+++ 神名釈義 名義ミニ事典 +++



【神名釈義 目次】 【昔が原】 【HOME】
前へ→【天の御虚空豊秋津根別〜野椎の神】
次へ→【闇御津羽の神〜和豆良比能宇斯の神】





天之狭土の神 (アメノサヅチ)

名義は「山頂の、初めて生じた土地」。「天之」は
「天之水分の神」の項参照。

次項の「国之」(地上の、の意)の対。
「狭土」の「狭」は「早」で「初出の」の意。
「さ蕨」(万葉、巻八、1418)の「さ」は「その年初めて芽を出した」の意であり、「淡道之穂之狭別」 の「狭」も「穂が初めて出ること」の意 であった。

これらは植物の例であるが、「さ庭」の例がある。これは「清浄の庭」と解されているが、原義は「初出の庭」であった。 神降しをするために掃き清めて、ま新しくした庭である。それで「ういういしく清浄である」の意となる。「狭土」は原義としての 「初めて生じた土地」。
岐・美二神の国生みにおいて、山の側の大山津見神の援助によって生れた土地の神。 古代人の自然環境に密着した労働体験に基づいた命名であろう。



国之狭土の神 (クニノサヅチ)

名義は「地上の、初めて生じた土地」。

岐・美二神の国生みにおいて、野の側の
野椎神(鹿屋野比売)の援助によって生れた土地の神。 前項、「天之狭土の神」の項参照。
神代紀上に「国狭槌尊」の名が見え、天地創世神話の冒頭神「国常立尊」に次ぐ第二神として登場する。神話体系中の位置づけは異なる が、記紀同一の神格とみてよかろう。



天之狭霧の神 (アメノサギリ)

名義は「山頂の、初めて生じた霧」。

「天之狭」は
「天之狭土の神」の項参照。
岐・美二神の神生みにおいて、山の側の大山津見神 の援助によって生れた霧の神。古代人の自然環境に密着した労働体験に基づいた命名であろう。次項「国之狭霧の神」の対。



国之狭霧の神 (クニノサギリ)

名義は「地上の、初めて生じた霧」。
岐・美二神の神生みにおいて、野の側の
野椎神(鹿屋野比売) の援助によって生れた土地の神。前項「天之狭霧の神」の対。


天之闇戸の神 (アメノクラト)

名義は「山頂の、峡谷の所」。

「天之」は
「天之水分の神」の項参照。

「闇」は一般的な「谷」に対して、断崖の下部の狭隘になっている地形をいう。その断崖(岩壁)に神の座が あると信じられ、その狭隘部を含めて「峡谷」を「くら」と言ったもの。「くら谷」(万葉、巻十七、3941)ともいう。 ここには「闇淤加美・闇御津羽の神」がいた。「戸」は場所の意。

岐・美二神の神生みにおいて、山の側の大山津見神 の援助によって生れた峡谷の神。古代人の自然環境に密着した労働体験に基づいた命名であろう。次項「国之闇戸の神」の対。



国之闇戸の神 (クニノクラト)

名義は「地上の、峡谷の所」。

前項「天之闇戸の神」参照。山頂に対する、山の裾野の峡谷。
岐・美二神の神生みにおいて、野の側の
野椎神(鹿屋野比売) の援助によって生れた峡谷の神。


大戸或子の神 (オホトマトヒコ)

名義は「広大な所で道に迷う男」。

「或」は「惑う」の古字でもあるので、本文では「まとひ」(「まどひ」は後世の形)と訓むことを指示した「訓注」が付けてある。
岐・美二神の神生みにおいて、山の側の
大山津見神の援助によって生れた男の迷い子の神。

狩猟や焼畑生活時代以降、山道を失い迷った体験に基づいての命名であろう。次項「大戸或女の神」の対。



大戸或女の神 (オホトマトヒメ)

名義は「広大な所で道に迷う女」。

前項「大戸或子の神」の対。
岐・美二神の神生みにおいて、野の側の
野椎神(鹿屋野比売) の援助によって生れた女の迷い子の神。


鳥之石楠船の神 (トリノイハクスフネ)

名義は「鳥のように軽快で、堅固な楠造りの船」。

「鳥之」は、天を飛ぶ鳥の軽快な速度の比喩とも、水禽の水に浮かぶことの比喩とも言える。

船と鳥との連想は、楠で船を造ったところ、たいそう速く走ったので「速鳥」と命名した話(逸文播磨風土記)や 「沖つ鳥鴨とふ船」(万葉、巻十六、3866、3867)という船名に表れている。
「石」は「堅固な」の意。「楠」は防虫剤の樟脳を採るほどの木で腐食しにくいので船材として用いられた。
弥生時代から古墳時代にかけて出土する船の中に、楠の刳船(丸木船)がある。鳥之石楠船神は、岐・美二神が生んだ神で、 人文生活における船の重要性に基づいて神格化されたものである。「亦の名」として次項「天の鳥船」がある。
一方、神代紀上では、蛭子を「トリノイハクスフネ」に入れて放ち棄てたとある。これは、出来損ないの蛭のような子を海上の他界 (人間の住む現実の国とは別の世界)へ棄てるのであるが、邪気を払う楠で造った船が用いられている点は「葦船」
(「水蛭子」の項参照) と同じ思想である。ただ、「鳥之」というのは、この場合、死者の霊魂を冥界(死者の国)に運ぶのが「鳥」であるという信仰に基づいている。


天の鳥船 (アマノトリフネ)

名義は「天上界と関連のある立派な、鳥の飛ぶように軽快な舟」。

前項の「鳥之石楠船の神」の別名。「天の」は神が天上界と下界との往還に用いる乗り物(船)なので冠した。
「鳥船の神」としていないのは、乗物の名として掲げているからである。「旧事本紀」には「天磐船」(あまのいわふね)とある、これにも 「の神」が付いていない。

しかし記の「建御雷神の派遣」の条では「天の鳥船の神」と、神名になっている。これは国譲りの交渉の大使
建御雷神 の副使としてであるから「の神」を付けたのである。建御雷神の副使が船の神であるというのは、雷は船に乗って天翔り降臨すると信じられて いたからである。


火之夜芸速男の神 (ヒノヤギハヤヲ)

名義は「火の、焼く火勢が速く盛んな男」。

「火之」は、下接語に対して独立の位置を占めているので「ひの」と訓み、「ほの」とは訓まない。 「ほの」は「火の穂」(炎)のように修飾的に用いられる場合である。
「夜芸」は「焼き」の意。「芸」は濁音仮名で「焼き」の「き」にあわないが、記ではこういう違例がほかに五例ある。 「おど(弟・おと)」「しぎ(茂・しき)」「たぎ(綰・たき)」(「綰」は手の動作をいう)「さづ(幸・さつ)」「つびに(遂に)」。 当時の清音語を濁音化させているわけで、清濁の書分けを明らかにしている記としては、例外と見るべきものである。
「速」は火勢の速く盛んなさま。「男」はその神が男であることを表す。
岐・美二神の神生みにおいて生れた火力の神。この神が生れるに当たり、
伊耶那美命の陰部を焼き、やがて死に至らしめる。別名として 次項の「火之R毘古の神」、次々項の「火之迦具土の神」がある。


火之R毘古の神 (ヒノカカビコ)

名義は「火の、明るく輝く男性」。

「R」は「明るく輝く」意。今日「かがやく」というが、室町時代までは「かかやく」であった。

「名義抄」や平家琵琶・謡曲の発音がそれを示す。この語の語基(語構成上の最小単位の語)は「かか」で、 「出雲風土記」に「金弓もちて射給ふ時に、光かかやきき。故、加加といふ」(島根郡加賀郷の条)とある。この 「かか」は「かく」とも言った。

「天の若日子の反逆」の条に「かく矢」とあるのも、金属の矢で輝く矢であり、 垂仁天皇の段の「多遅摩毛理橘を求める」の条に「ときじくのかくの木の実」とあり、「万葉集」に「香久の菓子(かくのこのみ)」 (巻十八、4111)とあるのも、橘の実の黄金の輝きをいう。
こうして、この神は、火が燃えてきらきらと明るく輝く霊能に基づく命名である。



火之迦具土の神 (ヒノカグツチ)

名義は「火の、ちらちらと燃える精霊」。

「迦具」は「光(火)がほのかにちらちらと揺れる(燃える)」意。「万葉集」の「かがよふ珠」(巻六、951)「玉かぎる」(「夕」「ほのか」 などに懸かる枕詞)「かげ」(「光」の意)の語基「かが」は「光りがほのかにちらちら揺れる」ことを表す。
また「竹取物語」の「かぐや姫」も「なよ竹の」という枕詞を冠しているので、なよ竹がほのかに光るような神異性をもつ姫、 の意であろう。

一方、「火がちらちら燃える」意は、「かぎろひの燃ゆる家群」(履中天皇の段)に見え、陽炎の光の揺らぎをいう。こうして、 「かが・かぎ・かぐ・かげ」は「光(火)がほのかにちらちらと揺れる(燃える)」意となる。
すると、今の「火之迦具土の神」 の「かぐ」は「火之」とあるから、「火の、ちらちらと燃える」意であることが明らかである。
「土」は「つ」が連体助詞、「ち」が「精霊」。ここにおいて、前項の「火之R毘古の神」とは名義が異なることが分る。 「火之R毘古」は照明の霊能であり、「火之迦具土」は焼焦の霊能に基づく命名なのである。

火神の出生により母神が陰部を焼かれる話は、火切杵と火切臼とを使用する発火法の反映である。 オセアニアや南米などの鑚火の話と共通している。

火神出生のために妻
伊耶那美命を失った伊耶那岐命は、剣で 「迦具土の神」を 斬り殺す。これは刀剣が鎮火のはたらきをするという信仰に基づく。次にこの火神の血(赤い焔)から刀剣三神・火力三神・水三神が生れる。 次にその死体から「山津見」八神が化成する。

火神であるからこれらの山神は「火山」の反映かと考えられやすいが、記において 「火山」を素材にした記述は見られないので、「山焼き」の習俗から生じた屍体化成説話と考える (「大山津見の神」の項参照)。



金山毘古の神 (カナヤマビコ)

名義は「鉱山の男性」。

「金山」は「天の金山の鉄(くろがね)を取りて、鍛人天津麻羅を求ぎて」(「天照大御神の天の石屋ごもり」の条)とあるように 「鉱山」の意。
伊耶那美命が火神を生み病臥して嘔吐したときに化成した神。鉱石を火で熔かしたさまが嘔吐に似ていることからの 連想。その対偶神は「金山毘売の神」。神代紀上では、「金山彦」とあり、女神のほうは登場しない。この神名を社名にもつ 神社は「延喜式」神名帳に「金山孫神社」(河内国大県郡)「仲山金山彦神社」(美濃国不破郡)がある。


金山毘売の神 (カナヤマビメ)

名義は「鉱山の女性」。

前項の「金山毘古の神」の対。この神名を社名にもつ神社は「延喜式」神名帳に「金山孫女神社」(河内国大県郡)が ある。



波邇夜須毘古の神 (ハニヤスビコ)

名義は「粘土の男性」。

「はにやす」は「埴黏(はねや)す」の約。「黏す」は「黏ゆ」(ねばる)の他動詞で、練って柔らかにする。 結局「粘土」のことで、たとえば「簾垂れ」といっても「簾」のことであるのと同じ。

伊耶那美命が火神を生み病臥して屎を出したときに化成した神。屎と粘土との類似からの連想である。 火神と粘土との関係は、粘土の土器調整において火で焼き固めることによる。その対偶神は「波邇夜須毘売の神」。


波邇夜須毘売の神 (ハニヤスビメ)

名義は「粘土の女性」。

前項の「波邇夜須毘古の神」参照。

神代紀上には「土の神を埴安神と号す」とあり、その一書には「土の神、埴山姫」、また一書に「大便まる。神と化為る。名を 埴山媛と曰す」とある。
鎮火祭の祝詞では「水の神・匏・川菜・埴山姫、四種の物を生みたまひて」鎮火に当れ、とあるから火神の猛威を鎮める効用がある と考えられていた。「埴山」の名は、粘土の多量を「山」と表現したもの。



弥都波能売の神 (ミツハノメ)

名義は「出始めの水の女」。

「水つ早(みつは)」の義と考える。
「万葉集」には「始水(みづはな)」(巻十九、4217)とあり、「はな」は「始・端」 の義で、「出始めの水」の意。また「早い」ことを単に「早」とも言ったことは、「石走る垂水の水の早しきやし」(万葉、巻十二、3025) の借訓「早」によって分る。やはり「始・端・初期」の意。
伊耶那美命が火神を生み、病臥して尿を出したときに化成した神。火の暴威鎮圧のために水神が生れたわけである。むろん水神は灌漑用水の 神でもある。神武即位前紀には「厳罔象女」とあって、「罔象女」を「みつはのめ」と訓む注がある。日本の「みつはのめ」は女神である。


和久産巣日の神 (ワクムスヒ)

名義は「若々しい生成の霊力」。

「和久」は、神代紀上に「稚産霊(わくむすひ)」とあるように、「稚・若」の意。「産巣日」は
「高御産巣日の神」の項参照。
伊耶那美命が火神を生み、病臥して尿を出したときに化成した最後の神。 記の文脈では、火の徳が大地を刺激し、糞尿が肥料となり、水が灌漑用として、若々しい農業の生成力が生れる、 ということを表している。その結果、豊饒な食物神「豊宇気毘売の神」(次項)が生れることになっている。



豊宇気毘売の神 (トヨウケビメ)

名義は「豊かな、立派な食物(稲)の女性」。

「豊」は豊穣の意の美称。「宇気」は「う(立派な)け(食物)」の意で、稲をさす。したがって、
「大宜都比売」の、一般的 な「食物神」に比べて限定性がある。
前項「和久産巣日」の子である。岐・美二神から言えば、孫神に当る。ということは、岐・美二神の「神生み」は 和久産巣日の神まで(その神までが、いわゆる「三十五神」なのである)であって、次に最も大切な食物である稲の神が生れるための 条件設定あったことを表す。孫神に託す思考形式は、天孫降臨にもみられるものである。



泣沢女の神 (ナキサハメ)

名義は「泣くことが多い女」。

「泣沢」は、元来「鳴沢」に同じく、「水音を鳴り響かせている沢」の意。

記の文脈では、泣沢女神は、最愛の妻を亡くして悲しみ泣いた
伊耶那岐命の涙に化成した神とあるので、 「泣多・なきさは(泣くことが多い)」の意を表し、また葬儀における「泣女」(泣くことによって死者の魂を呼び戻す、巫女の一種) の連想もある。


石析の神 (イハサク)

名義は「岩をも裂く力」。

伊耶那岐命火神(火之迦具土)を斬り殺したとき、その剣の先についた血が岩にほとばしりついて 化成した神。 血は火神の赤い焔で、岩(鉱石)を溶かすことを意味し、そこで「岩を裂く」ほどの威力のある刀剣の誕生を表す。


根析の神 (ネサク)

名義は「木の根をも裂く力」。

前項「石析の神」と同じく、刀剣の威力の神格化。



石箇之男の神 (イハツツノヲ)

名義は「堅固な刀剣の男」。

「石」は「堅固な」。「箇」は「筒」に通用する文字であるが、ここでは「刀剣(つつ)」の借訓である。
「刀剣・つつ」はもと「つち」であるが、「つ」に引かれて「つつ」となったもの。
伊耶那岐命が火神(火之迦具土)を斬り殺したとき、その剣の先についた血が岩にほとばしりついて 化成した神。 血は火神の赤い焔で、岩(鉱石)を溶かし、「石析・根析」の刀剣神が生れ、次にこの「石箇之男の神」が生れたのであるから、 この神も刀剣神である。「つち・つつ」は武器の意で、ここでは刀剣をさすことになる。この神は、神代紀上では「磐筒男命・磐筒女命」 (いはつつのを・いはつつのめ)の男女神となっている。


甕速日の神 (ミカハヤヒ)

名義は「神秘的でいかめしいことが猛烈である霊力」。

「甕」は「御厳(みいか)」の約「みか」の借訓。「御」は元来「神秘的・神聖な」の意で、のちに神や天皇などの 尊貴なものへの敬語となった。「厳(いか)」は「勢いが激しいさま」の意。普通連体修飾に用いるが、この神名の核 は「厳」である。「速日」は「神の霊能が猛烈で霊力をもつ」場合につける接尾語。

伊耶那岐命火神(火之迦具土)を斬り殺したとき、 その剣の先についた血が岩にほとばしりついて化成した神。 血は火神の赤い焔で、岩(鉱石)を溶かし刀剣を鍛える強烈な火力の表象ある。最も強烈な「厳」の火力としては 「雷」が想定できる。したがってこの神は「雷神」とみられる。


樋速日の神 (ヒハヤヒ)

名義は「火が猛烈である霊力」。

「樋」は借訓で「火」の意。「樋」(水を導き流す管)の文字は、前項の「甕速日の神」の「甕」(水がめ)の連想によるものである。 「速日」以下については、前項「甕速日の神」参照。



建御雷之男の神 (タケミカヅチノヲ)

名義は「勇猛な、神秘的な雷の男」。

「建」は
「建依別」の項参照。「御雷」は「御厳づ(連体助詞)ち(精霊)」の約。 「御厳(みいか)」は「甕速日の神」の項参照。最も勢いの激しいものは当時「雷」と言われた。
伊耶那岐命火神(火之迦具土)を斬り殺したとき、その剣の先についた血が岩にほとばしりついて化成した神。 血は火神の赤い焔で、岩(鉱石)を溶かし刀剣を鍛える強烈な火力の表象で、「雷」神である。この雷神は、普通、雷光の輝きと 打撃の強さとから刀剣神でもある、と説明されている。



建布都の神 (タケフツ)

名義は「勇猛な、悪魔をふっつり断ち切ること」。

「建」は
「建依別」の項参照。 「布都」は「ふっつり」の擬声語。神武即位前紀に、剣の名を「フツ霊」と言い、その訓注に「ふつのみたま」とある。 鏡の名にも「真経津(まふつ)の鏡」(紀、神代上)とある。 刀剣や鏡には、悪魔を断ち切る力があると信じられたからである。
この神は、前項「建御雷之男の神」の別名であり、また「豊布都の神」とも言い、刀剣神としての名である。



豊布都の神 (トヨフツ)

名義は「豊かな、悪魔をふっつり断ち切ること」。

「豊」は美称。「建御雷之男の神」の別名。前項「建布都の神」の項参照。



闇淤加美の神 (クラオカミ)

名義は「峡谷の水を掌る龍神」。

「闇」は
「天之闇戸の神」の項参照。「淤加美」は「水を掌る龍神」である。
「豊後風土記」には、泉に蛇龍(おかみ)がいたという説話があり、また「万葉集」に「吾が岡の於加美に云ひて降らしめし雪のくだけし そこに散りけむ」(巻二、104)とある、これらを総合すると、「おかみ」は峡谷・泉・岡などにいて、龍蛇の姿をしていて、 水(飲料水を含む)・雪・雨などを掌る神を信じられていたことが分る。

伊耶那岐命火神(火之迦具土)を斬り殺したとき、 その剣の柄についた血が指の間から漏れて化成した 神。刀剣による火伏せの思想で、刀剣の霊気が雲となり水を呼ぶのである。神代紀上に「天の叢雲の剣」の命名由来を大蛇のいる上に、 常に雲気があるためとしているのも、同じ考えからである。







先頭へ