文部省『国体の本義』批判

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文部省『国体の本義』

昭和12年3月に発行された文部省『国体の本義』は昭和20年12月15日、GHQの神道指令によってその頒布が禁止されたものである。

昭和10年1月、貴族院において美濃部達吉の天皇機関説を「不敬の学説」とする議論が行われ、その排撃運動が起こり国体明徴運動にまで発展した。その延長線上にあって、反天皇機関説の立場で作成されたのが文部省『国体の本義』である。

『国体の本義』は「諸言」「大日本国体」「国史に於ける国体の顕現」「結語」から成り立っている。そのポイントは、神話を主体とし、天皇の御親政を是とし、天皇を現人神とする思想に基づいていることにある。

そうして「国家の大本としての不易の国体と、中外に施して悖らざる皇国の道とによって」天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬことが、我等国民の使命として結ばれているのである。

いま国会図書館で『国体の本義』を検索すると、表示される「戦後」のものは僅かである。そしてこれは神道指令で同時に頒布が禁止された『臣民の道』についても同じである。

GHQの神道指令や国語教育改革、あるいは日本国憲法第20条・第89条の根拠にはすべて「過激なる国家主義=超国家主義」の除去があることは、その文面や資料に明らかである。

ならば、GHQが名指しで禁止したこれらの著作を徹底的に解読することが、なぜ今日までなされなかったのだろう。

いったい『国体の本義』や『臣民の道』の何が問題で、なぜ排除されたのか。これが語られたものは未だ見当たらない。少なくともタイトルに、それらの名前を付けて世に出された著作は見つけられない。

文部省、つまり国家として発行したものが否定されたのである。否定したGHQに反論したものはおろか、日本人として真摯に反省したものもないようだ。

杉原誠四郎『日本の神道・仏教と政教分離』、保阪正康「『国体の本義』という仮面」(『諸君』「ナショナリズムの昭和第17・18回」)が図書館で見つけた『国体の本義』論である。

『国体の本義』の文章を多く引用しただけのものは幾つかある。しかしこの種のものは要するに「神がかり的」というだけであったり、この時代の政府見解をこれによって表現しているのみで、『国体の本義』への誠実な評価にはなっていない。したがってここでは対象としない。

 

杉原誠四郎『日本の神道・仏教と政教分離』

同書は平成4年が初版で平成13年に増補版が発行されている。この第二章に『国体の本義』批判がある。GHQの初期占領下において、その教育改革で腕をふるったR・K・ホールに触れながら『国体の本義』を論じているのは、やはり本格的な論考として貴重である。

「『国体の本義』が批判にしろ無批判にしろ研究されてこなかったという事実、そしてこの『国体の本義』にふれていた、日本の占領教育改革で初期に辣腕をふるったロバート・キング・ホールの占領教育改革に関する出版図書が紹介すらされてこなかったという事実は、戦後の日本の教育史学会がいかにいびつであったかを物語る」

ローマ字論者として知られているホールは昭和24年に『新生日本の教育』で『国体の本義』を論じていた。それが紹介もされず、そもそも『国体の本義』が戦後の我が国で研究されてこなかったことを著者は遺憾としているのである。

たしかに『国体の本義』は当時の政府見解であり、その影響が今日まであるのだから著者のいう通りである。ただしこのいびつさは教育史学会のみならず、すべての知識人についても言えることである。

「当時の日本人のものの考え方がきわめて偏狭であったと指摘できるにしても、当時の日本人としては正しいことをしているのだと思っていたことはたしかである。(中略)だが、その正しいと思っていたことも、そしてやむにやまれずのことだと思ってやったことにも、今日の眼からすれば批判しなければならない誤ったところがある。ならば、現在の評価としてそのように評価すればよいのである。あとから見た誤りとして、その誤りを現時点で認めればよいのである」

問題意識としては完璧である。何を誤ったのか。その原因がどこにあるのか。そして今、何をしなければならないか。この本の出版が戦後47年経った平成4年というのは一般読者からすると驚きである。

学者・言論人はなぜほとんど興味を示さなかったのだろう。引用はされても研究されなかったという事実は、本当に理解し難い。

「ホールは『国体の本義』は敗戦後の日本人の眼から見ても明らかに奇異なものであったとし、それは一言でいえば「皇運を扶翼し奉らなければならぬ」から説き起こしたものだと断ずる」

昭和10年代から終戦までの「斯の道」については、当サイトの「教育勅語」や「国家神道」に述べたところであるが、ホールのこの見方は間違っていない。

この頃強調された教育勅語は、「之を中外に施して悖らず」の「之」=「斯の道」が「徳目」から「皇国の道」となり、「肇国の精神の顕現」から我が国の「世界史的使命」となったのである。一言でいうとまさに「皇運の扶翼」であった。

ただ、GHQの占領下にあった日本人が『国体の本義』の頒布を禁止され「戦前」を否定されたのだから、「日本人の眼から見ても奇異なもの」とホールに思われても仕方がない。

しかし敗戦後から今日まで、日本人の中でどこが奇異だったのかは示されたことはない。現にその研究・批判論文は図書館で検索しても上にあげた程度である。他にあっても検索できず、影響力のないものと考えるしかないのが実態である。

「前述のとおり、西洋の近代の社会思想が個人を中心とし、そこに限界があることは認められるけれども、しかしそのことゆえに個人主義にかかわる思想や制度を全面的に放擲してよいわけではない。そうすればまさにホールのいうように、「原理のもつ二面性のその一面のみの巧みな変形」ということになる」

「原理のもつ二面性」とは「個人主義」と「人間は現実的存在であると共に永遠なるものに連なる歴史的存在である」というこの二面性のようである。前者は逃れられない人間の属性を重要視せず、設計主義的合理主義に至る個人主義であり、実定法主義の立場ということだろう。後者は歴史法学的立場ということになる。

ホールは、『国体の本義』をこの後者の「巧みな変形」と読んだ、と著者は解説しているのである。

「気ぜわしいホールが、このような『国体の本義』の指摘から逆に欧米文化の反省すべき意味を読みとったのかはわからないが、「一面のみの巧みな変形」という以上、その非難にもかかわらず、言外に、まったく荒唐無稽なものではなかったことを認めていたということは、少なくとも形式的にはいえる」

現在のアメリカのように健全な状態から個人が剥き出しになったような個人主義、その批判にもっと『国体の本義』の個人主義批判を積極的に評価すべきだったと著者は述べている。ホールの批判に一矢を報いた感じにはなっている。

第四節「東洋思想との比較のなかで」、ここにはやや複雑な文章がある。

「したがって儒学理論をとり入れられながらも、「易姓革命」の理論はとり入れなかった。中国にならって歴史書『古事記』や『日本書紀』がまとめられたとき、「君権神授」や「有徳為君」はとり入れながらも、「易姓革命」はとり入れなかったのである」

『古事記』や『日本書紀』をどのように解釈するかであるが、少なくとも我が国には「君権神授」は存在しない。

「かの神勅のしるし有て、現に違はせ給はざるを以て、神代の古伝説の、虚偽ならざることをも知べく」と本居宣長は語ったのである。そもそもいわゆる神勅というものは、我が国の在り様が詳細に決定されている、などというものではない。

我が国の歴史を辿ると、日本という国がまさに今日まで古伝承にあるとおりに顕現されていることに感動する、そういうことを本居宣長は言っているのである。この見解が正しいのではないか。

いわゆるヨーロッパの王権神授説は一つの創られた政治思想である。しかし我が国の古伝承は創られたものではない。

「古伝説とは、誰(たが)言出たることもなく、ただいと上代より、語り伝へたる物にして、即古事記日本紀に記されたる所を申すなり」(本居宣長『玉くしげ』)。したがって「君権神授」をとり入れたというのは、事実に反すると考えてよいだろう。

『国体の本義』のはじめに「我が肇国は、皇祖天照大神が神勅を皇孫瓊瓊杵ノ尊に授け給うて、豊葦原の瑞穂の国に降臨せしめ給うたときに存する」とあるが、本居宣長の「現に違はせ給はざるを以て」と捉え方が逆である。まず神勅ありき、では神勅の意味を正しく理解できないだろう。恣意的な解釈となる可能性がある。

「「君臣一体」とは、臣が君に忠でなければならないが、同時に君も臣に対しその忠に応えて有徳でなければならない。放恣は許されない。君も臣のために存在する。かくして天皇制は、日本および日本国民にとって神聖なものとなる」

著者のいう、とり入れた「有徳為君」の意味は分かりにくいが、この文章の範囲では有徳君主思想の有徳のようである。ここに矛盾のあることに気が付いていない。

有徳君主思想は聖人の国の思想であり、易姓革命に通じる思想である。我が国には有徳君主思想も存在しない。教育勅語の「徳を樹つること深厚なり」の「徳」が徳目ではなく、「しらす」という意義の「君治の徳=君徳」であることは、当サイトの「教育勅語」に述べたところである。

「権力は権威と実際の政治権力に分離し、大和朝廷の主宰者たる天皇は権威として存在し、実際の政治は他の政治権力に委ねるのが慣例となった。そして権威しかもたない天皇は、実際の政治を行わないのであるから徳を失うこともありえないことになってしまった。天皇はつねに有徳なままでありつづけることができた。そして実際の政治権力は、時代の推移にあわせて交替し、その時代に必要な政治をした」

易姓革命の国との比較であれば「しらす」が語られなければ意味は明らかになってこない。『国体の本義』を評価する重要な一つの指標はこの「しらす」にあるといっても過言ではない。

天皇の統治と、臣下の中で適任とされた行政府の長のそれとはまったく意味が違うのである。ここを論議していないのは物足りない。「君権神授」が儒教からのものだとしたら、天皇統治の妙(たえ)なる言葉「しらす」はどこから来たのだろう。

これからも「君権神授」をとり入れたというのは、事実に反すると考えて妥当である。

第六節「文化の認識から対外政策論へ」、ここには重要な疑問が記されている。

「『国体の本義』の中心は、天皇制のもとにおける日本の文化の特色を説いた文化論であった。(中略)それはそれなりに説得的なところがあり、「個人主義」の批判としては必ずしも荒唐無稽なものではなかった。だが、そのような文化認識論ないしはそのような日本の文化の意義の解明と、その文化圏の拡大とは別の論である。『国体の本義』はそのような文化認識からその文化圏の拡大を使嗾している。そこに時代的な「宣伝」としての性格をまごうことなく明らかにしていることになるのだが、なにゆえにそうでなければならなかったのか。単なる文化認識論としてとどまることができなかったのか」

ここに『国体の本義』の大きなポイントがある。日本文化の認識になぜ文化圏の拡大という推進力が加わったのか。この『国体の本義』批判には教育勅語解釈への疑問がひとつもないのみならず、教育勅語そのものが出てこない。

それがこの論文に新たな知見を見出せない理由である。『国体の本義』の基盤には教育勅語が厳然と存在する。ただその解釈に致命的な問題があったのである。

日本文化の認識の内容は、一言でいえば「皇国の道」である。その「皇国の道」が「斯の道」であり、教育勅語の「之」であって、「之を中外に施して悖らず」となって「皇道を四海に宣布」となったのである。教育勅語に着目しない限り、この推進力は把握できない。

第八節「マルクス主義について」はいまここで論じる必要はないものであるが、昭和初期には知識人の間に共産思想が蔓延していた。

もちろん天皇否定であるから、日本国がこれを拒否するのは当然である。しかし共産思想は「インターナショナル」に象徴されるように世界共産化となるが、日本国内では天皇を戴く反資本主義の国家社会主義に変質した。

その傾向をもつ思想団体が多く出てきたのである。したがってその団体のほとんどが反資本主義・反政党・反議会であり、大雑把にいえば市場経済を否定する統制経済思想で括ることができるといっても間違いではないだろう。

国家そのものが統制経済志向だったのである。当時マルクス経済学が(革命の理論と結びつかなければ)有効であったというなら、これらを含めて論議してほしいところである。

第九節は「人文科学と社会科学について」である。ここでは西郷信綱を引用して国学を語っている。

「このように宣長の場合、儒教的合理主義を実証科学的精神でもって打ち破りながら、しかし、そこから同時にひとつの大きな問題に入っていく。すなわち国学は、このように「事」を「理」から解放しながらも、それ以上の処理、意味づけはしなかったのである。というよりそれ以上の処理、意味づけを阻止してしまったのである。(中略)ここに、いまわれわれが問題にしている『国体の本義』が同じ道を同じ姿で歩んでいるのを見出さないであろうか」

西郷信綱は村岡典嗣と同じように、本居宣長の古道論を理解できない学者であった。これは設計主義的合理主義の対極にあって、人間存在からはずせない属性というものを重要視するものである。

設計主義的合理主義では人間の属性をすべて還元するから「理」が必要なのである。それは常に合理的把握・法則的認識とされるが、所詮は人間が恣意的に創りだしたものである。だからいつでも変更があるのである。

宣長のいう「言」と「事」にはすでに真実、「まこと」がある。いわば共同体とその歴史に自らの存在を発見するということである。西郷信綱同様、著者にもここが理解されていないようだ。

第十節と第十一節にもやや分かりにくい文章がある。

「もともと大日本帝国憲法は、国家意思の形成ということにおいては、意図的ともいえるほどに不明確であり、その意味で、明治国家の作った完全な失敗作であった」

明治憲法にも不備があったことは否めない。内閣の規定その他、足りないものはある。しかし明治憲法が偉大なる成文憲法であることは論を俟たない。

したがってこの明治憲法の正しい解釈と『国体の本義』の相違を示して、初めて有効な評価となる。この論文にはそれがない。また、この著者のマルクス経済学に対する思い入れもやや鬱陶しい。

「実際的に見ても『国体の本義』がほんらい望まなかった敗戦により、アメリカの民主主義政策が入ってくることによって、治安維持法は撤廃となり、財閥は解体し、農地解放ができ、婦人参政権も実現し、社会のなかの遅れていた問題、深刻な問題がつぎつぎと解決できたことは皮肉である」

この文章からすると、治安維持法は悪法であり、財閥は必要でなく農地は細分化が好ましく、婦人参政権が遅れていた深刻な問題を解決したということになる。

婦人参政権はともかく、他のものはどうだろうか。末端の取締担当者に過剰な行為があったにしても、治安維持法はどうみても悪法ではない。普通に考えれば、治安維持法を悪法というのはアナーキストの謂いである。あるいは戦前から今日に至る共産主義者社会主義者の謂いである。国家を破壊しようとする者の考えである。

著者のマルクス経済学への思い入れから上のような文章になったのだろうか。

いずれにしても、『国体の本義』をGHQ、とくにR・K・ホールの見方から見直したこの論文は大変意義がある。ホールが『国体の本義』について「教育の存在理由たる政治的な超国家主義の全体構造を作りあげている」としているのだから、ここは解明すべき課題である。

ただ著者本人の『国体の本義』そのものの読み込みが弱いといえば弱い。

『国体の本義』に特徴的なことは、神話を主体とし、天皇の御親政を是とし、天皇を現人神とする思想に基づいていることである。

そしてそれらは大日本帝国憲法に反する思想であった。またなにより教育勅語の誤った解釈の上につくられたものであったということである。

ここを論じないで個人主義一辺倒の弱点を補うものと述べても、その本質に迫らない。「肇国の大義」が「世界的使命」となったその推進力を究明せずして、『国体の本義』の解明は不可能である。

むろん高い意識で『国体の本義』の評価を行った著者には敬意を表したい。しかし大日本帝国憲法と教育勅語の正しい解釈との比較がなければ『国体の本義』の誤りは剔抉できない。

著者のこの二つに対する姿勢には疑問が残る。この論文を更に評価・検証する論文は出てくるのだろうか。

 

保阪正康「『国体の本義』という仮面」

これは比較的最近の論考であり、雑誌『諸君』の平成18年11月号と12月号に掲載された。

「現在、この冊子を手にとって読むと、あまりにも抽象的、精神的な表現に驚かされるのだが、なによりも天皇神権化を軸にして、臣民は私を捨てて忠誠心を以て皇運を扶翼し奉ることがひたすら要求されている」

これはただ『国体の本義』をなぞっただけのものであるが、天皇神権化とはどういうことか、解説がない。

穿った読み方をすると、以前は天皇に神権はなく『国体の本義』において神権「化」が主張されたということだろうか。前後を読んでもよく分からない。

また数多い著者の昭和史関連著作において、いわゆる人間宣言は宣命解釈の誤りを正したものである、と解説したものも見当たらない。つまり以前は天皇現人神説はなかったと言明したものはないのではないか。

したがってこの「化」には深い意味はないのかもしれない。人間宣言と宣命解釈については当サイト「人間宣言」に仔細がある。

「この間の国会での論戦、それに国会外での在郷軍人会を中心にした示威行動などは現実には二・二六事件の誘因をなしたといえるし、もう一方での天皇機関説という外来思想によってもちこまれた法理論への反撥はさらに強力な論拠を必要としていたということにもなる」

天皇機関説をただ外来思想と括るのは如何なものか。そもそも大日本帝国憲法が天皇機関説に基づいていることは、伊藤博文の関連著作に明らかである。そして伊藤が欧州で天皇機関説あるいは国家法人説を熟考したことも事実である。

しかし憲法起草者のひとり、井上毅の「言霊」や憲法関連の資料に重要な論考がある。それには井上毅が本居宣長『古事記伝』などから「しらす」に着眼し、憲法案に盛り込んだことがわかるものである。

そしてその「しらす」はいわば天皇機関説そのものである。これも「人間宣言」に述べた。言葉は別にしても「しらす」そのものは外来思想ではないし、保阪正康の括りはこの「しらす」を無視していると言わざるを得ない。

「<大日本帝国は万世一系の天皇皇祖の神勅により統治される国家である。これが万古不易の国体であり、この大義によって一大家族国家として億兆一心聖旨を奉戴して臣民は忠孝の美徳を発揮してなりたっている。この歴史的な国体の精華が、近代日本になって西洋思想が流入し、個人主義という思想によって「億兆一心聖旨を奉戴する」国家にきしみが生じた。それが昭和十二年のこのころまでつづいてきた。本来こうした西洋思想を醇化していくべきなのにそれが忘れられてきた。今こそそのことに気づくべきではないか。そして現実にそれに近づいている国民運動も起こっているではないか。目ざめよ、臣民よ>
こういう趣旨が、まさに『国体の本義』の一本の芯であった」

『国体の本義』はたしかに西洋思想、とくに個人主義に集約される社会主義・無政府主義・共産主義、それとその反動としての全体主義・国民主義からのファッショ・ナチまで批判している。したがってその要約とすればほぼ妥当な文章である。

ただ最も特徴的なこととして、神話を主体とし、天皇の御親政を是とし、天皇を現人神とする思想があるからここも加える必要があるだろう。

「この空間は日本社会に横断的に広がっていった。横断的にというのは、国体の精華という名目のもとに「天皇とすべての臣民という一君万民主義体制」というべき空間がつくりあげられていたということだ。このときに国家内部の上からの支配体制そのものも融解する宿命をもったということになるだろう」

「一君万民主義体制」は政党や官僚、そして財閥の有力者を排除して極端な国家統制を目指す者たちに共通した心情である。様々なテロ事件や五・一五事件・二・二六事件に通底するものである。

そしてこれらの事件の犯人たちは、国家によって裁判にかけられ有罪となっているのである。したがってここには矛盾がある。あるいは説明が不足している。ここはもう少し複雑な経緯があるのではないか。

テロ事件などを取り締まり裁判にかけたのは国家であるし、『国体の本義』を発行したのも文部省だから国家である。ここを一括りにしては真実は解明されないのではないか。

二・二六事件などの犯人に同情的な軍幹部などが少なくなかった事実がある。彼らもまたテロ犯人と同様に帝国憲法に違背した者たちと捉える以外にない。

そして『国体の本義』も天皇御親政であり天皇現人神説だから、帝国憲法に背いていると捉えなくては矛盾する。

「あえていうなら、近代日本が西欧思想の未消化を起こした時代に、当然起こりえた現象としてこの『国体の本義』を捉える以外にない」

この文章には疑問が残る。西欧思想の未消化などより大日本帝国憲法と教育勅語を正しく解釈できなくなっていたことが重要なのではないか。

いま『国体の本義』を読むと大日本帝国憲法にない天皇御親政と天皇現人神がある。また結語の「我等の使命」にある「国家の大本としての不易の国体と、中外に施して悖らざる皇国の道とによって」天壌無窮の皇運を扶翼し、とあるのは教育勅語「中外」解釈のあやまりからできた文章である。

そのことは当サイト「教育勅語」に述べたが、「四海に御稜威を輝かし給はん」「肇国の理想を東亜に布き」となる精神的な推進力はここから生まれたといってもほぼ間違いないだろう。

この『国体の本義』論も、大日本帝国憲法や教育勅語の正しい解釈との比較に積極性がないというしかない。また著者のそれらの解釈にも疑問が残る。

『国体の本義』の著作者たちが教育勅語を正しく解釈できなかったことは「聖訓の述義に関する協議会」の議事録(『続現代史資料9』)にある。

しかし未だに著者の、教育勅語や宣命の誤った解釈に触れた話を読んだことがない。鈴木貫太郎首相の「中外に施して悖らざる国是」は一体どこからできたのか。

やはり昭和初期から敗戦までの我が国内部は複雑である。特に政治家・軍人・言論人のすべてが複雑に絡み合っている。

昭和天皇をはじめとする憲法遵守の立場の人たちと憲法に背を向けた人たちがいた。帝国憲法起草者の一人であった伊東巳代治などは当然前者に属するべき人間であった。しかしその伊東巳代治が統帥権干犯論にあいまいな姿勢をとり、軍縮条約時の浜口内閣を苦しめた事実もある。

統帥権干犯論が帝国憲法に背くものであったことは、昭和天皇の独白録などからも明らかである。また帝国憲法の起草に関与した伊東巳代治への、西園寺公望の厳しい評価も参考になる。

そしてあの時代、『国体の本義』を是としない人たちもいたのではないか。それが語られてこなかった、その原因は何か。このあたりも昭和史の専門家として語ってほしかったところである。

 

平成21年12月30日、佐藤優『日本国家の神髄』が出版された。

副題に―禁書『国体の本義』を読み解く―とある。これは『国体の本義』が書かれた時代の精神を忖度して各章ごとにその解説をしたものである。

「『国体の本義』は新自由主義を生み出すアトム的世界観がかかる危険を認識している」とあって、著者がいう新自由主義は「金がすべてである」「個人がすべてである」という定義からすると、たしかに『国体の本義』は肯定できる部分もある。

また「自我の実現、人格の完成」という「欧米の教育方針は、わが国体から見るならば、まったく不充分である」というのもその通りだろう。

ただ、山田孝雄や紀平正美らを引用して各章の解釈に挑んでいるが、彼らは教育勅語を正しく解釈できなかった知識人たちであるからやや解説に鋭さがない。

CIEのウッダードは『天皇と神道』において、「「教育勅語」は、『国体の本義』などの解説書によって公的解釈をつけられて、他国にたいする日本の優越を主張し、日本国が神聖な使命を負っていることを説くものとして利用されたのである」と述べている。

これは海軍少佐スピンクスが『パシフィック・アフェアーズ』に述べた見解と同じものである。したがって著者の見解はGHQ全体のそれに等しい。

教育勅語は井上哲次郎以来、曲解されて今日まできているから『国体の本義』はそこを分析して意味がある。

つまり教育勅語の正しい解釈と、その曲解を基に作成された『国体の本義』を比較することが今日的な意義をもつのである。この著書にはそれが欠落している。

天皇を現御神とし、天皇御親政を唱え、中外に施して悖らざる皇国の道を語った『国体の本義』は大日本帝国憲法の精神にも背いたものであったことが論じられるべきである。

GHQが帝国憲法・教育勅語とともに『国体の本義』や『臣民の道』を葬った矛盾が剔出されて本来の『国体の本義』論となるのではないか。前者と後者は逆説の関係にある。

大日本帝国憲法を中心にすれば、『国体の本義』は右端に、日本国憲法は左端にある。著者は日本国憲法と同時に『国体の本義』を肯定して、自ら整合性を欠いていることに気が付いていない。

日本国憲法と『国体の本義』はそれぞれ大日本帝国憲法に違背するものである。しかし、同じゾーンにあるものではない。

つまり教育勅語の曲解を放置したまま『国体の本義』を論ずれば、必然的に本書のような支離滅裂な論調になるのではないか。

―終わり―2010年