繁殖記

妊娠・出産・子育て記

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出産編

破水から入院まで

予定日3日前の1月21日月曜日朝、旦那は会社へ出勤したばかり。 私はまた布団にもぐりこみ、うとうとしていた。 するとなんだか少量の生ぬるい液体が3回続けてさらさらと流れるのを感じた。 「もしかして…。」と思い、トイレにかけ込むと、今度は少し多めの液体が流れ出た。

どうやら破水に間違いないようだ。 急いで入院用品を再チェックし、かばんに詰めていると、腰痛が定期的にやってくるのを感じた。 陣痛らしかった。 陣痛は、お腹とか子宮のあたりが痛くなるんだろうと勝手に思いこんでいたが、 このときはまだ腰痛だった。 私は生理になると決まって腰が痛くなったが、それと全く同じ痛さだったので、 最初これが陣痛なのかどうかわからなかった。 でも定期的に痛くなるし、しかも初産は10分間隔になったら病院に電話することになっているが、 もう5分間隔くらいで痛くなっていた。 おまけに便通ももよおしてきて、お腹も痛くなってきた。 内田春菊の「私たちは繁殖している」(以下繁殖)にもあるとおり、立て続けに3回も便通があった。 妊娠中はあんなに頑固な便秘に悩まされていたのに、 本当に体が勝手にお産の準備をしているかのようだった。

陣痛を我慢しながら、羊水流出を押さえながら(実際は押さえられないけど)、便も出す。 至難の技だった。まだそれほどの苦痛ではないけど、なんとも耐え難いこの変な感覚。 しばらくはトイレから出られなかった。やっとこさっとこトイレから這い出し、旦那に電話する。 通勤途中だった旦那はそのままU-ターンで帰宅。病院にも電話。 雨の中、旦那の運転する車で病院へ。 前日、低気圧だと生まれやすいから、明日あたり産まれるかもねと言っていたが、 どうやらほんとに産まれそうだ。

※side yoshiでは、寂しそうに座っていたとあるが、 それは羊水が出過ぎてしまのではないかと思って、 あまり動いたり、リラックスして寝てることもできず、 心もとなくただじっと座っているしかできなかったので、そう見えたのかもしれないが、 決して寂しかったわけではないです。

診察を受けたときは大量羊水流出、即入院。 「もう子宮口が4cmも開いてますよ。良かったですね。」といわれた。 陣痛室となりの処置室で、すぐに剃毛後、採尿した。 普通は自分でトイレでコップに入れるタイプで済んだのだろうと思うが、破水していたため、尿道に管を入れて採る方法で採った。初体験だったが、ほとんど痛くなかった。そして駄目押しの浣腸を受ける。 浣腸中も、陣痛耐えながら便意も耐えるという二重苦。 どこに神経を集中させて耐えればいいのかわかりません。 あへーっ、看護婦さんっ、(浣腸)早くいれて、早くトイレに行きたいーっ、て感じです。

side Yoshi #1

朝、なんだか様子がいつもと違うと言っていたので、何となく今日かもという予感はあった。 そして通勤途中、京浜東北線の大森を出発してすこし経ってから電話あり。 「破水したみたい・・・。」
会社に電話して大井町から引き返す。

家に着くと、亜紀は出発の準備が済んだかばんを前にぽつんと座っていた。 後姿はすこし寂しい感じがした。 車で病院へ向かう。雨が降っている。

病院について、朝から何も食べておらず、昼もどうなるかわからないということで、 売店でおにぎりと蒸しパンとお茶とを買ってきて、待合室で食べさせていると、 看護婦さんが車椅子を持ってお迎え。 亜紀はそれに乗って産婦人科病棟へ、私は事務室へ入院の手続き。

陣痛室にて

トイレですっきりさせるも、陣痛ははや2分間隔で、そのまま陣痛室へ直行。 向かう途中で陣痛がくると、歩けなくなる。 看護婦さんもわかっているようで、ちゃんと待ってくれます。 ベッドにつくと、さっそく陣痛が来たのがわかる機械をお腹に取り付ける。 びっくりしたのは昼の12時くらいだったので、昼食が出たこと。 この先体力つけるためにも食べた方がいいというので、無痛の間に食べたが、 陣痛がくるとさすがに食べ続けることは不可能。 ひーひーふーと、まだ声は出さずに呼吸法で陣痛をやりすごしていた。

看護婦さんが定期的に子宮口の開き具合を見に来てくれるんですが、これが慣れないと結構痛い。 これだけは機械化されてはおらず、直接手を入れて大きさを測る。 陣痛きてるときも、診たりする。 私は初産だから長丁場だろうと覚悟していたので、 痛いのに何でそんなにしょっちゅう診るんだろうって思ってましたが、 どうやら短時間で産まれそうであることを言われる。 それでも陣痛室で最初に診てもらったら、4cmで変わらず。 何度も突っ込まれたくないと思って、効果があるかどうか疑問だったが、 気分転換も兼ねて、上体を起こし、ベッドの上で座って1度陣痛を耐えてみた。 すると次に診てもらったら6、7cmといわれた。 すでに声を出さないと耐えられないほどになっている。

破水していたので陣痛促進剤の投与を予定していたが、開きがいいということで、取りやめになった。 腰の痛みがだんだんお尻の方へ下がっていくのを感じた。 「そうなったら教えて」と言われてたので、「そうみたいです」というと、 「じゃあ、分娩室いきましょう」と言われてあせった。 9cmになったら行くもんだと思っていたので、心の準備をしていなかったから。 しかし躊躇している余裕はなく、無痛の間に歩いて隣の分娩室に行った。

side Yoshi #2

産婦人科病棟、処置室の前にあるベンチに座って、手続き資料に目を通していると、 亜紀がへたへたしながら廊下へ出てきた。浣腸されてトイレに向かうらしい。

トイレから戻ってきて、カバン他必要なものを渡し、手続きに必要な印鑑を受け取る。 看護婦さんから、生まれたら電話で連絡するので、自宅で待機するように言われる。 亜紀はそのまま、看護婦さんに付き添われて陣痛室へ入る。

手続き用紙を記入して亜紀の印鑑を押そうとしたら、印鑑の入ってた小さな袋の中に、 安産のお守りが入っている。 俺がもっててどうすんだと思いつつも、本人にどう渡すこともできず、 安産祈願もリモートコントロールできると信じてそのまま持っている。

銀行に行ってお金をおろし、再び病院へもどって入院手続きを完了させる。

車で家にもどって、両方の実家に電話する。 「さっき入院しました。今日か明日中くらいには生まれるでしょう。」

分娩室にて

分娩台に上がってしばらくすると、何か生暖かい塊が出てくるのを感じた。 足台に足を置いて見てもらうと、血の塊だった。 「これがおしるしとして出てくるものよ」と言われた。 しるしにしては、かなりの量だ。でろでろ出てきた。 子宮口を診てもらうと、またさっきと同じ6、7cmだった。 例によって座って耐えると、今度はいきなり9cmになった。 そのころにはもう大きなかたまりが、自分の意思を持っているかのように、 今にも子宮から飛び出そうとしているものがあるのを強く感じた。 呼吸法もふーうんに変えることを教わった。 なるほどこの呼吸の方が、この段階では耐えやすかったが、 しかし、それにしてももう、いきみたくてしかたがない。 本当に今にも出そうな大量のうんちを、必死に我慢するのと全く同じ感覚です。

私は耐えやすいという理由で左側に横になって寝ていたが、 赤ちゃんの体の向きが左側に寄ってるから、まわして出やすくするために右を向いて寝てみて、 と言われて、「自分で旋回しないもんなのか?」とか思いつつ、気合で体位を変えた。 「ほーら、まわってごらーん」とか、ほとんど念仏のようにぶつぶついいながら、 気を紛らわしてみたが、陣痛の波は怒涛のごとく押し寄せる。 もう押さえきれずに思わずいきんでしまうこともしばしばだ。 ふーうんの間に「あー、うー」とうなっては、力を入れてしまう。 そろそろ限界、「もう出そうですぅっ」っていうと、 「10cm開いたからいきんでいいよ。」って言われた。

私はそれを聞いてうれしくて笑った。 もう我慢しなくていいし、赤ちゃんにもうすぐ会えると思ったから。 看護婦さんに「なんか、うれしそうね」と言われたが、そりゃそうでしょ?。 もしかして余裕って思われたのかな? 私は2,3回のいきみで赤ちゃんは出てくるもんだと思っていたのだ。 ところがどっこい、何度いきんでも出なかった。 子宮口までは順調におりてきたようだけど、どうやら頭がつかえているらしい。 頭でかいのかしら? 「肛門の方に向かっていきんで」って言われた。 それじゃ、浣腸してなかったら、絶対一緒にしちゃうよって思う。 思ったよりなかなか出ないので、 「あとどれくらいいきめば出ますか」と聞くと「20回はみておいて」と言われた。 ちゅーことはあと20回も陣痛を耐えなきゃいけないわけ? そんなのやだーと思って、さらなる渾身の力を振り絞って、陣痛の波にあわせていきみ続けた。 陣痛が過ぎたら、次に陣痛が来たときのために、深呼吸して休まなければいけないのだが、 思いっきりいきんでいると、今は陣痛がまだ続いているのか、 もう過ぎちゃったのかわからなくなる。けっこう難しい。

朝から降っていた雨はさらにざあざあと強くなり、おまけにカミナリまでなりだした。 低気圧が来ると生まれやすいというのは本当らしい。 膀胱に尿がたまって出にくいのでは、ということで、また例の方法で尿をとることになった。されるがままに、陣痛中に、いきみながら、管を通され尿をとられる。 「もーう、どーうにでもしてー」って感じです。 陣痛が来る。すーはー、すーはーと2回深呼吸後、すーっ、ふんぬーっっっ。 もう声のでかさなどお構いなしだ。顔や手が震えるほどいきんでも、やっぱり出なかった。 見かねた先生がお腹を押してくれることになった。 「よーし、今度こそ出すぞー」と気合を入れ直すと、「ポンッ」。 実際本当にこんな音がしたかのような勢いで息子は産まれた。 結局あれから20回まではいきまずに済んだと思う。 午後4時49分。陣痛室に入ってから約5時間だった。

side Yoshi #3

何にも手がつかないので、テレビをつけていたが、全然番組内容は頭に入らない。 産まれるのは夜中になるかもしれないし、すぐかもしれないし・・・・。

何を考えるでもなく、何をするでもなく、何だか空虚な時間が過ぎる。 そのうち眠くなって、すこしうとうとする。

目がさめる。まだ連絡はない。 雨が激しくなる。雷もなっている。

後産、そして感動のご対面

よく産まれた瞬間に感動したって話し聞きますが、私のときはどちらかって言うと、 これで無事分娩が終わって陣痛から開放されたと、安堵感の方が大きかった。 とりあえずしっかり泣き声を上げていることだけは確認して、 後産とか、縫合とかが間髪入れずに続くので、 そちらの方に気を取られてたってこともありましたが。

後産は、すぐにつるっと出てくるものだと思っていたのですが、 助産婦さんが、手の平を私のお腹にあてて、ぐりぐり回し始めたので、 いったい何が始まるのかとびっくりしましたが、それが後産の出し方だったようです。 看護婦さんが旦那に電話してくれて、「話しますか?」 といきなり言われて、またびっくり。「産まれたよ。安産だったよ。」と言った。 縫合は思ったより短時間で終わり、痛みもほとんどありませんでした。

それが終わっても、様子見で2時間は分娩台の上で過ごさなきゃいけないんですが、 しばらくして看護婦さんが、洗ってもらった息子を連れてきてくれて、 横に置いてくれたんです。そのときの感動っていったらさー。 すごいですよ。本当に。 愛着って世話してるうちに徐々にわくものかと思っていたけど、 顔見たらいきなり来ちゃいましたね。うおーって感じですよ。 もう一目惚れっていうか、私の心をがっちり掴んで離さないんですよね。 この小さい体のいったいどこにそんなパワーが隠されてるんですかねー?

小刻みに手足が震えていてすごく弱々しいんだけど、 まっすぐ私の方を見つめて(正確には私が目を合わせに行ってたんだろうけど)、 一生懸命私の方に手を伸ばそうとしてくるんです。 うわーすごく小さいのにちゃんと生きてるー、ひゃーかわいいなーと思いました。 この危ういさと力強さの相反する2面性を併せ持っているところが、 赤ちゃんの最大の魅力なのかもしれないなーなんて思いました。 まさに生命の不思議を感じた最高に幸せな瞬間でした。 生涯忘れることのない、私だけの思い出です。

side Yoshi #4

ぼけーっとしていたら、電話がなる。 「おめでとうございます。4時49分に、○○g、○○cm、の男の子が産まれました。」 時刻以外の数値ははっきり聞き取れなかった。電話があったのは5時15分ころ。 亜紀と電話で話す。「おつかれさまでした。」
看護婦さんが、7時まで産婦には会えない(回復を待つため)が、子供には6時には会えますよ、 といわれたが、7時に行きますと答える。 少し気が動転しているようで、何をどう答えたかよくわからないでいる。

両方の実家に、電話をする。 亜紀の家族は7時に病院へ行くということになる。

5時30分ころ、家にいてもしょうがないなので、病院へ向かう。 カメラとデジカメをもって行く。 病院へついたのが5時55分(駐車場から院内の時計が見えた)。

ナースステーション。 「小野ですけど。」 「病室で待っててください。」

病室で待っていると、看護婦さんがベビーベッドを押してくる。 「抱いてみますか。」 「はい。」 抱かせてもらう。 「おわったら、また寝かせておいてください。」 看護婦さんは行ってしまう。

しばらく抱いている。 うにうに動いている。 鼻のあたまに細かい水泡のようなものができている。 爪の先がお湯でふやけてぼろぼろになったかのようになっている。 全体的に、古い角質がふやけて剥がれ落ちる寸前のような感じになっている。 たまにあくびをする。 小さい。

ベッドに置こうとするが、どう置けばいいかわからない。 が、なんとか置く。 置くときに頭をベッドの端にぶつける。

撮影、撮影。

しばらくすると、看護婦さんが連れに来る。 連れていかれる。

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