ヘンリー・S・ストークスの日本

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(ヘンリー・S・ストークスの「人間宣言」)

(私)
実はね、ヘンリー・S・ストークス『連合国戦勝史観の虚妄』これが出版されてすぐ、どちらかと言えば民族系の人から、この本をむりやり読めといわれてね、閉口したことがある。

(飲み友)
もう3年も前の本だけど、いま語る意味はあるのかね。

(私)
前に話したかもしれないが、戦前の日本にヒュー・バイアスというスコットランド生まれの記者がいた。「ニューヨーク・タイムズ」の記者として東京在住だった。

(飲み友)
思い出した、『敵国日本』だ。あれは衝撃だった。戦前の日本をよく観察している。

(私)
そこでね、やはり同じ英国人記者だったストークスと比較してみたんだが、バイアスの足元にも及ばない、そういう本だった、

(飲み友)
しかし、発売4カ月で第11刷となっているから、相当売れたのは事実だろう。

(私)
それでね、少し整理してみようと思う。

(飲み友)
ヘンリー・S・ストーク『連合国戦勝史観の虚妄』2013年12月か。翻訳者が意図的に誤訳をしたとか何とかあったね。しかし未だ絶版になっていないから、著者の見解どおりとみて良いんだろうね。

(私)
それを前提としよう。ところで、この第6章は『英霊の聲』とは何だったか、となっている。英国人記者が見た三島由紀夫『英霊の聲』はどんなものだったのか、検証してみようと思う。

(飲み友)
まず登場するのは服部一郎、セイコーの一員でエプソンを創ったビジネスマン。著者によればその服部は、昭和天皇の知性が「小学校教師程度だ」と決めつけて、知性が高かったら軍の言いなりにならずに、戦争を避けることができたと言った、という。

(私)
まあ、ゴルフとビジネスを生き甲斐としたとあるから、お里は知れるがね。それより著者の見解。いわゆる「人間宣言」について。このあとはたんに「人間宣言」というけどね、わかりやすく。 「昭和天皇は「天皇の神格をもって世界を支配しようとした」ということはないと、そのことを否定されたまでだった」 この文章には明らかな誤りがある。

(飲み友)
たしかに誤りだ。では「人間宣言」のコア部分を引用しよう。
「朕と爾等国民との間の紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とに依りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非ず。天皇を以て現御神とし、且日本国民を以て他の民族に優越せる民族にして、延て世界を支配すべき運命を有すとの架空なる観念に基くものにも非ず」

(私)
天皇=現御神でかつ日本国民が他に卓越している、それを基礎に世界を支配する運命を有す、と記されている。だから神格云々より、天皇=現御神が重要になる。

(飲み友)
ストークスは次のように言っている。 「三島は天皇を現人神と認めない世の風潮に、反駁した」 三島由紀夫は天皇=現御神論者だったということになる。

(私)
ストークスは小説と少なくとも歴史的見解を混同している。だから『英霊の聲』の「などてすめらぎは人間(ひと)となりたまひし」を引用して三島の見解と考えている。

(飲み友)
すごい文章がある。 「天皇は人間であると同時に、神性を持った神聖なる存在なのだ。現人神なのだ。人間的な側面と、神聖なる側面は矛盾しない。現人神は人であると同時に、神性を持った存在なのだ」

(私)
これは「などてすめらぎは・・」を解説した文章だね、著者流に。

(飲み友)
「三島の『英霊の聲』は、天皇に「人間宣言」をさせたことへの痛烈な批判だった」
占領軍と日本国民が一緒になって、この「人間宣言」を受け入れたことへの警鐘、そういうことか。
「「などてすめらぎは人間(ひと)となりたまひし」という「英霊の聲」は、三島の魂の奥底からほとばしった叫びだった」
小説も歴史も一緒にして、混乱してるね。作り話と歴史の事実。

 

(三島由紀夫の天皇=現御神・現人神観)

(私)
この第6章でね、決定的なことがある。それはね、「人間宣言」にある「現御神」が一回も用いられていないこと。すべて「現人神」。

(飲み友)
第6章の本文は124頁から153頁まで。ほんとにそうだ。これで「人間宣言」を語るとは・・。そもそも無理がある。

(私)
本居宣長などによれば、現御神と現人神は同じ意味とされている。ただ国典にある天皇のお言葉「みことのり」では、必ず「現御神と」と用いられてきた。そして「現人神」は見つけられない。

(飲み友)
日本武尊(やまとたける)が現人神の子、そう言ったことがあるだけ。天皇ではない。

(私)
うん、それでまた専門的な話になるけど。「みことのり」にある「現御神止」はね、「現御神と大八島国しろしめす天皇・・」と用いられて、つまり「現御神と」は「しろしめす」の副詞だということが重要なんだよ。

(飲み友)
「しろしめす」は「しらす」で、天皇の統治、要するに「私心なく、祖先の叡智に遵って」ということだったね。この対義語が「うしはく」。

(私)
この「人間宣言」の草案に深く関与したのが、当時の侍従次長だった木下道雄。彼は昭和43年1月『宮中見聞録』のなかに「昭和21年元旦の詔書について」を載せている。ここに「現御神と」は「しろしめす」の副詞であると明言されている。

(飲み友)
整理しよう。まず歴代の「みことのり」に天皇=現御神は一つもない。すべて「現御神と」である。そしてそれは「しろしめす」の副詞。

(私)
そういうことだね。しかしストークスの「人間宣言」には「現御神と」が一切出てこない。

(飲み友)
ゆえにストークスは「人間宣言」を解読できなかったと断定せざるを得ない。お粗末な話だな。

(私)
そもそもね、木下道雄が「人間宣言」の草案になぜ「現御神」を入れたのか。まず文部省「国体の本義」への批判があると考えていいだろう。あれはどう読んでも天皇=現御神となっている。ただ、現御神を一神教的な「神」とは異なると定義しているのみで、国典の「現御神と」は解説していない。

(飲み友)
それと、三島由紀夫『英霊の聲』は昭和41年6月に発表された。そのあとの昭和43年1月『宮中見聞録』が出版された。木下道雄は東京帝大法科で三島の先輩。後輩を諭す意味で「昭和21年元旦の詔書について」を書いたとも考えられる。後の版では「昭和21年元旦に発せられた新日本建設に関する詔書について一言」となっている。

(私)
まあ、後輩を諭した、そこは推測の域を出ないが、出版の順番からするとあり得ない話ではないと思う。

(飲み友)
この辺りをまったく無視して「人間宣言」を語っても、意味がないね。お主のサイトにある「三島由紀夫と磯部浅一」にも興味深い引用があった。

(私)
うん、三島由紀夫は磯部を評価し、磯部は北一輝や西田税を信奉していた。その磯部の文章。 「北、西田両氏の如き真正の士と同志青年の様な真個の愛国者をなぜ、現人神であらせられる天皇陛下が御見分になることが出来ぬのでしょうか」

(飲み友)
磯部浅一は天皇=現人神論。その磯部を高く評価し、この天皇=現人神論を明確に否定していないから、結局は三島由紀夫も天皇=現人神の論者と判定して間違いない、ということになる。

(私)
日本人でさえこの木下道雄を正しく理解できた人は多くない。いやほとんど居ないといっても過言ではないかもしれない。原因は詔勅研究の衰退にあると思う。

 

(靖国神社問題)

(飲み友)
ストークスはね、こうも語っている。
「一九七五年以降、天皇による靖国神社親拝が中断しているのは、残念なことだ」
そして例によって、GHQ日本占領がはじまってすぐの靖国神社消却案。これにビッテル神父が反対したという話。

(私)
そうだね。ただこれも一面しか見ていないと思う。たしかに靖国神社は消却から救われたが、同時に、排すべきは国家神道と語って、その聖典である教育勅語は廃止となった。まあ、少なくとも一つのキッカケにはなった。

(飲み友)
マッカーサーの質問にローマ法王使節代理・ビッテル神父は「靖国神社は残し、排除すべきは国家神道という制度である」と回答した、その話だね。

(私)
教育勅語が国家神道の聖典とされた。これはホルトムらが書いている。結局のところ、国家神道を排除するということが、必然的に教育勅語の廃止につながった、そういうことになる。

(飲み友)
その通りに、GHQは教育勅語の排除を強く示唆した。ここが追究されないから、靖国神社問題は今日でも混迷している。

(私
戦後日本は教育勅語の解釈を検証しなかった。また「人間宣言」もその真意が講究されてこなかった。この二つの重要な「みことのり」は資料に基づいて解読されたことがない。

(飲み友)
そういえば、この本の解説を加瀬英明という人が書いている。以前、彼の「捏造された宮城前号泣記事」は文藝春秋に掲載されて話題を呼んだことがある。あれは秀作だった。

 

(ストークス本と加瀬英明)

(私)
そうだね。昭和20年8月15日の皇居前を描写した記事は「予定原稿」、つまりヤラセだったと分析した。見事というしかない。写真なんかも実は14日の皇居前のものもあるということだった。

(飲み友)
その加瀬英明はこの第6章をまったく批判していない。なんかおかしな話だ。

(私)
彼にはね、『昭和天皇の戦い』という著書がある。それには「人間宣言」に触れた部分があるけど、木下道雄は出てこないし、文武天皇即位の宣命にある「現御神と」も出てこない。

(飲み友)
つまり加瀬英明も「人間宣言」を解読していない、そういうことになる。現人神ではなく、現御神を用いた「人間宣言」の根本が語られていない。

(私)
加瀬本には「天皇が「現御神」であることを否定した部分でさえ、・・」(P361)というのがある。つまり天皇=現御神が基礎であって、「現御神と」が論じられていない。これは明らかな「人間宣言」の誤読だといっていい。

(飲み友)
それと英国人もそうだが、米国をはじめとするいわゆる連合国だった国々も、マトモな日本研究が停滞している、そういうことになるね。これはまず我が国の学界や論壇に問題がある。お主がいつも言っている、人文系の衰退だね、まったく。

―終わり―2016年