雑感部屋

感じたこと、考えたことを、つらつらと・・・。

男の育児休職 (2003/02/08 : 芳浩)

子供が一歳になりました。
満一歳の前日までは亜紀が育児休職をとっていましたが、 その翌日(つまり誕生日です)から私が育児休職を取っています。 法律では、一歳未満の子の養育のための休職が育児休職とされていますが、 私の勤めている会社では子が満一歳を迎えた後の年度末まで育児休職を取れることになっています。
# 亜紀の会社は法律きっかりです。

まだ男で育児休職を取る人はそれほど多くないと思います。
やはり、仕事(出世)が気になるのでしょうか? あるいは、子供の面倒をみるというのが難しいことだと考えているのでしょうか? はたまた、周囲の目が気になるのか、制度はあっても取りずらい状況なのか・・・・。

私が学生のとき、もう10年以上前ですが、 実習で1ヶ月ほど今の会社に来ていたことがあるのですが、 そのとき実習先の職場に男性の育児休職取得者第1号(会社にとっての)がいました。 (まさに休職中だったため、直接会っていないのですが。) そのころから、自分もその立場になったら育児休職をとりたいなと思うようになっていました。
おととし、亜紀の妊娠がはっきりした時点で、上司には育児休職をとることを告げていました。 そのころは、半年交代で休職するつもりだったのですが、母乳育児がうまくいっていたので、 1年は亜紀が休職する方針に変えました。
しかし去年の10月に私が異動し、新しい上司に1月から育児休職する(「したい」ではなく「します」と言った) ことを言ったときには、ちょっと驚いていたようです。
上に書いた、私が学生のときの第1号の育児休職取得者がでたときは進んだ会社のような印象でしたが、 いまでは、それほどでもないようです。 周りで取得実績もほどんどきいたことがありません。
最近では、子供が小学校に入るまで休職をとれる会社もあるらしいですね。 制度はあっても運用はどうなんですかね〜。

毎日子供と接していると、微妙な成長がみられて楽しいです。 休職する前より、かわいいと感じるようになりました。


誕生仏 (2002/09/22 : 芳浩)

「天上天下唯我独尊」と生まれた瞬間に言ったと伝えられる釈尊ですが、その生まれたときの様子をあらわした仏像「誕生仏」というのがあります。これは、片手を上に、もう一方の手を下に向け、まさに今この世に出現したことをセンセーショナルにアピールしているかのようです。

実際にそんなことあるかいなと思うわけですが、ふと考えてみると面白いことに考え至りました。
家の息子は、生まれてからしばらくの間、手がスペシウム光線のポーズになっていました。右ひじを曲げて手は上に、左ひじも曲げて手は右のほうに・・・。(ついでに顔はいつも右を向いていました) また、その後生まれた友達の子供の場合も同じような感じで、右手を上げ、左手を下げていたそうです。これはまさしく釈尊と同じポーズ!

妊娠後期はお腹の中もだいぶ窮屈になって、胎児はその狭いスペースでポーズが決まっちゃうと変えられなくなって癖がついてしまうのではないでしょうかね。


出産つれづれ草(その2) (2002/06/13 : 亜紀)

例えば教科書に、「生きることはすばらしいんだ。だから生きよう。」とか書いてあったとしても、 それを読んで「はい。そうですね。わかりました。」なんて瞬時に理解する人はいないわけで。 生きていく間に、楽しかったり、幸せだったり、悲しみや困難を乗り越えたり、 泣いたり、笑ったり、努力したり、悔しかったり、考えたり、感じたり、愛したり、愛されたり、 いろいろな経験をして初めて、なんとなくでもそう思うわけであり、 この先もそう信じていくことができるわけですよね。 学校の勉強だけしてたって、だめでしょ。 生きていく力がちゃんとつくのには、ある程度の人間的な経験と、 それにともなう時間が必要なわけで、なぜ生きなきゃいけないかなんて、 一言でいえるような明確な答えがあるわけじゃない。 だから子供には、いろいろな経験をしながら、できる限り無事に大きく育って欲しいと思うし、 親なら誰でもそう願うでしょう。 もちろんしりたたいて、願ってるだけじゃだめで、一緒に笑って、一緒に泣いて、 一緒に努力して、一緒に困難を乗り越えて、文字通り体当たりで教える、教えてあげられる。 そして何よりも愛する(これってすべての基本ね)こと。これもただ思ってるだけじゃだめで、 わかりやすく体で表現すべきじゃなんじゃないかなぁーと私は思っている。


出産つれづれ草(その1) (2002/06/13 : 亜紀)

自分は何のために生まれてきたのか。 いきなり哲学的にになっちゃったけど、誰でも若いときに1回くらいはさ、 自分の存在意義を知りたくて、考えたことないでしょうか? 今までは、なにかに猛烈に感動したり、本当に幸せだなーと感じたときに、 このためかなーなんて思ったことも何度かありましたが、いまいちしっくりこなかった。 ここ最近はそんなこと考えることすらしなくなってた。でも明確な答えのひとつがわかった。 私この子産むために生まれてきたんじゃーんって。 やっぱり生き物である以上、子孫を残すためなんですよね、これが。 でも他の生物と決定的に違うのが、本能ではないってこと。 子供を産み、育てることが、とても喜びであり、幸せであるということです。 妊娠前から頭ではわかっていたつもりだったけど、これほどとは思ってなかった。 やっぱり実際に経験してみないと、本当の実感ってわかないもんですね。 そうすると、子供を産むためには、旦那と出会ってなくちゃいけないわけだし、 育てるためには今までの経験や知識や考え方が役に立つわけで、 全部続いていたんですよね、これが。 自分のためだと思ってたことが、実は自分を含めてではありますが、 自分の愛する子供のためだったのだと思うと、妙に納得できるわけですよ、今は。


ほんとにスタート (2002/06/09 : 芳浩)

3月に用意したのに、Webサーバーに置くのが6月になってしまいました。
今度こそスタートです。

今夜はサッカーワールドカップをみましょう(日本・ロシア戦)


とりあえずスタート (2002/03/17 : 芳浩)

雑感部屋・・・、折檻部屋にも似たこの響き。 辞書にあたってみたら、「折檻」の第一の意味は厳しく意見することだそうだ。 肉体的な責めは厳しく意見することの一手段ということか・・。

前からこの手のページが欲しかったので、気がついたことがあったときに書いていきます。


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