丸山真男・超国家主義論のカラクリ

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丸山真男「超国家主義の論理と心理」

丸山論文のポイント

『現代政治の思想と行動』にあるこの短い論文が、永い間重要視されてきたことは事実である。さらに今日では、著者本人とともに「神格化」されているとまで言われている。なぜこうなったのか、以下で検証する。

まず第一に、丸山論文にある超国家主義は、GHQ神道指令において定義されたものである。
「日本国民を永きにわたって隷従的境涯に押しつけ、また世界に対して今次の戦争を駆りたてたところのイデオロギー的要因は連合国によって超国家主義とか極端国家主義とかいう名で漠然と呼ばれているが、その実体はどのようなものであるかという事についてはまだ十分に究明されていないようである」

また第二に、同論文が雑誌『世界』の昭和21年5月号に発表されたことを確認する必要がある。

これらの後に「超国家主義の論理と心理」は発表された。つまりこの論文は、ポツダム宣言から公職追放令までの内容を踏まえて書かれたと断定することができる。

さらに第三として、この論文の構造が教育勅語の構造を基礎に書かれたという事実がある。『現代政治の思想と行動』の増補版は1966年の出版であるが、そこに記された「第一部 追記および補註」の図にそれをはっきり確認できる。

 

神道指令の超国家主義

神道指令は国家と神道を分離せしめる指令である。GHQは、我が国の昭和戦前における軍国主義の基礎が神道、なかでも彼らのいう国家神道にあると断定した。これはGHQのスタッフがD・C・ホルトムをよく読んでいたことをCIEの教育課長だったマーク・T・オアが述べていることで証明できる。

ホルトムの『日本と天皇と神道』は米国において昭和18年に出版された。State Shinto、つまり国家神道を深く追究した最も代表的な研究書と言ってもよいだろう。その内容は神道指令にそっくり反映されている。

その神道指令は具体的な国家と神道の分離政策、そして大東亜戦争や八紘一宇などの用語、文部省『国体の本義』や『臣民の道』などの頒布を禁止したものである。なかでも大事なことは国家神道が含む「過激なる国家主義」「超国家主義」(ultra-nationalistic ideology)の定義である。

神道指令によれば、天皇・国民、そして国土が特殊なる起源を持ち、それらが他国に優るという理由から日本の支配を他国・他民族に及ぼすという信仰あるいは理論、これが過激なる国家主義あるいは超国家主義である。

これを勘案すると、丸山論文が語ろうとしたことは、神道指令にいう日本による他国支配の思想である。

 

ポツダム宣言とGHQ指令

ポツダム宣言第6項には「日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ツルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレサルヘカラス」とある。「世界征服の挙」である。

また先にあげた神道指令は、日本による他国支配の思想である。加えて「人間宣言」には次のような文言がある。
「天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」

これは神道指令と同じ意味であり「世界を支配すべき運命を有す」とのことであるから、「世界征服思想」である。

さらに公職追放令にはポツダム宣言第6項の実現と記されている。つまり世界征服の挙に出た者を追放するとのことである。

以上のようにポツダム宣言から公職追放令まで一貫しているのは「世界征服思想」である。これこそ彼らが日本から排除したかった「精神的武装解除」の最たるものであったと考えて自然である。

 

丸山真男の教育勅語と「人間宣言」

「第一回帝国議会の招集を目前に控えて教育勅語が発布されたことは、日本国家が倫理的実体として価値内容の独占決定者たることの公然たる宣言であったといっていい」

この文章からすると、丸山真男が教育勅語の「樹徳深厚」を誤って解釈したと考えて間違いがない。当サイトの「教育勅語」や「国家神道」などにその詳細を記してあるが、この「徳」は「徳目」ではなく、「しらす」という意義の「君治の徳」である。

したがって、教育勅語をもとに「日本国家が倫理的実体として価値内容の独占決定者たることの公然たる宣言」を導くことは不可能である。天皇が「徳目」を定めたとする文言はないからである。あくまで「皇祖皇宗の遺訓」である。

「今年初頭の詔勅で天皇の神性が否定されるその日まで、日本には信仰の自由はそもそも存立の地盤がなかったのである。信仰のみの問題ではない。国家が「国体」に於て真善美の内容的価値を占有するところには、学問も芸術もそうした価値的実体への依存よりほかに存立しえないことは当然である」

これも当サイトの「人間宣言」に述べたところであるが、この詔は「天皇の神性の否定」というより、「文武天皇即位の宣命」などの誤読を戒めたものである。国典において、天皇がご自身で「神」と宣言せられた文章は一つも存在しない。

「人間宣言」に用いられている「現御神」は、国典においては「現御神止・あきつみかみと」と用いられるのが常である。そして「現御神と天の下しろしめす」の「しろしめす」を修飾する副詞と考えて妥当である。天皇=現御神ではない。

これらから、丸山真男は教育勅語と「人間宣言」を曲解していることは明らかである。しかし致命的な丸山の曲解はここに止まらない。

 

丸山論文と教育勅語

「かくていまや超国家主義の描く世界像は漸くその全貌を露わにするに至った。中心的実体からの距離が価値の規準になるという国内的論理を世界に向って拡大するとき、そこに「万邦各々其の所をえしめる」という世界政策が生れる」

上記の文章に関し、丸山真男は「第一部 追記および補註」において、ある図を引用している。昭和8年に毎日新聞社が陸軍省と協力して製作した映画「非常時日本」からのものである。

上の図は、<皇道は>→<時間的には>→<悠久永続性>となり、一方<空間的には>→<拡大発展性>となって、それを守るのが<皇軍の使命>となっているとの図である。

この論文は発表後すぐに広い反響を呼んだと本人は記しているが、評価が定まってから図を引用して分かりやすく説明した魂胆は見え透いている。

そしてこの図は、筆者が、丸山真男の解釈に副って、教育勅語の第三段落「斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」を図式化したものである。

この二つの図の相似性は疑うべくもないだろう。

丸山の引用は何のことはない、その図の基となっている教育勅語が国会で排除・失効確認決議がなされ、世間からは忘れられていたからである。

ただし、ここに大きな誤りがある。

この「中外」は「国の内外」ではない。「宮廷の内外」「中央と地方」であり、意訳をすれば「国中」である。その内容は当サイトの「教育勅語」や「国家神道」に記してある通りである。しかし丸山真男はこれを曲解している。

 

これまでの丸山論文批判

丸山真男における教育勅語や「人間宣言」の曲解は、これまで公開されたことがない。なぜなら拙著2007年『繙読「教育勅語」』および2011年『日米の錯誤・神道指令』までその曲解は検証されたことがなかった。これが現実だからである。

それでも、いわゆる丸山批判なるものがなかった訳ではない。そして特に丸山真男の思想傾向、あるいはその革命扇動的な言説に関する批判は的確だったといってよいだろう。

ただ「超国家主義の論理と心理」に関しては、批判する側も国家神道の正体つまり我が国戦前の超国家主義を特定できなかったために、やや迫力を欠いた批判に止まったことは否めない。

「「八紘為宇」とか「天業恢弘」とかいったいわば叫喚的なスローガンの形で現われているいるために、真面目に取り上げるに値しないように考えられるからである。例えばナチス・ドイツがともかく「我が闘争」や「二十世紀の神話」の如き世界観的体系を持っていたのに比べて、この点はたしかに著しい対照をなしている」

これは後に橋川文三が「いわゆる右翼者において、超国家主義を自認し、自称するものは一つも存在しないという事実はやはり留意さるべきことがらである」(『昭和超国家主義の諸相』)と述べたことと同じ意味だろう。要するに超国家主義者が存在したとしても、その体系的な主張が見当たらないということである。

しかしながら、橋川文三に限らず他の論者においても、丸山論文批判の真髄に迫る教育勅語や「人間宣言」の曲解には触れられていない。的を射た丸山批判がなかったというのはその意味である。

 

丸山真男のレトリック

「まずなにより、我が国の国家主義が「超」とか「極端」とかいう形容詞を頭につけている所以はどこにあるのかという事が問題になる。近代国家は国民国家と謂われているように、ナショナリズムはむしろその本質的属性であった。こうした凡そ近代国家に共通するナショナリズムと「極端なる」それとは如何に区別されるのであろうか」

GHQが問題にした軍国主義と過激なる国家主義といういわゆる超国家主義のうち、軍国主義的傾向については「十九世紀末の帝国主義時代を俟たずとも、武力的膨張の傾向は絶えずナショナリズムの内在的衝動をなしていたといっていい」として、ここは特に我が国だけが責めを負うべきことではないことを述べていると解釈していいだろう。

ベルジャーエフがその著『霊的終末論』において「帝国主義はすべての大国の宿命であり、偉大となり、世界的に拡張しようとする夢想である」と述べたことを考えれば、軍国主義をひとまず措いたことは妥当だと言える。

「我が国家主義は単にそうした衝動がヨリ強度であり、発現のし方がヨリ露骨であったという以上に、その対外膨張乃至対内抑圧の精神的起動力に質的な相違が見出されることによってはじめて真にウルトラ的性格を帯びるのである」

このウルトラ的性格を描き出すために、丸山はカール・シュミットなるものを持ちだして、ヨーロッパ近代国家は思想信仰道徳の問題は「私事」として保証され、公権力は技術的性格を持った法体系の中に吸収されたとしている。これと対照的に我が国は精神的権威と政治的権力を一元的に占有したとするのである。

要するに、我が国においては天皇が、精神的権威と政治的権力を一元的に占有したというのである。そうして我が国の「道義はこうした国体の精華が、中心的実体から渦紋状に世界に向かって拡がって行くところにのみ成り立つ」と語るのである。

これは教育勅語の「之を中外に施して悖らず」を別な言葉で表現しただけのものである。むろんこの「中外」は「国中」であって、「国の内外」ではないから、そもそもが誤っているということになる。

 

丸山論文の欠陥

丸山真男は「超国家主義の論理と心理」を読む限り、宣命に関する知識もなければ本居宣長の詔詞解釈も理解できていないことは明らかである。

また我が国の特質を抽出するために、丸山は法実証主義を正とし歴史法学的立場を貶めたいようである。プロシャ国家などは「正統性は究極に於て合法性のなかに解消している」というのはその意味ではないかと思われる。これに比して我が国は次のとおりとしている。

「国家活動が国家を超えた道義的基準に服しないのは、主権者が「無」よりの決断者だからではなく、主権者自らのうちに絶対的価値が体現しているからである」

これは教育勅語にある「樹徳深厚」の「徳」を「徳目」と誤解した文章である。「しらす」という意義の「君治の徳」からは「主権者自らのうちに絶対的価値が体現している」などは出てくるはずがない。

そもそも帝国憲法に主権というものが存在しないからこの表現は適切ではない。また国家を超えた道義的基準が何を指すかは不明瞭だが、例えば国際法を無視しても良いとする考えがあったとしたら、やはりこの絶対的価値を明らかにする必要があるだろう。

「それが「古今東西を通じて常に真善美の極致」とされるからである。(荒木貞夫「皇国の軍人精神」八頁)。従ってここでは、道義はこうした国体の精華が、中心的実体から渦紋状に世界に向かって拡がって行くところにのみ成り立つのである。「大義を世界に布く」といわれる場合、大義は日本国家の活動の前に定まっているのでもなければ、その後に定まるのでもない。大義と国家活動とはつねに同時存在なのである」

この荒木貞夫の「古今東西を通じて常に真善美の極致」が教育勅語の「之を古今に通じて謬らず、之を中外に施して悖らず」からのものであることを、丸山は明らかにしていない。

我が国の歴史を通じて、というならまだ事実で検証できる可能性もあるだろう。しかし東西、つまり全世界に通じるとする根拠をなぜ検証しないのだろう。だれが、いつ、どのように「之を中外に通じて悖らず」の解釈を「大義を世界に布く」ことに正義がある、としたのかの検証が、少なくとも学問的というものだろう。

すべての価値観が天皇を中心として定まっているから、「日本帝国は、本質的に悪を為し能わざるが故に、いかなる暴虐なる振舞も、いかなる背信的行道も許容されるのである!」と叫んでいるが、なぜすべての価値観が天皇を中心として定まっているかのような文言が存在したのかを、やはり丸山は追及していない。

「天皇を中心とし、それからのさまざまの距離に於て万民が翼賛するという事態を一つの同心円で表現するならば、その中心は点ではなくして実はこれを垂直に貫く一つの縦軸にほかならぬ。そうして中心からの価値の無限の流出は、縦軸の無限性(天壌無窮の皇運)によって担保されているのである」

この文章を書き上げた時の得意満面そうな丸山真男が眼に浮かぶ。ほとんどの読者が完璧なものと読んでも無理はない。どこまでも長く続く円錐管、その先には無限に広がる朝顔が付いている。時間と空間を併せ持つ4次元的な構造の、その中心を「道徳の泉源体であるところの天皇」の「価値」が無限に貫流するとの想像を喚起する見事な文章である。

しかし、ここにこそ根本的な誤りのあることを見抜けなければ何が問題かは分からない。

丸山論文の欠陥は、要約すると次のようになる。

結論として丸山真男「超国家主義の論理と心理」は、神道指令を基礎として書かれたものだということができる。そしてそのポイントは教育勅語や「人間宣言」を曲解して組み立てられた論文だということである。

以上から、「道徳の泉源体であるところの天皇」が、教育勅語の渙発によって、日本国家=天皇が倫理的実体として価値内容の独占決定者となったとの認識は正しくない。

「しらす」という「君治の徳」という意味でのみ「道徳の泉源体であるところの天皇」は正しい。しかし天皇が「徳目」を樹てたと解釈しているからこの認識は誤りなのである。

 

丸山論文と井上哲次郎

丸山真男も井上哲次郎と同様に、この「徳」を忠孝等の「徳目」と誤って理解していた。天皇が「徳目」を定めた事実などはないから、この文章は教育勅語の事実に反しているというのが本当である。

丸山真男の論理はまさしく、井上哲次郎『勅語衍義』以来の教育勅語解釈の誤りを踏襲したものである。縦軸と円。時間と空間。これは「之を古今に通じて謬らず、之を中外に施して悖らず」の誤った解釈を抽象しただけのものである。古今と中外を古今東西と誤って解釈した結果である。

繰り返すが、この中外は「国の内外」ではなく「宮廷の内と外」、この場合は「国中」「全国(民)」の意味である。したがって「中外に施して悖らず」は「全国民に示して道理に背かない」という意味である。地理的・領土的なことは意味していない。仔細は前掲「教育勅語」に述べてある。

「かくていまや超国家主義の描く世界像は漸くその全貌を露わにするに至った。中心的実体からの距離が価値の規準になるという国内的論理を世界に向って拡大するとき、そこに「万邦各々其の所をえしめる」という世界政策が生れる」

この文章の前提にそもそも「中外」曲解の誤りがある。またなぜその国内的論理を世界に向かって拡大することになったのか。その推進力とは何なのか。超国家主義の解明で最も重要な部分である、その論理生成の原因追及がなされていない。

教育勅語の「之」=「斯の道」の変遷と「之を中外に施して悖らず」が分析されなければ、超国家主義の論理生成は解明できるはずもない。この論文にはそれが全く欠落している。

 

繰り返される曲解のレトリック

「山田孝雄博士は肇国神話の現存性を説いて、「二千六百年前の事実がこれを輪切りにすれば中心の年輪として存在している・・・だから神武天皇様の御代のことは昔話としてでなく、現に存在してゐるのである。」といわれた。まことに「縦軸(時間性)の延長即ち円(空間性)の拡大」という超国家主義論理の巧妙な表現というべきである」

山田孝雄の文章のどこが問題なのかが分析の対象とされるべきである。この置き換えだけでは意味をなさない。教育勅語が渙発されて以降、特に日清日露戦争後からはすべての知識人が同じような表現をしたのである。

したがってこれは「超国家主義論理の巧妙な表現」などではなく、真実が解明されるべき強く信じ込まれていた得体のしれない何かがある、こう仮説を立てることが必要な文章のはずである。丸山真男のこの論文にはその仮説も分析も皆無である。

これらの有効な追究は、教育勅語を正しく解釈できない丸山真男にとって、所詮は無理な事だったのである。

「日本軍国主義に終止符が打たれた八・一五の日はまた同時に、超国家主義の全体系の基礎たる国体がその絶対性を喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民にその運命を委ねた日でもあったのである」

誰が日本国民に委ねたかの主語がないからよく理解できない文章である。皮肉って言えば、主権を手に国民が自由勝手な日本を構築すべきという革命扇動の書、と言われても仕方のない文章である。

本来ならば八・一五の日は、教育勅語の誤った解釈が超国家主義の基であり、あの戦争が大日本帝国憲法と教育勅語に違背したものであることを反省すべき日だったのではないか。

政治の延長線上にある戦争そのものについては様々な見解があるだろう。それはあって当然である。しかし教育勅語の誤った解釈を放置したために、GHQから神道指令が出され今日の政教問題や教育問題にまで繋がってしまっているのである。放置のツケは限りなく大きい。

丸山真男の「超国家主義の論理と心理」は単なる感想文の類の論文である。超国家主義の生成過程は何ら示されず、GHQの神道指令に便乗して書かれただけのものである。

GHQ神道指令のいう超国家主義は教育勅語の曲解が基礎にある。日本人が教育勅語を誤って解釈し、GHQがそれを鵜呑みにした。「中外」が正しく「国中」なら、「世界征服思想」はあり得ない。

ポツダム宣言・神道指令等にある「世界征服思想」のこの根本を語らない「超国家主義論」は無意味である。丸山論文も例外ではない。

ただ直観的に教育勅語から演繹して書いたあたりは、学者として不誠実ながら巧妙だというべきだろう。この教育勅語の誤った解釈は井上哲次郎をはじめとする我が国知識人すべての罪である。

そしてその誤りを訂正もせず、かつこの丸山論文を放置してきた戦後の知識人の罪は、より重いと言わざるを得ない。

 

【追記】

橋川文三「昭和超国家主義の諸相」

「昭和超国家主義の諸相」を書いた橋川文三は実に正直な学者である。

丸山真男の「超国家主義の論理と心理」について、橋川は「若干の疑念がいだかれる」として超国家主義の解明に臨んだのであるが、結果として次のように告白しているからである。

「いったい何が超国家主義であるかという概念的規定において、私の分析は徹底することができず、全体的なパースペクチブが曖昧になったことを懸念する」

丸山真男が対象とした超国家主義はGHQが神道指令で述べた過激なる国家主義と同じものである。ポツダム宣言受諾の後、昭和20年12月15日にはGHQから神道指令が発令されており、翌21年元旦には新日本建設に関する詔書が渙発されている。

「超国家主義の論理と心理」は昭和21年5月に発表されたものであるが、神道指令にいう過激なる国家主義的「イデオロギー」の実態を解明しようとしたことは学者として当然だろう。

ただ丸山の解明結果は前項で述べたように、誤って解釈された教育勅語から演繹しただけのものである。教育勅語の誤解から生じた超国家主義は歴史の事実としてたしかに存在する。しかし丸山真男はその原因を把握できていない。

このことは「超国家主義の論理と心理」の、論文としての学問的な価値を極めて低いものとするに充分な根拠になり得るものではあるが、日本人が解明すべきターゲットとしては間違っていない。

しかし橋川文三が対象とした超国家主義は曖昧で、よく分からない。昭和戦前の思想傾向に何か得体の知れないものがあって、それらを整理することで超国家主義を把握できると考えたとするのが妥当なようである。

丸山真男がGHQの神道指令にある超国家主義をはっきりイメージしていたことは、その文章に明らかである。ところが橋川文三にはGHQの概念規定はもちろん、それが日本国憲法第20条や第89条に影響を及ぼしていることにも意識はないようだ。

「昭和超国家主義の諸相」が収められている『超国家主義』は昭和39年(1964年)の出版である。この頃はまだ政教論争がさほど問題化していなかったので、神道指令は忘れられていたのかも知れない。橋川文三は丸山真男と違って、もう少し時代というものに着目したといってよいだろう。

「問題は、丸山がこうした特徴を、日本超国家主義をドイツ、イタリア等のそれから区別するものとしてあげているが、それらはいずれも上述のような無限遡及の論理をうらづける指標にほかならないことである。つまり、それらは、多分玄洋社時代にさかのぼる日本右翼の標識であり、とくに日本の超国家主義をその時代との関連で特徴づけるものではないということである」

これらのことについて橋川は、「それはいわば日本超国家主義をファシズム一般から区別する特質の分析であって、日本の超国家主義を日本の国家主義一般から区別する視点ではないといえよう」と整理している。

ただ丸山真男において、超国家主義とファシズムとの関係は充分に説明されていない。丸山は「日本におけるナショナリズム」の中で、「日本のナショナリズムが国民的開放の課題を早くから放棄し、国民主義を国家主義に、さらに超国家主義にまで昇華させたということは・・・」と述べている。

つまり日本ナショナリズムの究極が超国家主義ということであり、ファシズムとの関係は特に述べられていない。また「日本ファシズムの思想と運動」にも超国家主義は一言も出てこない。

丸山真男は帝国憲法と教育勅語発布から終戦までの我が国を超国家主義とし、日本ファシズムについては大正8・9年以降の国家社会主義的動向と純日本主義的動向などを論じている。

しかしこの関係は分かりにくい。丸山真男『現代政治の思想と行動』の「ナショナリズム・軍国主義・ファシズム」にもいろいろ書かれているが、ファシズムについては明確性を欠いている。

この点に関しては橋川文三も整理がついていないようである。

丸山真男の「超国家主義の論理と心理」はその書かれた時期から考えて、やはり昭和20年10月22日GHQ総司令部の「日本教育制度の管理」をはじめとする教育に関するいくつかの指令や神道指令、そして昭和21年元旦の詔書をうけてのものだろう。

軍国主義はともかく、これらの指令にある過激なる国家主義という言葉について、学者として関心を持ったと考えて妥当である。したがって丸山の超国家主義はこの論文で完結している。

いずれにせよ丸山真男が超国家主義の解明について、「上からの演繹」を手法として用いたことと対照的に、橋川文三は昭和戦前に特徴的だった事案から帰納法によって超国家主義の概念的規定を試みたのである。

そして大正10年に遡り、安田財閥の安田善次郎暗殺事件や原敬首相暗殺事件等のテロリストを「その後の日本超国家主義の歴史に「もっともはやい先駆」としての地位を占めることは疑えないはずである」と位置付けている。

したがって橋川文三「昭和超国家主義の諸相」はむしろ丸山真男の「超国家主義の論理と心理」よりは「日本ファシズムの思想と運動」に重なっているのである。

橋川には神道指令にいう過激なる国家主義、つまりGHQのいう超国家主義は意識にないようだ。

「ごく大雑把に図式化していえば、私は日本の超国家主義は、朝日・中岡・小沼(正)といった青年たちを原初的な形態とし、北一輝(別の意味では石原莞爾)において正統な完成形態に到達するものと考え、井上日召・橘孝三郎らはその一種中間的な形象とみなしている」

朝日平吾は安田善次郎、中岡艮一は原敬を暗殺した犯人である。朝日平吾は自殺したが、中岡は裁判において無期懲役となっている。

丸山真男が「連合国によって超国家主義とか極端国家主義とかいう名で漠然と呼ばれ」たものを究明したことを考えれば、これは少し奇異な感じがする。

国家として我が国はこれら犯罪人を裁いているのだし、神道とも関係なく世界征服思想とも関係ない。少なくとも直接的にはGHQや丸山真男が問題にした超国家主義とは筋が違うものである。

小沼正が同じ血盟団員の菱沼五郎とともに井上準之助を暗殺したのは昭和7年である。前年9月には柳条湖事件が起きている。

血盟団事件は国内事件ではあるが、指導者の井上日召は五・一五事件の愛郷塾塾長橘孝三郎との関係やのちに近衛文麿のブレーンとなったことを考えれば確かに超国家主義との関連も思わずにはいられない。石原莞爾は満州事変の発端である柳条湖事件に深く関与していたから、ここはきな臭くて当然だろう。

北一輝は民間の思想家ではあるが、二・二六事件の理論的支柱とされている。二・二六事件はこれも国家により鎮圧された軍部によるクーデター未遂事件である。日本国が連合国に咎められるものではない。しかしその後の我が国を振り返ると、超国家主義と無関係ではなさそうだ。

「まず、前提として明らかにしておきたい点は、いわゆる超国家主義が、現状のトータルな変革をめざした革命運動であったということである」

この「現状」の対象範囲はよく分からないが、おそらく国内と考えてよいだろう。だとすれば、ここでもGHQが問題にした超国家主義の内容、つまり天皇・国民、そして国土が特殊なる起源を持ち、それらが他国に優るから日本の支配を他国・他民族に及ぼす、とされたものとは乖離してくる。

国内の革命運動、「国体」を用いて国体破壊をする考えについて、GHQは何も問題にしていない。彼らが問題にしたのは日本の「世界征服思想」であり、それはポツダム宣言第6項に明らかである。

橋川文三は井上日召がキリスト教・禅、さらに日蓮宗へと転じたことに着目している。しかし具体的にそれと超国家主義との関係は語られていない。

そして小沼正の自我意識を「これがすなわち昭和の超国家主義の原動力であり、これがカリスマ的異端の周辺に青年たちを結集した究極の衝動であると思う」と述べたのは以下の小沼正の文章からである。

「吾人が本日に生き更に明日に生きんとするところの大欲望、これ以外に革命の本体は無い。生きる?どう生きるか?人間は人間らしく生きることである。人間は人間として生きるのほか道はない。人間が人間として生きるということは絶対の大道である・・・」(上申書)

彼は明治国家は倫理的抑圧があったという。そして石川啄木の「時代閉塞の現状」などを持ちだしてそれを証明しようとしている。

しかし彼は幸徳秋水に強い関心を持ち、社会主義思想にもひかれていたといわれている。そして大正後期にはすでに『資本論』の邦訳が出版されていたから、昭和7年の血盟団事件の頃、マルクス主義は流行りであった。

資本主義は悪で現状破壊が必要だとのことから、要人暗殺まで向かったことは充分考えられる。ロシア革命も大正6年であった。社会主義共産主義、そして無政府主義等々が入り混じっている。倫理的抑圧よりもむしろこちらの影響が大きいのではないか。

西田税については「日本を主位にしたる世界革命」「大権の発動による憲法の停止」など、北一輝の影響が感じられる重要な文言を引用しているが、橋川によるその思想基盤の分析は充分ではない。

「西田のそうした心情の構造は、たとえば日本アナーキズムの掉尾をかざった和田久太郎、古田大次郎らの手記にも通じるものであり、また、橘孝三郎、倉田百三、鹿子木員信ら、求道者タイプの人々の精神遍歴とも同型の意味を含んでいる。いわば、彼らの追求した自我とは何か、人間、社会、国家、世界とは何かという求道の過程が、そのままに「世界革命」のシンボルに収斂されざるをえない姿を、この手記からもまた透視することができるのである」

北一輝も西田税も二・二六事件で逮捕処刑となっている。我が国の法律で裁かれているのである。GHQは戦前日本の超国家主義を問題として、神道指令を発している。国家社会主義者としての彼らとGHQのいう国家神道とはどう結びつくのだろう。ここが明らかにされていない。

橋川文三はそれまでの識者たちが北一輝の『日本改造法案大綱』を超国家主義の聖典としていたと述べている。しかし、これはそもそも帝国憲法下の日本を否定したものである。GHQが憲法改正を強いたことと、どう整合するのだろう。脈絡がない。

同じく通常には超国家主義の中に入れられるが、権藤成卿・橘孝三郎の思想は、しばしば「農本主義」という限定詞を付けられる超国家主義であり、ただ運動面において、いわゆる日本ファシズムの潮流の一渦紋を形成したという印象である」

昭和恐慌があって資本主義を呪う風潮は、平成の世界金融危機における資本主義批判、米国批判によく似ている。ただ当時は革命まで叫ばれたということである。社会主義思想が蔓延していたからといっても過言ではない。

丸山真男が用いた日本ファシズムの特性である「農本主義」に、反都市的・反大工業的とあるのは都市と大工業が資本主義的だということだろう。そして反官的・反中央集権的とあるのは官がその推進中枢だと考えられたからではないか。

集英社版『日本の歴史』によれば、当時内地の人口は約7000万人でその内農家人口は約4割だったとある。不景気から都市の購買力が低下し農家は被害者であり、都市の資本主義が悪となり、社会主義がもてはやされたのではないか。

つまり丸山真男のいう日本ファシズムの「農本主義」とは反資本主義からの国家社会主義思想ということになる。

しかしこれはGHQのいう超国家主義とは大きなズレがある。GHQは戦後すぐに政治犯として捕えられていた多くの共産主義者を解放したのである。

共産主義にかぶれていたのは国家社会主義者も共産党員も同様である。超国家主義が共産主義だけならGHQの発した神道指令の意味が分からない。共産主義者の解放に至ってはなお支離滅裂となる。

石原莞爾と東亜聯盟運動については橋川のいうとおり「まさに超国家主義の思想」だろう。満州国については様々な見方があるが、「アジア主義」と「超国家主義」は非常に近い関係にあるようだ。

我が国の外国政策に影響を強く及ぼしたのであるから、超国家主義との関係は深いと言わざるを得ない。そして「このむしろ波天荒ともいうべき構想が、奇しくも北一輝・井上日召らの信奉した法華経信仰に根ざしている」としていることもその通りだろう。

橋川文三は、「意図としては超国家主義の成立をその発生状態においてとらえてみたい」と考えたようであるが、丸山真男の「超国家主義の論理と心理」から始まっているのでその対象はGHQのいう超国家主義のはずである。

しかしこの手法からでは超国家主義を特定することは困難だろう。したがって正直に「どういう共通要素が正に超に値いするかという点が、いぜんとして必ずしも明確にはなっていないことを自認せざるをえない」と述べている。

結果としてこの論文は超国家主義の把握に失敗している。超国家主義とは過激なる国家主義でありGHQが神道指令等において用いた概念である。

天皇・国民、そして国土が特殊なる起源を持ち、それらが他国に優るという理由から日本の支配を他国他民族に及ぼす、これがGHQのいう超国家主義である。この概念を忠実に分析しようとしたのが丸山真男の「超国家主義の論理と心理」である。

国家神道あるいは超国家主義の聖典は教育勅語であると、GHQが述べたことは当サイトの「国家神道」に仔細がある。

橋川文三もこの論文作成以前にGHQの資料を確認できたはずである。丸山真男はGHQと同じ発想であるが、ただ教育勅語を演繹しただけのことである。

丸山真男とGHQはともに教育勅語解釈の間違いまでは追究できていないので、真実を明らかにできていない。しかしターゲットはズレていない。GHQの言葉を丸山真男は巧みに言い換えたのである。

致命的なのは、橋川文三のこの論文にはただの一度も教育勅語が出てこないことである。聖典といわれた教育勅語を分析しないで超国家主義は把握できない。

したがってこの論文は、大正から昭和戦前のテロリストと異様な国家社会主義者を並べたのみと評価せざるを得ない。

そしてテロに関与した犯罪者は我が国の法律で裁かれている。GHQがそれら超国家主義者、あるいは国家社会主義思想を超国家主義として更に問題とした経緯は見当たらない。

たしかに例外は存在する。五・一五事件で有罪となった大川周明は戦争の共同謀議者として逮捕され軍事裁判法廷に引き出されている。

しかしこのことについて、清瀬一郎は「意外事中の意外事であったに相違ない」と述べている。共同謀議を特定できないGHQの失策であり、大川は東条英機の頭をペチャンとやって精神鑑定が必要とされ、裁判からは外されている。したがってこれは例外である。

ただ橋川文三の勘はそうおかしくない。問題の設定方法があいまいなのと、取り上げた人物の文章を正しく因数分解できなかったことがこの論文の失敗の原因である。

丸山真男の「超国家主義の論理と心理」を評するならGHQの神道指令にある「過激なる国家主義」、これを超国家主義として追及すべきであった。そしてこの時代に特徴的な文言の中に、その教え、信仰そして理論を究明すべきだったのである。

橋川文三は『超国家主義』で採りあげた者たちの文章から、むしろその文学的な感性をもって彼らの言葉を因数分解すべきだったのではないか。

そうすると、皇国日本・建国の本義・天朝の洪謨・皇道の世界宣布・中外に施して悖らざる皇道・八紘一宇、などが因数だと分かるのである。

同じような言葉はGHQが書籍論評や頒布を禁止した文部省『国体の本義』『臣民の道』等にある。当時の日本の国家としての文書に記されているのである。

そうしてこれらが教育勅語解釈の誤解から派生したものであることは、当サイトの「国家神道」に述べたところである。

例えば「皇道を四海に宣布」となるその推進力が、教育勅語の「之を中外に施して悖らず」の「中外」解釈の誤解にあったことは上のサイトに示した通りである。

「之を全国民に示して道理に背かない」と正しく解釈できなかった流れが「皇道を四海に宣布」を創りだし、これに共産主義や天皇親政論などが重なって複雑な様相となったのである。

この、ほぼすべての知識人が教育勅語を誤って解釈していたという事実、ここがわからなければ、超国家主義は分析不可能である。

橋川文三著作集第5には「テロリズム信仰の精神史」と「戦争責任を明治憲法から考える」が収められている。

しかしどちらを読んでも説得力がない。明治憲法あるいは教育勅語を語っているがその本質には迫っていない。

「昭和超国家主義の諸相」は超国家主義の裾野か、丸山真男の「日本ファシズムの思想と運動」のまわりを散歩しただけの論文というのが妥当なところである。

―終わり―2009年