The Romantic Journey
ロマンチック街道とウィーンの旅

 1997年5月末から6月にかけて12人でドイツのロマンティック街道と「音楽の都」ウィーンを巡るこじんまりとした旅をしました。

5月28日(水)

 11:00発のVS901でロンドンに向かう。着陸の時窓から見えるロンドンの街が緑に包まれていてとてもきれいだ。現地時間18:30発のBD839でフランクフルトへ。約1時間半のフライトで到着。QUEENS HOTEL に宿泊。

5月29日(木)

 6時半モーニングコール、7時半朝食と早めの活動開始。素晴らしい青空が広がり、空気が澄んでいてすがすがしい朝だ。

 バスでまずハイデルベルクへ。古い大学のある街で建物の壁や屋根の色になんとも言えない雰囲気がある。中央広場(マルクト・プラッツ)、市庁舎、ハインリッヒ・ガイスト・キルヒェ(教会)、ハイデルベルク大学などを見て回る。朝の早い時間のせいか観光客の姿がほとんどなく、「清冽」という言葉がぴったりの澄み切った空気の中をゆっくりと歩く。

ガイドは鈴木さんというちょっとクールな感じのきれいな女性で、家々の窓辺に咲き乱れているゼラニュウムの花を指差して「この花はとても丈夫で虫が付きません。それで私はミス・ゼラニュウムと呼ばれています。」とみんなを笑わせた。

ネッカー河にかかるアルテ・ブリュケ(古橋)のたもとに変わったサルの彫刻がある。

ハイデルベルク城は小高い丘の上に築かれた古城で、14世紀ごろから何百年もかけて増築されている。城の展望台からネッカー河や街並みを見下ろす眺めが素晴らしい。お城の中でワインを飲んだり、庭を散策したりしてまたバスに戻る。

ハイデルベルク城と街並み フリードリッヒ館
ハイデルベルク城からの眺め

昼食後ネッカー河沿いに古城街道を走ってローテンブルクに向かう。緑豊かな岸辺でサイクリングをしたり、釣りをしたり実にゆったりとヴァカンスを楽しむ人々がいる。キャンピングカーをたくさん見かける。

 ローテンブルクは中世にタイムスリップしたようなかわいらしい街だ。メルヘンに出てくるような小さなホテルHOTEL TILMAN RIEMENSCHNEIDER に落ち着く。一休みした後それぞれ自由に夕食に出かける。近くにあるHOTEL REICHS-KÜCHENMEISTER でこの季節の名物、ホワイトアスパラガスとソーセージや肉を盛り合わせた料理を取る。とても美味しかったが何しろ量が多くてたくさん残してしまい勿体なかった。帰りにウェイターが「おおきに!」と声を掛けてくれた。

 主人は疲れたと云ってホテルに戻ったので私一人でガイドブック片手に街を散策する。ヨーロッパの夏は日が長いのでまだ明るい。聖ヤコブ教会の前を通ってブルク公園へ。タウバー河や緑の中に点在する赤い屋根の村々を見下ろして絵のような眺めだ。少しずつ日が暮れてきて街中に引き返す。

市議宴会館の仕掛け時計の窓が9時に開いて、市長の人形がワインを飲み干す姿を見物する。広場にはたくさんの観光客が集まっているが、あまりにもあっけない動きなのでちょっと拍子抜け。

5月30日(金)

 朝食の後二人で街を散策する。きれいに晴れ上がっているが風は冷たい。ブルク公園ではリスがちょろちょろ遊んでいる。街をぐるっと取り巻いている城壁にシュピタール門から上がってみる。所々に銃を覗かせる穴が開いていて、街の外側の景色も見ることができる。かなりの高さがあるので、とても眺めがよく、お伽噺ののようなこの街でも生活の匂いがする家の裏側が見える。この城壁の保存のため世界中から寄付が寄せられているとのことで、日本の企業の名前もいくつかあった。

 レーダー門で城壁から降りて街の中に戻る。見事なゴシック様式の聖ヤコブ教会に入り、リーメンシュナイダーが作った木彫りの「聖血祭壇」(最後の晩餐の場面を表している)やステンドグラスをゆっくり見学する。街には様々な店があるが、それぞれ意匠を凝らした鉄製の張り出し看板が掛けられていて、それを眺めるだけでも楽しい。16世紀の「建築主任の館 バウマイスター・ハウス」でコーヒーを楽しんでからホテルに戻る。

ローテンブルクの街並み

 昼食後バスでロマンティック街道の旅へ出発。「ロマンティック街道」という名称は「ローマへの巡礼の道」という意味で、もともとローマ人によって作られた道だそうだ。別に「ロマンティックな道」という意味ではないとのこと。街道沿いには日本語で「ロマンティック街道」と書かれた看板が所々に立っていて、日本からの観光客の多さを表している。ネルトリンゲンでバスを降りて観光をする。愛称ダニエルと呼ばれる高い塔を持った聖ゲオルク教会を中心に広がるかわいらしい街だ。

 田園の中に点在するいくつかの町や村を通ったが、それぞれ教会が街の中心をなしていて、ヨーロッパにおけるキリスト教の存在の大きさを改めて実感する。家々の窓には色とりどりの花が飾られていてどこを見ても素敵な絵のような景色だ。今は5月だからだろう、マイバウムというイギリスのメイポールのような背の高いポールが立っている。

 5時頃ミュンヘンSHERATON HOTEL に到着。設備の整った立派なホテルで快適。ツアー仲間とタクシーに乗って中心街に出かける。マリエン広場にある市庁舎はネオゴシック様式の壮麗な建物だ。「ホーフブロイハウス」という1589年創立の有名なビアホールでソーセージやアスパラガスなどのおつまみをたくさん注文してそれぞれビールやワインを楽しむ。1200席もある大ホールが地元の人や観光客で満員になっている。舞台ではアルプス地方の音楽を演奏しているが、みんな勝手に大声で騒いでいる。

9時に市庁舎の時計台のミュンヘン小僧が「お休み」のあいさつをするのを見物してホテルに戻る。

5月31日(土)

 8時に出発してシュヴァンガウ(白鳥の高原という意味)に向かう。真っ青な空に雪をいただいたアルプスの山々を遠くに眺めながら快適なドライヴ。ガイドの石原さんからドイツでの日常生活、ドイツ人の環境を守る姿勢など興味深い話を聞く。麓で小さな乗合バスに乗り換えて山道を登っていく。アルゼンチンから来たという団体と乗り合わせたが、歌を歌ったり実ににぎやかだ。深い渓谷にかかったマリエン橋からノイシュヴァンシュタイン城を眺める。パンフレットの写真とは全く別の角度から見る城も本当に素晴らしい。城の入り口には世界各地からの観光客が詰めかけていてものすごい混雑。ルードヴィッヒ二世の好みを徹底的に実現した城の中は想像を絶する絢爛豪華さだ。特に王座の間には96本の蝋燭を立てる金ぴかのシャンデリアなどあってクラクラするほどだ。ワーグナーの「タンホイザー」を上演するための洞窟まである。彼はかなり長身だったとのことでドアノブの位置がものすごく高い。

ノイシュヴァンシュタイン城の二つの顔
ノイシュヴァンシュタイン城(白鳥城) マリエン橋から眺めたノイシュヴァンシュタイン城

 しかし彼はこの広大な城の中でたった一人で食事をし、孤独な日々を過ごしたという。どんな気持ちでこの素晴らしい景色を眺めていたのだろうか。あまりにも築城に国家の財産を浪費したとの理由で幽閉され、最後には湖のほとりを散歩中に謎の死を遂げたとのこと。

 帰りは皆でおしゃべりをしながら麓まで徒歩でのんびりと下る。 ロマンティック街道の終点フュッセンで遅い昼食を取ってから、ウィーンまで約600キロの長いドライヴが続く。ドライヴァーのシックスさんはきっちりと100キロを保って走る安全運転をする。Chiemsee湖ではウィンドサーフィンをする人がたくさんいた。オーストリアとの国境はあっけないほど実に簡単に超える。Mondsee湖のほとりで休憩。とても景色のよいところでアイスクリームを食べながら体をほぐす。果てしなく広がる緑の景色の中にとんがり屋根や玉ねぎ頭の教会が時々姿を現す。景色に見とれて長時間のドライヴがちっとも苦にならない。

もう一度休憩を取って夜9時ごろウィーン HILTON INTERNATIONAL WIEN HOTEL に到着。さすがに疲れたのでルームサービスでゆっくり夕食を取って休む。

6月1日(日)

 朝早くロビーに降りてゆくとコーヒーのサービスがあってうれしい。いつものように一人で早朝散歩を楽しむ。風が冷たくて寒いがオーストリア応用美術館を眺めたり市立公園で太極拳をしたり市電の停留所を確かめたりしてかなり歩いた。

 9時に集合して市内観光に出発。まずシェーンブルン宮殿。マリア・テレジア・イエローの美しく広大な宮殿だ。豪華な家具調度、絢爛たる天井画など目を見張る。若き日のマリア・テレジアは楚々として美しい。彼女はこの宮殿で愛するフランツ一世との間に16人もの子供をもうけた。のちのフランス王妃となったマリー・アントワネットの肖像画も可憐で美しい。幼い日のモーツアルトも歩いたであろう廊下を歩くとなんだか夢のような不思議な感じがする。

シェーンブルン宮殿

 次にベルヴェデーレ宮殿。緩やかな丘の上に立つバロック様式の宮殿で、ウィーンの旧市街を一望できる。「美しい眺め」という宮殿の名前に納得する。庭園は残念ながら改修中でその美しさを堪能できなかった。男性軍はみんなスフインクスの胸を触って喜んでいた。たくさんの人が触るのでピカピカに光っている

 映画「第三の男」で有名になったプラター公園の観覧車や国連都市をバスから眺める。ドナウ川を渡るとき中年の女性ガイドが「この川の水が青く見えたとはヨハン・シュトラウスはよほど目が悪かったか、恋に目がくらんでいたに違いない。」と言って笑わせた。

 市内に戻って昼食。その後は自由行動でウィーンの街をゆっくり散策する。壮麗な国立オペラ座の横から、ウィーン一番の繁華街ケルトナー通りを通ってシュテファン寺院へ。壁面が黒く煤けたいかにも歴史を感じさせる壮大な寺院だ。

ベルヴェデーレ宮殿 シュテファン寺院

モーツアルトが4年間暮らし、「フィガロの結婚」を作曲したフィガロハウスを見学。映画「アマデウス」の場面が蘇る。ブルク劇場に入ったけれどドイツ語だけのガイドでチンプンカンプンなので自分たちだけで自由に見て回りたいと交渉したが断られてしまった。

 近くのカフェ・ラントマンでアインシュペンナー(日本で言うウィンナコーヒー)を飲んで一休み。美術史博物館は約650年もの間ヨーロッパを席巻したハプスブルク家が収集した美術品の宝庫で、建物自体ももとは王宮なので壮麗だ。有名な絵画や彫刻が綺羅星のごとくあるけれど何しろ膨大な数なので、個人で行くと効率が悪くブリューゲルの「狩人の帰還」やヴェラスケスの「王女マルガリータ」などを見ただけで疲れてしまう。

 市電に乗ってホテルに戻り一休み。地下鉄に乗って15世紀創業というウィーン最古のレストラン Griechenbeisl に出かける。ツタの絡まったなかなか雰囲気のある建物で、たくさんの小部屋に分かれている。壁には鹿の頭がいっぱいかかっている。Tafelspitz(リンゴソースをかけて食べる湯で豚)、Kalbsgulyas (パプリカ風味のシチュー)などを食べるが味は期待していたほどではない。

 8時過ぎてもまだ明るいので帰りはゆっくり歩いてウィーンの街並みを楽しむ。アール・ヌーボー様式の郵便貯金局や荘厳なバロック様式の合同庁舎など素晴らしい建物が並んでいる。

6月2日(月)

 6時半になるのを待ちかねて一人でホテルを抜け出す。市電に乗って市内を一周する。ガイドブックを片手に外の景色に見とれていると、隣の席に座った中年の男性が「私は日本に行ったことがある。」と英語で話しかけてきた。名古屋や横浜、千葉などかなり日本のことを知っている。「この美しいウィーンの街をゆっくり楽しんでください。」と言ってブルク劇場の前で降りて行った。ドイツ語はン十年も前に第二外国語で習っただけなので、はるか忘却の彼方。頭にまだかすかに残っているのは"Ich liebe dich.(I love you.)"と"Wo wohnen sie?"(どちらにお住まいですか)のみ。片言の英語で何とか会話が成立してうれしかった。約4kmの環状線の両側にはにはルネッサンス様式のオペラ座や壮大な王宮美術史博物館、ネオ・ゴシック様式の市庁舎、ギリシア古典様式の国会議事堂などが建っていて車窓からでも簡単な観光ができる。

 今日は一日自由行動なのでゆっくりと朝食を取ってから地下鉄で出かける。まずウィーン最古の生鮮市場ナッシュマルクトに行く。主人は外国に行くと必ずそこの人々の日常生活を垣間見ることのできる市場に出かけるのだ。肉類の種類が多いし、野菜も日本とは違った顔がたくさん見える。地下鉄のカールスプラッツ駅まで歩くと途中にセセッションという変わった建物があり、また今はカフェなどになっている駅舎がとても美しい。

 シュテファン寺院からコールマルクト通りを通って、HOFBURG(王宮)のミヒャエル門まで歩く。白い半円状の建物に青銅のドームが映えてとても美しい。ホテルの近くにある日本料理の店で昼食を取った後、主人は疲れたと云ってホテルに戻り、私は又一人で地下鉄で街中に戻る。まずミヒャエル門から王宮に入る。この宮殿も絢爛豪華。星型の髪飾りを付けた白いドレス姿の皇后エリザベートの肖像画が素晴らしい。ディナー用の食器が美しくディスプレイされた広い部屋などを見て廻る。真っ白な陶製のストーブが各部屋に備わっている。エリザベートが使った美容体操の器具も展示されている。彼女は姑との折り合いが悪く、この宮殿を離れて旅に出ていることが多かったという。息子は自殺するし、自分自身もスイスでイタリア人に殺されてしまう。表面の華やかさとは裏腹に一人の女性としては辛い人生を送ったようだ。。

若き日のマリア・テレジア エリザベート

 宮殿の一角にある国立図書館のプルンクザールがとても雰囲気がよく素敵だった。200万冊を超える蔵書、モーツアルトやシューベルト、ベートーヴェンなどの直筆の楽譜、そして彫刻などが展示されている。

国立図書館 王宮ミヒャエル門

 華麗な内装のカフェ・デーメルでコーヒーとケーキの至福のひと時を過ごしてからホテルに戻る。

6月3日(火)

 午前4時モーニングコールという強行スケジュールで5時にホテルを出発。まだ辺りは真っ暗。空港のラウンジでサンドウィッチなどの弁当の朝食を取る。ウィーン発07:15のOS451でロンドンに向かい、ロンドン発13:00のVS900 で帰国の途へ。

6月4日(水) 

 午前9時成田着。5泊7日というあわただしい旅ではあったけれど、緑と花にあふれた初夏のヨーロッパは本当に素晴らしかった。ロマンティック街道はまさに浪漫的でその美しさはいつまでも心に残ることだろう。

(終わり)