「女帝」問答

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「女帝」問答(1/6)

(飲み友)
どうもどうも、今年もよろしく。

(飲み友)
どうもどうも、今年もよろしく。

(私)
今年もよろしく。「新春の言葉は古き御慶かな」ってやつだね。それにしても寒いね今日は、風が冷たい。やっぱり熱燗だね。

(飲み友)
まあ、一杯目だけは注ごうか・・、あとは手酌で。

(私)
では乾杯。

飲み友)
乾杯。ところで、世間が年末から正月にかけて忙しくしているうちに、またぞろ「女性宮家創設」の話がもちあがってきた。

(私)
そうだね、もう消えたかと思ったら、また緊急の課題だ、なんて言っている。そういえば貴殿は古代の法制史を読んでいたことがあったね。

(飲み友)
ああ、養老律令か。『続日本紀』には養老2年(718年)に編纂のことが記してあって、天平宝字元年(757年)には施行されたとある。

(私)
実際には大宝律令(大宝元年・701年)とそう変わらない、ということだった?

(飲み友)
今や大宝律令は現存しないから、はっきりしたことは解らないようだが、概ね同じようなものだとされている。これを読むには岩波書店日本思想大系『律令』がある。

(私)
律はいわゆる刑法で、令は行政法とか制度、というところかな。

(飲み友)
うん。大陸は唐の時代で、『唐六典』の成立は738年とされているが、まあ、遣唐使が持ち帰った唐の律令制を参考にしただろうな。養老律令の施行は藤原仲麻呂の時代を象徴している、という人もいる。

 

「女帝」問答(2/6)

(私)
その令だけど、実は以前、「公式令」について調べたことがある。「現御神止」という用法について。

(飲み友)
それは貴殿がまえに言っていた文武天皇即位の宣命などに出て来る「現御神止大八嶋国所知天皇大命(あきつみかみとおおやしまぐにしろしめすすめらがおおみこと」のことだね。

(私)
結局、「公式令」には宣命の形式がほぼ定められているんだが、現実には例外もある。そして「現御神止」云々は現御神=天皇ではなく、「現御神止御宇」は現御神として天下(あめのした)をしろしめす、つまりこの「止」は「現御神」について「現御神止」となり「しろしめす」の副詞だということが分かった。

(飲み友)
本居宣長や木下道雄の言っていることがこれで理解できる。

(私)
現に天皇が宗教的な崇拝対象となった記録が存在しないことは津田左右吉や石井良助らが記している。事実は確認できても、彼らにはこの宣命が解読できなかったようだ。なぜ歴史の事実を尊重しないのか、まったく不可解だ。

(飲み友)
そうだったね。ところで、「公式令」には文書規定があるんだよ。「平出(へいしゅつ)条項」などといっている。(熱燗追加するか、それと結局おでんか)

(私)
「平出」だから、改行のことだね。「我が皇祖皇宗」と書く場合、「我が
皇祖皇宗」と次の行の頭にもってくる。大日本帝国憲法の「御告文」がそうなっている。

(飲み友)
それと闕字(けつじ)ってのもある。重要な言葉のまえを一時空ける。「我が 皇太子」だ。明治の著作には結構あるな。「公式令」では皇太子・殿下などが闕字とされた。

 

「女帝」問答(3/6)

(飲み友)
そこでだ。この平出すべき単語、主に皇室の方々の尊称だが、15ある。畏れ多い単語ということだろうね。

(私)
それは厳格なもんだね。公的な文書だから当然か。

(飲み友)
ここに控えてきた。皇祖、皇祖妣、皇考、皇妣、先帝、天子、天皇、皇帝、陛下、至尊、太上天皇、天皇の諡、太皇太后、皇太后、皇后。以上について、「右皆平出」とある。

(私)
「闕字」は?

(飲み友)
それもここにある。大社、陵号、乗輿、車駕、詔書、勅旨、明詔、聖化、天恩、慈旨、中宮、御、闕庭、朝庭、東宮、皇太子、殿下。

(私)
ここには「女帝」はない。

(飲み友)
そのとおり。養老令前後の時代は元明天皇・元正天皇・聖武天皇・孝謙天皇・淳仁天皇・称徳天皇とくる。このうち聖武天皇と淳仁天皇以外は女性の天皇だ。ただし称徳天皇は孝謙天皇の重祚。

(私)
つまり女性天皇の時代に「女帝」という表記は無かったということ。奈良時代の公式文書には「女帝」と記さなかった、ということだね。

(飲み友)
人によっては、この時代は「天皇」に男性女性は関係なく、男系男子などという考え方もなかった、との説明がある。しかしもしそうなら「継嗣令」はどうだろうか?「女帝」として意味があるだろうか。

(私)
「継嗣令」の「皇兄弟皇子。皆為親王。(女帝子亦同)。」天皇の兄弟・皇子は皆親王となす、にある( )の註だね。そうすると、これを「女帝」と読むのは理屈が合わない。「帝」に男性女性はないというのだから・・。

(飲み友)
ただ、「令集解」には「女帝」としての解説もあるから、「女帝の子もまた同じ」と読みたがるんだろうね。

 

「女帝」問答(4/6)

(私)
しかし「令集解」は民間の解説書であって、現代の憲法学者が日本国憲法を枉げて解説していることを考えると、信頼はできないし、とにかく当時の公式文書に「女帝」はない。やはり「女(ひめみこ)も帝の子はまた同じ」とする「内親王の規定」と解釈するのが妥当なようだ。

(飲み友)
明治の皇室典範では、その第31条に「皇子より皇玄孫に至るまでは男を親王、女を内親王とし、五世以下は男を王、女を女王とす」とされた。継体天皇は応神天皇五世の孫だったし、明治皇室典範でも五世以下は王・女王としてやはり皇族としている。

(私)
なるほど。「皇兄弟皇子。皆為親王。」天皇の兄弟・皇子は皆親王となす。つまり皇女に触れていない。だから明治皇室典範ではここを明らかにした・・とも考えられる。

(飲み友)
う~ん、養老令の註を本文において明確にした、という仮説か。その証拠は確認できないが、内親王・女王の規定がなされた、ということは事実だろう。

(私)
この「継嗣令」の註が小文字らしいんだが、取るに足らない註としたり、いや女帝を認めていた証拠だ、とかいろんな議論がある。しかし「公式令」「平出条項」になぜ「女帝」がなくてこの註にでてくるのか。この議論がない。

(飲み友)
まあ、皇位継承問題は複雑でもっともっと様々なことを考えねばならんだろう。女系容認派はつまるところ天皇否定派だけれども、使える材料は何でも使おうということだから油断ならない。

(私)
明治皇室典範は柳原前光や井上毅らの天才的な洞察力で明文化されたといわれている。しかし明治の知識人、なかでも小中村清矩や池辺義象らも「女帝論」を語っているよ。

(飲み友)
うん。それらはね、実は河村秀根らの『講令備考』に基があるんだよ。

 

「女帝」問答(5/6)

(私)
河村秀根は子息の益根とともに『書紀集解』を著した人だ。江戸中期の人で河村たかし現名古屋市長のご先祖だといわれている。

(飲み友)
この『講令備考』で河村秀興(秀根の兄)が「女帝の子」とは皇極天皇の子であった漢皇子のことだろうと推測したんだ。のちの皇極天皇は舒明天皇と結婚する以前、高向王との結婚で漢皇子を生んだ。漢皇子についてはよくわからないが、そのあと舒明天皇と結婚して天智天皇・天武天皇らの母となった。

(私)
しかし漢皇子は高向王の子であって「女帝」の子ではないだろう。皇極天皇にはなっていない。こんな後付けは説得力がない。

(飲み友)
『講令備考』には「秀興按漢皇子所謂女帝之子也」としている。自分(秀興)が調べたところでは漢皇子がいわゆる女帝の子である、ということだろう。しかしこれは「公式令」「平出条項」を無視した解説であるし、「女帝」ありき、だから牽強付会説だな。

(私)
小中村清矩の「女帝論」は『陽春盧雑考』にあって、たしかに『講令備考』に触れているから受け売りかもしれない。また池辺義象『日本法制史』でも「女帝」としているが、二人とも「皇夫の制」は明確に否定している。ただその否定が急に情緒論になっているような気がする。飛躍があって説得力に乏しい。「平出条項」にも何ら触れていない。

(飲み友)
だから後世の者が改めて様々な謬論を、客観的な資料に基づいて潰す必要がある。

(私)
女系論では天照大神が女神で云々という話もあるけれど、地上の国の話に限定すべきだろう。歴史において女系天皇は一人も存在しない。

(飲み友)
そもそも万世一系の皇統は男系男子の皇統をいう。これには恣意性の排除という決定的なことがある。「皇夫の制」は皇婿の皇位継承権が問題となるが、これには恣意性が入るから至尊が否定される。我が国の最高統治者が「無私」というところに天皇統治の妙がある。

(私)
なるほど、結局「しらす」論になるんだな。これはまた別に論じよう。

 

「女帝」問答(6/6)

(私)
そういえば、河村秀根は『書紀集解』を著しているが、これは日本書紀の文言が支那のどの古典から引用されたかをまとめたものだ。『続紀集解』もある。ただネタ本が『康煕字典』ではないかとの研究もあるようだ。

(飲み友)
うん、そしてなぜか「日本」が嫌いで日本書紀を「書紀」と記した。「日本」という国号はあとから書き加えたものだというんだ。まあ、いわゆる当時の反日学者ってとこかな。

(私)
そして「現御神」についても正確な解説を欠いている。引用文献の整理は確かに役には立つが、職人仕事というか作業だね。資料としての価値はあるが、解釈は史実を考慮していない。本居宣長と同時代の人ではあるが、根本的に質が違う。

(飲み友)
整理をすると、「女帝」という表記は養老律令には存在しない。「継嗣令」の註も「女帝」と読む根拠は見当たらない。もしそう読むとするなら、「公式令」の「平出条項」や「闕字」の規定になぜ「女帝」がないのかを説明する必要があるだろう。したがって養老令「継嗣令」の註をもとにする女帝論=女系容認論は少なくとも学術的ではないということになる。

(私)
テーマが何であれ、「俺にも言わせろ!」だけで歴史の事実を尊重しない論者が多いのは困ったもんだ。「公式令」「平出条項」には程遠い感じがする。そしてあとは日本国憲法の「国民の総意」か。これはややこしいから、また次回に教えを請うよ。

―この回終わり―2012年