なっている。

(私)
この『歴史から何を学ぶか』は1999年に発行されている。だから戦後の後知恵が考えられると思う。もし教皇庁が実際に国家神道を用いたとしたら、GHQのそれと定義の正確な比較がなされるべきだろう。

(飲み友)
いわゆる刷り込みの可能性があるね。さらに、
「靖国神社は戦前まで国家宗教(国家神道)の神社でした」(p62)
定義も何もない。ただただ国家神道を連発している。

(私)
「戦前・戦中のカトリック教会の指導者は、日本でも教皇庁でも、「大東亜戦争」が侵略戦争であるという明白な認識をもっていなかったと思われます」(p67)
GHQはあの戦争を侵略だと定義した。いわゆる東京裁判の訴状にもそう記されている。そしてその表現は八紘一宇だといった。そして教育勅語はその聖典だと断定した。

(飲み友)
「もし侵略戦争という認識をもっていたとすれば、「殺してはならない」とう第五戒を守るようにと教えたことでしょう」(p67)
これからしても、明確に教皇庁の国家神道とGHQのそれは違っている。 怪しいね、まったく。

(私)
1994年になって、教皇ヨハネ・パウロ二世は『紀元2000年の到来』で過去の過ちを認めたと記している(p67)。 そうするとこの教皇庁による昭和11年の国家神道とは何だったのか。この辺りは歴史家も陥るところだが、刷り込まれたシミだね。要するに1999年の『歴史から何を学ぶか』は捏造本だということになる。

(飲み友)
ひでえ話だ。もし教皇庁の昭和11年の指針を恣意的に改竄していたとするなら、それを鵜呑みにしている岡田武夫大司教も問題だ。

(私)
「日本のカトリック教会の戦争責任に関する見解」(p70)では、当時は「適切な認識に欠けていた」ということを述べている。これから厳格な政教分離ということになる。

(飲み友)
「戦前の国家神道の存在を否定し、その復活を防ぐために政治権力の機関は、すべての宗教団体に対して中立的存在でなければならないという趣旨を徹底させるためにこそ、日本国憲法には政教分離規定が存在するのです」(p72)

(私)
そもそも日本国憲法の制定以前には神道指令があった。宗教関連条項もその延長線上にある。つまり日本人が教育勅語を曲解し、それをGHQが鵜呑みにして指令が発せられた事実。これを基礎に考えれば、単純に政教分離などというのは歴史の事実を無視することになる。

(飲み友)
長崎教区大司教・高見三明「信教の自由と国家」もある。

 

続・靖国問答 (5/5)

(私)
いわゆる基本的人権なるものから論じた政教分離論。しかしその認識は正しいだろうか。少なくとも歴史の事実を基礎としているだろうか、これが問題となる。

(飲み友)
引用すると、
「明治憲法のもとでは、信教の自由が条件付ながら保障されていたとは言え、神権天皇制と国家神道の国教的地位が密接不可分な関係にあり、そこから国家神道は超宗教であり、それ以外の諸宗教を包括し傘下に置くとされました」(p94)

(私)
神権天皇制、国家神道。いづれも明治憲法には存在しない。したがってこれを基礎としたこのコメントは単なる感想文であり、歴史を無視した思い込みだと考えて妥当だろう。

(飲み友)
「国家神道は大教や本教と呼ばれ、宗教を超えるものと見なされましたが、事実上国教のような役割を果たしていたのです」
先の東京教区大司教・岡田武夫「戦前・戦中と戦後のカトリック教会の立場」では「国家宗教(国家神道)」と断定している。しかしここでは「事実上国教のような役割」となっている。つまり何がなんだか分からない。国家神道は国家宗教なのか事実上の国教だったのか。

(私)
もう、『信教の自由と政教分離』はトンデモ本というしかない。少なくとも歴史の検証に堪えられる代物ではないね。

(飲み友)
ただこの本について言えば、A級戦犯の話は出てこない。「すべてを祀る」基本に抵触するからだろうね。そこは慎重だ。

(私)
カトリック司教協議会に限らず、昭和史研究者も日本国憲法を歴史文書として解読していないようだ。神道指令や戦時中の米国における日本・日本人そして天皇観を読めば大筋が見えてくる。

(飲み友)
しかし「侵略」も「八紘一宇」も教育勅語「中外」の曲解も分析しない、そういうことだね。資料は十分に公開されているというのに。困ったもんだ。

(私)
まあいつも、困ったもんだ、で終わるというのも、困ったもんだ。さあ、蕎麦を食べて気分を変えよう。

(飲み友)
もり、2枚。それと野菜天を二つ。本日も少し、飲り過ぎだったかな。

―終わり―2015年