+++ 神名釈義 名義ミニ事典 +++



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闇御津羽の神 (クラミツハ)

名義は「峡谷の出始めの水」。

「闇」は
「天之闇戸の神」の項参照。「御津羽」は 「弥都波能売の神」の項参照。

伊耶那岐命火神(火之迦具土)を斬り殺したとき、 その剣の柄についた血が指の間から漏れ、 「闇淤加美の神」の次に化成した水神。



正鹿山津見の神 (マサカヤマツミ)

名義は「正真正銘の、山の神霊」。

原文「山津見」と「上」の声注がある。これは「正鹿山」とは読まずに、「正鹿、山津見」と読むこと を指示したもの。「正鹿」は「正所・まさか」の義で、「まさにある」すなわち「正真正銘の」の意であろう。「山津見」は
「大山津見神」の項参照。
伊耶那岐命に斬り殺された火神(火之迦具土)の屍体から、 八神の山津見神が化成する、その第一に、頭から化成した神。 「屍体化成説話」の類であるが、古代人の山焼きの経験から、山の位置や姿態に基づく命名で、火山による命名ではないと 考える。



淤勝山津見の神 (オドヤマツミ)

名義は「弟格の山の神霊」。

「淤勝」は「弟」か。清濁の問題については
「火之夜芸速男の神」の項参照。 火神(火之迦具土)の屍体の胸に化成した第二神。第一神「正鹿山津見の神」に次ぐ「弟」 の意であろう。なお前項参照。


奥山津見の神 (オクヤマツミ)

名義は「奥の、山の神霊」。

原文「奥津見」とある。「奥山、津見」ではなく「奥、山津見」であることを示す。 「奥」は後出の「羽山津見の神」の「端」に対する。
火神(火之迦具土)の屍体の腹に化成した第三神。なお「正鹿山津見の神」の項参照。


闇山津見の神 (クラヤマツミ)

名義は「峡谷の、山の神霊」。

「闇」は
「天之闇戸の神」の項参照。 「山津見」は 「大山津見神」の項参照。
火神(火之迦具土)の屍体の陰部に化成した第四神。「陰・ほと」は男女ともに陰部をいう。 峡谷の水と陰部の小便との連想に基づく命名。



志芸山津見の神 (シギヤマツミ)

名義は「茂った、山の神霊」。

「志芸」は「重きる・しきる」(樹木について言えば「茂る」意)の「しき」。清濁の問題については
「火之夜芸速男の神」の項参照。
火神(火之迦具土)の屍体の左手に化成した第五神。



羽山津見の神 (ハヤマツミ)

名義は「麓の、山の神霊」。

神代紀上には「麓山ツミ」とあり、その訓注に「麓、山足を麓と曰ふ。ここはハ耶磨(ハヤマ)と云ふ」とある。 すると、「はやま山ツミ」と訓むべきものとなる。したがって、「羽山津見」は「はやま山津見」の約である。
「はやま」は「端山」で「麓」の意。「奥山津見」の奥に対する。
火神(火之迦具土)の屍体の右手に化成した第六神。


原山津見の神 (ハラヤマツミ)

名義は「山裾の原の、山の神霊」。

火神(火之迦具土)の屍体の左足に化成した第七神。「足」は山裾で、そこは広々とした原になっていることに 基づく。


戸山津見の神 (トヤマツミ)

名義は「里に近くの、山の神霊」。

「戸」は「外」の義で、山から見て外であるから里に近いほうになる。
火神(火之迦具土)の屍体の右足に化成した第八神。


天之尾羽張 (アメノヲハハリ)

名義は「天上界と関連のある、雄々しい大蛇(はは)の刀」。

「天之」は
「天之忍許呂別」の項参照。

「尾羽張」は解しにくい。 通説は「剣の峰の刃が張る」とする。しかし「刀の峰」とはいうが「刀のを」とは言わない。また「刀の先の刃が張る」 とする説もあるが「刀のきっさき」を「刀のを」と言うこともない。

それで「尾」は「雄」の借訓とし、「羽張」は「ははあり」の約と考えてみた。「はは」は「古語拾遺」に 「古語に、大蛇を羽羽といふ」とある。「天の若日子の派遣」の条の「はは矢」も「大蛇を射殺す矢」の意。 「ははあり」の「あり」は存在を表す。一方、太刀を蛇の名で表現する例は「草なぎの太刀」(「八俣の大蛇」の条)がある。 「なぎ」は「蛇」の意。 伊耶那岐命火神(火之迦具土) を斬り殺したときに用いた太刀の名である。



伊都之尾羽張 (イツノヲハハリ)

名義は「威勢のある、雄々しい大蛇(はは)の刀」。

前項「天之尾羽張」の別名。
「建御雷神の派遣」の条では、「伊都之尾羽張の神」で登場する。「天の尾羽張」と同一神で、 建御雷神の親神である。



黄泉つ神 (ヨモ)

名義は「黄泉国を支配する神」。

「黄泉・こうせん」の文字は漢籍に見え、「死者のゆく所」の意。 「黄」は「土の色」で「黄泉」は「地中の泉」の意だが、「冥途」の意となった。
日本では「よみ」と言う。その母音調和が「よも」である。「現し国」(現世)に対する、死後の他界をいう。

伊耶那岐命が亡伊耶那美命を追って黄泉国へ行き、 それを迎えた美神が、岐神とともに現し国に還ることの可否を相談した 黄泉国の支配神である。


大雷 (オオイカヅチ)

名義は「成熟した魔物」。

「大」は「若」の対語で「一人前の・成熟した・老成した」などの意。 「雷」はここでは「恐ろしいもの・魔物・鬼」の意。「伊耶那岐命、黄泉国を訪問する」の条に 死んだ
伊耶那美命の頭にいた雷神。 これを見て恐れ逃げる伊耶那岐命を追う。桃の実によってうちはらわれる。 これ以下八雷神は死の穢れの表象。


火の雷 (ホノイカヅチ)

名義は「火をともしている魔物。」。

「火」は「雷」を修飾しているので「火・ほ」と訓む。「雷」は「大雷」の項参照。
黄泉国の八雷神の一つで、死んだ
伊耶那美命の胸にいた魔物。死の穢れの表象。


黒雷 (クロイカヅチ)

名義は「黒い魔物」。

黄泉国の八雷神の一つで、死んだ
伊耶那美命の腹にいた魔物。死の穢れの表象。


析雷 (サクイカヅチ)

名義は「裂く力をもつ魔物」。

黄泉国の八雷神の一つで、死んだ
伊耶那美命の陰部にいた魔物。死の穢れの表象。 女陰の連想によるものであろう。


若雷 (ワカイカヅチ)

名義は「若い魔物」。

「大雷」の対。 黄泉国の八雷神の一つで、死んだ
伊耶那美命の左手にいた魔物。死の穢れの表象。


土雷 (ツチイカヅチ)

名義は「容姿の醜い魔物」。

「土」は後世の例であるが「御前なる人は誠に土などの心地ぞする」(源氏・蜻蛉) の「土」(容姿が非常に醜いことのたとえ)の意であろう。 黄泉国の八雷神の一つで、死んだ
伊耶那美命の右手にいた魔物。死の穢れの表象。


鳴雷 (ナルイカヅチ)

名義は「音が鳴る魔物」。

黄泉国の八雷神の一つで、死んだ
伊耶那美命の左足にいた魔物。死の穢れの表象。 雷鳴からの連想であろう。


伏雷 (フスイカヅチ)

名義は「這いつくばっている魔物」。

黄泉国の八雷神の一つで、死んだ
伊耶那美命の右足にいた魔物。死の穢れの表象。


予母都志許売 (ヨモツシコメ)

名義は「黄泉国の醜悪な女」。

「黄泉」は
「黄泉つ神」の項参照。 「志許売」は「醜女・しこめ」。「和名抄」に「黄泉の鬼なり」と記すように、 黄泉の穢れを醜として擬人化したもの。黄泉国の伊耶那美命が禁忌を犯した 伊耶那岐命に 対して怒り、逃げる岐神を追わせた黄泉の魔女。


意富加牟豆美の命 (オホカムヅミ)

名義は「偉大な、神の霊」。

「意富」は「大」で美称。「加牟」は「神」。「豆」は連体助詞。「美」は「山つみ・海つみ」の「み」 で「神霊」の意。

黄泉国から逃走する
伊耶那岐命が黄泉つひら坂(境界の坂)で、桃の実を追手に投げつけ退散させ、 無事脱出し、その桃の実の功績を賞して与えた名。
桃の木や実に邪気を払う呪力があることに基づく名であるが、 邪気(鬼人)を払う呪力は、その鬼神よりさらに強大な威力があるので、神のなかの偉大な神の、その神霊、という 命名であろう。



黄泉津大神 (ヨモツ)

名義は「黄泉国の大神」。

「黄泉」は
「黄泉つ神」の項参照。

伊耶那岐命(現し国の神)と絶縁した伊耶那美命(黄泉国の神) の称である。 黄泉国の神は「黄泉つ神」というが、さらにそれよりも偉大な支配者になったという意味で「大神」を付す。 美神が地下の他界に眠るのは、中国の天父地母の思想と関係があろう。美神はこの黄泉国から再度復活していない。



道敷の大神 (チシキ)

名義は「道を追いついた大神」。

伊耶那岐命が黄泉国から逃走したとき、伊耶那美命が黄泉つひら坂で追いついたのでその名がある。 「敷」は「及」の借訓。美神の異名であるが、本来は、どの神に限らず、「道一面に力を及ぼし、その道を治めること」 の意であった。

神代紀上では、岐神が黄泉国から脱出するとき、投げ棄てた履(くつ)に化成した神、すなわち 履の神の名となっている。これは「履が道一面に力を及ぼす」意で、履による歩行力の表象であるから、記の場合とは全く 異なる。記が「その追ひしきしをもちて、道敷の大神といふ」と述べているのは、美神の黄泉道の支配力の表象であるけれども 説話的興味のほうがより強くはたらいていると言えよう。



道反之大神 (チガヘシノ)

名義は「魔物を道から追い返した大神」。

「道」は現し国と黄泉国との境の道。
伊耶那岐命が黄泉国から脱出し、その境に千引きの石(千人がかりで引くような大岩)を置いて 交通を遮断した。その大岩の名。村落の境で侵入者を追い返すのは、道祖神(塞の神)の信仰に基づく命名。


塞ります黄泉つ戸の大神 (サヤリマスヨモツトノ)

名義は「塞がっておいでになる黄泉国の入口、という名の大神」。

原文「塞坐黄泉戸大神」とあり、その訓み方が二とおりある。一つは「黄泉戸に塞ります大神」であり、 一つは「塞ります黄泉戸の大神」である。どちらにも訓めるが、「黄泉戸」そのものが神名なのであるから後者が正しい。

伊耶那岐命が黄泉国から脱出し、その境に千引きの石を置いて交通を遮断した、その大岩の名である。 前項「道反之大神」の異名で、 黄泉国と現し国との境にいて、黄泉国の悪霊が現し国に侵入しないように塞いでいる石を神格化したもの。 道祖神(塞の神)の信仰に基づく。


衝立船戸の神 (ツキタツフナト)

名義は「杖が突き立っている道の曲がり角という名の神」。

「衝立」は自動詞。「船戸」は「曲門・くなと」(「くな」は「くねる」意で「道の曲っている角」)の音変化の借訓。 道の曲がり角には神がいたので、そのまま神名となっている(前項「塞ります黄泉つ戸の大神」の項参照)。

黄泉国から脱出した
伊耶那岐命が竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原で禊をしたとき、 第一に投げ棄てた杖に化成した神。 杖は、串・矢・矛などと同じく、地面に突き立ててその土地の占有を示す象徴物であった。


道之長乳歯の神 (ミチノナガチハ)

名義は「道の、長く続く道に立つ岩」。

「道之長乳」は「道の長道」(万葉、巻二十、4341)「道の長て」(同、巻四、536) とあるように「長い道」の意。「歯」は「岩」の借訓。道祖神が岩として立つさま。
黄泉国から脱出した
伊耶那岐命が禊を したとき、第二に投げ棄てた帯に化成した神。帯の長いことから「長道」を連想する。黄泉国から現し国への 脱出の道程の長さを暗示するが、この神名自体は「塞の神」である。


時量師の神 (トキハカシ)

名義は「物を解き放つこと」。

「時量師」は「解き放し・ときはかし」の借訓。黄泉国から脱出した
伊耶那岐命が禊をしたとき、第三に投げ棄てた嚢(ふくろ)に化成した神。

「嚢(袋)」といえば、中の物を出すとき口紐を解き放すので、その連想。禊のときに物を棄てて穢れを解き放つのである。 説話的には、岐神が物を投げて筍や山葡萄を生えさせ、黄泉醜女がそれを食っている間の「時を稼ぐ」意から、「時量師」の文字 を用いたもの。「師」の字は、学問・技師などの「師匠・技術者」を意味する。



和豆良比能宇斯の神 (ワヅラヒノウシ)

名義は「煩いの大人(うし)」。

「和豆良比」は「煩い」で、「労苦・困難・苦悩」など。「宇斯」は「大人」と書き、「偉大なる人」の意。 黄泉国から脱出した
伊耶那岐命が禊をしたとき、第四に投げ棄てた衣(上衣)に化成した神。 穢れや厄病は「煩い」である。
「衣」との関係は「クサ人形」(厄病神を転依させて村境の辻や川に流し捨てられる人形)に衣を着せたからである。 要するにこの神は「厄病神」である。







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